208_勇者と少女と荒野の悪魔
自らの眷族を模した仮初の生命である『疑似従者』を生み出し、それらに指示を与え使役する。
それこそが蟲魔女王アーシェの新たなる権能であり、これこそ今回の大役を任ぜられた所以でもあった。
「相変わらず揺れるな!! 帰ったら減震機付けようぜ!!」
「だな!! いっそ特注品でも発注すっか!!?」
「う゛う゛ー! あうたー! たすけ、た…………あ゛う゛たぁー!!」
「ヤベェお嬢が限界だ! アーシェ減速! ゆっくり! 減速……アーシェ!?」
「おいネリー多分聞こえてねぇぞ!!」
眼前に聳え立つ目的地………不死鳥フェネクスの根城と思しきパトローネ活火山目掛け、だだっ広い荒野を爆走する一台の幌馬車があった。
その異様な幌馬車を牽くのは馬ではなく、赤茶けた甲殻を纏う八本脚の半人半蟲。アーシェが召喚した盾の従者型の疑似従者である。
ヒト種の弱点も、己の疲れも知らぬ仮初の従者は……ただただ創造主たる蟲魔女王の命ずるがまま――その蟲魔女王にノートが命じた『やま、いく。いそぐ』の命令のまま――情け容赦の一切無い全力疾走で、頑丈とは言い難い幌馬車を引き摺っていった。
「ダメだ止まんねぇ! お嬢! アーシェに命令!! お嬢!!」
「お゛ぇ」
「オワァ――――!?」
「お嬢――――!!?」
「ネリー水出せ! 水早く!! 水!!」
「お嬢ほら口ゆすいで! くちゅくちゅって! ほら!」
「え゜っ」
「「ウワァ――――!!?!?」」
「……騒々しいですね」
「ぴゅい、ぴゅっぴ、ぴちち」
「…………そういうものですか」
「ぴぴぴ」
ノート直々の『おねがい』を受けた女王アーシェは、親愛なる『ともだち』の『おねがい』を叶えようと……期待に応えようと、非常に張り切っていた。
その結果として蜘蛛姫と幌馬車を繋ぐ頑丈な綱が軋み、真新しいとは言い難い車体が嫌な音を立て、荒野の凹凸を拾い大きく床面が跳ねる中……その荷台では喧喧囂囂の修羅場が繰り広げられ、真っ白な少女はその顔をより一層蒼白に染めていた。
結局のところ……パトローネ活火山の中腹に到着するまで、幌馬車の速度が緩むことは無かった。
「お゛ぽっ」
「「アアァ――――――――!!!」」
ノートは通算五回ほど決壊した。
………………………………
ヴァルターを始めとする不死鳥対策班が拠点を後にする、少し前。出発を間近に控え、今後の方針に関しての話し合いの場が設けられていた。
勇者ヴァルターの口から心底申し訳なさそうに……ニドとキーの二名に対し、とある依頼が告げられていた。
「つまり吾は留守番か。……まぁ確かに状況が状況か。仕方あるまい」
「ききき。留守番。私、理解する。します」
「……すみ……ません……ありがとう、ございます」
ニドおよびキーはパトローネ活火山の調査に同行せず、このまま拠点に残ることとなった。
理由としては幾つかあるが……主としては、メアの身を守る者が必要であること。
また『ウルン』と『シェイニ』の教育係が必要であること。
まずキーの体躯は馬力と踏破性に秀でるが、狭小空間の調査には不向きである。幌馬車の牽引要員としてその存在は便利だが、未だ未補修箇所の多い拠点には彼女の手助けが必要であろう。
また彼女の能力と防御魔法……特に特定範囲に対しての防御能力は、極めて高い次元である。帰るべき場所であるこの拠点と、ここで待つメア達を守るためにも……彼女の存在は心強い。
一方のニドは――普段はふざけているとしか思えない場面も多々あるが――きちんと場を弁えることが出来る(自称)年長者である。
メアの身に降り掛かるであろう様々な要求に対し、優しすぎるあまり全てを引き受けてしまうであろう本人に代わって『否』と言える保護者……彼女にはその役割が期待されている。
また同時に……下手な女の子よりも可愛らしい彼の身を不埒者から守る護衛としても、充分な働きをしてくれるだろう。
掴み所の無い彼女であるが……ノートが悲しむことは絶対にしない筈だ。
また子蜘蛛二人がお手伝いに加わるとはいえ――この子達は下手な狩人よりも高い潜在能力を秘めているとはいえ――実践経験も戦いの知識も真っ白なこの子達は、すぐさま護衛戦力として活躍出来る訳では無いだろう。
ネリーによって『ウルン』『シェイニ』と名付けられた二人は、まだまだ生まれたばかりのひよっこである。将来が楽しみではあるが、気長に育てていかなければならないだろう。
ちなみに彼女たち二人、ほとんど瓜二つの小柄な子蜘蛛……よーく見ると頭頂部、ふよふよと触覚のように揺れる髪房の流れに差があるようだ。また眦の下がり具合も若干異なるらしい。
触覚が右巻きで穏やかそうな目付きなのが『ウルン』、触覚が左巻きで利発そうな目付きなのが『シェイニ』だという。この個性に気付いたネリーはやはり筋金入りなのだろう。……細部まで本当に、本当によく観察している。
ともあれこの子達が一人前に戦えるようになるまで……そしてあわよくば実際に戦い方を教え込むためにも、拠点残留組の総指揮者としてニドが適任であるとの結論に至った。
「すまない……キー、ニド」
「呵々! 情けない貌するでない」
「ききき。大丈夫です。任せる、される。します」
人員選出の理由を……キーとニドを置いていく理由を、丁寧に並び立てて釈明するヴァルター。いかにも申し訳なさそうなその表情を一瞥ながらも、からからと笑いながらニドは応える。
適材適所。各々が能力を最大限発揮できる場所を選び、最大限活躍することを期待しての組分けなのだ。感謝こそすれ、恨む気持ちなど生じる筈が無い。
「坊と御前の剣は欠かせぬ。長耳娘の魔法は熱対策に必須であろ。逆に吾はあ奴に対して何も出来ぬ。……御前のことは気掛かりだが……そこは主らを信じるとしよ。坊主と子蟲どもは吾に任せよ」
「…………すまな、…………いや」
外見よりも幾分大人びている……達観した視点をも備えている、黒髪の少女。
ヴァルターの立てた作戦・人員配置を受け、『期待に応える』と言ってくれた彼女に返すべき言葉は……謝罪では無い筈だ。
「ありがとう、ニド。キー、メアも……気を付けて」
「ききき。『ヴァルター』。期待する、します」
「そっくりそのまま返してくれよう。……無理するでないぞ」
「勇者さま……ご主人さまを、おねがいします」
自信満々、任せておけとばかりに気合いをいれる三人と、きょとんと首をかしげる小さな二人に見送られ……ヴァルターは出発準備が進められている幌馬車へと急いだ。
このときには既にノートの『おねがい』が発令され、アーシェが空回りするほどの気合を漲らせていたのだったが……ヴァルターはもとより、積み荷の確認およびエネクとの折衝に奔走していたネリーもその異常を察することが出来ず……
悲劇を止めることが出来た者は、誰も居なかった。
………………………………………………
「お嬢大丈夫か……? もっとくちゅくちゅする?」
「んぐ……う゛ぅぅ…………ぇ゛ろ゛っ」
「…………ダメそうだな」
やっとのことで停止した幌馬車から転がり出て、ノートは四つん這いでけろけろと戻す。なんとこれで通算六度目となる決壊である。
周囲に漂う水気をかき集めた清水で口をゆすがれ、小さな背中を撫でさすられ、幾度かの深呼吸を経て……かろうじて顔色は平静を取り戻しつつあった。
「感覚が鋭いからか? しんどそうだな……少し休むか」
「そだな。もう少っと時間掛かるだろうし」
「落ち着くまで待とう。以降は安全第一で」
「ゆっくりだぞアーシェ、ゆっくり。低速。わかったか? ゆっくりだ。お嬢がヤバいからな。五回ケロったんだぞ」
「六回な」
「六回だぞ。わかったか? お嬢泣いちゃったんだぞ」
「うううううう……」
「……ごめんなあい」
ノートの尊い犠牲を間近で目に焼き付けたアーシェは、どうやら反省してくれたらしい。
大切な『ともだち』の悲惨な姿を目の当たりにし、そうなってしまった原因が自分の張り切りということもあっては、やはり思うところがあったのだろうか。珍しく『しゅん』とした表情の小さな女王にヴァルターは強く言うことが出来ず、ネリーは口元のにやけを必死に抑えるので精一杯だった。
今後の安全運転が保証されたところで、肝心の行き先を定めなければならないだろう。昨晩不死鳥が出現したのは恐らくこの近辺である。
闇雲に探し歩くよりも上空からの俯瞰のほうが探しやすいだろうと、航空偵察要員として人鳥シアが周囲の探索中である。
「シアは何て?」
「んや、ちょうど何か見つけたらしい。……近付いてみるわ」
「気を付けろよ」
「……用心なさいませ」
「ぉお? ……おう。あんがとな」
若干予想だにしなかった方向……冷静沈着な火焔の魔術師からの注意喚起を受け、ネリーはより一層の気合をみなぎらせ、半身との同調に専念する。
「エネクは眷属とか居ないのか? あんたほどの実力者なら何人か連れてそうだが」
「……少し前に……死んでしまいました」
「っあ…………悪ィ。無遠慮だった」
「いえ。あなたが気にすることはありません」
「…………そうか」
ほかでもないエネク本人、大切な眷属の死を乗り越えた彼女本人に『気にするな』と言われたのだ。所詮は『他人』である自分がとやかく言える立場ではない。心の小波を抑えきれず一旦は落ちてしまったシアとの同調率を再び引き上げ、気合を入れ直し自分の仕事に専念する。
半ばまで目蓋が伏せられた瞳は鮮やかな蒼の光が明滅し、彼女の視覚に映るのは上空からこの周囲を見下ろす鳥瞰視点。
勝手知ったる半身と繋がり合った思考で相談を済ませ、徐々に徐々に高度を落としていく。
見つけ出したのは……暗く深い、岩盤の隙間。
僅かに捲れ上がり庇のように競り出した岩盤、その影に隠れるように口を開ける、決して小さくはなさそうな岩の亀裂。
熟考の末更に高度を落とし距離を詰め、すぐ近くまで寄って確認してみるも……すぐ近くに生命反応は感じられない。
意を決して降り立ち、おそるおそる覗き込ませると……どうやら亀裂は曲がりくねりながらもなかなかに広く、そしてかなり深くまで続いているようだった。
極めつけは……亀裂の周囲に散在する、痕跡。
申し訳程度に自生する植物。細々と枝を伸ばす乾いた低木。それらはまるで高温に炙られたかのように炭化し、あきらかに自然のものではない不自然な痕跡となって遺されていた。
「……ビンゴ、か?」
「マジか……!」
「んん……あっちだな。丁度あの出っぱりの向こうだ」
「よし行ってみよう。……ノート大丈夫か? 水いるか?」
「んひ……んひぃ……」
シアによって探り出され、ネリーによって示された痕跡は――物陰に隠れていたとはいえ――ここから歩いて半刻も無いだろう。
しかしながら……極めて鋭敏であるがゆえに揺れさえも律儀に拾い上げていた彼女の三半規管は、許容量を遥かに越えた刺激を刷り込まれ完全に狂っているようだ。
馬車の揺れには慣れている筈のヴァルターでさえ、可能であれば御免被りたいと考える程の殺人的な揺れだったのだ。無理もないだろう。
「…………背中、乗るか?」
「……………………のる」
しゃがみこんで背を差し出し、未だふらつく幼女をその背に迎える。周囲を見渡すと各々が荷支度を整え終えたらしく、大小様々な鞄や幾つかの樽が幌馬車から引っ張り出されていた。
重量や嵩のありそうな――本来であればヴァルターが担ぎ上げる予定であった――荷物たちは、アーシェの疑似従者がしっかりと背に載せていた。汚名返上である。
担ぐ予定だった荷物よりも幾分軽く、小さく、また柔らかい荷物を背に感じながら……ヴァルターは出発の号令を下すと共に背後の少女に話し掛ける。
「……こういうの、久し振りだな。『ご主人様』?」
「…………ちょうし、のるな。……おえ、する」
「悪かった止めろマジで謝るからごめんって」
「……ふん」
気難しい『ご主人様』をお運びする大役を拝命した『下僕』ヴァルターは苦笑気味に顔を歪めながら、先導するネリー達の後に続き歩みを進めていった。
火山の奥深くへと続く亀裂の入り口……不死鳥フェネクスの巣窟ないしは手掛かりが隠されているであろう、人の手の及ばぬ『魔境』へと。




