189_王と悪霊と王都の夜明け
光の槍と化した小さな身体が、老人のように衰えた男の身体へ深々と突き刺さる。
自らの脚で自立するために最低限施していた身体強化魔法の恩恵か……衰弱した身体が衝撃で四散することだけは、どうやら防ぐことが出来たようだ。
「グ、ごふ……ッ!」
「…………クク……ざまァ、見ろ」
しかしながら……直立するだけで精一杯だった体で、踏ん張りなど効かせられる筈もない。
着弾の衝撃で枯木のような身体はあっさりと吹き飛ばされ、生身であれば即死は免れられないであろう勢いで石壁へと突き刺さる。申し訳程度とはいえ身体強化魔法は発現していた筈だったのだが……それでも損傷を防ぎきることは出来ず、アルフィオの身体はたったの一撃でボロボロに成り果てていた。
中でも特に酷い損傷は……言うまでも無いだろう。
左胸から突き刺さり、心臓こそ逸れていたものの左肺と背骨を貫き、背中へと突き抜けた……鮮血でべったりと赤く染まった、『白の剣』。
誰が見ても一目瞭然。疑う余地も無い致命傷であった。
「ゴフっ、…………フフ……」
最早ここまでかと、国王アルフィオは霞む視線をさ迷わせる。
幸いにして――こちらの決着を察し戦闘を止めたのだろう――破壊の痕跡も色濃い陥没跡の中央に、白の魔書を携える腹心の姿を見て取ることが出来た。
口を開けば、声の代わり鮮血が溢れ出る。気道を血で塞がれ、おまけに肺を貫かれては……呼吸も満足に行えない。
もはや死を待つばかりの身体と成り果てたアルフィオ。しかしながら霞む視線の向こう、短くない間を共に過ごした腹心は……そんな彼を見据え、深く、確かに頷いた。
白い少女の身体を乗っ取り暴れ回った、決して許し難い自身の仇敵。
奮闘虚しく敵の接近を許し、あまりにも呆気なく刺し貫かれ……今まさに死を迎えようとしている。
虚ろな瞳で、乾いた笑みを一つ。
今なお縺れ合うように倒れ伏し、同じく虚ろな目で勝利を確信している小さな身体へと意識を向け…………
「……捕まえたぞ」
勝つための、最後の仕上げへと取り掛かる。
「白の儀杖、強行指令。……『時流遡行』」
『了解』
「な……ッ!?」
携行者たるアルフィオ・ヴァイス・リーベルタ――リーベルタ王国王家の血を引く、正真正銘正統たる国王――彼によって予め登録されていた、携行者が発現可能な魔法条文。
鍵となる短縮条文の入力を受け――先んじて登録されていた手順通りに、携行者の魔力を一方的に吸い上げながら――儀杖はその魔法を構築していく。
「貴、ッ……!! 様……! まさか……!?」
「フフ……無脳の癖に……察しが……良い、な」
「な…………貴様ァァア!!!」
国王アルフィオと折り重なるように倒れ伏す、随所を欠損した小さな身体。
今まさに自らを対象に発現しようとしている魔法から逃れようと試みるも……完全に魔力を使い果たし、あまつさえ片手と片足を失った身体とあっては、苦しげに身を捩ることしか出来ない。
少女の身体を駆る仇敵に執拗な攻撃を加えたのも。抵抗するための魔力を最後の一滴まで消耗させたのも。自らの身体を餌に仇敵を誘い出し、敢えて胸を貫かれたのも。
すべてはこの零距離で動きを封じるための……勝手に発現されるその魔法を確実に届かせるための布石。
……まぁ単純に、アルフィオ自身も限界だったことは間違い無いのだが。
限界まで酷使された小さな身体では……血の気の失せた土色の腕で、それでも『逃すものか』と拘束を試みるアルフィオの嗄れた身体さえも、振り払うことが出来ない。
「まぁ……そう邪険に……振ってくれるな。……フフ……寝食を共にした……仲であろう」
「やめろ……ッ!! 貴様! コレを……止めろ!! 今すぐ……!!」
「……無理だな。……余は、ほれ……見ての通り……死にそうだ」
「おの、れ……! ぐ……ゥ、ぁ…………ッ!!?」
大怪我を負っていようとも死にそうであろうとも……登録された携行者直々に全ての警告と被害を無視するよう設定されていた儀杖は、几帳面に与えられた命令を全うする。
今にも消えそうな命の灯火を一切気にすること無く魔力を吸い上げ、登録されていた魔法を正確無比に再現していく。
それは――人族以外の者にとっても、たとえ魔法が得意と評される魔族の者にとっても――使いこなせる者など絶無であろう、極めて希少な魔法。
リーベルタ王家のみに伝わり、リーベルタ王家のみに許された……この時代においては知る者さえ限られる、古の大魔法。
対象の『時の流れ』に作用し、理を捻じ曲げて流れを遡らせ、対象に施されたありとあらゆる『変化』を『変化が起こる前』の状態に巻き戻す……反則と言える程の力を発揮するもの。
希少な『治癒魔法』の中でも殊更に特殊な……言うなれば『回帰魔法』。
人族の身でありながら常識はずれの魔力を秘めた血筋とともに、リーベルタの王家に代々受け継がれてきた……世界の法則すら捻じ曲げる、出鱈目な高位魔法。
――――改竄指示・『時流遡行』。
王族の中でも最高位の管理権限を持つ者によって……魔力に抗うための魔力さえも喪った小さな身体へと、遡行処理が施されていく。
「ぐ、ァァ……!? ぎァ、が……あが……ッッ! っぎ……!?」
塵と化した筈の左手は、消し飛ばされる前へ。
粉々に砕かれた筈の左足は、穿たれる前へ。
削り取られた肩も。抉られた頬も。臓腑を溢す脇腹も。斬り裂かれた皮膚も。それらの傷を負わされる前の……五体満足の身体へ。
「……! ……や………!! お……れ………! おのれ……!!」
ひとつ、またひとつと、少女に施された処置が撤回されるにつれ……姿なき悪霊の存在が消えていく。
皮膚組織を熱変化させられた背中も。
魔毒の染みやすい身体へと打ち込まれた呪いも。
純粋な悪意を詰め込まれた戒めの首枷も。
人知れず体内へと埋め込まれた依代の金属胚も。
人を人とも思わぬ、唾棄すべき鬼畜の所業も……それら全てを施される前の、傷一つ無い綺麗な身体へ。
「…………直った……よう、だな」
「……ぇ……? ……あ、あえ…………?」
健常そのものとなった小さな身体に……悪しき企みを秘めた悪霊など、当然取り憑く余地も無く。
一切の異常無く生理機能を取り戻した身体は、当然のように意のままに。
姿なき悪霊が依代を失い、追い出されるように消え失せると同時。
純白の少女は……ついに自らを、完全に取り戻した。
………………………………
一片の容赦も無く魔力を吸い上げられ――不足した魔力の補填として生命力さえも差し出し――被害者たる少女に最上位の『時流遡行』を施し終えた、国王アルフィオ。
ぴくりとも動かせぬ身体、何も映さぬ虚ろな瞳で……それでも満足気に口角を上げて見せた。
「……この、程度で……罪滅、し……出来、……は……思わぬが」
「陛下……!」
「!! へ……へいか……!? へいか!!?」
奥の手を無理矢理用いて、罪滅ぼしとばかりに完治させた少女とは異なり……自身は胸郭を差し貫かれ致命傷を負ったまま。
魔力も、生命力も、血液さえも完全に干上がり……ここまで消耗した命はもはや、奇跡をもってしても取り戻せまい。
「…………最期まで……勝手をなさる」
「……ハハッ。……すまぬな、『龍眼』の」
「や……やだ…………へいか……」
返り血で真っ赤に染まった傷一つ無い身体で、今まさに死を迎えようとする国王アルフィオを茫然と見詰めるノート。
無理も無いだろう。この巨大な都を擁する大国リーベルタの頂点、その胸に深々と突き立っている『白の剣』……その柄を握っているのは、他ならぬ自分の手なのだ。
『この世界の異物』であることを自認しているノートにとって……『この世界の重要人物を害した』という事実は、到底許されざる所業である。
……たとえ微睡の中、本人の意に反して行われた狼藉であろうとも……ノートにとっては紛れも無い『自分の所為で起きてしまったこと』に他ならない。
『自分さえ居なければ……この世界の重要人物たる彼は、死ぬことが無かった』
自らが理不尽極まりない目に逢わされていながらも、彼女の脳裏を占めるのはこのことであった。
「……違うぞ……娘」
「…………んえ……?」
……だが、違うと。
それは違うと、国王アルフィオは言う。
自分が死を迎えようとしているのは、俯き弱々しく震える少女の所為では無いのだと。
自分が死を迎えようとしていることに関し、少女が気に病む必要は何一つ無いのだと。
「此の、国の……膿を……除く……それに少々……少々、手間取った……それだけ……こと」
「……で、でも……わたし……いぶつ……」
「……『異物』? ……フフ……何を言う。……余の国、住まう……民……あろう」
「わ…………わたし、が……??」
「国民だ。……余の国の……平民に過ぎぬ。……平民に……政の、確執……よる生死……関係、無い」
「…………へい、みん」
「そう。其方は……只の平民……只の、いち小娘……過ぎぬ。……まぁ尤も」
力無く咳込み、赤黒い血の塊を吐き出す……この国の王。
今際の際にありながらも、どこか気障ったらしい笑みを浮かべながら……王としての最後の一仕事を十全に行えないことを悔いながら、腹心たるディエゴに言い聞かせるように告げる。
「もう……余の国、では無……か。……アルカンジェロの治め……国の……ということ……なろうが、な」
「…………陛下、それでは……」
「済ま……な。譲位も……布告も出来ず。……余を……恨めよ。……跡目……起こる…………知れぬ、なぁ」
「……お任せを。このディエゴ・アスコート……全ては、陛下の御心の儘に。……ですから」
「…………へい、か」
「ゆっくりと、御休み下され。……陛下」
衰弱しきった身体を酷使した末、白の剣に胸を貫かれ……それでも憑き物の落ちたような安らかな顔で。
眠るようにゆっくりと瞼を落とす主君に、別れの言葉を告げる。
崩れ落ちた尖塔を、ようやく顔を出した朝陽が照らし出す頃。
リーベルタ王国国王、アルフィオ・ヴァイス・リーベルタは……こうして静かに身罷った。
…………………………………
………………………………………………
「何やら良い雰囲気だが……まさか俺の存在忘れて居らぬだろうな?」
「忘れてるだろ。そのまま帰っていいぞ」
「クク……ハハハハ! 言うようになったな、地を這う『弱者』の分際で」
湧魔神薬服用の反動で身体の自由を喪い、戦うことはおろか立ち上がることさえも儘ならぬヴァルターの傍らへ……半ばから折れ砕けた鉄塊を背に負った漆黒の大鎧が、いつの間にか佇んでいた。
砂埃を被った微かな汚れこそあれど、鉄塊と右肩を除き負傷らしい負傷は見受けられない。両手指の砲は既に口を閉ざし熱も喪っており、全身に纏っていた赤黒い光も姿を消している。
「…………実際のところ……何しに来た。何をするつもりだ?」
「そう警戒して呉れるな。何もせぬよ……今は、な」
とはいえ……一方のヴァルターは微塵も戦う事など出来ぬ身体、万が一にも今敵意を向けられれば、生存の余地は絶無であろう。湧き上がる緊張感を覆い隠しながら問いを発するヴァルターに……漆黒の大鎧を纏う『魔王セダ』は、くつくつと愉しそうに肩を揺らした。
「まぁ……折角の良い雰囲気に水を差す程、野暮な真似はせぬよ」
「……意外だな。アンタなら美味しい所だけ摘まんでくかと思ったけど」
「俺はそこまで空気読まぬ王では無いぞ? ……それに、だ。どうせ叩き潰すなら……万全の状態でヤり合った方が愉しめよう」
「…………俺があのとき見逃されたのも」
「クク……察しが良いな。……そうとも。未熟な獲物は喰ったとて味気無かろう……旨味が満ちるまで待つ主義だからな、俺は」
「…………良い趣味をお持ちで」
「クハハハ! ……照れるではないか。そう誉めるな」
とりあえずの最悪の事態……魔王セダを名乗る悪魔に漁夫の利を攫われるという全滅まっしぐらな結末だけは、幸いなことに回避できたらしい。
『未熟な獲物は喰わない』性質らしい暴虐の魔王は、本人曰くちゃんと『空気を読む』とのことであり……ヴァルター達が力を蓄えるまで――魔王セダを愉しませる程の力を備えるまで――その芽を摘むことは無いのだという。
……仮にも『魔王』を名乗っている癖に、その行動理念は俄かには理解し難い。一般的に囁かれている『魔王は世界を恐怖と絶望に叩き落とす存在である』という常識は、どうやらこの魔王には当て嵌まらないらしい。
手下を揃え、死の大軍を率い、手当たり次第に人々を鏖殺し始めるのではなく……ごく少数の配下のみを従え、その暴力的な容姿に似合わない……どちらかというと暗躍するような言動を見せる。
何を求めているのか、何を目的としているのか、そもそも何がしたいのか。『自らの欲求を満たすため』と称し、ときには本来不倶戴天の敵である筈の『勇者』勢力にまで加担して見せる。
本人の言う通り、単純に『愉しむ』ためなのか。はたまた別の目的が存在しているのか。何もかもが不透明、きわめて胡散臭い。
「そう睨むな。言ったであろう、暫くは何もせぬ。…………貴様も」
「キ……!」
相変わらず硬直したままの――いつのまにか直立不動の姿勢を取る、真っ黒な瞳と四ツ腕を持つ小柄な少女――蟲魔女王アーシェティフス。
途中からじっと中空を見つめ硬直していたのは、単に魔力を使い切ってしまったのかとも思ったのだが……どうやら魔に連なるモノを無条件に従える『魔王』の魔気に中てられていたらしい。その魔王直々に意識を向けられ、小さな身体が眼に見えて解りやすく跳ね上がる。
先日までの余裕ぶった眠たそうな表情はどこへやら……今となっては外見相応、幼子のように細かく震えている。
「貴様も、貴様の軍勢も…………俺への忠義は必要無い。……既に『主』を定めたのであろう……その心に随うが良い」
「…………は。……あいがらキ」
「精々励め。俺に駆逐されぬように……な」
「……ッ! …………はっ」
自分以外の……『魔王セダ』以外の主に、一族諸共鞍替えすること。魔の眷属として到底赦されぬ筈の反逆行為でさえも、破壊の化身たる魔王は何一つとして咎めず……それどころか『自分と戦う用意をしておけ』と言い放つ始末である。
……寛大、というのはまた違うのだろう。戦いを期待する魔王の言葉はそれ即ち、『いずれは殺す』と言っているに等しいのだから。
「さて……では空気の読める俺は大人しく退散するとしよう。……面白い『玩具』も手に入れた、コレ以上の長居は無用だ」
「……何をする気だ」
「そう一々殺気立って呉れるな。……この落陽式とて未だ改善の余地だらけよ、ちょっと人族製の機工鎧が気になっただけだ。あの関節可動域と動きの滑らかさは中々に見事なものだったろう。生身の人族に被せたわけでも無く、単純に機工人形として鉄針と鉄軸と鉄線と撥条で人族の可動と挙動を高水準で再現しているのだ。敵ながら天晴とは正に是のこと、見習うべきものは見習うべきよ。異なる技術体系の混成こそが新たなる技術的躍進の父となるのだ。解るであろう?」
「お、おう……そうか…………」
威圧感たっぷりの巨躯が迫り、尋常では無い圧迫感と共に急に饒舌になった魔王の言葉が襲い掛かる。
思わず咄嗟の反応を返したヴァルターに、果たして魔王セダは満足したらしく……若干押しを弱め、どこか拗ねたような口調で自己弁護を行い始めた。
「本音を言えば、当然あの幼子を攫いたい処だがな。……ちゃんと空気を読んだのだぞ? 俺の数少ない趣味なのだ、コレくらい貰って行っても罰は当たらぬだろうが。……余り五月蝿いことを云うので在れば……」
「わ、解った。解ったって」
「ならば良し。……貴様、存外話の解る男ではないか」
「…………どうも」
ヴァルターとて、今や立ち上がることさえ儘ならぬ身である。万全の状態で湧魔神薬を用いても勝てぬであろう相手が、壊れた機工人形ひとつで手を引いてくれるというのならば……そこは歓迎すべきだろう。
表情など窺えぬ鉄面皮に、どこかほくほくといった感情を漂わせながら……漆黒の全身鎧に赤色の魔力を纏う『魔王』は壊れた機工鎧を満足げに摘み上げる。
……と、漆黒の鏡面をなぞる赤い光が瞬くや否や。
惑星の理に逆らい、その巨体はふわりと宙に浮かび上がる。
「では、な。……俺の言葉、努々忘れるな……『弱者』にして『勇者』よ」
「ちょ…………おい!?」
人族も、魔族も、世界の命運や興亡さえも、そんな些末事など一切合切関係無いとばかりに……ただひとえに『自身がより愉しめる闘争』を求めている、とでも言うのだろうか。
魔王と呼ぶに相応しい風体の持ち主は、魔王らしからぬ言動でヴァルターを翻弄すると……何事も無かったかのように引き上げていった。
混迷極まりないこの場を乗り切れたこと自体は喜ぶべきなのだろうが……この危険すぎる『魔王』をいずれは下さなければならないのだ。考えるだけで気が重くなる。
……それに。
「…………『俺の言葉』って……どれだよ……」
当代の『勇者』ヴァルターは決意も新たに唇を固く結び……
また同時に、頭を抱えたのであった。




