190_勇者が救世主って誰が決めた
聞くところによると……なんでも『魔王』が動き始めたのだという。
栄華を誇る人々の安寧を打ち砕き、恐怖と絶望に突き落とさんと……人々の住まう大国へついにその牙を剥いたのだという。
ほんの数か月前。世界中のありとあらゆる地点でほぼ同時に観測された、全世界規模の途方も無い魔力波動……通称、『魔王の目醒め』。
かつて幾度となく大地を焼き、夥しい命を消し飛ばした『魔王』が……永き眠りの末、ついに目醒めたのではないか。
人々の胸中にそんな不安が燻り始め、長らく直面したことの無かった非常事態に各国が対処を追われ東奔西走する中……その事件は勃発した。
厳しい修練を修め屈指の実力を手にした『勇者』を擁し、魔王討滅に動き出した大国リーベルタ。
その中枢が……ある晩『魔王』の急襲を受けた。
千を優に超す魔殻蟲の大軍を率い、夜闇と共に王都を襲撃した『魔王』は……伝説に語られる高位魔族、黄昏の大鷲フレースヴェルグを伴い王城を強襲。
リーベルタの象徴たる王城主尖塔を破壊するなど甚大な被害を与え……魔王に抗った国王アルフィオは魔王の手により討たれた。
大国の中心地、首都の更にど真ん中に、突如として降って湧いた『魔王襲撃』という大事件。想像を絶する被害を生むかと思われた襲撃事件だが……偶然居合わせた『勇者』ヴァルターの尽力によって、魔王一味の撃退に成功。
防衛に駆り出された兵士達に大小の怪我は有ったものの、無辜の民草は事なきを得た。
国王直々の勅命によりに奉仕活動へ駆り出されていた筈の『勇者』であったが……道中の宿場町エーリルにて魔王軍幹部の襲撃を受け、これを撃退。同時に王都襲撃の危機を察知し、王命反逆の咎を覚悟しながらも王都を守るために舞い戻り、国王アルフィオと共に『魔王』撃退に尽力したのだという。
卑劣なる『魔王』の手によって、国王アルフィオ・ヴァイス・リーベルタは崩御。
宮廷魔導師ディエゴ・アスコートの口添えもあり、王太子アルカンジェロの即位が決定……アルカンジェロ・ヴァイス・リーベルタとして父王の跡を継いだ。
王命に背いた『勇者』ヴァルター・アーラース、ならびにその従者に対しては――前国王アルフィオの討死を防げなかったとはいえ――その功績ならびに忠誠心は筆舌に尽くし難しとされ……反逆の咎の一切を負うことは無かった。
それどころか……『勇者』ヴァルターは国王アルフィオを護りきれなかった責を自ら引き受け、褒賞の一切を固辞し人知れず旅立ったという。
突如として王都を襲った『魔王襲撃』の報こそ衝撃的であり、国王崩御は悲嘆すべき事象であったが……勇敢にも『魔王』に立ち向かいこれを撃退し、王都と市民を守り抜いてみせ、王に対する忠義に厚く、またひときわ責任感の強い『勇者』の存在に……人々は確かな希望を見出していた。
とうの『勇者』ヴァルターの本心など……知る由も無いままに。
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「……あるたー? どう、したの?」
「…………何でも無い」
「?? ……? んん…………そう……?」
「そう。……ノートの気にすることじゃ無い」
がたごと、がたごとと揺れる幌馬車の荷台。荒れた路面の凹凸を拾い上下左右に揺れを伝える幌の中では、大小五つの姿が身を寄せあっている。
大変、大変に個性的な乗客たちによって……荷台は異常なほどの密度と、異様な圧迫感で満たされていた。
大河レスタに付かず離れずのこの街道は、北方にて製造された鉄鋼製品を運ぶ重要度の高い道ではあるが……しかしながら王都から遠く離れたこのあたりでは、さすがに石畳の舗装など望むべくもない。
荒れた道に跳ねる床で尻や腰を痛めるよりかは、ネリーやニドのように徒歩で追従する方が幾らか気は楽なのだが……人目に付くことが望ましくない自分達は、大人しく馬車に詰め込まれる他無かった。
「……わたし…………うれしい。あるたー、わたし、うれしい。……ありまとう」
「気にするなって。俺もこっちの方が…………まぁ、まだ気は楽だ」
「わたし……あるたー、たすける。めあ、あーしぇ、きー……てつだう、もらう。……なんでも、めいれい、ほしい」
「……心強いな。ありがとう」
「んい!」
決して広いとは言えない、四方すべてを覆われた幌の内部。異形の身体を器用に畳んだ人蜘蛛の少女によって空間の大部分を埋められた小空間では……蟲魔女王アーシェと勇者ヴァルター、そしてノートとその従者メアが身を寄せ合っている。
一目見て人外と解ってしまう容姿の二人と、今現在リーベルタ王国じゅうの話題を総浚いしている二人、大人しく控え目で従順な一人を馬車に詰め……人目を憚り密かに行われた護送作戦は、幸いなことに順調に推移していた。
鉄工都市オーテルまでは残すところあと僅か、早ければ今日中にでも到着できるかもしれない。オーテルから目的地であるアイナリーまでは、平坦な街道を東へと進むだけ。何も心配は要らないだろう。
『人目につかない』ことを最優先としている以上、街の中で休むことが叶うかは不明だが……食料の補充ができるというのは、野営を行うにしても有り難いことだった。
揺れ動く馬車の荷台は快適とは言い難いが……それでも、もう一方の選択肢よりかは幾分マシであろうことは、疑いようが無かった。
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……あの後。
国王アルフィオが討死し、ノートが回復を果たした後。
魔王が引き上げ脅威が去ったと見るや否や、ディエゴはヴァルター達を礼拝堂へと移動させた。
人蜘蛛の張り巡らせた糸によって、固い守りが敷かれていたその大空間へ。疲労の色濃いヴァルター達を追うようにその場に現れたのは……前王の長子にして次期国王であるらしい王太子アルカンジェロ、ならびに同じく前王の第三子、王女マリーベル。
数名の護衛騎士を引き連れた、リーベルタ王家の面々である。
何事かと身構えるヴァルターを余所に……新国王アルカンジェロ・ヴァイス・リーベルタ直々に、ヴァルターとニドへ、回帰魔法『時流遡行』が施された。
服薬の反動で全身が思うように動かせないヴァルターと、攻撃を弾き返されたことで片足を痛めていたニドは……それぞれが身体的不具合を発する以前の状態へ、万全の状態へと巻き戻された。
大盤振る舞いに呆気に取られる一向に対し……正統王家の兄妹ふたりは、さも申し訳なさそうに目を伏せる。
「勇者殿……此度のお力添え、本来であれば相応の礼節でもって報いるべきなのだろうが……」
「いや……コッチこそこんな……秘術を二度も……」
「何を云う、全ては我が国の招いた禍だ。……巻き込んでしまったのは……迷惑を掛けたのは、此方の方なのだよ」
「殿下…………いや……陛下……」
自身へと向けられた敬称に、どこか乾いた笑みを零す……若き国王陛下。
恩人たる『勇者』一行を急かすように、悪戯っぽく言葉を続ける。
「名残惜しいが……急いだ方が良い。逃げ遅れると面倒だろう? …………残ってくれると云うのなら勿論嬉しいのだが」
「……すみません…………陛下」
「いや……良いさ。仕方無い。なんとか無理の無いよう纏めてみるが……市井の声は我慢してくれよ? ……なにせ君は、紛うことなき『勇者』なのだから」
「………………はい」
「では……そろそろ行くと良い。……落ち着いた頃にでも顔を出してくれ。いつでも歓迎しよう。……マリー、頼んだぞ」
「……はい、お兄様」
「……ありがとう、ございます」
アルカンジェロに見送られ、王女マリーベルと数名の護衛騎士を伴い連筒風琴内部へと潜り込む。……陛下には申し訳ないが、一刻も早くここから離れたいというのは偽らざる本音であった。
何しろ……魔王襲撃を乗り越えたこの国を待ち受けているのは、前国王陛下の崩御と新たな国王の即位。加えて王城施設の各所にも物理的な損害が多く生じている現状であり、やらねばならぬことは膨大となろう。
逃げ遅れればそれこそ騒がれ、持ち上げられ、厄介事を押しつけられ……極めて面倒な事態に巻き込まれることだろう。
国王陛下の好意に甘え、後処理から逃げるように……王家専用の地下脱出通路を通り抜け、混乱の渦中にある王都リーベルタを密かに脱出したのだった。
やがて……長い長い地下通路の先。
王都北西に広がる森林地帯の只中、大河レスタ支流の一つが作り出す瀑布の裏……地下通路の出口。
「……私がご一緒出来るのは……ここまでです」
「充分です。……ありがとうございます、殿下」
「…………あいがと、ごまます」
「落ち着いたら……またぜひ、王都へお越しくださいませ、ね」
「はい。……是非」
「んい……まりーべる、あるかんねろ……こんにちわ、する」
「ふふっ…………楽しみにしていますね」
姿を隠すことを前提とする『勇者』一行を補助するため、王家の面々により遣わされた護衛騎士二名を伴い、総勢九名(?)の大所帯となったヴァルター達。
別れの挨拶もそこそこに、北へと向かい旅立っていった。
「ヴァルター様……私、諦めませんから……っ」
王女付きの護衛騎士達が、どこか温かな視線で見守る中。
やがて『勇者』の姿が木々の向こうへと消え去った後も……マリーベルは静かに佇んでいた。
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それから……街道を目指し森林地帯を脱出。途中開拓村に立ち寄り、幌馬車と引き馬、保存食と飲用水を手に入れ、あとは目的地を目指すばかりである。
馬車の入手から対価の支払いから、同行してくれた護衛騎士が律儀にこなしてくれた。色々な意味で人前に出られないヴァルター達にとって、彼らの助力は非常にありがたい。どうやらそれぞれ相場の十倍以上の値で買い上げたらしく、開拓村の人々は口をあんぐりと開けていた。
……尤もその価格には『余計な詮索をするな』といった意味合いも籠められていたようだが。
その後は街道に沿って北上……途中四度の夜営と三度の補給を経て、ついに鉄工都市オーテルを間近に控えた今に至る。
このあたりの集落の人々はまだ『勇者』ヴァルターの風体を知らぬらしく……先日訪れた集落では、外套を目深に被っての買出しは問題無くこなすことが出来た。
……その際に耳にしたのが、あの幾分誇張された噂話であった。
「…………俺は……『勇者』……なんだよな」
「……? ……あるたー……?」
伝わっている噂話ほど、自分は立派な人物では無い。
『国のため』『人々のため』などという崇高な理念ではなく、自己中心的な判断基準に基づいての行動が殆どであったし……あまつさえその『勇者』の肩書さえも、一度は投げ棄てた筈だった。
だが……実際は。
新たな国王アルカンジェロによって告知された、一連の騒動の真実……そこに描かれた『勇者』の姿は。
「……こんな立派な『勇者』にならないと……ダメってことなんだよな」
「………………あるたー……」
『魔王』の存在が人々に多く知られた以上、今までのようにのんびりしていることは出来ない。
結局棄てることの出来なかった『勇者』の肩書を負っている以上……あの『魔王』は、いずれ自分が倒さなければならない相手だ。
成長を待つとはいえ、さすがに悠長に構えている訳にはいかないだろう。
なにしろ得体の知れぬ思考を持つ魔王である。突如として考えを改めないとも限らぬし、業を煮やして『勇者の覚醒を促すため』などと虐殺を始めんとも限らない。その程度のことはやりかねない。
「…………もう……逃げられない……よな」
「………………………………」
「…………ヴァルターさま……」
棄てようと思った肩書は、呆気無く戻って来てしまった。
大切な少女を奪還するために、不退転の決意のもとで王国に弓引いた筈が……どういう因果か魔王を退けた英雄、『救世主』に祭り上げられてしまった。
自分は、そんな立派な心構えで戦ったわけじゃない。それに加えこと戦闘に関してでさえ、自分は語られる程の活躍はしていない。
時間稼ぎ程度しかこなすことが出来ず……戦況を変えたのはネリーの薬と、ディエゴならびに国王アルフィオだ。あの場で戦った者達の中で、最も役立たずであった自覚さえある。
結局のところ『勇者』の名を背負いながらも、その中身・実力は不相応。
『救世主』だなどと呼ばれる程の価値は……本来ならば、無いのだ。
……だが。
それでも……やらねばならない。
「……もう……あんな無様な真似は御免だ。……『勇者』になるって……決めたんだもんな」
「…………! あるたー……!」
あのとき。
今は亡き前国王陛下アルフィオに『勇者』の号を賜ったとき。
大なり小なりの不安と葛藤があったとはいえ、最終的に条件を呑む決断を下したのは自分だ。
『勇者』となることを了承したのは……自分なのだ。
人々を脅かす『魔王』を倒す『救世主』となるため、最善を尽くすのだと……他ならぬヴァルター自身が、そう決めた筈だ。
「……あるたー」
「何だ? ノート」
ふと声のする方へ視線を送ると……決意を新たにする『勇者』へと、温かな視線を送る少女の姿。
天使のような真っ白な少女は、天使のように愛らしい笑みを湛え……満足そうに頷いた。
「……あいなり、かえる、したら…………くんれん。……いっしょ、がんばる。いい?」
「了解だ。これからも宜しく頼むぞ、ご主人様」
『は? ちょうしのるな。たたくぞ』
「………………」
わざわざ剣を介しての思念伝達魔法を用いてまで、饒舌に罵声を浴びせる気難しい『ご主人様』。
久しぶりな、そして相変わらず辛辣な物言いに肩を竦めながらも……
得がたい彼女と、彼女と過ごす日常を取り戻したことに……『勇者』は安堵の息を溢すのだった。
「……あるじさま……うあい……繁殖相手、見うケあ……えす?」
「きき……了解、します、です。……き、き、繁殖、整える、準備……『ヴァルター』生殖器、最適化……準備、します」
「やめろ!! やめろバカ!!!!」
これにて一旦、ひと段落となります。
展開が遅れに遅れ、まさかここまで伸びるとは思っていませんでした……
度々ご不快な点もあったかと思います。ご迷惑お掛けしました。以降はもっとシャキシャキことを運ぶよう心掛けます。
次章はまだプロット固まりきってないので、暫しお時間を頂く形になりそうです。
なるはやで進めますので、どうか愛想つかさないでくださいお願いします。




