176_勇者と王子と絶望の化身
動き始めます
「…………成程ね。……この子が、か」
「はい。ノート……彼女が探していた……彼女の『従者』です」
「助けに来た、というわけか。……はは、それにしても」
自由に身動きの取れない筈のマリーベルとヴァルター達が、わざわざ敵対した相手の懐に飛び込むなどという危険を冒してまで此の場に現れた理由。
ノートを侵し続ける呪いの焼印、唾棄すべきその所業と……そして身勝手にも攫われ、眠らされ、主人と引き離された従者たる少年の正体。
「傑作じゃないか。最初っから『王命』なんて……土台無理な話だった訳だ」
要点のみを搔い摘んだ一通りの説明を聞き……王太子アルカンジェロは引き攣った笑みと共に、力なく言葉を零した。
ネリーの手によって呪布を解かれ、体力回復の霊薬を服用させられている少年へと向けられたその視線は……しかしながら、正直未だに半信半疑であるようだった。
「彼女……いや、彼か。立場上はさて置き、私個人としては勿論連れ帰って貰って構わない。……本来ならば阻止しなければならない立場だ。あくまで秘密裏に、という形になる。……邪魔はしないが、逃亡の手助けは出来ない。……良いかい?」
「は。問題ありません。……感謝します、殿下」
囚われていたメアの奪還を、あっさりと『見逃す』と言ってのけたアルカンジェロ。彼の口にした『王命』が何を指すのか、ヴァルター達に理解出来ることは終ぞ無かったが……どうやらアルカンジェロはその『王命』に対し否定的、かつ夢魔の少年メアに同情的だったようだ。
正直なところ、意外ではあったが……非常に助かったことは紛れもない事実だった。
「構わないさ。元より我が身内の蒔いた種だ。……それで、本題は」
「……はい、お兄様。こちらのか…………この子、です」
「…………成程。………………成程、ね」
「どうか……お願いします、お兄様……」
「殿下、御無礼であるとは重々承知の上です。……ですが、御力添えを……どうか」
王太子アルカンジェロと王女マリーベルの視線が……意識を保ちきれず睡魔に誘われ、今や穏やかな寝息を立てる真っ白い少女に注がれる。
跪き、深く頭を垂れるヴァルターと、見様見真似で彼に倣うニドを一瞥し……アルカンジェロはノートを挟み、マリーベルと視線を交わす。
頭を下げていたヴァルターとニドは勿論、メアの介抱に掛かりっきりのネリーさえも見ることは無かった……王家の血を引く二人の間で交わされた、その視線。
それは……マリーベルの意に対する、紛うことなき『同意』の視線。
魔の力を持つ者たちが本能的に畏敬を抱き、傅き敬うべき相手であるという認識を共有する――純白の少女ノートを自分達が庇護すべき対象であると認識した上での――助力に対する『同意』の視線。
本来、王家の血を引く者がそこまで執心すべきではない相手に対し……執着と見まごう程の、異様・異常とも言える意思を籠めた視線であったこと。
そのことに勘付けた者は……誰も居なかった。
「……可愛いマリーがここまで言うのだ。……不肖ながら……このアルカンジェロ・ニア・リーベルタが力を貸そう。……特別だぞ?」
「お兄様!」「殿下……! では!!」
がばっと勢いよく顔を上げ、ヴァルターは凛々しい相貌を大きく見開く。すぐ横で同様の挙動と表情を取っていたニドも、甲斐甲斐しくメアの世話を焼いていたネリーも……心より望んでいた返答をアルカンジェロの口から聞いたことに、俄に盛り上がりを見せはじめる。
無理もないだろう。アルカンジェロの手によって『時流遡行』が施されれば、ノートの身体を今なお侵し続ける呪印を消し去ることが出来るのだ。
とはいえ……効力を完全に除去しきれなかった『意識混濁』の例もあり、完全に今まで通りとまではいかないかもしれない。
かといって失意に沈むのは未だ早い。なにしろ――かつて北部の大山脈においてフレースヴェルグと交戦し、敗北した際に見たように――その小さく美しい身体に、尋常ではない自己修繕能力を秘めるノートである。あくまで希望的観測に過ぎないが、しかし妄言と切って捨てずとも良いだろう。神秘に満ちたあの子の身体であれば、治る見込みはゼロではない。
たとえ何年、何十年掛かろうと、自由を取り戻したノートと共にあろう。この子の不自由を助け、些細なことでも力になろう。
もう二度と目を離さず、天使のようなこの子のために……この子と共に生きよう。
細部はやや異なるであろうが……ネリーとニドは大体このようなことを考え、将来の希望に思いを馳せていた。
またヴァルターも――さすがにあの二人ほど深刻では無かったが――大筋としては同じような思考であった。
「ありがとう……ございます! アルカンジェロ殿下……!」
「礼は未だ早いぞ。……二度の施術ともなると、数分では終わらん。回復を挟まねば、私とて干からびてしまうよ」
「それでも……!! 希望であることは……確かなのです!!」
「それは…………照れるな。気合を入れないと」
王位継承権第一位たる王太子アルカンジェロは……一巡年間に赦された『時流遡行』の許容回数も、第三位マリーベルより多く与えられている。
現在の施行残数が何度残されているのかは不明だが、口ぶりから少なくとも二度は施行出来るらしい。
つまりは……ノートの呪印、二画分を巻き戻すことが、可能。
「さて。時間が惜しい…………都合良く寝台もある。早速始めようか」
「殿下………!?」
ヴァルター達一行が……ようや辿り着いた、終着点。
ノートの呪いを消し去る、待ちに待った解呪の儀が始まろうかという……そのとき。
「殿下……!!」「お兄様ぁっ!?」
無人の寝台に被術者であるノートを横たえ……ヴァルター達を振り返った、アルカンジェロが。
ノートの呪いを解くための……最後の希望たる、王太子殿下が。
突如として背後より振るわれた手刀に延髄を強かに打ち抜かれ、悲鳴を溢すことも出来ずに昏倒する。
代わりにと悲鳴を上げた王女マリーベルの声に導かれ、アルカンジェロの筆頭護衛グレゴリーが室内へ踏み入り…………言葉を失う。
部屋の中……ごく至近距離で一部始終を目撃していたヴァルター達自身でさえも、目の前で何が起こったのか理解できず、呆然と立ち尽くす中。
「それでは…………困るのだよ。…………それは……困る」
「え…………? な、なん……」
「あ………? ぐ………!」
「な、ん……だと…………!?」
いや……理解できていないのではない。何が起こったのかは解る。わかるが……それを事実だと納得出来ない。
ありえないことが起こっている。あってはいけないことが起こっている。
到底信じられない、信じたくない事態が起こっているが……そのことが現実だという事実を、頭が理解を拒んでいる。
「……困るのだ。こんな千載一遇の好機……またと無かろう。それをむざむざと無に還されては……」
現実を受け入れられず立ち竦む三人に向け……寝台の上にゆっくりと立ち上がった真っ白な少女は……
覚醒していられる時間も限られ、自らの足で立つことも封じられ、魔力を練り魔法を操ることも叶わぬ身となったはずの……黒く不吉に光る首枷を嵌められた、白く可憐な少女は……
「折角手にいれた人形を……奪い返されては敵わんのでなァ!!」
その相貌を鋭く、歯を剥きその口角を吊り上げ、いつもの愛らしいあの子とはまるで異なる凶悪極まりない表情をその貌に宿し……
尋常ならざる高出力に裏打ちされた、強力な身体全強化を纏った貫手が、ヴァルターに叩き込まれた。




