206_勇者と魔鳥と来援の火焔
「り、『りひと・れにゅす』! いる!」
悲壮感に染まった少女の舌足らずな声が、虚しく夜空に響き渡る。
放たれたのは魔を滅する光、『勇者』の魔力が籠められた閃光の矢。直撃さえすれば魔に類するモノ共に致命傷を与え得る必殺の一撃……の筈であった。
…………が。
さる仮面の軍人は言いました。『当たらなければ意味が無い』と。
「んい、んひぃ……『りひと・れにゅす』……いる!」
「逆巻け! 縛れ! 『圧縮気縛』、在れ! ……ああクソ! やっぱダメか!」
立て続けに放たれた二の矢・三の矢に関しても先程と同様、小柄とは言い難い図体でありながらも距離を取った的は狙い辛く……また夜の闇に燦然と輝く光源に眩んだ目では獲物を捉えるのも至難の業である。
駄目元で放たれた渦巻く風の拘束さえも、やはりというべきか効果が無い。元より大気と親和性の高い『翼持つ者』、しかも風を孕み中空に座す相手に対しては……微塵もその役割を果たせていない。
これが平地であれば、まだ戦りようは有っただろう。直撃出来ないまでも至近弾を撃ち込めば、炸裂の余波で被害を与えることも出来る。着弾の衝撃でほんの少しでも体勢を崩すことさえ出来れば、身体強化の恩恵を受けた身体で瞬く間に接敵することも難しく無い。
しかしながら……そんなことは敵とて承知の上なのだろう。上下左右に身を翻し収束された光の矢を器用に躱し、一方的に矢を射掛ける地上の獲物を嘲笑うかのようにひらひらと飛行を続けている。
「坊! 乗れ!!」
「無茶言うなぁお前……!!」
ニドの無茶振りに若干の呆れを滲ませながら……しかし彼女の技量と地力に信頼を置くヴァルターは、律儀にその指示を実行する。
身を屈めるニドの華奢な肩に軍靴を置き、また二刀を握る手首を少女の掌で固定され、思い切り地を蹴り跳び上がる彼女の小さな肩の上で慎重に体勢を整え……
「行け!!」
「悪ィ!!」
空中に跳び上がったニドを足場に、再度床を蹴り跳躍する。落下していくニドに気を配る余裕は無いが……彼女の体捌きと平衡感覚を信じ、ヴァルターは敵に突貫を仕掛ける。
危険極まりない空中での方向転換は功を奏し、縦横に飛び回る敵を間合いに捉えることに成功する。
「おらァァァァァ!!」
翼の一翼でも、脚の一本でも、いやこの際贅沢は言うまい。手傷を負わせられればそれだけでも良い。こちらを睥睨する敵の下方から跳び迫り、両手に提げた白黒の二刀を振り上げる。勢いも間合いも申し分無い一撃……いや二撃であったが、当然ながら敵も黙ってやられる訳は無かった。
陽の光と熱を湛えた一対の大翼を機敏に折り返し、渾身の羽搏きをヴァルターに対して叩き付ける。
「ぶぁ……ッ!!」
ニドを足場に跳び上がった勢いは完全に殺され巻き起こる熱風に眼球と喉を炙られ……今となっては白黒の二刀を届けるどころか完全に速度と勢いを喪い、ただ慣性と重力に任せるがまま。
突貫の失策とこの後の展開を予想するヴァルターに対し、不幸なことに予想通りの結果が再現される。怪鳥の頭部が身動きの取れないヴァルターを指向し、がぱりと開かれた長い嘴の奥には殺意をふんだんに込められた魔の圧力が渦を巻く。
「嘘だろ!!?」
「ヴァル!!」「坊!!」
方向転換も、急な加減速も、身を翻すことさえも覚束ないヴァルターに向け、回避不能の熱線が容赦無く放たれる。
咄嗟の判断で身体強化魔法の出力を感覚強化に転向。更に極短期間二重発現を限定解放し、ピンポイントで瞬間強化を併用。強化補正が成された感覚器官を総動員して熱線の射角を正確に見極め、その照準された先である自身の胸の前で白黒の双剣を十字に構え、我が身を守る盾とする。
ニドにより下賜された『不壊』の黒剣を前面に押し出し、その呪いの能力を信じ……文字通り命を賭ける。
果たして放たれた熱線は狙い通り、交差された双剣に激突し四方八方に閃光を散らす。
本命の直撃こそ避けられたものの……拡散した熱線の余波に炙られ、ネリーの防護皮膜が軋みを上げる。放たれた熱線の圧力に押され、熱線を受け止めるヴァルターの身体が地に向かい墜落していく。
「射て!! ノート!!」
「『りひと・れにゅす』! いる!!」
その代償として……今や動きを止めた敵は無防備を晒している。熱線放射の体勢を取る敵は、先程までのような機敏な回避運動を取ることが出来ない。
ヴァルターとニドが捨身で稼いだ隙を逃すまいと、ノートも感覚強化を励起させ狙い撃つ。つい先刻のヴァルターとは立場が真逆、回避行動も覚束ない怪鳥の下方より光の速さで魔法矢が迫り……
……ぶち当たる。
「無事か!? 坊!!」
「あんたのお陰でな……」
踏み台の役割を全うしたニドは余裕綽々と着地をこなし、更に体勢を崩し撃墜されたヴァルターを器用に受け止める。背中に少女のたわわな柔らかさを感じながら、しかしながらヴァルターにその感触を堪能する余裕などまるで無かった。
彼ら彼女らの見詰める先、ついに光の矢の直撃を受けた敵の姿……その予想だにしなかった様相に、ネリーも含め一同は言葉を喪う。
「…………うそ……うそ、だぁ」
奇しくもそれは……先程までの鏡写し。
黄金色に燦然と輝く身体に直撃した光の矢は――奴の羽毛の煌めきに因るものかはたまた別の要因なのか――四方八方へと砕き散らされ、箒のような光条を残し消滅する。
自らの発する光を自由自在に操る奴の羽毛は……どうやら外より注がれた光さえも自らの制御下に置き、その破壊力を殺いでしまうらしい。
さすがに、真っすぐこちらへ反射させるような真似は出来ないようだが……千々に拡散され無効化されるだけでも、どうしようもない程に脅威となる。
何しろ……状況としては先程と全く同じ。
奴に対して有効な遠距離攻撃手段が、こちらには一切存在しないのだ。
幸いな点といえば……奴にそれほど執拗な攻撃性が見受けられない点だろうか。それこそ飢えた古翼獣や鎌爪鷲のように『絶対に殺す』『殺して喰らう』といった意思が見え隠れする訳でも無く……どちらかといえば遠巻きにこちらの様子を窺っているようにも思える。
とはいうもののしかしながら、友好的という訳では断じて無いだろう。何しろ先程までの経緯……殺す気満々の急降下突撃や消し炭にする気満々の熱線など、その攻撃の殺意はなかなかに高い。
突如として出現したその出所も目的も一切不明だが……只一つ確かなことは、大勢の重篤患者や非戦闘要員が詰めているあの拠点に行かせることだけは、何が何でも阻止しなければならないという一点。
まさかお話しに来た訳でも無いだろう。今現在戦う力を持っていないあの拠点が襲われれば、いったいどれ程の被害が出るのか。
また……あの拠点だけで満足すればまだ良いのだが、仮にご満足頂けなかった場合は更に悲惨なことになるだろう。開発拠点の更に向こうには王国の一大鉄工拠点『オーテル』が控えているのだ。陸路ではまる一日以上の距離とはいえ、空翔ける翼ではほんの一瞬に過ぎない。
どうあっても、野放しにする訳には行かない。
奴をここで食い止め、これ以上の進行を阻止しなければならない。
しかしながら業腹なことに……有効な攻撃手段を持ち合わせていない。
ヴァルターもニドもノートも、区分としては近接戦闘要員である。貴重な遠距離攻撃要員のネリーとシアは極めて運の悪いことに、こと今回に至っては属性相性が最悪と言える。
別の遠距離攻撃手段を持つ者さえ居れば。獣人の狙撃手のような弓遣いか、龍眼の宮廷魔導師のような強力な攻撃魔法の遣い手が居れば。
あいつを撃ち落とせる程の、強力な遠距離攻撃手段さえあれば。
「な……!!?」
歯噛みする一同の後方より、突如高密度の熱源が迫る。
周囲警戒を怠っていたことに今更ながら気が付いたが、もう遅い。
ごうごうと音を立て自ら螺旋を描きながら勢いよく飛翔する魔の火焔は、唖然とした顔の標的に直撃するなり小さくない爆発と轟音を生み出す。
「――ッッ――――ッ!!!?」
肉が吹き飛び、皮膚が焼け、細胞組織が炭化する嫌な臭いが漂う中……悲鳴とも絶叫ともつかぬ声なき声が響き渡る。
左脚の膝から先を吹き飛ばされ、炭化した肉片と鮮血を撒き散らしながら、痛みと恐怖から狂ったように泣き叫ぶ声。
比喩では無く輝きを放っていた黄金色の羽毛は今や見る影も無く、己の血と煤と己であった肉片で斑に染まり……輝きを喪いどす黒く染まっている。
片脚を吹き飛ばされた身では機敏な姿勢制御に支障を来すのか、はたまた単純に苦痛のあまり平静を欠いているのだろうか。よたよたと飛行を続けようとする怪鳥に対し、更に火球が二つ三つと嗾けられる。
「……どうしたのです? 呆っとして。怪我でも負ったのですか?」
「あ……あんた……?」
「…………君は……」
右の翼を半ばでへし折られ、煙を上げながら高度を下げていく怪鳥を冷徹に見据え……夜闇の帳の向こうからゆっくりと歩を進める人影。
闇の中にあって尚色鮮やかな、黄とも橙とも取れる外套。裾は大きな鋸歯のように刻刻と刻まれており、黄褐色のレザーブーツに包まれた脚で一歩一歩と歩を進める。異常なまでの威圧感を伴い敵を凝視する瞳は黄金色に煌めき、頭巾の下からは微かに闇色の髪が見て取れる。
どこか柔らかな声色に反し、その表情は完全なる無。笑みも嘲りも恐れも不安も一切存在しない真っ平らな表情でありながら……爛々と煌めく相貌の迫力と全身より溢れ出す魔力はただただ強大。
「……エネク、だったよな。……力を貸してくれるのか?」
「…………わたしの名を……覚えていましたか。翼の眷属」
恐らくは少女であろう、掴みどころのないその人物。
強力極まりない火焔魔法を操り、いとも容易く敵に致命傷を与えたその実力は……味方であるというのならば、非常に心強い。
「力を貸す……えぇ、良いでしょう。あの子を還せば良いのですね?」
「あ……? あ、あぁ。出来るか?」
「ええ。わたしならば……容易いこと」
平坦に、しかしながら自信満々に言うや否や……エネクの身体から膨大な魔力が溢れ、それらは赤々とした炎となり顕現する。
翻された外套の裾から漏れ出る火焔は幾つもの渦となり、四つに別れ圧し固められるように火球が生み出される。エネクの周囲を護るようにふわふわと浮遊する超高熱の火焔球は、主人の号令を今や遅しと待ちわびる忠実な猟犬のようでもあり。
「……行きなさい。『白熱の炎』」
エネクの指示以下……四つの火焔球は各々がまるで命を得たかのように、標的目掛けて宙を駆ける。
片脚と片翼に致命的な傷を負った怪鳥は為す術無く、地に降りた身体に超高熱の猛犬が喰らい付いていく。血で曇り光を喪った身体では白熱の猟犬を弾くこと敵わず、損壊した身体を喰い荒される度に聞くに堪えない断末魔が上がる。
四つの焔球は二転・三転し幾度となく襲い掛かり……炭と化した傷口から立ち昇る青白い炎が徐々に身体を侵食していく。
「燃え尽きなさい。『煉獄の炎』」
「――――!! ッ――! ―――、―――!!」
尚も重ねられる呪言に随うように、怪鳥の全身各所に燻っていた炎が勢い良く燃え上がる。
全身を包み込むような赤黒い炎とそれに抗うかのような蒼白の炎が鬩ぎ合い、絡み合い……身をよじりながら絶叫を上げる哀れな獲物を、隅々まで舐め尽くす。
やがて燃え上がる炎の塊がその断末魔を止め、地に伏し、身じろぎ一つ取らなくなるまで……そこから然したる時間も要さなかった。
「…………すっ、げ」
「…………すげぇな……」
「『龍眼』の男と良い勝負よな……何者だ」
「あ、あえ……あええ……」
黄金の羽毛による耐光熱防護も意味を為さず、その護りごと力任せに食い破り、焼き尽くす……圧倒的な高火力。
既に生命活動を停止し自焼を始めた怪鳥には見向きもせず……ヴァルター達が手も足も出なかった難敵をあっさりと下したエネクは平然と身を翻し、何事も無かったかのように拠点へと去っていく。
「あ、待っ……エネク! ありがとうな!!」
「……わたしに感謝は不要です。成すべきことを成したまで」
去りゆく背中にネリーが感謝の言を投じるも、振り返りさえせずに平然と応じるだけ。
その態度はお世辞にも『親愛』の情とは言い難いが……しかしながら仕事とはいえ窮地を救ってくれたその行動は、それこそ『嫌悪』されているとは言い難いだろう。
冷静に敵を見極め、粛然と仕事をこなし、平然と立ち去るその姿。行使する魔法とは裏腹に、立ち振舞は非常に冷静沈着な彼女。
厄介極まりない『神話級』魔鳥との邂逅をなんとか無事乗り越えたヴァルターは、待ち受ける今後の『不死鳥』対策に盛大にげんなりしながらも……心強い同業者の存在に、ほんの少しだけ肩の荷が下りた心境であった。
ニドは一人難しい顔で……灰と化した魔鳥の成れ果てを、穴が開く程に凝視していた。




