197_勇者と従者と一役解体
これまで存在を仄めかされていた、この世界の『魔王』。
世界規模の魔力波動に端を発する魔物達の異常行動が散見され、人々の不安が高まっていく中……大国リーベルタの中枢を急襲し、ついに姿を現したその存在……『魔王』セダ。
噂や憶測でしかなかった魔王の復活が公のものとなり、明確な脅威として人々の意識に刻まれた瞬間であった。
『勇者』の宿敵であると同時に、存在する理由でもある討伐目標『魔王』……その対応は勇者の基本行動理念とされ、何よりも優先すべき目標として掲げられている。
とはいうものの……王令による動員でも無い限り、基本的な行動は勇者本人に一任されている。さすがに勝ち目の無い死地に特攻させられるような理不尽な扱いはされないだろうし、本格的な反攻作戦は王国軍と共同で行われる筈だ。……今の陛下ならば、ちゃんと考えてくれるだろう。
王都を脱出し活動再開した以降は、自らの判断に基づき『魔王』対処に臨んでいけば良い。大切な仲間の装備調達、ならびに身体コンディションの調整を優先したところで、義務履行違反と咎められる謂れは無い。
再び行方を眩ませた魔王の足取りを追うことも任務の一つであるのだが……手懸かりであろう『島』へ渡るためにも、備えは有って然るべきだろう。
危険度最上級の未踏破区域、そこには『災厄級』に分類される多種多様な魔物が跋扈しており、普通に考えれば立ち入れる場所では無い。恭しくノートに従っていた水竜はあくまで例外、珍しく話のわかる魔物なのであろうが……数多蔓延る魔物が全てそうである筈がないのだ。
魔王の拠点には往々にして強力な魔物が犇めいているものである。これは古今東西、あらゆる伝承における共通事項だろう。そこを踏破するためには、従者の強化は欠かせない。
……つまりは、この寄り道は正当な権利なのだ。
温泉に浸かり英気を養い、シアとノートとニドだけでなくアーシェとキーの裸体と乳房を堪能することは、魔王討伐における重要な要素なのだ。
「そのためだったら何だってするぞ私は」
「女子が気安く『何でもする』とか言うな! いいから袋探せ! 手ェ動かせ!」
「あるたー、あるたー、だいじょぶ? かた、きもちい、もむ?」
「気持ちだけ貰っとくから! あっちでニドと寝床整えといてくれ!」
「わたった! にとー! にとー!」
「小僧貴様ァ! 子守り押し付けおったな!?」
「適役だろ! 我慢しろ自称年長者!」
道中幾度かの休憩を経て、商隊一行はオーテル郊外の野営地……新たな源泉開発の前線基地へと到着していた。当初懸念されていたほどの襲撃も無かったどころか、昼前にシアが無双して以降は魔物の姿さえ見られなかった。
若干拍子抜けしないでもないが……しかし安全に運行できたのは良いことだ。戦闘技能に秀でた自分達だけではなく非戦闘要員も同行しているとあっては、危険が少ないに越したことはない。今回の道中は非常に幸運だったと言えよう。
そんなこんなで一段が到着した開発前線基地は、高さ五m程度の巨岩の影に広がる天幕の群れ。十ほどの天幕と幾つかの仮設小屋が立ち並ぶこの拠点は、開発作業を行う者たちの生活拠点でもある。
中央の巨岩には(勾配が非常にキツいものの)昇降通路が設えられ物見楼として活用されており、基地の周囲は簡素ではあるものの柵と空堀が巡らされている。出入り口は両側に護衛と思しき人員が構えており……なるほどこの前線基地内であれば(比較的)安心して休むことが出来るだろう。
とはいえ感心してばかりもいられない。この場と作業現場の安全確保こそ我々の任務なのだ。環境と業務に慣れることは当然として、一刻も早く先駆者達と打ち解けなければならない。
そのための作戦ならびに必要な資材は、既に手の内である。自分達の荷下ろしおよび拠点設営の傍ら、ヴァルターとネリーは作戦用資材の下拵えに臨んでいたのだった。
有り難いことに手伝いに精を出す白い少女を宥めすかし、寝床となる天幕を組み立てているニド達のもとへ預け、子守りを丸投げし、作業に移る。
準備を整えたヴァルターとネリーならびにシアは門番に事情を話し、行き先を告げると拠点集落を後にする。
「こんだけ離れりゃ充分かね?」
「ちゃんと処理すれば大丈夫だろ」
「そだな。よーしシア警戒。頼むぞ」
「ぴゅいっぴ!」
返事と共に元気よく舞い上がるシアに周囲の警戒を任せ、勇者とその従者は荷を下ろし作業に移る。
乾いた地面に魔力を通して深い穴を形成し、解体用の小振りなナイフを取り出し両腕を捲る。重要な資材である岩蜥蜴の遺骸をひっくり返し、柔い腹側の表皮に刃を入れ解体を開始する。
内臓は圧力釜等の専用設備があれば薬効成分が抽出できるらしいが、錬金術師でもないヴァルター達には処置の手法など解らない。
そもそも町中ならばいざ知らず、こんな屋外の仮設集落なんかに錬金術設備があるわけ無いので、結局のところどうしようもない。そのまま放置すると異臭を発し魔物を誘引しかねないので、ネリーの掘り空けた穴にぽいぽいと投げ捨てる。
しかしながら……心臓だけは別。岩蜥蜴程の個体であれば、かなりの高確率で期待ができるだろう。若干の期待と共にナイフを入れてみたところ……どうやら予想通り、なかなかのサイズの『魔核』を引き当てた。
魔物によっては全身に魔力を行き渡らせるため、心臓に密着する形で『魔核』を備えるものも少なくない。魔力の源であり魔力を溜め込むこの結晶体は、魔物の体内より摘出された後でも魔力を吸い出すことが可能であるため、魔道具の動力源や魔術触媒、また非常時の魔力回復手段としてそれなりの高値で取引されている。
小型の魔物や魔力の弱い魔物はサイズも出力も儚く、大した値が付かないことが殆どだが、岩蜥蜴のものともなると需要も高く、回収して損はない。町へ持って帰れば換金も容易いだろうし、町から離れた前線基地であれば殊更に喜ばれるだろう。
内臓の処分が終わったところで交代、ネリーが役割を引き継ぐ。ぽっかりと空いた胴体内部を水魔法泡沫砲で洗浄し、同流水鋸で長い胴体を手頃な大きさに切り分ける。毒素の除去ならびに腐敗を抑制する魔法を施し、除毒処置済の袋に投げ入れ口を括る。
少し前まではがっしりした体躯を誇っていた岩蜥蜴は今や……内蔵を摘出され魔核を掘り出され表皮を剥がされ堅固な甲殻を剥がされ全身をブツ切りにされ、ものの数分で素材と資材と食材に分別され……見るも無惨な姿と成り果てていた。
「本当手際良いよなぁ」
「だろ? 狩猟民族の本領発揮ってやつよ」
解体作業で汚れたヴァルターの腕や道具類を濯ぎながら、ネリーはドヤ顔で薄い胸を反らす。他の長耳族の狩猟風景を見たことは無いが、本人の言を信用する限りでは彼女は手際が良い方だという。
種族全体を通して器用であるらしい長耳族の中でも、殊更に器用であるらしいネリー、狩猟の能力こそ桁違いに高いが後処理の手際はせいぜい人並みであるヴァルターにとって、心強い味方なのであった。
「よし一丁上がりだ。早く戻って納品しちまおうぜ」
「だな。……まぁ、まずは炊事係を探さんと」
「あーそっか。まぁライア取っ捕まえて吐かせりゃ良いだろ」
「何でいちいち物騒な物言いなんだ……」
地面の大穴を元通りに埋め、内蔵や血液の痕跡を地中へと葬り去る。ここまで入念に処置を施せば、血の匂いに魔物が集ることも無いだろう。野営基地への迷惑も掛からない筈だ。
どれ程の期間世話になるのかは解らないが、しばらくは厄介になる予定なのだ。町とは異なり調達できる物資に限りがある以上、こうした食材や素材は邪険にされることは無いだろう。
輸送の手間を鑑みれば、傷みにくく嵩張らない乾燥食材の割合が大きくなる。それらを選ばざるを得ない彼らにとって、新鮮な肉は魅力的に映ることだろう。そうして胃袋をガッチリ掴んでしまえば、打ち解けるのは早い筈だ。
シアが手ずから仕留めた獲物を先駆者達への贈り物に加工し、ヴァルターとネリーは意気揚々と引き上げていった。
全ては……可能な限り多くの作業員に恩を売り、仲良くなり、抱き込み、女の子だらけの露天風呂建設計画の片棒を担がせるために。
崇高なる使命を密かに胸に秘めた長耳族の少女の孤独な戦いが……いま幕を開けた。




