180_勇者と盾と太古の亡霊
全身を覆う大盾……などというものは、実戦において有用とは言い難い代物である。
……本来ならば。
確かに、防御力に特化した全身鎧を纏わないのであれば、大盾により付与される防御力自体は、極めて高いと言えるだろう。
片手盾や丸盾は取り回しに優れる反面、身を隠せる範囲に限りがある。頭部を守ろうとすれば脚が露出し、また同時に視界も閉ざされるため、大きな隙を生じることとなる。
一方で身を覆わんばかりの大盾であれば、全身を余すところ無く守り抜くことが出来る。鎧を用いずに工面できる防御力としては、間違いなく破格。特に遠方からの投射武器に対しては、盾を破壊されない限りはほぼ無敵とも言えよう。
しかしながら……その大盾を近距離・近接戦闘範囲で用いようとなると、また評価は異なってくる。
防御面積が広く堅牢な大盾であるが……至近距離での高速戦闘であれば、まず何よりもその重量が仇となる。
目まぐるしく移り変わる近接戦闘においては、盾を構えての防御体制のまま……というわけには行かない。
構えた大盾の側面や背後に回り込まれれば守りは及ばず、そのため敵の攻撃に合わせて盾を張る方向を都度都度調整せねばならないのだが……重く、大きく、嵩張る大盾はこの調整が苦手と言える。
片手に剣(ないしは攻撃用武器)を握った状態であれば、盾はもう片腕一本のみで操らなければならない。敵の攻撃に合わせて目まぐるしく防御位置を切り替え続ける動作全てを片腕で行うとあれば……肘や、腕や、肩に掛かる負担は計り知れない。
疲労が重なれば盾を操る腕の動きが鈍り、そうなれば敵の攻撃に盾を合わせることすら覚束なくなる。敵の速度に防御が付いていけなくなってしまえば、斬り刻まれて終わりである。
また大き過ぎる盾は疲労の原因となるばかりではなく、防御の際に視界を狭め、また自身の攻撃の機会をも奪ってしまう。
敵に向け盾を構えるまでは良いのだが……過ぎた大盾を構えれば敵の全身全てを自分の視界から隠し去ってしまうのだ。
敵の足の位置だけでも見ることが出来ていれば、どの方向に敵が位置しているのか、どう構えているのかを判断することができる。振り回される敵の武器の先端が見えれば、どの角度から攻撃が来るのかを推測することが出来る。
しかし……身を覆うほどの大盾を構え、自身の眼前に巨大な壁を築いてしまえば……それさえも叶わなくなる。
極端な例で言えば……防御の構えを取れば敵の姿が見えなくなり、背後に回り込まれたことに気付くのが遅れ致命的な隙を晒す……などという結果となりかねない。
また巨大な壁は当然のことながら、単純に『邪魔』となることも多いだろう。自分が攻撃しようと思えば当然その壁を迂回せねばならず……武器を握る腕の長さが限られる以上、盾を構えながら武器を振るえる範囲は限られてくる。
攻撃を優先するために防御体制を解けば、その瞬間に敵の攻撃を叩き込まれる可能性も少なくないだろう。しかし自身の視界を自ら塞いでしまえば、敵がいつ攻撃しようとしているのかさえも解らず、易々と防御を解くことが……攻勢に移ることが出来ない。
近接戦闘において『敵の姿を見失う』というのは……極めて致命的と言えるだろう。
咄嗟の判断を要求され続ける、こと近接戦闘においての限りでは……盾は取り回し良く、かつ可能な限り軽量であることが望ましい。
…………本来ならば。
そう……つまりは疲労を感じること無く大盾を自在に軽々と操ることが出来、視覚に頼らず敵の位置を常に捕捉し続けることが出来、武器を振るう以外の攻撃手段を持ち合わせているのであれば……大盾は単純に『堅牢な守り』を付与する、極めて強力な装備であると言えるだろう。
体力を補填し継戦能力を高める身体強化魔法継戦持続、ないしはそれを含む身体全強化を用いることが出来、『勇者の剣』に備わる探知魔法能動探知を潤沢に用いて敵の位置や体勢を常に把握することが出来、身体拡張によって大盾に攻性の表層硬化を展開し攻守に優れる武器としての運用をこなせるような……そんな者にとっては、大盾は極めて有用な装備であると言えるだろう。
「……反ッッ、則、……じゃねぇか……!」
「ハハハハ! 心地良いな、その視線は!」
半身に構えられた盾の向こう、小首を傾げおどけるような姿勢で投げ掛けられる言葉に、ヴァルターは苛立ちを隠せず歯を軋ませる。
無理もないだろう、攻性を秘めた大盾を突破すべくあの手この手を試みてみたものの……その悉くを弾かれ、躱され、打ち落とされ、未だに一度たりとて敵の盾を抜けていない。
正面からの攻撃は案の定打ち返され、側面や背面に回り込もうにも的確に盾を向けられる。手足の短い小さな背丈で構えれば視野を全て塞ぐほどの大盾であるにもかかわらず、まるで盾越しに視えているかのように的確に追従して来るのだ。
奴の攻撃の機転となるのは、盾による攻撃の反射。こちらが下手に打ち込み体勢を崩した瞬間、構えを解き避け辛い場所を的確に狙ってくる。
(…………遣り辛い……まるで『咬切亀』だな)
自らは攻勢に出ず、こちらの攻撃を捌き生じた隙に突け込もうと動いてくる。今や奴は守りを固め、積極的に仕掛けて来なくなっている。ヴァルターの左手に携えられた拘束呪布を警戒してのことであろうが……結果として互いに反撃を恐れ、消極的な立ち回りとなってしまっている。
膠着状態とも言える状況ではあるが……時間が経てば経つほど此方にとって好ましくない。負傷したニドの様子も気掛かりであるし、ノートを元に戻す希望である王太子アルカンジェロの容態も気掛かりであり……それに何よりも、奴の一存で増援が嗾けられるであろうこの場は、完全に敵地である。
……今の奴の姿――国王の名を騙る妙に偉そうな真っ白い幼女――それを見た兵士が命令を聞くのかどうか疑問は残るが……そのことを差し引いても充分過ぎる程に、この場に居ない筈の『侵入者』である自分達は立場が悪い。
(クソッ……! あの盾が邪魔だ!)
「苛々するよなァ? どうだ『勇者』? 急がねばなるまい?」
此方の内心を見透かすかのように掛けられる、嘲るような言葉。……悔しいが奴の言う通り、色々と急がねばならない。
焦りがじりじりと思考を急き立てるが、鉄壁の守りを敷く敵に対し攻め手を持たないヴァルターは、あまりにも無力。先の言葉もこちらを揺さぶるためだと解っていながらも、それが紛れも無く事実であるだけに否定することが出来ない。
敵が単独だからと、焦りが募る一方だからと、ヴァルターの視野は次第に狭まっていき……今や眼前の敵の一挙動を見逃すものかと、視線は真っ直ぐ敵に据えられている。
そのため……それに気付くことが出来なかった。
後方にてニドの治療に携わりながら戦場全てを――倒れ伏すニドに付きっきりで応急処置を施すネリーと、膠着状態に陥っているヴァルター――その双方を視界に収めていたメアのみが……気付くことが出来た。
荘厳かつ広大な謁見の間、その壁際には白く煌く騎士鎧が等間隔に並んでいる。幾体もの全身鎧はこの空間の装飾であると共に、この国の国力を誇示するための旗幟でもある。
一体一体微妙に造形の異なる全身鎧は、携える武器もまた幾通りもを網羅していた。
あるものは矛槍を。あるものは長槍を。別のあるものは剣と盾を。
また別のあるものは……精緻な装飾の施された長弓と、鉄の矢を。
「ネリー様ぁ!!!」
「な……!?」「何!?」
「……チッ」
ヴァルターと白い亡霊が立ち合っていた……その逆方向。
彼の死角にてこっそりと番えられていた鉄矢と、引き絞られていた長弓。……その鏃は怪我人の治療のため座り込み、身動きの取れない長耳族の少女へ向けて真っ直ぐに、いつのまにか向けられていた。
勘付かれたことに不快感を露にしながらも……敵の意に随い動く装飾鎧は、矢筈を摘む馬手を開放する。
静粛に、しかし着実に、充分に引き絞られ張力を蓄えていた長弓は……その弾性を遺憾なく発揮し、武器としての役目を全うする。
張りつめた弦によって音も無く撃ち出された鉄の矢は、薄暗い謁見の間を一瞬で駆け抜ける。
風の無い屋内、加えて重量のある鉄矢であればその射線が狂う筈も無く……装飾鎧の狙い通り真っすぐに飛翔する。
異常に気付き目を見開くネリーは……しかしながら応急処置のため座り込んだまま。空を裂く矢を回避するにはもはや遅く、自身に向け飛来する矢を呆然と見詰めることしか出来ない。
そんな彼女に覆い被さる、華奢で弱々しい小さな姿。
以前よりかは肉付きが良くなったものの、未だに細く女々しい体躯の……夜に溶け込む癖っ毛が可愛らしい少年の姿。
一瞬早くそれに気付くことが出来ていた夢魔の少年は、敬愛する主人と親しい長耳族の少女を守るべく……飛来する矢の先に、その柔い身体を晒す。
「ばっ……!? メア!!」
「っ、あ……!?」
ずどん、と……何か柔い袋のようなものに矢が突き立つ生々しい音が、静まり返った謁見の間に響く。
皮と肉を容易に貫通せしめる鉄の矢は……幸いなことに途中で完全に止められ、長耳族の少女に届くことは無かった。
「ね……ね、りー………さま……?」
「……あ……あぁ……?」
人一人を殺めて余りある一矢を身を呈して受け止めた、その小さな姿。
黒というよりかはあからさまに明るい、赤褐色に煌めく艶やかな長い頭髪。
風もないのにふょんふょんと揺れる一対の髪の毛束を、額より生やし。
背丈の程は極めて小柄。少女と呼ぶにもまだ小さく、胸の膨らみもまた同様。
何一つ身に纏っていない未成熟な肢体を惜しげも無く晒し、しかし下半身……人族であれば性器の位置するあたりから下は不相応に肥え広がり、赤褐色の甲殻で覆われた八本の脚をもつその形状は……巨大な蜘蛛。
「……何者だ? 貴様。……『勇者』の仲間のつもりか? 魔物風情が」
渾身の不意打ちを無下にされ、警戒も露に睨み付ける敵を一瞥し……しかし彼女は問いに応えず、眠たそうな佇まいを崩そうともしない。
「……ん…………上出来……えす。……疑似従者……解放……在れ」
『――了解』
飛来する鉄矢の速度を粘糸を張り巡らせて削ぎ落し、糸を高密度に編み込んだ耐衝撃性のある盾にて鉄矢を受け止めたそいつは……『キー』と(勝手に)名付けられた個体よりも一回り小さく、また色彩も異なる人蜘蛛。
蟲魔女王アーシェによって放出された魔力が従者の形を取った、疑似従者……与えられた命令に従うだけの擬似的な生命体であるそれは役目を終えると……僅かな瞬きを残し、元の魔力へと解けて消える。
からん、と……人蜘蛛型の疑似従者によって保持されていた鉄矢が、磨き上げられた床石に落ち音を立てる中。
くるりと人間離れした挙動で顔を巡らせ戦場を俯瞰した女王アーシェは、回収した魔力を再度展開……別の用途を秘めた疑似従者を生み出しに掛かる。
「……形成二式……疑似従者。……武の従者、『甲王冑』……在れ」
女王アーシェの四つの掌より放射された彼女の魔力は、宙空に寄り集まり明滅したかと思うと……瞬く間に変質・物質化し、『武の従者』を形作る。
身の丈はヴァルターと同程度、全身を隅々まで艶やかな光沢を放つ赤褐色の甲冑に身を包み、四つの掌に薄羽のごとき長大な剣を握った……四本腕の騎士と見紛う程に優美かつ荘厳な佇まい。
北の廃坑『ボーラ』の地中奥深くにて、かつて勇者ヴァルター達が相対した『騎士型』蟲魔よりも一回り小さく、また色彩も異なるが……その威圧感はそのままに。
『武』を司る従者……『甲王冑』と銘打たれた疑似従者は……
「……戦闘命令。……自律戦闘…………やれ」
『――了解』
人族の倍の手数を誇る四本の腕にそれぞれ大剣を煌めかせ……勇猛果敢に白い亡霊へと跳び掛かった。




