19_想いと願いとわたしの意思
――最悪だ。
気分ははっきり言って最悪だ。
ぴしっと敷かれた敷布の上。枕に顔を押し当てて悶絶する。
今医務室には他に誰もいない。自分一人だけである。
勇者の訪問に端を発するごたごたの後。
身体の疲労と脚の痛み、そしてなにより精神的な後悔が限界を越えたため、なにやら難しそうな話し合いが始まりそうだったのをスルーして、こうして一人休んでいる。
『休みたい』アピールをした際に何か言われるかとも思ったが、ケリィさんが見事に察してくれ、更には医務室へと連れてきてくれた。正直事情を説明出来る気がしなかったので、非常にありがたかった。ケリィさん本当大好き。
しかしながら、気分のほうは最低である。
いくつかある理由のひとつは、例のごたごたの際にディエゴに『これでもか』と掛けられた妨害魔法のせいだ。……と思う。
最初に、医務室で勇者に斬りかかったときの妨害魔法は、魔王の加護により何事もなく消去された。しかしそれがいけなかったのか、すぐさま次から次へと新しい妨害魔法が飛んできた。
生半可な魔法では、この魔王の身体には効果を及ぼさない。……しかしながら彼の妨害魔法は質が高かったのか、それとも複数種類の妨害魔法を立て続けに浴びせられたからか……恐らくは打ち消し切れない妨害魔法に抵抗するため、体内の魔力が随分と掻き乱された。
……結果として、一定以上の魔法に対しては、打ち消しはするものの軽いめまいや酩酊感のような……端的にいうと『きもちわるい』気分に陥る…ということがわかった。
麻痺や疲労、衰弱や呪怨など嫌らしい弱体化を直接貰うよりはマシだが、全てにおいて全くの無効化ができるというわけではないようだ。それが知れただけ良いとしよう。
……それにしても遠慮なくドカドカ掛けやがって。あのやろう。
そしてもうひとつの……最大の理由は、言いたくはないが言うまでもない。
……自己嫌悪であった。
目の前の勇者に当たっても、何も変わらない。理屈では解っていた。ちゃんと思いとどまろうとしていた自分も、確かに存在した。
しかしながら一方で、忘却の彼方へと追いやられていた筈の……苦いなんてもんじゃない記憶に充てられたせいか……『勇者』という存在に過剰なまでの拒絶反応を示した自分も、同時に出現していた。
『ぼく』と『わたし』。多重人格とはまた違う……よくある『天使』と『悪魔』が言い争っているような、そんな感じ。
どちらの言い分も納得してしまうほどに……何が正しいのか、それすらもわからないほどに………心がぐちゃぐちゃになっていた。
今は、もう落ち着いた。
それはそうだ。忌々しい勇者達は、遠い昔にちゃんとこの手で滅ぼしたのだ。だからもう『ぼく』の怨恨はとっくに終わっていることだ。『わたし』の言うように、今は全く別の時代…別の世界に生きている。この時代にはこの時代のやり方があり、異分子の自分がいちいちケチを付けていたらキリがない。
わたしは、この世界を楽しむと決めた。
……であれば、この世界のやり方には従うべきだ。
もうこんな醜態は、繰り返さない。
そう、決めた。
……けれども。
布団をぽふんぽふんと叩き、気恥ずかしさに思わずじたばた身悶えする。……冷静になって先程までの一連の行為を思い返す。……やはり完全にはた迷惑な子供だった。
死ぬほど嫌なことを思い出したので、ソレを思い出させた赤の他人を殺そうとする、など。
……馬鹿じゃないのかわたしは。どう考えても異常だ。情緒不安定とかそんな次元の問題じゃない。常識的に考えて許される筈がない。冷静さを欠いていたとはいえ、会って間もない人物を殺しに行ったのだ。申し訳なさすぎて顔が上がらない。……出来れば顔を合わせたくない。とても気が重い。
深い溜め息とともに顔をうずめ、じたばたしていると……医務室の扉がノックされた。…誰だろう。もう話し合いは終わったのだろうか?
「……んい………どうぞ」
「………すまない。失礼する」
「…げぇ」
幸いにして今もっとも顔を合わせたくない人物…勇者ではなかったものの、
不幸にも、別の意味で顔も見たくない人物……ディエゴだった。
「………なに」
返事が自然とぶっきらぼうになる。ふとんを被って拒絶の意思を表示する。あれだけのことをしておいて、散々きもちわるいことをしておいて、よくもまあぬけぬけと顔を見せられるものだ。
「……………身体の方は…大丈夫なのか?」
「だいじょ、ぶ。さいこう。……おかげさま」
『おまえ様のお陰で健康そのものです。ありがとうございます』
言葉に込めた意図を察してくれたのか、複雑な表情を見せるディエゴ。ふん、わかってるんじゃないか。そのまま奴を無言で睨み付ける。
『体調が芳しくないところ申し訳無いのだが……少々手を貸して欲しい』
『………なに。 …ないように、よる』
しびれを切らしたのか、わたしにわかる言葉で、本題を繰り出してきた。先刻は『こちらの言葉』は使わない方がいい、などと言っていたのに。……それくらい事態は深刻なのだろうか。体裁を気にしていられない程に、差し迫ってるということなのか。
…仕方ない。話くらいは聞いてやる。
『……めいわく、かけたから。 ………できる、ことは……する』
こいつが今ここに来ているということは、頼みというのはこいつ絡みのことではないのだろう。先程までの償いの意味も込めて、可能な限りのことは手伝ってやろう。
『………勇者の奴をな……助けてやって欲しい』
思わず意識を手放したくなった。
渋々ながら話の詳細を聞いたところで、思わず耳を疑った。
なんでも先程勇者とやり合ったことが街の人にバレており、街のひとたちが押し寄せてきたらしい。しかも何故か『勇者がわたしに襲いかかった。挙句に泣かせた』ということになっているらしい。……そして勇者が今、何故か謝罪に赴いている……らしい。
……襲い掛かったのはむしろわたしであり、勇者はどちらかというと被害者なのだ。そもそも勇者のどこに、わたしを襲う必要があるというのか。
『ゆうしゃは………なんて、いった?』
『自分が悪い。あの子には酷いことをした。街に迷惑を掛けた。主にこの三つだ』
『………は? なん、で』
…意味がわからない。わたしが襲われた云々はそもそも街の人の勘違いである。どちらかというと襲ったのはわたしで、勇者はむしろ被害を被った側のはずだ。なぜわざわざ自ら立場が悪くなるようなことを。
『彼自身……君を怯えさせたことを悔やんでいるようでな。此度のことも自分の落ち度として受け入れるつもりだろう』
『………そんな…こと』
駄目だ。こいつら揃いも揃って駄目だ。ばかじゃないのか。何を言ってるんだ、加害者と被害者の区別がついていないではないか。今回の場合当然加害者がわたし、被害者が勇者だ。その前提をそもそも理解していない。
このままでは、間違った解釈が広まってしまう。勇者が完全に悪者にされてしまう。…それは、良くない。
………ただでさえ、わたしは勇者に迷惑を掛けたのだ。これ以上彼に迷惑を掛けるのは、人として駄目だ。
『……わかった、いく』
こちらの返事に、安堵した表情を浮かべるディエゴ。勘違いするなよ、おまえのためじゃ無いんだからな。
『ディエゴ。しゃがんで。 ………せなか、のせて。あし、いたい』
『……大丈夫なのか?』
『わかんない、けど………いかないと』
『………すまない』
『だいじょ、ぶ。きらいだから』
既にこいつのことは嫌いだ。これ以上評価が悪化することはないから安心するといい。しょんぼりした顔しても無駄だからな。顔だけはカッコいいだなんて思わないんだからな。
……そうだ、
『ディエゴ。ことば、おしえて』
辿り着くまでに、聞いておかなくては。
建物の入り口に近づくにつれ、多くの人の声が耳にはいってきた。自然と身体がこわばる。密着しているディエゴが、目敏く気づいたようだ。こちらを伺うように、顔を向けてくる。
『もう、いい。…おろして』
『……大丈夫か?』
『だいじょ、ぶ。……いっしょ、あまり見られたく、ない』
自らの足で歩かず、他人に頼りきりな情けない姿を、あまり他人に見られたくない。そう伝えて、なかば強引に飛び降りる。
「………っ!! んんん…!!」
勢いよく地に触れた足裏から、嫌な感覚が伝わる。……やはりまだ治りきっていないのだろうか。
何故か肩をがっくりと落としているディエゴを脇目で見つつ……威圧的なまでの喧騒に満ちた正面玄関へ……外へと向かう。
……………
…………………………
……うそでしょう。
なんなのこの雰囲気。ものすごく殺伐としてる。もうだめだ。しぬ。
街の人たちは誰も彼も怒ってるっぽいし、勇者とエルフの女の子はただただ平謝りしてるだけだし……双方ともそのままずっと変化が見られないから、当然ながら状況にも変化が見られない。なにも好転しない。
ずっと怒りっぱなしの、ずっと謝りっぱなし。
……このままでは、だめだ。
そもそも加害者はわたし、勇者ご一行は被害者なのだ。
わたしが、なんとかしないと。
震える脚を奮い起たせ、建物から外へおっかなびっくり足を踏み出す。
「……ち、ちがう」
……つい気持ちが先走ってしまったものの、……このあとどうしよう。今さらだけど、わたしはうまく喋れる自信がない。
それでも、やらなければ。彼らをこのまま悪者にするわけにはいかない。口を結び、うつむきながらも、
伝えるために、声を張り上げる。
「ちがう!!」
………わたしの頭に、視線が集中するのを感じる。
耳を覆わんばかりだった喧騒も下火になり、ざわめきやひそひそ声といった部類のものへと変わっていった。
勇者を糾弾する声も、鳴りを潜めたようだ。
軽く息を調え……おそるおそる視線をあげる。
街の人たちをはじめとする、この場にいる多くのひとの目が……皆一様に、わたしを見ていた。
その数にはちょっとびっくりしたけれど、我慢できないほどじゃない。……この数の謂れのない罵声に、ただただ耐えていた勇者と比べれば、なんてことはない。
とはいえ、どうしよう。何て言おう。
なにか言わなければ、話を続けなければ。
「………こ、……こん、にちわ…?」
いくらなんでも混乱しすぎだろう。我ながら『それはないわ』と思った。
ちがう。こんなことを伝えたい訳じゃない。
何のためにここへ来た。何を伝えようと、ここへ来た。
「ゆ………ゆう、しゃ」
悪いのは自分だ。勇者は悪くない。それを伝えるだけだ。
「ゆうしゃ! ちがう! ……わるい、ちがう!」
言葉が浮かばない。浮かんだとしても『わからない』。わたしの言葉では、彼らに届かない。彼らの言葉でないと、わたしの思いは伝えられない。
目の前の彼らは、街の人たちは、ただ静かに待ってくれている。こんな突然湧いて出た者の言葉を遮るでもなく、咎めるでもなく。迷惑だろうに。腹立たしいだろうに。
……もどかしい。ただただ、もどかしい。
「わたし、が……、わるいのは、わたし! ゆうしゃ、わるいのは、ちがう。 ……ちがう……!」
伝わってくれ。
彼らは悪くないのだと。罵られる謂れは無いのだと。
……どうか、どうか伝わってくれ。
『力を貸そうか』
あたまに、突如声が響いた気がした。
……とても懐かしい、安心する声が。
『彼らに君の言葉を届ける。その手伝いをしようか』
幻聴だと思った。混乱するあまり、ありもしない救いを求めた末の、幻聴。
……しかしながら、それはとても魅力的な申し出だった。幻聴だったとしてもすがりたくなるような、申し出。
『私が力を貸せば、彼らの言葉は君のものとなる。私の力……私の魔法なら、それが可能だ』
彼らの言葉を、この世界の言葉を、手にいれる。齟齬のない、意思の疎通が可能になる。
……この声に、委ねれば。
それでも。
『……ちがう』
『………ほう?』
それでも、それはちがう。
わたしが、蒔いた種だから。
他ならぬわたしが伝えなければならないから。
誰の手を借りるでもなく。わたし自身の言葉で、ちゃんと伝えなければ……
………謝らなければ、ならないから。
『……だから、いらない。ごめんなさい』
『…………なるほど。いや、いいさ』
あっさりと、幻聴は引き下がった。
『…ふふ………立派になったものだ』
消える直前に小さく響いた言葉は、聞き取れなかった。
だから。
「ごねんなさい」
不格好でも、口下手でも、未熟でも、自分が尽くせるだけの手を尽くさなければならない。
「ごねなさい!」
本来糾弾されるいわれのない勇者。理を捻じ曲げ造られた紛い物ではない、正しい勇者。本来は人々の希望とならなければならない、勇者。
「ごねんなさい! ごねなさい!」
その栄光を、誉れを地に落としたのは……自分だ。
………ごめんなさい。
「……違う。…君のせいじゃ、ない」
「そ、そうだ! 悪いのはこの馬鹿だ! お嬢ちゃんが謝る必要は」
「ちがう……ちがう!」
勇者が、エルフの少女が、何かを訴えた。
言葉は半分もわからない。でも彼は首を横に振った。悲しそうな顔をしていた。……つまり、否定していた。
……わたしの、謝罪に対して。
「ちがう。……ごねん、なさい」
気の利いた言葉は、わからない。だからただただ、言葉を重ねるしかない。
謝り続け、それを否定され、その否定を更に否定し謝り続けること、しばし。
……ついに根負けしたのか、勇者が、渋々ながら頷いた。
「……互いに、謝ってばかりだな」
苦笑したように、……どこか楽しげに、勇者が言う。
「自分が言うのもおこがましいが……君が赦してくれるというのなら………このあたりで手打ちにしてくれないだろうか……?」
「………ん、…んい………?」
……何をいっているのかわからない。下手に頷くと、またこじれるかもしれない。下手に出てばかりのこの勇者のことだ、また自分を卑下するような申し出をしているのではないだろうか?
さすがに不安が過ぎる。……苦渋の思いで、ディエゴに頼る。彼は、勇者の立場が悪くなるのを良しとしないはずだ。
彼の顔色を伺うと、こちらを見て、頷いた。
……ここは頷いても良いところのようだ。
「………んん、 ……わかっ、た」
勇者と目を合わせ、頷く。どうやら通じたようだ、あからさまにほっとした表情を見せた。
……それを見て、自分もほっとした。
魔法なんかなくても、自分の力で意思の疎通をすることができた。……ちゃんと謝ることができた。
ああ、そうだ。魔法。
わたしにもできるという、
……他者を幸せにできるという、魔法。
もう、彼は敵じゃない。恐れなくとも良いのだ。
自然と、笑みがこぼれた。
「んい……、やうす。 ゆうしゃ、てき、ちがう」
ちゃんとみんなに伝えておこう。
勇者は……彼はわたしの敵じゃないのだと。
「ゆうしゃ、てき、ちがう。 ………げぼく」
何故か、空気が凍った。
「……んい? ………げぼく。……ゆうしゃ、ねす…げぼく! ………んいい?」
何故か、ディエゴが崩れ落ちた。
【長耳族】
人族ときわめて近い外見的特徴を持つ、人種。
その名の示す通り総じて長い耳を持つほか、
髪や瞳の色がきわめて明るく、淡い色が多いという特徴がある。
長命であり、穏やかに日々を過ごす者が多く、
種の殆どが集落に籠り、のんびりと生活している。
『見た目は若々しいのに爺婆みたいだ』というのが、彼らの暮らしぶりを見た者の共通認識だという。
人族とは比べ物にならない程に魔力の扱いに秀で、外界作用系魔法を得意とする者も多い。
そのため、彼らエルフは『魔族』の一種である、と主張する過激派も存在する。




