181_勇者と亡霊と起死回生
蟲魔女王、識別呼称アーシェティフス……略称アーシェ。
かつて自我無く狂乱の最中に在った折、今代の『勇者』ヴァルターの手によって一度は討たれ……ノートの呼び降ろした魔王の力によって新たな身体を得、今代に受肉し転生を果たした……小さな女王。
遠い昔は国一つを壊し尽くし滅ぼした……強靭かつ堅牢な巨躯を捨て。
今世に於いては敬愛する王の『お願い』に応えるため、ノートの名を持つ少女の『友達』で在るために……巨躯と暴力を棄て去り、小さく柔かな身体と共に、新たなる権能を会得するに至った。
その権能――躯の強靭さ、全てを壊し尽くす膂力、それらと引き換えに……長い熟考の末に手にした、その能力――その実態は。
自身の魔力……『魔王』直々に練成された身体より生じる膨大な魔力、それを己の躯の増強に用いるのではなく、『自らの眷属を模した疑似従者を形成し、自身の代わりに戦闘行為を処理させる』というもの。
自分自身の新たなる肉体の『壊すための能力値』を最低限に保ちながらも、大切な友達と共に歩み、守り抜くことに最適化された……蟲魔の女王のみに許された、その権能。
「……形成二式……疑似従者。……武の従者、『甲王冑』……在れ」
蟲魔女王アーシェの疑似従者が一、制圧戦闘特化個体『甲王冑』。その造形は直立した四本腕の全身甲冑……かつては勇者ヴァルターと死闘を繰り広げた『騎士型』蟲魔、その縮小模造体。……ただし生殖器官は実装されていない。
単純な戦闘技能であれば、並の『勇者』に引けを取らない。白兵戦に秀でた戦闘個体は女王の命に忠実に従い、矢のような速度で白い亡霊へと跳び掛かる。
「!! お前は……」
『――接敵――了』
「チッ……! 邪魔だ!!」
疑似従者『甲王冑』の二撃……四本携えた大剣の上一対二本が、敵の構える大盾に振り下ろされる。盾に仕込まれた表層硬化の反発力によって衝撃はそのまま弾き返され、甲王冑の大剣二本が一撃で破砕される。
柄のみを残し粉々に砕け散った大剣だったものを一瞥し、ニヤリと口角を歪めた敵の顔が直後、一気に青褪める。
大上段から振り下ろされた二撃に続き、左右から挟み込むようなもう二撃。構えられた盾をそれぞれ回り込むような軌道で振るわれるその追撃は、武器そのものの破損を一切省みない捨て身の二撃。
左右より敵を挟み込むように、残された二本の大剣を真正面から打ち合わせるような軌跡を描く剣閃に、敵もたまらず反応を示す。
「ぐ……!?」
甲王冑の右第二腕による斬撃、向かって左側より迫り来る大剣に大盾を正対させ、その逆の右側より襲い来る斬撃を白い剣で打ち払う。硝子板を割り砕くような甲高い音とともに粉々に割れ砕ける甲王冑の大剣……立て続けに振るわれた四本の斬撃を凌ぎ切り、再び余裕の表情を見せる敵……白い亡霊。
「……ハハッ! 所詮は虫ケラごとき……ッ!!?」
怒濤の四撃を凌ぎ切り、余裕を取り戻したその顔が再び驚愕に染まるのは……その直後のことであった。
左右より迫り来る大剣の二撃に抗するべく、同じく左右に広げられた武器……腕を広げるような姿勢でガラ空きとなった胴体に、武器を捨てた甲王冑の上二本腕が迫る。
元の体躯よりも幾分体積を減じたとはいえ成人男性を上回る巨体を持ち、更に武器を振るうために大型化された手腕が……無防備と化した小さな少女の身体に迫る。
盾で弾き飛ばそうにも剣で断ち切ろうにも、密着と言える程の至近距離……武器を取り回せぬ程の間合いとあっては、最早迎撃は間に合わない。
「チィッ……!」
とはいえ、そのまま黙って捕まってくれる程物分かりの良い相手では無い。剣での迎撃が困難と見るや否や、剣を握ったままの右の拳を迎撃に繰り出す。剣筋を全く考慮していない、攻撃としてでは無く単純に『弾き飛ばす』ことのみを考えた一撃であったが……その拳は甲王冑の腕を確かに打ち払い、巨大な腕は対象を掴むことなく空を掻く。
身を沈めて間一髪搔い潜ると、そのまま前進。零距離に迫る甲王冑の腹殻へと華奢な肩をぶち当て……逆に弾き飛ばす。
『――制動――了』
強引に距離を取らされた甲王冑は四本腕を用いて器用にバランスを取ると、二本の脚で危なげなく着地する。刃を喪失した大剣を除き、甲王冑が受けた損傷は皆無。白の剣による斬撃ならばまだしも……生半可な打撃や体当たりなどでは、赤褐色の堅牢な甲殻は揺るぎもしない。
『――戦闘行為――継続――――可』
「ッ、な……!? バカな!!」
四本の腕に握られた大剣の柄……僅かな接敵の間に無惨な姿と化したそれらが、赤褐色の魔力光を放つや否や。
呆然と目を見開き狼狽する白い亡霊の眼前にて、みるみるうちにその姿を変え……柄を残すのみであった大剣だったものは、にょきにょきと草葉が育つように刀身を伸ばしていく。
「…………補給……了。戦闘要請、在れ」
『――了解』
使役者たる女王アーシェからの魔力補充を経て、四本携える大剣を再び構える甲王冑……かつてヴァルターを苦しめたその経戦能力は、疑似従者として喚び出された今も健在であった。
武器の破壊が無意味であり、数瞬の後には完治されるということを思い知らされた敵は……どうやらここへ来て初めて、危機感というものを抱いたようだ。
『魔』に連なるものを殺し尽くすための『白の剣』を油断無く構え、飛んで入って来た敵対脅威を幼げな貌で睨め付けると……じりじりと足摺り間合いをはかり、打って変わって慎重な姿勢を見せる。
「ん…………大人しい……いい子…………えすね」
「ッ!! 嘗めるなよ糞蟲風情が!!」
アーシェの挑発(本人にはそのつもりは皆無だったようだが)を受け、あっさりと激昂して見せた敵は……使役者を亡き者にしようと彼女目掛けて駆け出した。
しかしながら当然のように甲王冑が割って入り、四本の大剣を縦横に振るい敵の行く手を阻害する。
「邪魔ッッ、だッ!!」
『――一番・二番、破棄』
明確な殺意をもって振り抜かれる大盾……表面に斥力魔法を纏わせた圧殺武器と化したそれを、大剣二本を交差させ刀身を砕きながらも勢いを殺し切る。
その間も並行して斬撃を繰り出すもう二本に阻まれ、敵は回避行動を優先せざるを得ない。
「ぐ……! 小癪な!」
甲王冑の立ち回りは、実に的確。四本の腕と四本の大剣を駆使し、両手にそれぞれ武器を構える敵を見事に封じ込めている。今や敵はアーシェに斬りかかるどころか、甲王冑を振りほどくことすら困難な様子であった。
「……『勇者』…………なさケない……えす」
「…………返す言葉も無い」
謁見の間の玉座付近、幾度も大剣を破砕されながら激闘を繰り広げる一人と一体を尻目に……蟲魔女王アーシェはヴァルターの許へと現れる。
相対するや否や吐き捨てられる罵声に対し、しかしながらとうのヴァルターは何も言い返すことが出来ない。戦い難い相手であったとはいえ、結局手も足も出ずにあしらわれていたのは事実なのだ。
ほかでもないノートに手を上げること、武器の破損を恐れるあまり畳み掛けられないでいること、勝てなかった後の事を恐れて切札を切れずにいること。
伊達に『女王』の位は賜っていない。ヴァルターのこれら懸念を言葉少なくとも推し測っていたアーシェは……本来の任務の合間を縫って、わざわざ助力に来てくれたらしい。
「礼拝堂……確保する……えす。……わあし、ココ……長ク……居られない。…………手短に」
「…………悪い。わざわざ」
「ん……問題ない。…………大切……あカら」
「……大、切…………」
なるほど『大切』なこと……確かにこの場での戦いは(当初想定していなかったとはいえ)重要な局面であることは間違いない。
ヴァルターもそのことは認識しており、アーシェもその認識は同様なのだろうが……何だろう、アーシェの言葉に籠められた『大切』の意味は……心なしか殊更に重く、熱を帯びているような気さえ感じられてくる。
綴じられていた瞼を開き、真っ直ぐにヴァルターを見詰める……蟲魔女王アーシェの、特徴的な黒一色の眼。
そこに籠められた只ならぬ迫力と意志の光を感じ取り、思わず後ずさりそうになる脚を気合いで押し留める。
ふと。蟲魔女王アーシェの小さな手指が、未だ腰に吊られたままの蛇革の鞘……ノートの持ち物である完品の『勇者の剣』――絶大な攻撃力を秘めながらも破損を恐れるがあまり抜けずにいた、借り物の剣――それに触れる。
「心配……理解する、えす。…………あから……」
見下ろす程でしかないアーシェの身体から、再び彼女の魔力が立ち上る。武の従者を形成したときには及ばないが……常人が威圧感を感じるには充分すぎるであろう、その魔力量と高濃度。
しかしながらそれは新たな疑似従者を生み出すのではなく、彼女の身体に纏わり付くように形を変える。
「憑依一式。……盾の従者、『蜘蛛姫』……在れ」
既に一騎、疑似従者を戦線に投じている以上、今は並列してもう一騎を形成する余力が無い。……そのため女王は代替案の施行を決め、自身に別者の能力を喚び降ろす。
今やアーシェの身体に宿っているのは……盾の従者の位を冠する眷族、識別呼称『蜘蛛姫』。
女王の繭室を千幾百年も守り続けた……魔王をして『なかなか』と言わしめるほどの、強力な防護魔法の遣い手。
「……術式……発動、在れ」
蛇革に包まれた純白の剣に、アーシェの掌から途方もない力が渡る。
一切の劣化を拒絶し、傷のひとつも負うことの無い、『状態保存』に特化した呪い。それを『勇者の剣』へと施し終えると、満足げに一息吐く。
「……機会を……与える。勝負おこお。…………あから……頑張え」
「…………ああ。感謝する」
限定的ながら『不壊』の加護を得た、白と黒の直剣。……得体の知れぬ相手に挑むにあたっての憂いは、ほぼ消えたと言って差し支え無いだろう。
掌に握り込んだ青銀色の小瓶を握り締め、覚悟を決め敵を見据える。
視線の向かう先、時間稼ぎという大役を十全に果たし終えた甲王冑が――四本腕を断ち斬られ、胸殼を深々と斬り割かれ、頭部の一部を欠損した従者が――赤褐色の光に解けゆっくりと消え行く中。
可愛らしい顔を忌々しげに歪め、心よりの怨恨を込めて此方を睨み付ける視線を、真正面から見詰め返し。
『――武運を、勇者殿』
「……ありがとう」
完全装備を身に纏い、制限時間つきの魔力奔流に身を任せた『勇者』……当代最強の人族の戦士が、再び立ち上がった。




