222_少女と不得手な対空戦闘
暴風と爆炎を姿勢制御に用いる巨大な影が、音速に匹敵するかの如き速度で地表へと突き刺さる。
盛大に土礫を巻き上げ陥没穴を作り出したその巨体へ、隙有りとばかりに小柄な影が躍り掛かる。
夜闇の中にあって尚眩く煌めく純白の剣閃を煌めかせ、不死鳥フェネクスを真っ二つにかち割らんと勇者の剣が振り下ろされる。
……が。
「んぶっ!?」
『そう甘くはありませんよ』
完全に無防備であった筈の背面に突如として小爆発が巻き起こり……炎熱はネリーの耐熱魔法によって軽減されるも、小さく軽い身体かつ踏ん張りの効かない空中とあっては為す術も無く、元来た方向へあっさりと打ち返される。
ノートが体勢を整え着地している間、フェネクスは悠然と再び夜空へ舞い上がる。
主翼と尾翼と両脚に渦巻く炎を纏わせ器用かつ繊細に姿勢制御を行いながら、地に足を着けた者がどれだけ武器を振るっても決して届かぬ高みより余裕綽々と見下ろしている。
足場の無い宙に逃げられては、業腹だが剣閃は届かない。攻撃手段が無いわけではないし何度か試みているのだが……遠距離攻撃用の光魔法『光矢』は、今回はやや相性が悪いようだ。
ただでさえ縦横無尽に、上下左右前後へと動き回る標的である。じっくりと照準を定めれば当てることは可能かもしれないが、轟炎による急制動と急加速を自在に操るフェネクスにそんな隙を晒せば……先程の襲撃のように、ほんの一挙動で飛び掛かって来るだろう。
剣先より『光矢』を発振した状態で剣を振り回し、擬似的に斬撃を飛ばすことも不可能では無いのかもしれない。だが魔道具を用いるとはいえ、魔法を行使しながら剣を振るなどといった複雑なことが出来るものか。
フェネクスに翻弄されるがあまり周囲の把握がおざなりになり、仲間や環境に被害を与えてしまう可能性も否定出来ない。山を斬り飛ばす程度ならまだいいが、町を真っ二つにカチ割る恐れだって……無いとは言い切れない。
とはいえ、そもそもそんな小手先でどうこうする戦い方は……元よりノートの選択肢として存在しない。
身体強化と反射神経と運動速度と直感にモノを言わせた、被弾上等の極至近距離戦闘こそが……彼女の得意とする戦闘スタイルである。
難しいことを考えるまでもない。
難しいことを考えられる頭ではない。
敵が空中に居るのなら、そこまで跳んで斬り掛かれば良い。
「あーで。まーだー、いる」
身体強化をもう一回り増強し、速度のパラメータを一時的に強化。魔力光が迸る両の脚で山肌を蹴り飛ばし、フェネクス目掛け弾丸のような速度で跳躍する。
白く尾を引く剣閃がフェネクスの長い尾羽根を斬り飛ばすも、本体への有効打には至らない。死亡時の『再誕』は禁止事項とされているが、軽度の損傷を回復する分には単純に能力として見做され、特に咎められることは無い。
ノートの急襲を軽症で切り抜けたフェネクスは、無謀にも空中に飛び込んだ獲物を仕留めんと狩りに行く。跳び上がった勢いそのまま、しかし徐々に重力に捕らわれ速度を減じるノートへと、翼をはためかせ下方より襲い掛かる。
翼を持たぬ二足歩行の陸上動物が、空中戦を挑もうなど片腹痛いとばかりに猛追を仕掛けるフェネクス。禍々しく鈎状に尖った嘴を大きく開き、無防備な脇腹を喰い破り腸を啄まんと突撃を敢行し……
「んいゅっ!!」
『ぐゥ……ッ!!?』
すぐ眼前に迫った真白い獲物を捕捉していた視界が突如真っ白に塗りつぶされると共に、頭蓋を砕かれんばかりの強烈な衝撃がフェネクスを襲う。
視界を閉ざされるだけでなく、身体が思うように動かせない。突然の事態に慄くフェネクスの身体が手繰り寄せられ、この空域の支配者である筈のフェネクスが自由を喪う。
体勢を立て直そうにも衝撃は頭の芯に響いており、翼の可動範囲も明らかに狭く、機敏な飛翔に支障を来している。
のみならず謎の引力に身体が引かれ、理解不能な事態の連続にさすがに本能が警鐘を鳴らす。
自らの直感を頼りに不自由な身を捻る怪鳥のすぐ横を、灼熱を秘める羽毛を斬り飛ばし白の剣が駆け抜ける。
ほぼ同時にやっと視界が夜の闇を取り戻し……右手に振り抜いた白の剣、左手には伸ばされた白の外套を握った標的の姿を……空中に居るにもかかわらず今しがた自らの身体に打ち込んできたノートの姿を、猛禽の瞳が捉える。
普通に考えて……いや考えるまでもなく常識として、人族は空中で姿勢制御を行うことなど出来ない。
風を捕らえ大気を孕む翼が無ければ、身体の支えとなる床や壁の存在しない空中で姿勢制御を行える筈が無い。
しかしながら逆説的に捉えるならば……人族でありながらも姿勢制御の手段が在れば、空を打つ翼が在れば、空中での姿勢制御も(限定的とはいえ)可能となる(可能性も無くはない)。
太古の高高度文明の遺物、勇者の剣と並ぶ防御兵装『勇者の外套』……それこそ『神話級』に類する高位魔族の猛攻をも防ぎ切る純白の布衣を左腕に纏わせ、大気を打ち据え身を捻りながら申し訳程度の姿勢制御を行う。
自在に羽ばたき宙を舞うことは不可能ながらも、足場の無い空中で体勢を整える程度ならば問題無い。身体強化魔法による膂力にて帆となる外套を振り回し、追撃を仕掛けて来るフェネクスを白布で殴り付けると共に絡め取り、一時的に自由を封じた上で逆に反撃を仕掛ける。
完全に意表を突いた一撃、タイミングも鋭さも申し分のない一撃であったが……その一手はしかしながら、幾度となく死と再生を繰り返してきたフェネクスに勘付かれ、虚しく回避されてしまった。
内心の落胆を隠そうともせず、それでも身体と左腕に纏わせた帆と常識外れの膂力で無理矢理体勢を整えながら、警戒し距離を保つフェネクスを尻目に地表へと降下していく。
「…………んんー!」
『随分と……難解な』
意表を突いた不意打ちに、二度目は無い。
常識的に考えて『無防備を晒す』状況であったからこそ、フェネクスは空中にて体制を崩すノートに追撃を仕掛けたのだ。相手が(ある程度とはいえ)反撃体勢を取るのならば、反撃が予想される場面での追撃はそもそも避けるか、厳重に警戒した上での攻撃となるだろう。
そこに不意打ちじみた攻撃が成功する見込みは……ほぼ無い。
「んいっ!!」
半ば自棄気味に跳躍したノートを今回は余裕を持って躱し、先程同様上昇速度を減じる彼女に下方から追撃を仕掛ける。
胴と左腕とで形作る帆で姿勢制御を試みながら、地に足の着かぬ空中にてそれでも反撃の機を窺うノートに対し……フェネクスは無慈悲に小爆発を生成する。
「っっ!!?」
爆炎による被害は皆無とはいえ、急激に膨張した空気は健気に踏ん張っていた純白の帆を容赦無く殴り付ける。予想外の風圧で一気に制御不能に陥る小さな体に、今度こそと分厚く鋭い爪が迫る。
厄介な武器を握る右手から最も遠い部位……左足を狙い、炎纏うフェネクスの巨大な脚が繰り出され……
「あーで! りじっと! いる!!」
『な……!?』
切羽詰ったかのような少女の声に応えるかのように、フェネクスが狙っていたノートの左足を覆う衣装の全てが弾け飛ぶ。
先日仕立てたばかりの革長靴が内からの斥力魔法によって四方に爆ぜ、王都の職人が丁寧に鞣した堅革の破片が弾丸となってフェネクスを襲う。
無論、無限の再生力を備える『神話級』を殺傷するには到底力不足。
しかしながら間近に控えた危機を脱するには充分であり、一旦距離を取って仕切り直すための切っ掛けには充分であった。
再び地表へと降下し、裸となった左足に顔をしかめながら……どうしたものかとノートは考える。
跳躍の際の初速をひたすらに高めれば、回避困難な一撃を見舞うことは可能だろう。
しかしながら当然として跳躍到達高度は高くなり、攻撃後の滞空時間――つまりは無防備となる時間――は増えていく。
おまけにいくら初速を高めたところで、踏み込みのタイミングと踏み切り位置が露見していれば対処自体は容易いだろう。真正面から突っ込んでくるところが変わらないのであれば、完全な回避は難しくとも致命傷を避けることは難しくない。
つまりは、正面突破での勝利は不可能。
かといって空中で撹乱機動など、これまた不可能。
……どうしたものかと、不機嫌も顕に唸り声を上げる。
「んいいいいい……とぶ、ずるい」
『ずるではありません。正当たるわたしたちの技能です」
「んんんん……ふれーすべるる、へねくす……みんな、ずるい。しあ、かわいい。ずるい」
ちょっとだけ本音を漏らしながらも、ノートの頭脳は打開策を求め回転し始める。
日常生活においては悲しいほどに低性能な彼女の頭脳でも、(その代償あってか)こと戦闘に関する思考速度は抜きん出ている。
現在の状況、周辺環境、自身の現在の性能、相手の性能・技能・形状・全長・質量・体温・性格・性質……それら全てを鑑みた上で幾通りもの攻め手を導き出す。
正面からの攻撃を対処されれば速度を上げて側方や背後に回り込み、それにも対処されれば防御してからの反撃に切り替え、それさえも対処されたなら距離を離して攻撃魔法で隙を誘発する。
所持する装備の性能、ならびに手を変え品を変えての攻勢により、大抵の敵は全ての手札を使い切るまでもなく討滅せしめている。戦闘能力ならびに戦闘思考速度の高さこそが、ノートの十八番であった。
……が。
そもそも相手が中空に座しているというのは、非常にやり辛い。
かつて死闘の末にフレースヴェルグを下したときは、足場となる壁やら建造物やらが豊富に存在していた。真正面からが駄目ならば壁を足場に左右から回り込めば良かったし、なんなら周囲の建造物を破壊して障害物や武器として用いることも出来た。
だが……今日この場に至っては。
周囲はだだっ広い荒野。雄大なパトローネ山こそすぐそこに在るとはいえ、壁と見做すには角度も距離も無理がある。宙を舞うフェネクスの周囲に足場は存在せず、奴に剣戟を浴びせるには地面を踏み切り跳躍する他無い。
(……あしば、が……あれば)
ふと脳裏をよぎるのは、先日の開発拠点近郊での戦闘。フェネクス……だと思い込まされていた不死の魔鳥『ベンヌ』迎撃に際し、ヴァルターとニドが取ったあの行動。
ニドの肩に乗ったヴァルターが、地を蹴り跳躍したニドの肩を踏み切り、空中で軌道変更・再加速を行った……あの手法。
しかしながらフェネクスに提示されたのは、『ノート単独にて果たし合いに応じる』という条件である。『フェネクスの『再誕』行使は即敗北とする』条件の代わりとして提示されたこの条件により、ヴァルターを足場にする手段は使えない。
仲間のほかに、空中で足場に出来る『何か』が在れば。
他者の力添えではない、今現在自分が持っている技能・装備・所持品を、どうにか上手く使うことは出来ないか。
現在手元にあるものは……『身体強化魔法』と『魔王幼体の無尽魔力』と『外部魔法無効化』と『王都で貰った服』と『片足だけの革長靴』と『枯野色の下着』、それに『勇者の剣』と『勇者の外套』と『聖革の剣帯』と『プライマル大白金貨』と『魔王の遺角』と…………
(…………あっ)
現在の状況、周辺環境、自身の現在の性能……そして自身の所持品を改めて考慮に入れ、現状の打開策を再構築する。
これまでの人生において試みたことのない、人族であるのならば試みるまでもなく有り得ない手段を、仮に有り得たと仮定して再検証を試みる。
あれを使えば現状打破の可能性はある。現物はこの目でしっかりと確認している。材料としてはまずもって問題ないだろう。必要な理論はわからないが、しかしそれを補って余りある馬鹿げた量の魔力がある。要するに『ぽかぽか』と同じだ、多少燃費が悪くとも成果を強く望み願い無理矢理形にしてしまえばいい。
「……んい。やってみる」
『悪足掻きを思いつきましたか。良いでしょう』
「んい」
何かを掴んだことを察したフェネクスより『やってみろ』との言葉が投げられる。
お高く留まったその声色に『やってやろうじゃねぇか』と気合を入れ直し、ノートは動く。
前人未到の『有り得ない』戦闘技法、その切っ掛けを掴み。
嬉しそうに、楽しそうに……純白の少女は愛らしく笑った。




