186_少女と祈りと終末の光
天井をはじめとする上部構造物が破壊し尽くされ、薄らと白み始めた夜空が露になった……この大陸きっての大国リーベルタ王国王城の、謁見の間だった大広間。
それぞれ対照的な二つの姿……ヒトの形を取った二つの人外が、これまた対照的な剣を向け睨み合っている。
方や、頭の先から足の爪先まで真っ白……携える細身の両刃剣もまた白い、小さな少女。
方や、頭の先から足の爪先まで真っ黒な……分厚い大剣をはじめとした何から何まで太く、大きく、重厚な全身鎧。
一撃一撃が爆発音のように騒々しい剣撃のぶつかり合いは、数十合の激突を経て未だ戦況に変化は無い。
初撃に漆黒の大鎧が飛び掛かった以降は、小柄な体躯と敏捷性を活かした白い少女が四方八方より剣盾を振るい、大鎧がそれら全てを打ち返し、受け流し、的確に捌き続けている。
そもそも質量……総重量からして桁違いなのだ。剣の鋭い切っ先も、重厚な盾による打撃も、黒曜石のように艶やかな鎧を砕くには至らない。
少女の姿を乗っ取った『百九十一番』は……『魔王セダ』を名乗る規格外の闖入者に、どうにも攻めあぐねているようだった。
「……フレースヴェルグ」
「はっ」
一旦距離を取った両名の間。可視化されそうなほどに濃密な殺気がぶつかり合う中。漆黒の大鎧が宙へ向かい口を開くと……巨大な猛禽の姿をとる上級魔族が音も無く現れる。
「……中々愉しませる。コレは俺の獲物だ。周りの邪魔者を片付けておけ」
「御意に」
「ハッ!? 獲物、だ? ナメた口を……!」
全身を蝕む麻痺毒は……ほぼ抜けきったのだろうか。両手の武器を殺意満々に掲げ、白い少女の姿を取る古の勇者が吼える。
射殺さんばかりの鋭い視線で大鎧を見据え、今や完全に敵対対象と見定めた相手を排除せんと挑み掛かる。
空に開いた大穴より飛び去る大鷲には目もくれず。二重に纏った身体全強化の出力に任せ一瞬で距離を詰め斬撃を繰り出すも、緩やかな曲面を描いた巨大な左の籠手に弾かれ……お返しとばかりに巨大な鉄塊が襲い来る。
真一文字に横凪ぎに振るわれる一撃。圧縮された空気が巻き起こす小爆発を纏い、小さな身体を吹き飛ばそうと振るわれるも……しかしながら構えられる大盾の表面に展開された表層硬化、その斥力場によって衝撃は幾らか掻き消され、少女のすぐ上を轟音と共に駆け抜ける。
絶大な重量を秘める鉄塊を振り抜き隙を晒した大鎧、間一髪その懐に潜り込んだ小さな影は、長年蓄積された戦闘経験を十全に発揮し攻勢に転ずる。鎧表面への攻撃が無為であると判断するなり、防護の薄い関節部へと狙いを変える。
鉄塊を振り抜いた体勢、防御体勢など取れぬであろう大鎧に対し……重要な血管や筋繊維が集中する筈の膝裏、分厚い装甲の存在しない脆弱であろうその一点を狙い、高速の刺突が放たれる。
ごく一般的な金属鎧であれば胸と背の二枚纏めてぶち抜くであろう、殺傷力の極めて高い一撃であったが……
「……フン」
「ぐ……おのれ!」
規格外の重量を秘める鉄塊を振るうがまま、移ろう重心を打ち消さんと振り抜かれた左脚鎧の踵が、足元の小さな影へと襲い掛かる。
刺突の着弾を見るに至らず、咄嗟に構えた盾で被弾の勢いをなんとか削ぎきるも……攻勢の機会を逸した身体はそのまま吹き飛ばされ、何回転かの後着地する。
見た目の鈍重さからは想像できぬ程に、大鎧の挙動は機敏かつ精緻。装備重量による運動速度の低下を常時展開される身体強化魔法によって強引に打ち消し、堅牢な守りと高速かつ正確な近接戦闘を可能としている。
自身達人族と非常によく似通った戦闘姿勢、しかしながらその図体がもたらす破壊力は絶大。おまけに如何なる製法が用いられているのか、漆黒の大鎧は未だ傷ひとつ負っていない。
「クソ……! がァァア!!」
状況を精査した百九十一番は……脳裏をよぎった『敗北』の文字を振り払うように、再度斬り掛かる。
先程よりも速度と密度を増し、柱や瓦礫など周囲のあらゆる構造物を足場として……四方八方より立て続けに攻撃を加える。
「……チョロチョロと鬱陶しい」
「馬鹿げた頑丈さだ……! 忌々しい!」
「クククク……褒めるな」
「誰が!! 調子に乗るな害蟲が!!」
関節部を狙った攻撃の多くが左手や脚で振り払われ、やっとの思いで届いた攻撃はしかしながら……防刃繊維の縒り集められた繊維装甲によって、あっさりと阻まれる。
嵐のような連撃の只中にあっても、重厚な漆黒鎧は微塵も揺らぐことは無かった。
………………………
『…………しら、ない……わたし、しらない』
『ノー、ト……? 大丈夫か!?』
すぐ間近において、この世のものとは思えぬ激闘が繰り広げられる中……今や身体の自由を奪われた少女が、呆然と呟く。
誰に宛てるでもなく零れたその独白は……震える手でなんとか白剣を握っていたヴァルター以外に、聞けた者は存在しなかっただろう。
『……まおう、『せだ』…………いない、はず…………なんで……』
圧倒的なまでの暴力にて、敵対者を直接手ずから叩き潰す……歴代『魔王』の中でも類を見ぬ程の武闘派。
千数百年もの昔、まだ勇者十三番が存命であった頃であっても……『セダ』なる魔王は存在していなかった。既に滅されていたのだろうか、少なくとも相対したことは無かった筈だ。
直接対面したことのある魔王プリミシアが……他でもない本人が、自らを『最後の魔王』と言ったのだ。
プリミシア以外の魔王など、存在しない筈なのに。自ら『魔の王』を名乗り破壊を振り撒く存在など、存在してはいけない筈なのに。
だが……事実として、存在しているのだ。
この世界に、勇者の天敵『魔王』が……それもとびきり性根の悪い奴が。
『…………まおう……なんで』
『……ノート……?』
セダの目的など知る由もないが……このまま勇者百九十一番が敗北すれば、奴は調子づくだろう。なにしろ他に抵抗出来得る存在が居ないのだ。
平穏に過ごしたいというのなら、わざわざ『魔王』の号を名乗る必要は無い筈であり……あんな規格外じみた戦力を整える必要も無い筈。
あんな装備を持ち出し『魔王』を名乗る以上、この世界で何かしらの行動を画策していることは疑いようが無い。
しかしながら……セダが何を画策していようとも、現状セダに抗える手段は無い。
『…………どう、すれば……』
出口の見えぬ思考に沈む間も……身体は百九十一番に操られるがまま戦闘機動を取り続け、しかし勝目は浮かんで来ない。
自らの身体を弄ぶ百九十一番のことを応援したい訳では無いのだが……百九十一番が負けてしまっては、『魔王』の矛先はヴァルター達に向いてしまう。
しかしながら……連戦に疲れ果て、精魂尽き果てたヴァルター達に……酷なようだが、『魔王』の相手が務まるとも思えない。
『だれ、か…………』
ヴァルターに手を貸してくれる、強力な助っ人。……そんな都合のよい人物など、居る筈もない。
王城に詰めている騎士達なんかでは、時間稼ぎにもならないだろう。そもそもそういった邪魔者の介入を防ぐために、今しがた大鷲が放たれたばかりではないか。
助けてくれる人を求めるノートの脳裏に一瞬浮かんだのは……本当の最後の手段。
奥の手中の奥の手、ただ三度きりに限り、愛しい魔王の意識をこの世に喚び降ろす……大切な大切な魔力触媒。
しかしながら……それを使うことは出来ない。
魔王様の下を卒業する際、三つのみ受け継いだ『魔王の遺角』は……他ならぬ自分の願いを叶えるため、二つは既に塵と化し消滅している。
大切な大切な魔力触媒『魔王の遺角』が納められているのは……力無くへたり込み行く末を見守るしか出来ない、ヴァルターの身に付ける剣帯の小物入の中。
ヴァルターが手に取ったところで魔王様を喚び降ろすことなど出来ないし、かといって自分で手に取ろうにも……身体を乗っ取っているのは百九十一番である。
『魔王の遺角』は魔王プリミシア……先生の意識を顕現させずとも、膨大な魔力を秘めた極上の魔力触媒でもあるのだ。
世界を滅ぼそうと画策する悪鬼に魔力触媒が手渡ってしまえば……どんな悪巧みを画策するか知れない。
……それに。
遺された角はたったの一つであり、それを消費することは魔王様の痕跡が跡形もなく消え失せるということであり……親愛なる魔王様との繋がりが完全に消滅してしまうことに他ならない。
とはいえ、心象的な意見を無視するにしても……先述の理由からこの手段を用いることは出来まい。魔王様の手助けは期待できないだろう。
『やだ…………だれか……』
そうこうしている間にも、百九十一番に乗っ取られた身体は着実に圧され始めていく。
振り抜かれる鉄塊を回避し切ることは叶わず……勇者の剣で強引に軌道を逸らす度、またそれさえも出来ずに身体に叩き込まれる度、防御に魔力がごっそりと削られていくのが解る。
一撃で粉砕されないだけマシと言えるだろうが……たとえ貯蔵量が膨大とはいえ、いずれは枯渇するだろう。
体力を消耗し回避が疎かになれば、魔力消費は加速する一方である。
『だれか……たす、けて…………このまま、あるたーが……』
『ノート……お前は……ッ!』
泣きそうな声色で、存在しない何者かに呆然と救いを求める少女の声に……ヴァルターは言葉を失う。
彼女が心配しているのは、百九十一番が敗れた後のことであり……つまりは自分が敗北した後のことである。『自分が助かろう』などということは既に考えておらず、自身の無事や安全は微塵も求めていない。
……神頼みくらい、贅沢を要求しても良いだろうに。
「どうした? 動きが鈍いぞ」
「チッ……!!」
次第に追い込まれていく百九十一番……そいつに身体を奪われた少女はただただ祈り、懇願を重ねる。
自身が百九十一番もろとも斃れた後、暴虐の魔王が世に解き放たれることのみを憂い……親しい者の無事のみを、ただただ祈る。
『……だれか…………どうか……!』
「クソッ!! 畜生! 何なんだ貴様!!」
「…………燃料切れか? 情け無い」
体勢を維持出来ず無防備を晒す小さな身体に、肉厚の鉄塊が振り上げられる。
今や弱々しくがなり立てる百九十一番を冷たく見下し、魔王セダは失望も露に……あっさりと鉄塊を振り下ろす。
『だれか……あるたーを…………!』
天使のような少女の切なる願いは……
どうやら聞き入れられることは……無かったらしい。
「……チッ」
「な……!?」
鉄塊を振り下ろす姿勢にあった体勢の大鎧が、唐突に身を翻す。小柄な少女から視線を背け、重厚な鉄塊を盾に構え防御の姿勢を取る。
間髪入れずその周囲を灼き払うのは、幾条もの白い光。やや上方より降り注ぐそれら白光はまるで豪雨のように、漆黒の大鎧とその周囲を執拗に破砕していく。
「…………無粋だな」
「そう言うな。……余とて人族の王族よ、やられっ放しは性に合わぬ」
「だからといって陛下……少しは自重というものを……」
「……ククク…………成程な」
やがて白光の豪雨が止み、壇上より二つの人影が姿を現した。
自らの愉しみに水を差された魔王はしかし……新たなる敵の出現に、愉しそうに喉を鳴らす。
今しがた戯れていた白い少女とは随分と毛色の異なる獲物であったが……漂わせる雰囲気は只者ではない。
二人とも成年男性、どちらもそれなりに歳を重ねているようだ。
人族が一人と……龍の因子を瞳に持つ魔族が一人。王族を名乗った人族のほうは、既に老年と言っても差し支え無さそうである。
しかしながら……先ずは人族の老人。外見年齢ならびにその容姿に反し、その立ち姿は凛として衰えを感じさせず……手に携えた『白の儀杖』は先端から目映い光を発し、濃密な魔力を迸らせている。
また……側に控える龍眼の魔族。異国風の装いのその男も同様、励起された魔力を色濃く纏う戦闘体勢であり……傍らには周囲を陽炎のように揺らめかせながら、開かれた『白の魔書』が浮遊する。
「しかし……陛下、些か遣りすぎでは? あの子に被害が出れば保護者が黙って居りませぬぞ」
「だからこその射角と時機よ。……図体ばかり立派な木偶の坊が……あの程度で死ぬなら苦労せぬ」
現リーベルタ国王、アルフィオ・ヴァイス・リーベルタ。
ならびに炎熱の宮廷魔導師、ディエゴ・アスコート。
『自分はいいから勇者達を助けてほしい』という、天使のような少女の願い……それに真っ向から対立するために。
勇者達は勿論……自らの生を諦めてしまった彼女を、絶望の淵から引き揚げるために。
最後の戦いが、幕を開けた。
今度こそ本当に最終決戦なんです。
ほんとです。しんじて




