179_勇者と被害者と過去の勇者
狭苦しい地下層の一室から、ただただ荘厳な地上層の謁見の間へ。
場所を移し再開された第二戦は、ヴァルターにとって極めて不利な状況での幕開けとなった。
敵は右手に白い剣を、左手に身を覆うほどに長大な装飾盾を……今や両手に武器を携え、余裕綽々とこちらを睥睨している。
対するこちらは先程と変わらず。思わぬ反撃に遭い戦線離脱を余儀なくされたニド……彼女より託された不壊の黒剣を正眼に構え、蛇革の鞘袋に納められたノートの白剣は未だ腰に吊られたまま。
以前自分が借り受けていた――今まさに眼前の敵が右手に握っている――白剣は、ノートの持っていたそれと比べて明らかに劣化している。つまりは如何に強度が高いとはいえ、白剣も劣化ないしは破損する可能性が有るということであり……無断で借用している彼女の大切な剣を矢面に立たせることには、どうしても気が引けてしまう。
相手の技能も、手の内も、今はまだ情報が極めて少ない。確かなことといえば『敵の盾には衝撃を反射する魔法が掛けられている』という一点のみ。
その衝撃は凄まじく……あのニドですら渾身の一撃を突き返され、片脚を砕かれる重傷を負った程。そんな危険極まりない盾に、大切な白剣を叩きつけることは出来ない。
せめてもう少し情報を集めるまでは……破損の危険が低い、あるいは無い対処方法を見出すまでは、白剣を抜くことは出来ない。
「随分と余裕が無さそうだな……『勇者殿』」
「元だっつってんだろ陛下。嫌味かよ」
「ハハハ!! ……持たざる者の僻みだ。軽く受け流して死んでくれ」
「冗談だろ、どっちも。……断固お断りだ」
剣盾を構え不敵に嘲笑う敵を眼前に、黒剣を両手持ちで構え直すヴァルター。未だに心底舐め切った表情の敵を忌々しげに睨み付け、覚悟を決める。
兎にも角にも、攻撃を喰らわないことを念頭に置き立ち回る。此方の攻撃は最低限に留め、身の安全を最優先に。
少なくとも盾への攻撃は厳禁……であれば、盾以外への攻撃は有効なのか。まずはそこを明らかにするところから始めなければならない。
攻勢に出るのは――白の剣を抜くのは――それからだ。
「……行くぞ。クソ国王」
「来るがいい。糞勇者」
ネリー特製の試作品湧魔薬を一息で飲み干し、身体強化魔法瞬間強化を発動。ヴァルターは迷いを押し込み、意を奮わせ挑み掛かる。
守るべき者の姿を騙る……斃すべき敵へと。
………………………………
ニドが脚を砕かれ戦線離脱を余儀なくされ、ヴァルターが敵と一対一で立ち合っていた……ほぼ同時刻。
夢魔の少年メアが囚われていた地下室とはまた別の地下室――つい先日ヴァルター達が取水路より侵入した地下浄水施設――その縦に長い大穴外周の螺旋階段にて、たった一人戦い続ける者の姿があった。
その者は……貫頭衣状の衣を纏い、頭部に長布を巻き上げた魔法使い。
龍種の瞳を持つ元宮廷魔導師、ディエゴ・アスコート。
狭小な外周階段を上らんとする彼ではあったが、その歩みは遅々として進まない。彼の周囲には燐光を撒き散らす高熱の結界が張られているも、外敵は今なお突入を試み怒濤の勢いで押し寄せてくる。
炎熱結界にて勢いを削ぎつつ、突破した敵を火弾で弾き飛ばす。高レベルの対魔法結界が施されたこの空間内では、ディエゴの魔法は本来の火力を発揮するに至っていない。並外れた魔法耐性を持った粘菌種を消滅させるまでには至らず……幾らか体積を減じたところで他の個体と融合を果たし、何事も無かったかのように蠢き続ける。
先だっての巨大な個体とは異なり一つ一つは小さな個体ではあるが、厄介なのはその頭数。縦に長い大空間の壁面、組み上げられた石壁の隙間より後から後から姿を現し、荷物を背負い片腕が塞がったディエゴへと雪崩を打って襲い掛かる。
無機物を融解させる程の腐食性を秘めているのかまでは不明瞭だが……喰らい付かれれば法衣はおろか、少なくとも皮膚や筋肉はただでは済まないだろう。
それはこの荷物もまた、同様。
四方から粘菌種に襲われる狭小な外周階段において、この荷物を護りながら安全地帯まで退避しなければならない。
「…………もう……良い…………棄て置け……『龍眼』の……」
「御断り申し上げる。……ご自愛なされよ、陛下」
「………………余……は……」
ディエゴに背負われた荷物……力無く担がれる老人の口から、今にも消えそうな程に弱々しい声が漏れる。その荷物をよく知る者が一目見れば本物かどうか疑わずには居られないであろう程に、彼は大きく様変わりしてしいた。
鋭いながらも思慮深さを秘めていた双眸は力無く伏せられ、彫りの深い精悍な顔立ちは病床に臥す老人のように皺の中に沈み、かつては剣を握り数多の魔物を屠ったその手指は枯れ木のように痩せ細り。
宮廷魔導士たるディエゴに陛下と呼ばれる男――もはや力無き老人にしか見えぬ『国王』アルフィオ・ヴァイス・リーベルタ――彼はディエゴの背に負われる儘に、力無く頭を振る。
「……今更…………余に……何が出来る……」
「何でも出来ましょう。……陛下がお望みで在れば」
「…………余は……彼の者等に」
「合わせる顔が無い、……等とは努々申されますな」
「…………………」
押し寄せる粘菌種より国王アルフィオを守り通しながら……しかし押し殺したように険を含む声色で、ディエゴは先んじて釘を刺す。
今まさに愛弟子と彼女の愛する者達を巻き込み、存分に害意を揮っている禍々しい厄。国王本人にその意思が無かったとしても、その身体を支配され自由を奪われていたのだとしても。その災禍に赤の他人を、年端もいかぬ少女を巻き込んでしまったことは紛れもない事実なのだ。
国王アルフィオの措かれていた状況、ことあるごとに勇者ヴァルターの行動を阻害してきたその理由は、理解出来た。なんのことはない、国王として多大なる権力と固有魔法を秘める彼自信も、今の今まで謎多き敵――今まさにノートの精神を塗り潰し身体を乗っ取っている精神生命体――奴の被害者であったのだ。
己の望みに反して動く身体と、己の意とは異なる言葉を吐き出す口。止めることも御することも一切許されずに、それらをただただ見せ付けられ嘲笑われ続けること………およそ二巡年。
手塩に掛けて治めてきた国が好き勝手に弄ばれ形を変えられていくという、絶えることの無い極大のストレス……それは国王アルフィオの精神を着実に蝕み、身体は年齢不相応なまでに痩せ衰えていった。
そして……止めとなったのが、この数日間。
国政を弄くられるだけに留まらず、ついには幼気な少女に悪魔の所業を施す様を命じるに至り……その一連の作業の末『器』たる少女を仕立て上げると、奴は何食わぬ顔で乗り移っていったのだ……という。
最後の仕上げとばかりに……周囲を嗅ぎ回る邪魔物たるディエゴと、当事者の一人として多くを知り過ぎたアルフィオの二人を処分せんと、この廃棄物処理坑へと誘い込んだのだろう。
敵である奴が白い少女に乗り移ったことで久方ぶりに支配から解放されるも……この処理坑に封じられていた粘菌種変異体によって、跡形もなく処分される……筈だったのだろう。
しかしながら。先んじてのニドによる攻略によって、粘菌種変異体の大型個体は跡形もなく消滅している。壁の隙間から申し訳程度に小型個体が湧いて現れるものの、大型個体程の危険は感じられない。
敵は次なる器に乗り移る直前、何やら焦ったような口ぶりであった。……恐らくは不慮の事態が生じ、こちらの処分を見届ける余裕が無くなったのだろう。
結果として出現した粘菌種変異体は大型個体ではなく、能力に劣る小型個体であり……そしてそれはディエゴによって軽くあしらえる程度の存在でしかない。
つまるところディエゴとアルフィオ――事情を知り過ぎた二名――その処分は完全に失敗したと言えよう。
だが。……いや、だからこそ。
敵たる精神生命体がおよそ二年ぶりに抜け去り、ようやく自身の身体を取り戻し……しかしながら二年前とは打って変わって衰えた身体を震わせ、全てを諦め投げ出したまま『死なせてくれ』などと言われたところで……『はいそうですか』と許諾する筈が無い。
アルフィオ本人に害意が有ったにしろ無かったにしろ――長年仕えてきた主君の性根を鑑みるに、間違いなく無かったであろうが――多くの人々に好かれ愛され慕われる少女を苦しめた原因、その一端を担ってしまった存在を逃がすわけにはいかない。
それに何よりも……国王アルフィオに挽回の機会が与えられぬまま、ただひたすらに道を外した悪辣なる愚王であると……挽回の機会無く汚名のみが語り継がれるなど。
いち家臣として……到底看過出来るものでは無い。
「……精神生命体、か。俄には信じ難いものですな。…………何者なのです」
「…………奴か」
生死に関わる程の脅威でないとはいえ、際限なく押し寄せる粘菌種の波は……衰えた国王を庇いながらとあっては、やはり一筋縄では行かないようだ。粘菌種による妨害と背中に感じる重量とあって歩みは遅々として進まず、身体強化魔法の練度の低さが今は恨めしい。
単調な作業と化した迎撃戦の緊張を解すべく、また沈みきった国王アルフィオの意識を繋ぐためにも、白い少女に乗り移ったらしい敵に関しての情報を求める。
幸いと言うべきかアルフィオは反応を示し――その表情こそ窺うことは出来なかったが――苦々しい口調とともに、弱々しいながらも吐き捨てるように彼は呟いた。
この国……大国リーベルタを脅かす、この世のものでは無い侵略者。
とても信じ難い……その正体。
「奴は…………元、『勇者』。……太古の昔……『勇者』と呼ばれていた者の…………なれの果てだ……」
識別個体名称……アウルノインツェク・ウル・フォンダルト。
剣を握り、盾を構え、遠い昔に人族であった頃は同胞のため数多の敵を屠った……百九十一番の名を冠する、紛れも無い『勇者』。
ただひたすらに『力』を追い求めた末に人間の身を捨てた……形なき過去の亡霊であった。




