182_勇者と仕様と一進一退
アウルノインツェク・ウル・フォンダルト……『勇者』百九十一番。
人間兵器『勇者』シリーズの後発ナンバーである彼は……剣と盾の扱いに長け、攻防共に優れる大変優秀な個体であった。
技術実証個体である『零零ナンバー』、正式採用装備『勇者の剣』を用いての高機動戦闘――主として器用さと敏捷性――に主眼を置いた『零壱ナンバー』に続く……各戦況に応じて多角的に試作され、様々な兵装を試験運用するための『百式ナンバー』の後発ロット。
剣型のみに囚われず、槍や鎚や弓や杖などなど、多種多様な形状の兵装を試験運用された『百式』の先発ロット……彼らとはまた一線を画する、画期的な運用思想。
兵装ではなく、運用する魔法に革新的な改善を施した――特定の金属素材が織り込まれた兵装を自らの身体の一部と定義することで、兵装自体を身体強化魔法の対象とする――新技術『身体拡張』……その導入に成功した、実質上の最終形。
原点に戻り……総合能力に秀でた『勇者の剣』運用を主眼に、補助兵装として身体拡張対応の新型装備『勝利の盾』を追加装備させた決戦仕様。攻守に優れ、また守りをも攻撃に転化させる、画期的な新技術……その集大成にして、千幾百年も昔の大戦当時の最新型。
…………それの、成れの果て。
新規導入された身体強化魔法『身体拡張』……その技術が後世に遺らなかった、最大の理由。
画期的であった筈の新技術……そこに隠された、致命的な欠陥。
それは……『自分の肉体では無いもの』を『自らの身体』であるとして身体強化魔法を使い続けた際、身体強化の行使を重ねる毎に身体の内と外との境界が曖昧になっていき……いずれは生身の身体を自分のものであると認識出来なくなり、最終的には自らの意識そのものが身体から抜け落ちてしまうという……数多ある長所を塗り潰して尚覆しきれぬ程に、深刻かつ重大な欠陥であった。
当該技術を実装し、かつ極めて多大なる戦果を挙げていた『百九十一番』。当然問題の身体拡張も多用していただけに、その欠陥が肉体に及ぼす影響も大きく……検査員が異変を察知したときには、既に手遅れ。
まるで幽体離脱とでも言わんばかりに、意識が身体から抜け出すようになってしまった。
意識の抜け落ちた身体など……どれ程強力な戦闘個体のものであろうと、身動きひとつ取れぬ『抜け殻』でしかない。本人の意識が何処に在るのか本人以外に知る由も無く、いつ意識が抜け落ち身体の活動が停止するのか、戦場でいちいち気にしていられる筈もない。
そんな不安定な現状を放置すれば、当然運用に支障を来すであろう。すぐさま対策が講じられ、なんとか一応の成果を得るまでには至った。
身体拡張の有効範囲を拡大するための特殊専用金属、それを用いて『楔』あるいは『枷』となる装身具を作成し、対象の身体に装着させる。使用者情報を登録された拘束具によって使用者本人の意識を身体に閉じ込め、脱落を防ぐ。
計画上はこれで『意に沿わぬ幽体離脱』を防げる筈であり、実際に一応の効果は確認できた。
紆余曲折を経て、安定した稼働に漕ぎ着けることが出来た百九十一番は……その戦闘能力を遺憾なく発揮し続けた。
本人も、製造者も、誰一人として気付かなかった……想定外とも言える仕様を抱えたまま。
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「ハッ!!」
「ぐ……! おらァ!!」
敵の正体……『勇者』百九十一番の存在を未だ知る由も無いヴァルターは、剣盾を振るう未知の相手に……それでも果敢に挑み掛かる。たとえ勝機が薄くとも、彼女の中の敵が強大極まりない存在であろうとも、彼女を諦める選択肢がそもそも存在しない。
剣とは比べ物にならないほどの高質量を秘める盾が、まるで木板のように振るわれる。身体全強化の恩恵を十全に活用し、高められた筋力は装備の重量をものともしない。
触れたものを弾き飛ばし圧し潰す巨大な鈍器じみた盾目掛け、『不壊』を付与された白黒二刀の腹を叩きつけ、圧殺の軌道をなんとか逸らす。
盾持つ左手は伸ばされ、その内側へと潜り込まんと身を捻るヴァルターに、敵の右手に握られた白の剣が迫る。
盾の軌道を変えるために振るわれた二刀を握る彼の腕は、振り抜かれ衝突させた姿勢のまま。未だ体制を整えることが出来ないヴァルター目掛け、右下から左上に斬り抜けるように剣が振るわれる。
「何ッ……!?」
「あ……っぶね!」
無防備な胴体を外套ごと斬り捨てる筈であった剣閃は……刃ではなく柄を握る右手を蹴飛ばされ、斬撃を見舞う機を逃す。
一方で引き戻し終えた剣を振りかぶり、敵目掛けて叩き込まんと振り下ろす。狙うべきは武装解除、もしくは機動力の奪取。つまりは腕や脚、健康的な剥き出しの手足を斬り付け腱を断てば良い。
艶やかで滑らかな彼女の身体に。
剣を振るい、斬り付け、傷を負わせる。
……出来るのか?
「ッハァ!!」
「な……!?」
思考に染まった一瞬の間に、体勢を復帰させた敵の攻撃……上段から殴り付けるような軌道で大盾が振り抜かれる。
金属の塊である質量兵器『盾』の、幾重にも補強が施されたその縁が眼前に迫る。速度が乗算された質量物はそれ自体が立派な武器であり……着弾の衝撃が縁の一点に加われば、その破壊力はすさまじいものとなる。
「……チッ! 避けるな!」
「こんなん避けるに決まってんだろ!!」
振り下ろされた盾はヴァルターの前髪をかすめ、大理石を破砕する嫌な音を立てながら大盾が床に突き刺さる。磨き上げられた石床は今や見る影も無く……着弾点を中心として大きく陥没し、四方に幾条もの罅が走る。
冗談じゃない。まともに直撃すれば人間など無事である筈が無い。肉は衝撃を受け止めきれず、骨はあっさりと割り砕かれるだろう。
敵の目の前で呆けるなど……瞬間強化の二重付与下で無ければ、間違いなく死んでいた。速度に全出力を回すことでなんとか切り抜けたものの、そもそもの戦闘能力で言えば決して気を抜ける相手では無い……いや、格で言えば敵のほうが明らかに格上なのだ。
「『二重付与』……か。未開の野蛮人が……生意気な……!!」
「…………その顔で『生意気』とか……口にするんじゃ無ぇよ!!」
大盾を極力迂回し、比較的防御の薄い本体を直接狙う。リソースのほぼ全てを速度に回している現状であっても、なかなか奴の隙を突くまでには至らない。
幸いなのは、敵の速度がこれ以上上がることが無いだろうという一点。大盾に付与された表層硬化と奴本体の身体全強化……恐らくはこの二種を常時並列付与している状態なのであろう。
現状以上に速度を上げるためには――新たに瞬間強化を並列発現させるためには――奴にとっての攻防の要、大盾の表層硬化を諦めなければならない筈である。
奴の戦い方を見る限り、大盾を捨てることは考え難い。であれば最高速度にやや劣るとしても、この二種の並列展開を解くことは無いだろう。
……ならば。奴に唯一抵抗出来得る『速度』と『手数』、ここに賭けるしか無い。
「痛ッ……ええい糞ッ! 鬱陶しい!!」
「ならいい加減諦めろ! 楽になるぞ!」
「ほざけ! この機を逃してなるものか!!」
「知らねぇよ! お前の都合なんてよ!!」
碌な防具も纏っていない少女の剥き出しの手足に……ひとつ、またひとつと赤い筋が刻まれていく。
とはいえ……身体全強化に織り込まれている防護の魔法によって、未だに深刻な被害を与えるには至っていない。文字通り薄皮一枚斬り裂く程度でしか無いが、彼女の白い身体が血を流しているという事実は――ましてや更に甚大な大怪我を負わせなければならないという事実は――思っていた以上に精神的な重荷となっている。
敵もどうやら……それを理解し始めたようだ。身体全強化の皮下防護膜で防げるような取るに足らない攻撃に対しては、もはや防御姿勢を取ろうともしない。
胴体中枢や頭部へ向かう攻撃こそ対処しているが、手足に至っては防御を省みず攻勢に回ろうと画策しているようであり……それはまるでヴァルターに傷だらけの少女を見せつけるかのようでもあった。
「ぐ……っ、お前……!」
「ハハハハッ! どうした!? 攻め手が緩んできたようだぞ? 『勇者』!!」
爛々と輝く眼力を湛え、にやにやと底意地悪い笑みを浮かべ、華奢な手足を自らの血で赤く染め、鬼気迫る形相で剣盾を振るう……敵。
凄惨な面持ちでこちらを害さんと襲い掛かるそいつを――姿無きそいつによって、身体を奪われ弄ばれる少女を――自らの手で傷付けることが…………こんなにも苦しいとは。
しかしながら……自分がこの業から逃げるわけにはいかない。
適材適所、自分にはこの程度しか出来ないのだ。
戦闘力を奪われ、歯噛みしながら行く末を見守るニド……彼女に医療処置を施すことも、苦痛を和らげることも、自分には出来ない。
また……立て続けに疑似従者を生み出し自分達の危機を救い、『白の剣』に強力無比な防護魔法を施し、更には現在進行形で魔蟲の大群を操り兵士達を引き付けるという……酷使に次ぐ酷使を強いられた女王アーシェ。さすがに魔力を消耗し過ぎたのか戦線から離れ、今は立合いを見守るのみだが……彼女の期待と献身に応えるためにも、なんとしても自分が務めを果たさなければならないのだ。
……だというのに。
戦うことしか、出来ないというのに。
「ぐ……ッ!?」
「チッ……呆れた頑丈さだな!」
攻めに出れば、彼女の身体に刻まれる傷が増えていく。
攻めを怠れば、彼女の身体に負わされる傷が増えていく。
状況は停滞を赦さず、時間が経てば経つほど……夜明けが近付けば近付くほど、侵入者である自分達の立場は悪くなる。
ノートの身体を傷付けねばならぬという心労、ノートの身体に命を狙われる困惑……そこに刻一刻と迫る時間切れの足音が近付き、一時は優勢に思われたヴァルターが再び押され始める。
攻撃は大味に、防御と回避は杜撰になっていき……ついに敵の繰り出した大盾の一撃が、ヴァルターの手から『黒の剣』を弾き飛ばす。
「しまっ……!?」
「貰ったァ!!」
立て続けに振るわれる猛攻に、ついに大切な剣を取り落としてしまったこと……その事実に平静を欠いたヴァルターに、敵の振るう『白の剣』が迫る。
僅かとはいえ動きを止めてしまったヴァルターへ、最短距離を結ぶように突き出される『白の剣』……その切っ先が、見開かれた彼の瞳に映し出され……
「ぐ、ァ…………!? 貴ッ……様!!」
柔肌を貫き、突き込まれた鋭い切っ先。
皮膚を食い破り、肉を抉り、傷口を拡げることに最適化された……禍々しい剣先。
柄の端から金属線を伸ばし、三条の刃が螺旋を描く投擲杭が……白い少女の背中に、僅かながら食い込む。
金属線が引かれ、少女の背に突き立っていた杭が引き抜かれ、持ち主の手元へと再び収まっていく。
身体強化の守りを貫く程では無いにせよ……背後からの一撃は確かに皮膚を抉り、白い背中に赤い血が流れる。
「……一人で抱え込むな。…………私も……一緒に背負ってやる」
「…………ネリー……」
「作戦Bだ。……合わせろ、ヴァル」
「……ああ」
投擲杭を放ったのは……空色の髪と瞳を持つ、長耳族の少女。現時点で施せ得る限りの医療処置をニドに施し終え、今まさに悪化していた状況を打開すべく参戦した……待ちに待った増援。
溺愛する少女の身体に、自らの手で傷を刻む。……ヴァルター同様、そのことに並々ならぬ葛藤があったのだろう。
割れ砕かんばかりに歯を噛み締め、悲壮極まりない壮絶な表情で……それでも『勇者』の相棒にして教導役は、その役目を全うせんと立ち上がる。
「……前も言ったろ。一人だけで解決しようとすんな。……一人でよく頑張った。よく持ちこたえてくれた」
「お前に誉められると背中がこそばゆい」
「お前マジお前あとで覚えとけよお前」
「その表情普通に怖いから止めろ!!」
「貴っ……様ら…………」
急激に密度を増した怒気に、どちらともなく軽口を止める二人。
気の抜けるやり取りの間にもちゃっかり『黒の剣』を回収し終えており……折角の好機を不意にされた敵は解りやすく怒りに染まっている。
状況だけを見れば、味方一人が戦線に復帰しただけ。依然として敵は強力極まりない存在であり、未だかすり傷程度しか負わせていない。
しかしながら……一対一の状況から一対二になれば、それだけでも取り得る戦略の幅は限りなく広がる。
……作戦Bも、そのひとつ。
なるほど決まりさえすれば……事態は大きく好転することだろう。
「あぁ、もういいわ。ブチ殺すわ。……もう殺す」
「…………いい表情じゃねーか幼女趣味陛下」
「身体全強化・加算付与・身体全強化……在れ」
「馬ッ鹿ネリーお前! 何煽って」
……決まりさえ、すれば。
振り抜かれた剣閃は……謁見の間に林立する極太の石柱を、三本纏めてあっさりと斬り飛ばした。




