178_勇者と悪夢と悪意の盾
敵の攻勢、その第一段階を凌ぎ切ったヴァルター達であったが……その顔色は冴えない。
他でもない、敵はノートの身体と戦闘能力を我が物としているのだ。なんとか押し切られずに済んだとはいえ、敵の脅威度は極めて高い。
それも当然であろう、なにせ自分が彼女に勝てる見込みなど……未だ全くと言って良い程に絶無なのだから。
華奢で儚げな見た目に依らず、その戦闘能力はきわめて強大。
……そんな少女の姿を奪った、憎き敵。
そいつが、退いた。敗北を認めたわけでは勿論無い。
より万全の体勢で迎え撃つため……恐らくは武器を手にするために。
奴が無手ならば、なんとか渡り合うまで持って行くことが出来た。勢いの乗らない奴の手掌では幾度撃ち込まれても有効打とならず……致命傷となり得る殴打のみに狙いを絞り、それのみ適切に対処すれば良いだけだったのだから。
桁外れの高出力であるとはいえ、奴が発現していた強化魔法は身体全強化の一点のみ。何度か殴打を受けた感触からすれば、魔力保護層の発現座標は恐らく標準仕様……表皮の内側。
彼女が度々用いる荒技――表皮の外側に纏った表層硬化の斥力さえも打撃力に転換する、仕様外の用法――それを用いていた形跡は無く、であればただの幼子の手掌打撃でしかない。
守りに徹したヴァルターへ、手傷を負わせることなど出来なかったであろう。
だが……そこに武器が加われば。
他者を殺傷するために最適化された、危害を加えるための道具が加われば。
鋭利な刃を身体強化に任せての超高速で叩き付けられれば、勿論のこと無傷では済まない。無手の幼子であれば然程広くなかった有効範囲は、一回りも二回りも射程を広げるだろう。たとえ充分な勢いが乗らずとも刃に触れれば深い切創、切っ先を突き込まれればそれだけで有効打……致命傷となり得る。
ましてや……奴が持ち出してくるであろう、武器。
単なる鋼の剣や檜の棒である筈が無く……恐らくは、不吉に白く煌く剣。
……自分から取り上げた『勇者の剣』を持ち出すであろうことは、疑うまでも無いだろう。
今腰に提げているもう一振り――本来はノートの持ち物である、蛇革で装飾が成された『完品』――これには及ばずとも、その攻撃性能は間違いなく超一級品。斬れ味も硬度も、疑う余地もなく脅威そのもの。
この国で『勇者』を拝命してから少なくない期間を共に過ごしたあの剣を、まさか向けられることになろうなど……悪寒が背筋を駆ける。
最強であろうノートに、最強であろう剣。……率直に言えば、心の底から相手したくない。
勝てないことは当然として……負けないことさえも、今となっては自信が無い。
だが、それでも。ノートを諦めるという選択肢など存在しない以上……可能な限り足掻き、抗うしか無い。
「ネリー、ニド、……メア。覚悟は良いな」
「……ああ」「……応よ」「……はい」
夜の帳に包まれた王城区主塔は……地上階層へ出るも相変わらず、不気味な暗闇に沈んだまま。扉を守護する騎士も巡回の兵士も姿を消した、薄気味悪い程に静まり返った王城主塔第一階層。
眼前に聳え立つ扉――この夜闇の中にあっても尚桁外れの存在感を放つ、見上げる程に長大な観音開きの扉――それは……栄えあるリーベルタ王国王城、謁見の間の大扉。
『……待っていてやろう。我が玉座でな!』
メアが軟禁されていた地下室から飛び出す直前、奴はそう言っていた。
その言葉が示すものは……この大扉の向こう、荘厳華美なリーベルタ王国謁見の間で奴が待ち構えているということと……
「我が玉座……か」
「……そういうことかよ……糞ッ!」
ノートの身体を奪い、ヴァルターを害さんと襲い掛かって来た奴が……このリーベルタ王国国王だということ。
加えて……自分達が反旗を翻すよりも前から、この国はあの子を虎視眈々と狙っていたのだろうということ。
……それらの事実を突き付けられ、怒りと失望感ばかりが湧き上がる。
王直属の諜報部隊、通称『情報部』。てっきり勇者達を支援するために行動しているのかとも思っていたが、その実態はどうやら真逆……勇者として活動する自分達の行動を監視し、自分達が接触した使えそうな存在を王に報告し、狙い定めた人材を外道な手段で攫おうと画策していたのだろう。
いずれ機が熟せば……誘拐し、拘束し、『呪い』を幾重にも施し――儀式を施される本人の意思や権利や尊厳など、何から何まで踏みにじった上で――その身体を乗っ取り、我が物にしようと画策していたのだろう。
――今回のように。
「ふざけんな……! それが国王のやる事かよ!!」
「何を今更。全てはこのための下地に過ぎん。私が顕現するに足る『器』を手に入れるための……な」
「……顕現? 何言って」「貴様……よもや」
「後にしろ! 来るぞ!!」
贅を尽くされた荘厳な大空間、磨き上げられた床を踏み砕きながら敵が飛来する。真正面最前列で構えたヴァルターへ真っ向からぶつかり、音速に匹敵する斬撃が叩き込まれる。
弧を描いた光のような白の剣筋に対し、黒の剣を盾になんとか防ぐも……着弾の衝撃は凄まじく、こちらの身体強化をせせら笑うかのように剣持つ両腕がみしりと軋む。
「ハハッ!!」
「ぐ……!?」
あまりにもの衝撃にたたらを踏むヴァルターに対し、一方敵は弾かれた剣先を切り返し、即座に第二撃を繰り出してくる。右手一本で握られた白剣は迷い無く顔面を襲い……しかしながら首を大きく捻って斬撃の軌道から強引に外し、ギリギリのところで難を逃れる。
空振り僅かな隙を晒す敵に、今度はこちらから仕掛ける。斬撃の軌道そのままに弧を描く小さな手……そこに握られる白剣の鍔を狙い、黒剣を思い切り振り抜く。
暫定勝利条件である『呪布による拘束』を果たすためにも、敵の武器を封じなければならない。可能であれば敵の白剣を弾き飛ばし、それが困難であるならば……剣を握る手を斬り付けてでも、武装解除を狙う。
判定勝ちを狙うための一手である敵の無力化、その第一歩目。白の剣を弾き飛ばさんと振り抜かれたヴァルターの斬撃は、狙い通り敵の握る白剣の鍔を強かに打ち据える。
「ニド!!」
「はァッ!」
「な……!?」
白剣に加えられた打撃に続き、後方から飛来したニドが白剣の腹を蹴り飛ばす。
立て続けに叩き込まれた衝撃は敵の小さな掌を抉じ開け、瞬間的とはいえ握力の弱まった手から白い剣が零れ落ちる。
「ッ!? ぐ……貴様」
成人男性の掌の形状に合わせて形作られた剣の握りは、白い少女の小さな手にとっては当然のように持ち余す寸法である。それを片手で保持し振るうとあっては、当然ながら不安定とならざるを得ない。
敵の正体が何者であるかは不明のままだが、少なくとも恒常的に剣を片手で扱っていたらしい。当然ノートの身体に取り憑いた今となってもその癖は引き継がれたままらしく……体型的に手に余ることは明らかであろう剣においても、無意識に片手で扱っていた。
突くならばそこだろうと、敵の握る白の剣を弾き飛ばそうと振るわれた黒剣、ならびにヴァルターの意を正確に推し測ったニドの追撃により……狙い通に敵の手から白剣を弾き飛ばすことには、成功した。
惜しむべくは……弾き飛ばした方向が悪かったのだろう。
この世界において屈指の業物である白の剣を手放してなるものかと、敵はその敏捷性の全てを投じて剣の回収へと向かってしまった。位置取り的にも奴の方が近く、また驚異的な魔法出力に裏打ちされた最高速度においても、業腹だが奴に軍配が上がる。
くるくると回転しながら放物線軌道にあった白剣目掛けて跳躍すると、器用に手中へと収めてしまった。
「貴様……油断も隙も無いな」
「……器用なことで」
剣を回収し着地するなり、敵は後方へ飛び退き距離を取る。どうやら今の一連の流れから、ヴァルターの目的を正確に察知してしまったらしい。
敵はあからさまに警戒を強めると周囲を見回し、唐突に壁際へと転進した。
荘厳かつ広大な謁見の間、その壁際には白く煌く騎士鎧が等間隔に並んでいる。幾体もの全身鎧はこの空間の装飾であると共に、この国の国力を誇示するための旗幟でもある。
一体一体微妙に造形の異なる全身鎧は、携える武器もまた幾通りもを網羅していた。
あるものは矛槍を。別のあるものは長槍を。
そしてまた別のあるものは……剣と、盾を。
「ッ! させっかよ!」
気付いたネリーが鋼杭を放ち、短挙動にて速射が可能な風魔法で追撃を試みるも……彼女の心に生じた一瞬の隙を突くかのように、敵はすんでのところで妨害を搔い潜る。
「ハハッ! 狙いが甘いな!」
「ぐ……クソッ!」
剣盾を構える全身鎧に敵が取り付き、力任せに盾を引き剥がす。
全身鎧とはいえ展示物に過ぎず、仮留めされている程度の保持力でしか無い。人外じみた出力に強化された膂力に耐えられるはずも無く、精緻な造り込みの盾はあっさりと敵の手に収まる。
「この貧相な身体には少しばかり……いや、かなり長大か。……まぁ贅沢は言うまい。貴様らごときコレで充分だろう」
「餓鬼が! 嘗めおって……ッ!」
敬愛する主の身体を好き勝手弄ばれる屈辱に、ニドは歯を剥き出しに吼え跳び掛かる。敵程の魔力密度では無いとはいえ、二重に加速された小さな身体は砲丸の如き速度で跳び、弧を描くように振り落とされた踵が明確な殺意を伴い敵へと襲い掛かる。
合わせるようにヴァルターも動く。高速極まりないニドの蹴撃に対応すべく、敵は盾を真正面に構えている。……あの角度では受け切れないだろう。受け流すのならばまだしも正面きってぶつかり合おうなど、ニドの破壊力を甘く見ている。
ニドの実力をよく知るヴァルターはこの後敵に生じるであろう隙を無駄にせぬよう、慎重にタイミングを見計らう。
天から地へ、目にも留らぬ速度で振り下ろされたニドの踵が、敵の持つ盾に正面から激突せんとする……そのとき。
「……身体拡張」
「ぐ……!? あ、ガ……ッ!!」
「!? ニド!!」
正眼に構えられた盾を蹴り飛ばすかと思われたニドの蹴撃が……止められた。
いや……それどころではない。
二重付与された瞬間強化――着弾の瞬間は『瞬間強化』と『表層硬化』に切り替えて居たのだろうが――それにより増大された攻撃、ニド渾身の一撃が……弾き返された。
構えられた盾に衝突したと同時。爆ぜるような甲高い音とともに、ニドの小さな身体が逆に吹き飛ばされる。
全身全霊、割り砕くことのみを考え振り落とされた脚に真逆からの反発力が加えられ、体勢を整えることも重心を整えることも受け身を取ることも出来ず……ニドはあっさりと床を転がる。
「……ッ!! ぐギ、……ッ!」
「ネリー! 頼む!」
「っ、ああ……任せろ……!」
整った貌を蒼白に染め、額には脂汗を浮かべ……常に余裕を湛えていた口元は苦しげに歯を食い縛り、必死に悲鳴を堪えているようで。
……恐らくは折れている、あるいは外れているのだろう。足首か、膝か、股関節か、あるいは複数箇所なのか。
敵を砕くことのみを求めた一撃が、そっくりそのまま自分の身体に牙を剥いたのだ。……負傷による激痛は当然として、その混乱と衝撃は計り知れない。
攻撃の着弾に反応し、攻撃を無効化……ときにはその勢いを攻勢にも転じさせる、斥力場の護り。
効果自体は、ヴァルター自身もよく知ったものである。本来は防御のために用いるべき魔法を剥き出しの表層に纏うことで斥力場の鎧と成し、開放感溢れる格好と引き換えに打撃の破壊力を高める……眼前で不似合な盾を構える白い少女が、やたら得意としていた技法である。
身体強化魔法が一、『表層硬化』。その表皮展開。
それは解る。そこまでは良い。
問題はそこからだ。
自らの身体以外のものを悉く拒絶するため、表皮に展開した以上は如何なる装備も身に纏うことが出来ない筈の……その常識に真っ向から逆らっている、この状況。
衝撃を弾き返され負傷したと思しきニドの様子から判断するに、奴はまっすぐ構えられた盾の表面――当然ながら生身の身体であるはずもない、装備品――そこに表層硬化を……身体強化魔法を纏わせている。
「察しが良いな? もう思い至ったか」
「……何だよそれ……どういうことだよ!」
「有り得ねぇ! 有り得ねぇだろ!?」
負傷したニドはもとより……ネリーも、ヴァルターでさえ動揺を隠しきれない。今までの常識は覆され、自分達には存在しない手段を敵が用いているという非常事態である。
大山脈地下深くの遺跡にて、ニドの手で身体強化の多重付与を教え込まれたときと同様の衝撃……しかし今回は明確な害意を秘めた紛うことなき敵が、その未知の技法を用いているという……理屈も対処方法も到底理解不能という、絶望。
「クククク……いい表情になって来たではないか、『勇者』ヴァルター」
「……『元』勇者だ。クソ陛下」
ニドの怪我は気になるが、さりとてヴァルターに出来ることなど余りにも少ない。
ネリーとて完治させることは難しいかもしれないが、自分よりは適切に対処できるだろう。……見れば怪我人の顔からは苦悶の表情が幾分か抜け落ちており、傍らには今にも泣き出しそうな表情の癖っ毛の少年が寄り添っている。
無意識下の夢を操る夢魔たるメアは、勇者一行に救い出されてから……健気にも、独自に特訓を重ねていたらしい。湖賊の下で使われていた頃よりもその能力は強まり、今や覚醒中の相手に対しても精神安定魔法を施せるまでになっていた。
あちらは彼女達に任せるしかないだろう。自分に出来ることは、それでは無い。
自分に出来ることは、戦うことだけ。
ニドの応急手当を懸命に行う彼女達を、敵の手から守ること。……それだけだ。
「一対一。……夜は長いぞ? ゆっくりと愉しもうではないか……『勇者殿』」
「…………心底いい趣味してやがる」
ヴァルターは必死に思考を巡らせながらも、否応なく黒剣を構える。破損を恐れず振り回せる黒剣とは異なり、ノートに無断で借り受けた白剣を振るうのは気が引ける。
抜くにしても……まずは充分に見極めてから。敵の技……盾による『反射』の技能、その仔細を。
今は自分に出来ることを最大限行うしかないのだと、望みを繋ぐために希望を見出だすしかないのだと……自らにそう言い聞かせる。
萎みそうになる戦意を……必死に奮い立たせながら。




