172_王家と王女と解呪算段
行軍用の味気無い戦闘糧食を、一行はもそもそと咀嚼する。ヴァルターとネリー、ニドの三人は眉を潜め顔をしかめながら……王女マリーベルに告げられた言葉を反芻し、頭の中で情報を整理していく。
栄養補給と携行性以外のほぼ全てを諦めたような、ひたすらに味気無い戦闘糧食……その味をお気に召すはずもなく。この味に不慣れどころか初めて口にするマリーベルは明らかに一瞬固まり、引きつった笑みを浮かべながら懸命に顎を動かしている。
「きき。水、保持します。ききき。私、提供する意思。推奨します、飲みます」
「あ…………ありがとう、ございます」
「ききき」
そんな様子を見かねたのか、はたまた単なる偶然か……居合わせた人蜘蛛は最適と言える行動を取っていた。
見ようによっては可愛らしくもある少女の顔に、相変わらずの無表情を貼り付け……巨大な蜘蛛の下半身を持つ蟲魔の従者は、飲用水の収まった筒を差し出す。
蜘蛛の背に糸で固定された幾つもの袋――追手としてけしかけられた王都守衛隊兵士達の背嚢――より、器用に糧食や飲用水を取り出し、ヴァルター達一行に配給を行っていた。
……少女のものを象った上半身がぐるりと後ろを向き、人間の骨格を軽く無視した関節の可動で腕を伸ばしたときには…………さすがに一同揃って口をあんぐり開けざるを得なかった。
「しかしノートの身体……親魔法性、か……」
「……まぁ、何か違うとは思ってたけどよ。『魔法が効かない』とか……ディエゴ先生の阻害魔法無視するとか、ぶっちゃけ有り得ねぇし」
「…………阻害魔法……あの『停止結界』か」
「……? …………?? ……んいー……?」
幸いにして『意識混濁』の呪印は取り除かれ、意識を取り戻したノートであったが……マリーベルの診断によってもたらされた情報は、決して予断を許すものでは無かった。
なんでも……ノートの身体は表層部の魔法抵抗こそ飛び抜けて堅固である反面、その内部は魔力を異常なまでに巡らせる……『親魔法性』とでも呼ぶべき能力が、こちらの方も飛び抜けて高いらしい。
人族の域を軽く逸脱している程の身体強化魔法の高性能っぷりも、この『親魔法性』の高さから来るものなのではないか……というのが、マリーベルの見解であった。
しかしながら……魔力と馴染みやすいということは、転ずれば『攻撃魔法をもよく通してしまう』ということでもあり……一見すると表裏一体、諸刃の剣でもある、この身体。
その表面を桁外れに堅牢な皮膜、魔法抵抗力を誇る表皮で覆い……比類無き魔法出力と魔法耐性を兼ね備えているのだろう、という。
しかしながら……こと今回に限っては。
魔法攻撃ではなく……生命体の表皮組織を熱変化させ、強引に焼き切る高熱を纏った物理的な危害であれば。
しかもまるで誂えたかのように……親魔法性の高い体内に直接、履行条規の呪いを織り込んだ『魔力』を打ち込まれてしまえば。
『呪印を消し去っても……進行してしまった呪いが、体内に残ってしまう可能性が……あります』
とは……診断を終えたマリーベルの見解。
運が悪い、としか……言いようが無かった。
だがそれでも、今回のケースはまだ軽傷だったのだろう。焼印を施されてからそれほど時間は経過しておらず、『意識混濁』の呪いは呪印の除去とともにほぼ打ち消すことが出来た。
しかしながら……時間が経てば経つにつれ、親魔法性の高い肉体に打ち込まれた呪いはじわじわと侵食を続け……魔力の馴染みやす過ぎる身体を、今後とも着実に蝕んでいく。
残る二画、『魔力霧散』と『下肢弛緩』。抵抗する力と自ら歩む力を……人間として当然の権利さえも奪われた少女。
時間が経てば経つほどに……完治する見込みは下がっていくのだという。
「……殿下のあの魔法……『回帰魔法』と仰いましたか。…………それを扱えるのは」
「長耳族でも聞いた事無ぇ。やっぱ固有技能か」
「『時流遡行』…………名前からして『王族にのみ赦された』感アリアリだの」
「……ええ、仰る通り。私達……リーベルタ王家の血筋にのみ刻まれた、稀少魔法。……この手段であれば、ノートさ…………ん、の……呪印を取り解くことも、可能かもしれません」
告げられた言葉、もたらされた希望に……ヴァルター達は明らかに喜色を浮かべる。
先行きが真っ暗だったノートの身体の治療、やっと信憑性の高い光明が見え始めたのだが…………やはりというか、そう上手くは行かなかった。
「ですが…………『時流遡行』は……そう易々と行使できるものでは、無いのです」
「……やはり」「……え?」「なん……」
「………………んい」
ようやく見出だせた光明――魔力回復を待ち、王女マリーベルに再度『時流遡行』行使して貰い、呪印全てを施される前に戻す――それはマリーベル曰く、不可能とのこと。
なんでも……『時流遡行』は文字通り時の流れを遡らせる大魔法。膨大な消費魔力もさることながら、下手な濫用を許せば国はおろか……管理者たる王にとっても危険な結果を引き起こすこととなりかねない。
よって……王家とはいえ王ではない者には、その行使に幾つかの制限が設けられているという。
第一王女とはいえ、王位継承権で言えば末席に過ぎない。序列も低いマリーベルに赦された行使回数は……齢を重ねる間に、一度のみ。
次の誕生日を迎えるまで、再度『時流遡行』を行使することは出来ず……
残念なことに……それはあと半巡年以上も先のことであった。
つまりは……呪いが進行する前に解呪することは、恐らく不可能。
「ですがそれは……私独りで臨んだ場合……です」
告げられた言葉に、勢いよく反応を示す三人。女王マリーベルは至って真剣な表情で三人を順に見つめ返し、平民にとっては到底考え付きもしなかった『作戦』を告げる。
「お兄様達に……助けて頂きましょう。……私が、直接お願いしてみます」
「……マジか」「……マジかよ」「……む?」
つい先刻盛大に喧嘩を売ったばかりの――命令に逆らい城に不法侵入し研究員を惨殺し姫殿下を拉致した相手である――大国リーベルタの、第一および第二王子。
王城に居る筈の第一王子と、周辺諸国を巡っているのだという第二王子。彼らのどちらか、あるいは両方に協力を仰ぎ……王家血族のみが扱える古代魔法『時流遡行』を行使して貰う。
呪いの進行速度が不明瞭なため何とも言えないが、あまり時間を掛けることは得策とは言えないだろう。マリーベルの誕生日を待つよりも、こちらのほうがまだ望みは高いと言えよう。
理屈では理解しながらも……既に見切りを付けた国であるとはいえ『王族』に頼み事を持ち掛けるなど、ド平民からすれば選択肢に浮かぶはずもなかった。
「…………けどよ。そもそもお嬢を拐ったのも、恐らくは王様の意思だろう? ……王女殿下は良くしてくれてんのは解るけど、王子サマ方は味方になってくれんのか?」
「大丈夫です。……自慢ではありませんが私、お兄様達には可愛がって頂いておりますし…………ノートさ……ん、のことを知れば、きっと手を貸して頂けます」
「……随分と自信満々だの」
「ふふ……そうですね。……この感覚は、言葉では説明しづらいです」
さも当然のように『問題ない』と言ってのけるマリーベルの表情は……何か善からぬことを企んでいるようには、到底思えない。その動機は相変わらず不明瞭だが、マリーベルがノートを気に掛け、心配してくれているのは事実なのだ。
ノートに害を及ぼしたのが、推測の通り国王陛下の命だったとして。眼前の彼女は……恐らくだが、あの凶行には何ら関与していない。
リーベルタ王家血族の全員が王と意を同じくしている訳では無く、彼女のように此方の側に立ってくれる者が居る。
そして……その彼女が、自信を持って『お兄様達を説得する』と言ってくれたのだ。
――それだけでも、充分に希望が持てる。
「アルベルトお兄様は……今は国内に居りません。アルカンジェロお兄様は城内に居られる筈ですので……なんとか連絡を取ることが叶えば……」
「……書を届けるしか無ぇよな。夜闇に紛れればシアなら行ける」
「殿下がシアに驚かなければ良いけどな……」
「それは…………お兄様の胆力に期待するしか……」
第二王子アルベルトは海の向こうの帝国へ特使として渡っているらしく、近いうちに遭遇することは困難であるという。一方の第一王子アルカンジェロの所在は、幸いなことに王都リーベルタ王城区。直近の外出予定も組まれていなかった筈なので、恐らくは自室だろう……とのこと。
明確な終着点と行動目標を見出だし、マリーベルとの相談に熱が入る一方……ニドは冷静に、さしあたっての問題を提起する。
「それで……そのアルカンジェロ殿下の居室を、羽娘は知っているのか?」
「そりゃあ………………………えっと」
「「……………………」」
いつのまにか寝入ってしまったノートに寄り添うように、これまた穏やかな寝息を立てているシアへと……何とも言えない三人の視線が注がれる。
注目を浴びる人鳥シアの契約者であるネリーは、ばつの悪そうな表情でゆっくりと視線を逸らす。
たかだかいち研究員の立場であったネリーにとって、王家の寝所など立ち入れる筈もなく……つまりは王子アルカンジェロの居室もまた、知りよう筈などなかった。
無論、王女たるマリーベルは知っているのだろうが……王城内の正確な見取り図など無い現状、第一王子の居室をシアに伝達する術など無い。
扉はあるのに、鍵が無い。……いや、鍵はあるがどれが正しい鍵なのかが解らない。あと一歩、あとほんの少しだというのに……届きそうで届かないその終着点が、なんとも歯痒い。
王子の居室さえシアに伝達出来れば。
警戒が引き上げられた厳重警備の王城区を、王子の居室までシアを導ける存在さえ居れば。
「…………話は……聞いたの…………えす」
しかめっつらで頭を抱えていたヴァルター達へ、突如として投げ掛けられた……どこか舌足らずな声。
がばりと顔を上げ声のした方へと振り向くと……すやすやと眠りこけるノートの腕の中、まるで囚われているかのように抱きしめられている……小さな女の子が、一人。
「……わあし……そのひと探す…………えキる……えす。……人鳥の案内……えキる……えす」
「………………君、は……」
半分だけ開いた瞳その全てが真っ黒に染まり、一対飛び出た毛束をふよふよと揺らし、肩からは五指をもつ四本の腕を生やした……ヒトに似た姿ながら明らかにヒトでは無い、蟲魔人蜘蛛を従える異形の女の子。
「……そなあ。……『勇者』。…………借りを……返す。……我があるじ様の……名の下に…………借りを……返す…………えす」
かつて地底の廃坑で不完全な目醒めを迎え、眼前の勇者ヴァルターに倒され……『魔王』の権能を降ろしたノートによって新たなる生を受けた、蟲魔の女王。
…………どうやら、自信があるようだった。




