209_地底の洞窟と蟲魔の女王
地底へと向かい、下へ下へと下っていく岩盤の間の亀裂……それは幾度となく枝分かれし、いつしか獣の住処と化した洞窟へと姿を変えていた。
入り口から漏れる陽の光は今や遠く、周囲は既に真っ暗。暗視の魔法に頼らなければ、まともに道を進むことも叶わないだろう。
探知魔法は先程から多くの生体反応を捉えており、火山地下のこの洞窟は今や多種多様な生物の巣窟となっているらしかった。
「ネリーそこンコ溜まってんぞ」
「あっぶね踏むとこだったわ」
「気を付けろよ。ンコまみれエルフの弟子とか御免だぞ俺は」
「シアやっちまえ」
「ぴゅっぴ」
「あっっぶねぇな!? ンコの方に飛ばすな馬鹿!!(小声)」
「あっ! テメェ師匠に向かって馬鹿とは何だこのバカ!!(小声)」
狭く、暗く、静かな空間を好む生物……蝙蝠や蜥蜴や這蛇の痕跡色濃い、曲がりくねった狭隘部をおっかなびっくり進んでいく隊列。剣を振り回せるほどの広さが無い空間であるだけに、敵性存在との遭遇は何としても避けなければならない。
先頭に勇者ヴァルターを据え、二番手には背負い紐でシアを背負ったネリーが続き、その後ろには白い剣を抜き放ち握り締めたノートがひょこひょこと続く。隊列後半には攻撃の要であるエネクを護るように……彼女の前に小さな女王アーシェ、後ろに荷物を積んだ『盾の従者』が控える。
じめっと澱んだ空気と溝川のようなニオイには自然と顔が歪むが……この隊列であれば戦闘に不適なこの空間を安全に突破出来るだろう。
「おいバカ弟子。あとどれくらいだ?」
「あと少しだ。もう少っとの我慢だ馬鹿師匠」
「何だとこのバカ!(小声)」
「言い出したのそっちだろ馬鹿!(小声)」
「ねりー、あるた、んんちふんだ」
「「ワァァァァァァ!!?(小声)」」
狭く暗く空気の澱んだ地底空間では、シアによる航空偵察は難しい。しかしながらヴァルターとノートの能動探知によって、大まかにではあるが洞窟の構造は把握出来ている。
極めて進みづらい、狭苦しい構造はあくまで一時的。ここを突破さえすれば、もう少しは進みやすく……また戦いやすくなる筈だ。
だが……それは自分達以外にとっても同様だろう。
「……あるた、三つ」
「オッケーこっちも見えた」
「んい」
じりじりと近づいていく広い空間……高温環境に適応した削顎蚯蚓がかつて掘り進めたのであろう地下大空洞。そこへ至る脇道のひとつから今まさに姿を現そうとしている自分達は、お世辞にも『静か』であるとは言い難かっただろう。
静まり返った洞窟内部を住処と定める生命体が……こちらに気づいていない筈が無い。
「まず俺が行く。右手の二つ引き受けるから……」
「んい、ひだり。やる」
「悪い頼む。ネリーとエネクは温存したい」
「まぁ……妥当だな」
「わあし……引キ受ケう、します」
「……良いのか?」
「ん。勿論」
大空間をすぐそこに控えた岩盤の影にて、小声でひそひそと作戦会議が執り行われる。
捕捉している敵性反応は三体、ほぼ間違いなく大空間に踏み込んだ瞬間に襲い掛かってくるであろう。迎え撃つこちらは最大火力であるエネクならびに貴重な耐熱防御担当であるネリー(とシア)を温存するため、物理攻撃担当の人員で迎撃に当たる作戦である。
三分の二を引き受けようとしていたヴァルターに対し、隊列の後ろから控えめに増援の申し出が届けられる。
「わあしも……やクあうあめに、ココにいる」
「…………助かる。分担変更、俺が右奥。ノートは左。……アーシェは右手前を頼む」
「んい。おまかせ」「ん。わカっら」
幼げで舌足らず、どこか場違いながらも力強い返答を得……三人は戦闘準備を整える。
各々が武器を抜き放ち、身体強化魔法を纏い、あるいは武を誇る眷族をその身に宿し……探知魔法ないしは探知器官を研ぎ澄ませ、敵の所在を把握すると共に身を屈め……
「……三。……二。……一。……今!!」
「んいっ」「んっ」
火山地下の大広間に繋がる横道より、三つの人影が一気に飛び出していった。
………………………………
「二人とも無事か?」
「んい。よゆ」
「ん……もんあいない」
そこかしこに散らばる魔物の遺骸を一瞥し、ヴァルターは戦闘の終結と全員の無事を確認する。
やはりというか何というか心配するだけ無駄だったらしく……少女達は二人が二人とも、結論から言えばヴァルターよりも圧倒的迅速に勝利を収めていた。
男性であり、成人であり、勇者であるヴァルターよりも迅速に、である。
「……すっげぇな、本当」
「んひひ。わたし、すっげ?」
「大したもんだ。すげえすげえ」
「んひひひ」
決して、弱い魔物というわけでは無い筈だった。
翼となる飛膜と一体化した腕と脚、ならびに先端に爪を備えた『第三の脚』とも言える長く扁平な尾を持ち、閉鎖空間内において複雑な立体機動を行い獲物を翻弄する……蝙蝠に類する中型の魔物。
その形状から扇蝙蝠と呼称される彼らは、洞窟内など暗く入り組んだ環境下においては極めて厄介な相手の筈だった。
超音波反響定位を用いた空間把握により視覚を必要とせず、四肢と尾を器用に用いて迅速に飛び回る。
暗視の魔法を心得ていない者はその姿さえ見ることが出来ず、心得ていたとしてもその機動力を追いきれず、牙や尾に仕込まれた毒で仕留められ血肉を貪られることとなる。
肉食寄りの雑食であり、毎年少なくない犠牲者を出している『有害級』……三頭以上の群れともなれば地の利も相俟って『危難級』に区分される魔物である。
……間違っても、小さな女の子が瞬殺できるような相手ではなく。
会敵からものの十秒足らずで戦闘終了してしまうような……雑魚なんかでは無かった。……筈だった。
「ぴぴぴゅ! ぴゅいっぴゅい!」
「いや本当お見事だわー……お嬢はともかくアーシェもめっちゃ強いのな!」
「おみもと! んい!」
「……ん。キょうしゅク、えす」
安全が確保された大広間へと、後衛組がぞろぞろと足を踏み入れる。
狭い道中を潜り抜ける際に凝り固まった節々を解すように、首や肩や腰を回しながら荷物を下ろす。
何しろ、やっとそれなりに広い空間に出ることができたのだ。せっかく安全確保が出来たことだし、この辺りで一旦小休憩を挟むこととなった。
ヴァルターは休憩の段取りをネリーに任せると、小振りなナイフを手に扇蝙蝠の解体に向かっていった。その後ろにはネリーの背から降りたシアがひょこひょこと続く。
扇蝙蝠の死骸からは小粒とはいえ魔核が手に入る可能性もあるし、こいつらの毒牙や尾や飛膜は加工の幅も広く有用な素材である。アーシェの疑似従者のお陰で積載量にはまだ余裕があるため、邪魔にならない範囲で回収することにした。
シアは残った部位……胴体部分等の新鮮な肉を譲り受け、上機嫌に歌いながら啄んでいた。
「正直アーシェのポテンシャルがヤバいわ」
「それな。俺ちょっと自信無くすわ」
「……? んん……『ヴァルター』……自信、無い?」
「あぁ悪い。言葉の綾ってやつだ、気にしないでくれ」
「……?? ……んん、わカっら……えす」
勇者師弟が冗談混じりながらも褒め称える、小さな女王アーシェの実力。
四本の腕を持つ異形の幼女は、疑似従者を召喚しての輸送支援に留まらず……『武の従者』アエシュマーをその身に宿し、強力無比な近接戦闘をもやってのけたのだ。
ベースとなる『武の従者』種は、かつてはボーラ廃坑を巡る騒動の際に勇者に牙を剥き猛威を震った『ヒトガタ』の魔蟲――高い敏捷性に由来する高い戦闘力を誇る指揮個体――それらよりも更に上位の個体。
暫定的に『騎士型』と呼称される蟲魔の能力を纏った彼女は……極めて高い速度と、極めて高い馬力と、極めて高い攻撃能力を備えるに至っていた。
鋭く頑丈に伸びた爪は、自切も修復も自在。身体構造からして厳密には人族ではないその身体は、秘めたる膂力もまた強力。見た目にそぐわぬ剛力を秘める人外の腕が……なんと四本。
尋常ではなく、強い。たかだか蝙蝠の魔物ごときが相手になる筈も無く、ものの数秒で見事なまでの八つ裂きにされていた。
それ程までに早く、そして強い。恐らくはヴァルターであっても……勝利をもぎ取ることは極めて困難であろう。
「……わあし……あすケになる……します」
「あぁ……アーシェが味方で本当に良かったわ……」
「そだな……違いない」
「んい。あしぇ、いいこ」
「…………ん」
小さな頭を三つの手が優しく撫でさすり、一対飛び出す触覚のような髪束は上機嫌そうにふよふよと揺れる。
その幼げな貌に浮かぶ表情こそ大きな変化は見られないまでも……くすぐったげに細められた目とほのかに紅潮した頬は『愛らしい』と表現して差し支えないだろう。
気持ち良さげに喉をならす小さな女王にすっかり骨抜きの三人であったが……
そんな蟲魔の女王を、冷徹ともとれる程に無感情な視線で見つめる者が居たことに……
気付けた者は、誰も居なかった




