173_繭の記憶と少女の希望
助けを求める声を聞いた。
救いを求める声を聞いた。
悲鳴のような同胞の懇願を聞き、義務感の下で無理矢理に覚醒させた、壊れたままの私の身体は……もはや私の制御を受け付けぬ『災禍』そのものと成り果てていた。
止まらない。止められない。
怒りに、苦痛に、嘆きに、渇きに満ちた壊れた身体は……誰の意思にも従わず、ただ破壊をばら撒くのみだった。
それが、止まった。
……止めて、貰えた。
ヒトの手により貫かれた胸の穴から……怒りが、苦痛が、嘆きが、渇きが、此処では無い何処かへと解けて消える。
既に壊れていた私の身体が、後を追うように解けていく。
「……済まなかったね。痛かったろう。……赦してくれ等とは言えないが……代わりの容れ者は、責任を持って私が創ろう」
穏やかな声色。優しい声色。
私を正面から見つめ、少し困ったような顔で……あの御方が頭を下げる。
懐かしい温もり。懐かしい匂い。
背丈は幾らか縮み、色も真白く抜け切っているが……愛しきあの御方を見間違う筈がない。
あの御方が頭を下げる。在り得ない。
あの御方が謝る理由など……在る筈が無い。
あの御方が、此処に在る。私に声を送ってくれる。
勿体無き。在り難き。懐かしき我が主。
「落ち着いたようだね。大丈夫そうだ。……さて、君の新しい身体だけど……何か希望はあるかな? ……ただ魔力が限られるからね、あまり大きいのは出来れば遠慮願いたいが……」
私の、希望。
千幾百の時を経て、あの御方に再び逢えた。
ほかでもない、私の希望は……此処に、既に成就している。
災禍と化した、かつての私の身体……悔恨と怨念に支配され尽した壊れた身体は……『ユウシャ』と呼ばれるヒトの子によって、斃された。
あの御方が愛した世界を……壊さずに済んだ。
あの御方に似ていながらもあの御方では無い、あの御方の愛し子の住まうこの世界を……奪わずに済んだ。
……ああ、そうだ。
それがいい。
「…………成程? 面白いことを考えるね、女王。……ふふ、そういうことを考えられるようになったかい」
笑って、くれた。
あの御方が、私に笑みを向けてくれた。
ああ、我が王。我が主。
我が身は幾度巡ろうと……御身の傍に。
御身の残り香、御身の愛し子。
新たなる我が希望……今此の時、此の場より。
御身より賜りし新たなる躯にて。
御身の愛し子、その御傍に。
「そうかい? ……ふふ。……それは安心だ。嬉しいな」
勿体無き。
勿体、無き。
我が身は。我が眷属は。我が権能は。
御身の愛した世界の為に。
御身の愛した御子の為に。
「……気持ちは嬉しいんだけどなぁ。せっかくこの世界に還ってきたんだからさ、そんなに堅苦しくならないでくれよ女王。私は君にも……まぁヒトビトに害を及ぼさない範囲で、自由にのびのびと生きて欲しいんだ」
……しかし。
…………しかし。我が希望は。
「この子なら大丈夫。……ちょっと危なっかしいけど、強い子だからさ。……でも、まぁ……気持ちは嬉しいかな。……そうだね。もし困ってそうだったら、そのときだけ助けてくれるかい?」
…………嘆願など。
ただ一言、御下命こそ在らば、我等は……
……………
……………………
ああ……ああ。
勿体無き。勿体無き。
私に、私ごときに。
「んふふ……さすがは私だね。これはまた可愛らしく仕上がったものだ」
「……わあし……ごとキに…………此の様な……御身の様な」
「ごとき、だなんて卑下するのは止めてくれ。……重ねてお願いだ。命令では無くお願いだよ、女王。……私には…………この子には、もう家臣なんか必要無いんだ」
「…………必……要…………無い」
……そん、な。
我が願いは。我が希望は。
「いやいや違う違う。そういう意味じゃなくてだね。……家臣としてではなく、対等な立場で……『友達』として、この子と過ごして欲しい。……お願いだ、女王。……この子の、『友達』になってあげて欲しい」
「……友、達」
私は……あの御方の期待、その願いに、沿いたいと思う。
思うが、しかし……私はそれを知らない。
蟲魔に……友達などという概念など、無い。
「落ち着いてからで良い。……君はこの世界に……まだ産まれたばかりなんだ。…………この世界を視て、聴いて、考えて、悩んで、試してみると良い。その身体なら、それが可能だ」
「………………世界、を」
この世界のことを……知る。
ヒトの営みを……知る。
『友達』というものを……知る。
「焦らなくて良いからさ。……お願い、出来るかな?」
愛しき我が王、我が主からの……初めての『お願い』。
愛しき我が王、我が主からの…………最後の『お願い』。
答えなど決まっている。
出来るか、出来ないかは関係無い。
「お任せを。…………魔王様」
出来るように……なるのだ。
出来るように……するのだ。
そのために、私は甦った。
そのために……私は身体を賜った。
これが……私の希望なのだ。
「……さて。私もそろそろ戻らないとね。そろそろこの子がへそを曲げそうだ。『わたし、はなし、きこえない! んいい!』ってね。……可愛いだろう。ノートっていうんだ」
……名残惜しいが、仕方ない。
私の我儘で、あの御方の手を煩わせるわけにはいかない。
あの御方の力が……魔力が、綻んでいく。
限界なのだろう。……私に力を注いだが為に。
「…………それじゃあ後は頼むよ、人蜘蛛。容れ者は創ったし、定着も完了した。あとは大切に育んであげれば良い。……だから…………頼んだよ」
「……き……き……き…………私、任せる。されます。……き」
私の、意味。
今この時代、この世界に……私が生まれた意味。
あの御方の……最後の願い。
あの御方の、愛し子。
尊い其の名は…………ノート。
清きその姿。清きその御名。
目が醒めたら。見つけたら。出逢えたら。
私と…………友達に。
………………………
…………………………………
「麦穂色の短い髪……若葉色の鋭い瞳……背丈は『勇者』よりも高い……髭は無い…………合っれう……えす……か?」
「もう見付けたのですか!? 傍には誰が……どの様な格好の者が居ますか?」
「……額を出しあ……後ろへ向かう白い髪……白い口髭……白鋼色の……鉄の服……」
「……間違いありません! アルカンジェロお兄様とグレゴリーです!」
黒一色に満ちた瞳と四本腕を持つ異形の少女――新たなる身体を下賜され転生を果たした、蟲魔の女王――彼女はヴァルターへ『借りを返ス』と告げるや否や……遠く離れた王城内の王太子アルカンジェロの所在を、瞬く間に突き止めて見せた。
王城内という限られた空間の中とはいえ、その手腕は実に迅速であった。髪色や髪型や瞳の色等の情報を妹であるマリーベルに確認したところ、どうやら間違いないらしい。傍に控える従者の外見的特徴も一致したとあっては、信憑性は実に高いと言えよう。
常人には到底及びもつかない、千里眼とでも形容出来そうな程の探査能力。その尋常ならざる権能であったが、これは『女王』の能力という訳では無いらしい。
「……覗き見る……得意な…………魔力おおい……眷属…………わあし……視界……乗っ取る……します」
「覗き見る……魔力多い『蟲』…………ネリーもしかして」
「あの覗き魔の眷属を奪ったってか! 傑作じゃねぇか!」
『女王』が王城内の走査に用いた、代替眷属。生粋の眷属である魔蟲とは異なるものの……他者の手により魔力を仕込まれた特殊な蟲であれば、その支配を乗っ取り擬似的な眷属として従えることが出来るのだ……という。
ただしこれはあくまで裏技に過ぎず、蟲に対して絶対的な支配権を持つ唯一個体、蟲魔の『女王』だからこそ成し得たことだという。
……いや、理屈なんてどうでもいい。リーベルタ王家の暗部に属し、情報収集を主任務として暗躍する『蟲遣い』。彼が根気強く魔力を注いで育て上げ、彼の目となり王都を監視していた蟲は……今やあっさりと『女王』によって支配を上書きされていた。
ただの虫が相手ならば、支配の魔力に揺さぶられれば容易に崩壊してしまうが……魔力に晒されることに慣らされた蟲遣いの眷属は『女王』の支配魔力を受けても壊れず、機能そのまま乗っ取ることが可能なのだという。
ゆっくりとした、眠たそうな説明を聞いた限り、どうやらそういう理由のようだ。
つい先程ざっくり王都へ向けて放たれた……ヒトには影響を与えずに蟲のみに作用し、強制的に支配を上書きするという、蟲魔『女王』の魔力。
つまるところ……『女王』は今や情報収集に長けた蟲の眷属を大量に従え……その一方、王都リーベルタにおいて絶大な情報収集能力を誇っていた『蟲遣い』は……その眷属の大半をあっさりと喪ったのだった。
「ははっ……あの変態覗き魔の存在価値がブッ潰れたって事だろ? 最高じゃねぇか! 無様に取り乱す様でも嘲笑ってやりたかったけどな!」
「都合がいいのは解るけど……随分と辛辣なんだな」
「…………そりゃぁな。一時期私の部屋で妙に羽蟲が湧いたことがあってな。……翌日出会い頭にニタァって気色悪い笑み浮かべられてみろ。鳥肌半端無ぇからよ」
「……あぁそうか。そう言えばお前も一応女だったっけ痛ァ!?」
ネリー曰くの『覗き魔』……王城内の情報収集を専任していた蟲遣いは、今やその情報収集能力を持っていない。
シアを上空から潜入させるにあたり、最大の懸念とも言える事項が……あっさりと払拭されたのだった。
すやすやと、まるで不安など感じていないかのように穏やかな顔で、眠りに落ちるノート。……その寝顔こそ愛らしくあるが、やはり以前にも増して寝付きが良過ぎる。
……いや、起きていられる時間が少ないと言い換えた方が妥当だろう。
解呪するまでの間に彼女の体内に根を張ってしまった、『意識混濁』の呪いの一部。
他の二画も処置が遅れれば……これよりも酷い後遺症を引き起こすだろう。
急がねばならない。
作戦の要である人鳥のシアも交え、作戦の最終確認を行っていた矢先……
「マリーベル……アルカンジェロ…………移動……しあ」
「えっ……?」
いくら王太子とはいえ、いや王太子だからこそ……常日頃から自室に閉じ籠っているわけではないのだろう。出歩くことそれ自体は、別段おかしい話ではない。
問題なのは、その行き先。
王族の中でも殊更に重要な人物である、王位継承権第一位が……足を踏み入れるには到底相応しくない、その場所。
「地下牢…………少女……ひおり…………布で巻かれえ……眠ってう」
「それ!? まさか!!」「メア!?」
見張り継続中であった『女王』より告げられた、王太子アルカンジェロの行動。
他に人けの無い……筆頭従者であるグレゴリーさえも側に居ない状況下で、地下の密室にて拘束された少女(?)と二人きり。
尋問か。拷問か。……処分か。
リーベルタ王家の中心人物が動き始めた以上、もはや猶予は残されていない。
「…………め、あー……?」
「!!」「……ノート…………」
眠りに落ちていたはずなのに……愛する従者の名を聞いたからだろうか、ノートはのっそりと……緩慢な動きで起き上がろうとする。……しかしながら腰から下を動かせないことに気づき、顔をしかめる。
それでも。自分の身体さえも自由に動かせない、そんな状況下であっても。
「めあー……どこ? …………わたし……たすけに……いく」
無茶だ、と……ヴァルター達の誰もが、口には出さなかったものの意を同じくしていた一方。
しかしながら……未だ眠たそうなその瞳には、決して退かぬ強い決意を湛え……
そんな彼女の真摯な願いを無下に出来る者は……居なかった。




