170_黒い包囲網と無尽の軍勢
リーベルタ王国西岸守衛隊は、王女マリーベル誘拐事件の下手人と思われる集団の追撃・包囲捕縛作戦中……突如として襲撃を受けた。
禍々しくおぞましい黒色の襲撃者は、賊に対しての包囲網を形成しようと手薄になっていた本隊を狙い、圧倒的な物量を以てこれを強襲。
対多数の人族、その戦闘に最適化された身体機能を遺憾無く発揮し……守衛隊を完全に圧倒していた。
「両翼呼び戻せ! 潰されるぞ!」
「全隊集合! 本隊へ合流せよ! 槍襖急げ!」
「なん………ぐ!? 何だコイツ!?」
「ぎゃああああ!! く……来んな! コッチ来んな!!」
左右に広がった分隊を呼び戻すべく伝令を放ち、リカルドは即座に防御体勢を整える。
他の者が指揮する別の隊は襲撃者の姿に怯え、その行動はとても迅速と言い難いが……幸いにしてこの襲撃者と事を構えた経験のあるリカルドは、有効な対処方法と免疫を身に付けていた。
あたり一面に犇めく赤黒い襲撃者……爛々と輝く八つの眼と六本の脚を持ち、ぎちぎちと耳障りな音を立てる魔殻蟲の群れ。王女殿下を拐った賊の追撃任務として、速度重視の軽装備を選択したことが完全に仇となった。
何よりも速さを求めた追撃任務に、全員に行き渡る量の解毒薬など有る筈もない。爪牙を防ぎきれぬ革鎧では、魔殻蟲の持つ毒を警戒せざるを得ず……追手たる守衛隊兵士達は槍襖を構えて引き籠り、じりじりと足摺りながら動くことしか出来なかった。
「火だ! 松明を! 有りったけ燃やせ!」
「松明掲げ! 全部だ! 急げ!!」
過去に魔殻蟲の群れを捌いた経験のある隊長格、リカルドの指揮する一団は……混乱の真っ只中の守衛隊において、幾らか適切な対処を取ることが出来ていた。
とはいえ、相変わらず魔殻蟲は付かず離れず蠢いている。隙を見せれば瞬く間に食らい付かれるであろう。既に追撃任務を行える状況ではない。
先程まで響いていた音――王女殿下を拐った賊と獣の群れによるものであろう戦闘音――も絶えて久しく、今となっては『賊が居たであろう方角』程度の情報しか無い。
「隊長……これさすがに追えないっすよ」
「よそ様助けないと……後々面倒っすよね」
「絶対ぇ恨み言言われますよ」
「…………止むを得んか」
追撃は……どうやら絶望的だった。
………………………………
病気のように青白い小さな身体でニドを抱え、静かにこちらを見下ろしている彼女。
未だ幼い少女といった外見の彼女は見上げる程に背が高く、現在ヴァルターの目の前には豊かに膨らんだ……ニドのものよりは控えめながら充分なボリュームをもつ、形の良い二つの艶かしい胸の膨らみ。
腰の下……性器の位置する辺りより下は不釣り合いに大きく、肥え太り、漆黒の甲殻で覆われ……
八本の脚を持っていた。
「……で? 吾は何時迄吸われとれば良いのだ?」
「きき。移動、します。きき、場所、地点、血の匂い、高い。ゆえに」
腕に抱えた小さな姿に現在進行形で乳房を吸われながら、半眼で見上げるニド。こめかみを引きつらせながらの問いに斜めな答えを返し、八本の爪先を鳴らしながら人蜘蛛が動く。
魔狼狗であったものが散らばる血みどろの現場から、ニドを抱えたままの人蜘蛛に先導されるように……ヴァルター達はぞろぞろと場所を移す。ニドを人質に取られている形とあっては、迂闊な真似は出来なかった。尤も四方八方を魔殻蟲に囲まれているとあっては、もとより選択の余地など無かっただろうが。
先頭を行く人外の少女はその巨体にもかかわらず、深い森の中を八本脚を駆使して歩み――蜘蛛の身体を捻り、ときに傾けながら――鬱蒼と繁る木々の合間を器用にすり抜けていく。
蟲が苦手なのだろうか、青白い顔で震えるマリーベルを抱える腕に力を籠め、ヴァルターは人蜘蛛の後を追う。
やがて……正面に姿を表した岩の壁。
見上げたところ高さ五mは有りそうな岩肌は、長い年月を経てその至るところに木々が根を張るとともに……
ぽっかりと、人蜘蛛がすっぽり入れそうな程に大きな洞穴が、地の底へ向け口を開けていた。
「きき。この中、人族、来れません。きき、私、壁、します。です」
「……蟲は居ないだろうな」
「蟲、、、『兵』。きき、理解、解りました。居ない、します」
言うが早いか、ヴァルター達の周囲を囲むように追従していた魔殻蟲が、文字通り蜘蛛の子を散らすように去っていく。
こちらの言葉に対し計らってくれたことは解るし、正直有り難いことなのだが、あの数の魔殻蟲が森の中にバラ撒かれたとあってはさすがに血の気が引く。
深いとはいえ王都直近の森の中、しかも追手としてではあるが親しい者達が居る。あんなにも膨大な数の魔殻蟲が解き放たれてしまっては、リカルドを始め守るべき民草に被害が出かねない。
「問題無い、します。きき、『盟約』ある、しますので。『兵』、人族、襲撃、捕食、しない。受動的、設定します、ありました」
「…………あぁ……ありがとう」
「『盟約』ある、します。きき。大丈夫、です」
相変わらずの鉄面皮な人蜘蛛に示されるがまま、深刻そうな顔をしたヴァルターが観念したように洞穴へと降りていく。ヴァルターに手を引かれおろおろしながらも、魔殻蟲が消えたことでやや平静を取り戻したマリーベルが続き、ノートを抱えたネリーは人蜘蛛を凝視しながら後に続き…………最後にニドごと人蜘蛛が潜り込む。
全員が洞穴に身を隠したとほぼ同時。今まで動きの見られなかった小さな姿……先程の移動中もずっとニドの胸に吸い付いていたそいつが、ちゅぽんと口を離す。
のそりと身じろぎをひとつ、緩慢な動きでニドの顔を見上げ……真暗闇を湛える黒一色の瞳を半開きに、いかにも面倒臭そうに音を零した。
「…………でない」
「当たり前だ阿呆め」
「……でも……キーは……でるよ」
「あんな人外と一緒にするで無いわ」
「……んむう」
眉根を寄せ、『理解できぬ』といった表情で……ニドの腕から飛び降りる小さな姿。
乳房をやっと解放されたニドは、ちゃちゃか、ちゃちゃかと脚を鳴らす長身の者に運ばれるまま……顔を赤らめながらも睨み付けるような視線を放つヴァルターへと、手渡される。
思わず抱き留めたヴァルターを突き放したニドの顔はあからさまに赤く、忌々しげに歪んでいた。
ニドのあられもない姿を間近で拝んでしまい、困惑を隠せないヴァルターを気にも留めず。空いた手で幾重にも糸を繰り、地上とを繋ぐ入り口からの通路を蜘蛛糸で封鎖しながら、人並外れた『防護』の魔法を操る人蜘蛛は口を開く。
「私。確認。認識、します。きき、『ヴァルター』。あなた」
「…………えっと……………はい」
ヴァルターにとっては面識のある相手。直接ではないにしろかつて一度相対し、懇願を無下に剣を執った……因縁浅からぬ相手である。
特徴的極まりないその容姿はそのまま。……口調は、少しだけ滑らかになったようだ。
そんな彼女の手と糸によって、入口に堅牢な壁が築かれた洞穴。地表から下り坂を幾らか進んだ地底の空間ではあるが、ちょっとした部屋と言える程度の広さはあるようだ。
見れば洞穴の内部にも、仄かに魔力の光を発する白い糸は張り巡らされ……床や壁、天井に至るまでをうっすらと白い皮膜が覆っている。
彼女の『防護』が籠められた糸は、一本一本が並の人間では太刀打ちできぬほどに強靭。それが幾重にも折り重ねられたとあっては……到底突破は不可能だろう。
加えて、洞穴の外には――進んで人を襲うことはしないらしいが――数えきれぬ程の魔殻蟲……考え方によっては、とりあえず安全地帯と言えるのかもしれない。
「それ、少女。『ヴァルター』、言いました」
「い、言うて居らぬ! 出鱈目言うで無いわ!!」
「私。『ヴァルター』目指す、行く。きき。故に、少女、運ぶ。しました。き」
「話を聞かんか! 蟲畜生めが!!」
「……その、小さい子、は……まさか」
「何の反応も見られぬというも其は其で腹立つの……!」
「……………んー……?」
がなり立てるニドすらも認識の外に、声を震わせながら指差すヴァルター。
注目を浴びていることを察したのだろうか。先程までニドの胸にしゃぶりついていた小さな人影が、のっそりと振り向く。
その緩そうな言動と小さな姿は幾分か人間らしいが……人蜘蛛の彼女に勝るとも劣らない、なかなか個性的なその容姿。
黒というよりかはあからさまに明るく、赤褐色に煌めく艶やかな髪は、膝裏を隠すほどに長く、真っ直ぐ流れ……
風もないのにふょんふょんと揺れる一対の髪の毛束は、見ようによっては触角のようにも見えないこともない。
背丈は……恐らくノートと然して変わらないだろう。少女と呼ぶにもまだ小さく、胸の膨らみもまた同様。
……ここまで見る限りでは、ただの眠たげな幼子にしか見えなかったであろう。
しかしながら、その瞳。眠たげに半分開かれた瞳は、その全てが真っ黒。何処を視ているのかも推し知れぬその真っ暗な瞳は、夥しい数の受光器官が縒り集まった……それこそ蟲のような複眼。
極めつけは……外套とすら呼び難いボロ布の裾から覗く、小さく可愛らしい四つの手。二本の脚と合わせると……その腕脚は実に六本。
触角(?)と複眼、トドメに六本の腕脚。
個性的極まりない容姿から判る通り、どうやらやはり人間ではないらしい。
「こちら、御姿。きき、私たち、『女王』。ございます。ききき」
「……ん」
「「は?」」
聞いた限りであったが、かつては単身で国一つを滅ぼしたとも言われ…………地底の繭室にて不完全な目覚めを迎え、魔王の加護を借りたヴァルターと戦い、そして殺された蟲魔の『女王』は。
眠たそうな雰囲気を崩そうともせず、唖然とするヴァルター達に……ほんのりと笑みを浮かべていた。




