177_勇者と悪意と奪われた宝物
唸りを上げて飛来する白い矢が、狙い違わず心臓に迫る。
このまま呆然と眺めていればどうなるか。どんな結末が待っているのだろうか。……考えるまでも無い。自分は死ぬだろう。
何も出来ないまま。何一つ望みを果たせないまま。
……彼女を、助けることが出来ないまま。
「ぐ、ゥ……ッ!?」
「ほぉ……? 止めたか」
攻城弩と見紛うばかりの剛速で放たれる拳を、黒の剣を寝かせてなんとか受け切る。『不変』の呪いを籠められた黒の剣でもなければ……いかに鋼の剣や鎧とて無傷では済まないだろう、生身の幼子とは到底思えぬその破壊力。
見た目の華奢さに惑わされてはならない。これまですぐ傍で嫌というほど見せつけられてきた彼女の実力は、まさに『桁違い』と評するのが相応しい。ひ弱な人族ごとき無手で容易に殺戮せしめる程にまで、彼女の技能は研ぎ澄まされている。
武器を持たずとも、鎧を身に付けずとも、ほんの少しの慰めにもならない。
本気の彼女に敵う者など、おおよそこの世には存在し得ないだろう。
ましてや……その彼女が明確な害意を、殺意を伴い襲って来れば。
――生き残れる可能性など、微々たるものだろう。
「はははははッ! 逃げてばかりか! 『勇者』とも在ろう者が!」
「うるせェよ! それに『元勇者』だ!」
尋常では無い高密度の魔力を秘めた小さな拳が、微塵の容赦も無く繰り出される。親しい少女の姿かたちを伴いながらも躊躇なく襲い掛かる、全く見知らぬ存在……彼女では無い何者か。
助けるべき、守るべき少女を得体の知れない存在に乗っ取られたという事実が、ただでさえ平静を欠いていたヴァルターの精神を確実に切り崩していく。
大切な少女の身体に襲われていることも。大切な少女の身体を見知らぬ相手に好き勝手弄ばれていることも。
自分では彼女に……彼女の身体を乗っ取った何者かに勝てる見込みが薄いことも。
現状を形作る要素の何もかもが、絶望的。
ましてやほんの数瞬前、寸前まで希望を間近に捉えていた彼らにとって……その心をへし折って余りある、理不尽な現実だった。
「ぐ……ッ! ネリー! ニド! 起きろ! 手ェ貸せ!!」
「……ぁ、っ」「ぐ……!!」
眼前の『敵』は、明らかにこちらを害さんと動いている。なんとかして体勢を立て直さなければ、なんとかして抗わなければ、そのまま順番に殺されていくだろう。
初手で崩された王太子アルカンジェロの容態が気になるが、余計な気を散らす余裕など無い。血飛沫が上がらなかった以上、王太子を殺す気は無いのだろうと思いたいが……今は駆け寄ったマリーベルと護衛騎士グレゴリーに任せる他無い。
それよりも……こっちだ。
思考停止していたネリーとニド――どちらもそんじょそこらの戦士とは比較にならない、一線級の戦闘員であるはずの二人――彼女らを戦線に投じて尚、その立ち回りは優位となるに至らない。
……無理も無いだろう、あれほどまでに彼女に入れ込んでいた二人である。それこそ比喩や誇張では無く『嫁にしたい』『伴侶にしたい』『子を成したい』などと常日頃より想いを寄せていた少女を相手に……武器など、殺意など、向けられるはずも無い。
かといって、今ここで抵抗を放棄することは出来ない。王太子アルカンジェロが原型を留めているのは、あくまでノートの中の何者かの手心があったからに他ならない。
仮に奴が王家の者を害するつもりが無かったとしても……振るわれる拳の速度と精度を鑑みるに、自分達はその除外の対象とはならないだろう。出会い頭の一撃から立て続けに放たれる拳は、そのどれもこれもがこちらの急所を的確に狙って来ている。
拳や殴打と形容するのが馬鹿らしくなるほどの、そのままの意味で『目にも留らぬ』速さの攻撃が立て続けに降り注ぐ。
単純に、圧倒的なまでの身体強化出力。その挙動が直線的であるが故になんとか対処出来ているものの……打ち払い凌ぐのが精一杯、反撃の糸口を掴むことすら出来ない。
そもそもが……反撃するべきなのかさえ、解らない。
自分達に勝ち目なんて在るのだろうか。
どれ程足掻いたところで……彼女を取り戻すことは出来ないのではないか。
ノートの身体を奪われた時点で、既に取り返しが付かない程に完敗しているのではないか。
そんな不安が脳裏をよぎり、尽きぬ不安が心を苛む。
「ぐ、ッ……! 畜生! 何なんだよお前!!」
「はははは! 言うと思うのか? 教えると思うのか?」
「ですよねぇ……ッ!!」
愛らしい顔を憎らしく歪め、嘲け笑うように見下してくる何者か。内心の焦燥を押し殺しながら、いつ終わるとも思えぬ悪夢と相対する。
しかしながら、当初こそ面喰った奇襲ではあったが……危ういところではあるが、立ち回ること自体は可能だった。
振るわれるその暴力こそ極めて致死性の高いものだが、幸いと言うべきかその攻撃の起点となるのは、少女の両腕。
小さく、短く、細い……たった二本の腕でしかない。
生物として、脊椎動物として存在する以上、力を込めた殴打の際には脚を踏ん張る必要がある。得体の知れない存在に身体を乗っ取られたとしても、重力でも操り宙を自在に滑り来るわけではない。中身がどんなに得体の知れない存在だったとしても、その姿形がヒトという哺乳類である以上――彼女の身体である以上――攻撃の起点、そこが変わることは無い。
無理な体勢で複数の方向から同時に攻撃を仕掛けようと、無理矢理攻撃を放ったとしても、破壊不可能な黒の剣で守りを固めたヴァルターに致命打を与える程、威力を発揮できる筈も無い。
つまり結果として必然的に、奴が致死性の高い攻撃を放つ体勢は限られる。
ヴァルターとて――この時代の人々の中では――それなりに研鑽と場数を踏んでいる方だ。こと戦いにおける直感と集中力は元来高水準な方であり、即殺さえされなければ順応力は高いほうであろう。
相手が人の形を取り、また単騎である以上……落ち着いて的確に対処すれば相対すること自体は可能なのだ。
……対処自体は可能なのだが。
応戦は出来る。渡り合うことは出来る。だが……それまで。
今のヴァルター達には、勝利条件が何一つ見えていない。
勝利条件が判明しない……満たせない以上、せいぜいが敗北条件を満たさぬよう応じることしか出来ない。おまけに戦況は刻一刻と悪化していくだろう。ヴァルターの体力も魔力も、無限に湧き出るわけが無い。
ノートの身体に未だ刻まれている筈の、呪印二画――『魔力霧消』と『下肢弛緩』――それらの戒めが顕在であれば……苦しんでいるノート本人には悪いが、まだ楽だったかもしれない。
しかしながらどういう因果か、あの何者かは超常的な身体強化を振るい、五体満足で立ち向かって来ている。単に彼女の身体に侵入し乗っ取っている……という訳では無く、別の何らかの手段を用いているとでも言うのだろうか。
推測する材料も無い以上、奴の正体共々どうすることも出来ない。明らかなことと言えば、無尽蔵の魔力を秘める彼女(の身体を乗っ取った何者か)が魔力切れで力尽きることは望み薄であり……こちらの敗北条件にヴァルター達の『時間切れ』が追加されたということのみ。
ただ……それはなんとしても避けたいところである。
細く短い二本腕で猛攻を仕掛ける何者か、その攻撃パターンにある程度順応しつつあるヴァルターは、僅かだが余裕の出来つつある思考リソースを必死に巡らせ、膠着状態となった現状の打開策を思案する。
状況を纏めると、敵は単騎なれども正体不明。自分の他には味方としてネリーとニドの二名、戦闘不参加は計四名。意識の無いメアおよび王太子アルカンジェロと彼に付くマリーベル、そして王族二名を単身守護する護衛騎士グレゴリー……見るからに強そうな彼だが、立場上戦力として計上することは難しいだろう。
礼拝堂には蟲魔の二名が待機しているが、かといってあの場を放棄させるわけにはいかない。ましてや彼女(?)達が心酔するノートに直々に頼み込まれ(てしまっ)た『礼拝堂の確保』を擲つとは考え難い。
勿論、状況を説明した上で助力を乞えば、他でもないノートのためにも手を貸してくれるのだろうが……この状況を視ているだろうに動きが見られないということは……要するにそういうことだろう。見かけによらず律儀なことだ。
つまりは……増援は見込めない。
「ああもう……! 畜生!!」
「……しぶとい奴だ! 無駄な足掻きを!」
……しかしながら。
増援が見込めないとはいえ、為すべきことは変わらない。勝利が見込めないならば見込めないなりに、敗北しないように立ち回るのみ。
視界の端に映るのは、先程までメアを拘束していた拘束呪布。ノートですら昏睡状態に陥ったという呪符の阻害魔力であればあるいは……ノートの身体に巣食う得体の知れない奴を、身体ごと封じることが可能かもしれない。
立て続けに振るわれる音速の拳を往なしつつ、慎重にネリーへ視線を飛ばし作戦の疎通を試みる。愛しの少女が敵の手に落ちたことで平静を欠いていたネリーだったが……伊達に長年付き人を務めてはいなかった。
唇を引き締め小さく頷くと敵の動きに併せて飛び退き、お目当ての呪布を拾い上げる。……が。
「チッ……! 姑息な手段を考える」
「っ、ぐ…………お前程じゃ無ェよ!」
どうやら油断無く周囲を警戒していたらしく……あっさりと勘付かれてしまった。苦し紛れに怒鳴り付けるが、ともあれネリーのお陰で僅かとはいえ光明を見出だすことが出来た。
バレたからには仕方が無い。背後からこっそり被せることは不可能だろうが……どうにかして隙を作り、無理矢理にでも呪布を被せ拘束する。いかに強力な身体強化を纏っていようと、小さな身体かつ武器も無いのだ。一度絡み付かれれば、ありとあらゆる阻害魔法が織り込まれた呪布を破り去るのは至難の技だろう……と。
強力な武器を手にしたことで、多少思考に余裕が出来てしまったからだろうか。
……動き出すのが、遅れてしまった。
奇しくも同じ思考に――強力な武器を用いれば良いということに――思い至ってしまったらしい敵は、愛らしい貌を厭らしく歪め、容赦なく攻め手を変える。
「ハッ!! なるほど?」
「ぐぁ……ッ!? 待て!!」
黒剣による防御の上から深く重い一撃を打ち込むと、殴り付けた勢いそのままに一足飛びで距離を取り……
「ハハハ!! ……待っていてやろう。我の玉座でな!」
踵を返し、地下室の扉を蹴破ると……一目散に飛び去っていった。




