169_勇者と追手と包囲網
「あと何体だ!?」
「たくさんだ!!」
「んなの見りゃ解るわ!!」
「じゃあ聞くな! 数なんざ俺も解んねえよ!」
「喧しいぞ主ら!!」
空も白み始め、うっすらと明るくなりつつある森の中。
逃亡のために海へ出ようと……西へ向かい歩を進めていたヴァルター達の背後へ、突如として魔狼狗の群れが襲い掛かった。
追っ手の兵士達を警戒していたヴァルターによって、その襲撃こそ未然に察知することが出来たものの……道など整備されているはずもない森の中では四つ足の獣ほど速く駆けられぬことは明白であり……追い付かれるのは時間の問題であった。
こんなときに、と……この場の誰もが思ったであろう。
しかしながら非戦闘員を抱え振り切ることが出来ぬとあっては……応戦する他無かった。
白黒の二刀を縦横に振るい、また急所を的確に蹴り砕き、ヴァルターとニドは押し寄せる魔狼狗を蹴散らし続ける。
鋼杭を放ちつつ土礫を飛ばし、また巻き起こる旋風を壁や刃に変えながら、ネリーとシアは王女マリーベルと抱き抱えられたノートを必死に護衛する。
足を止めることは悪手だと、このままではいずれ追い付かれると解っていながら……戦場に不馴れなマリーベルと意識の無いノート、重要防衛目標を守らねばならぬ以上、襲い掛かる全てを迎え撃つしか無かった。
「でッ! …………ああクソ、妙だぞヴァル!」
「吾も同意だ! さすがに異様だぞ!」
魔狼狗は本来、ここまで執拗な攻撃を仕掛けるような魔物では無い。圧倒的に多い群れに対しては慎重かつ消極的になったり、旗色が悪いとなれば一目散に逃げ出してしまうのが常である。
しかしながらこいつらは……仲間がどれだけ屠られようと、なかなか逃げ出さない。明らかに異常な行動と言えた。
既に何十の魔狼狗を屠ったのだろうか。折り重なるように息絶える魔狼狗の血の臭いに誘われ、鬱蒼と繁る周囲の森からも何やら嫌な気配が漂ってくる。
「逃げ出さぬ、と……逃げ出せぬのか?」
「……!! ッッ……能動探知! 在れ!」
ニドの言葉に顔を引きつらせたヴァルターは、白の剣の探知波を放つと……いっそう苦々しげに顔を歪める。動きの止まったヴァルターに喰らい付こうと飛び掛かる魔狼狗を、地面から伸びた圧石の槍が縫い止める。
気の利く相棒はヴァルターの様子から……恐らく察したのだろう。妙に勘の鋭い黒髪の少女も同様、後方……南東方向から何が迫っているのかを推察したようだ。
「……どうする、坊。迎え撃つか」
「……………ぐ、…………クッソ!」
ニドの言う通り、迎え撃つこと自体は容易いだろう。いくら職業兵士とはいえ、そもそもが近年は戦らしい戦も無かった平和な国である。兵士の練度とて、獣や魔物や賊の鎮圧には充分だろうが……その程度では人族の仕立て上げた最強個体、こと戦闘に最適化された『勇者』を止めることなど、出来る筈もない。
そうとも、別に振り切らずとも……追っ手を全て殺してしまえば良いのだ。
「出来る訳無ェだろ! そんな事!」
「呵々々! そうで在ろうな!」
……だが、そんなことは出来る筈無い。
兵士達とてヴァルターが愛し、守るべき人々である。彼らとて彼らの生活を守るため、仕事を果たすために派兵されているのだ。
ノートを穢した赦し難いクサレ外道共とは異なり、彼らには何の落ち度も無い。……彼らは何も悪くない。
彼らを殺すことなど……出来ない。
出来ないのだが、しかし。数を大幅に減じたとはいえ魔狼狗の群れに足留めを強いられている現状とあっては……このままでは遠からず追っ手の兵士に追い付かれる。
戦闘に不向きなノートとマリーベルを抱え、両手が塞がったまま、魔狼狗の群れを突破するのはほぼ不可能。
逃げるために先ずは魔狼狗を駆逐しようと、このまま足を止めていれば……恐らくは追手に追い付かれる。
追手に追い付かれれば……それはもう詰みだろう。あれだけのことを仕出かした謀叛人に対し、追手が二桁規模で済むとは思えない。
西岸街守衛隊のほぼ全てを投じて山狩りが行われても可笑しくは無いし、次から次へと押し寄せる兵士を殺さずに無力化することは……いかにヴァルターとて荷が重かろう。
いずれは手が回らなくなり、それこそ捕らえられてしまえば……王女マリーベルは無事に回収されるだろうが、ノートは非人道的な実験の被検体に逆戻り。ヴァルターとネリーは恐らく極刑、ニドも……ろくな扱いはされないだろう。
この場を切り抜けるには。
最善の手は取れずとも……次善の手を取るためには。
「殿――! ――リー――――女――下! お返――を、――――!」
戦闘行動を続けながらも思考を巡らせていた前衛二人は、遥か遠くより響く声にびくりと身を竦める。
ついに声が届く距離にまで迫られたことを察すると共に……受け入れがたい事実を突きつけられ、あからさまに平静を欠く。
いや、落ち着いて考えれば……何らおかしいことではない。守衛隊の業務を守衛隊員が務めているだけ。何も意外なことは無い。
「…………こう来るかよ! 畜生ッッ!!」
「ぐ……悔しいが良い手よな! 忌々しい程に覿面と来た!」
戦闘の騒音や魔狼狗の声の向こう、着実にこちらへと向かってくる声……そのうちの一つ。
王都守衛隊のものと思しき、どうやら王女マリーベルを探しているらしい……その声。
気付いている我々とは異なり、どうやら声の主はこちらの人員を知らされているわけでは無さそうだ。単純に王女マリーベルを拐かした賊の一団と認識し、的確に包囲捕縛の手を進めて来ている。
追手が彼一人であったならば、事情を説明し見逃して貰うことも……もしかしたら可能だったかもしれない。
しかし残念というか当然なことに……今や彼は少なくない人員を指揮している様子であり、少なくない数の目と耳がある。
……謀叛人と共謀している、などという印象を……彼に与えるわけには行かない。共謀者と見なされれば、彼も大罪人として裁かれる恐れさえある。
「…………仕様が無いの」
なるほど敵ながら天晴れである。確かにこう攻められれば、こちらとしては抵抗は難しい。他の雑兵共ならまだしも、彼を殺すことなど出来やしない。
……民を愛する、心優しい謀叛人には。
その決断は、下せまい。
「……坊」
「何だ!?」
このままでは追い付かれる。逃げ出そうにも自衛手段を持たない貴人を守り抜くためには……少なくとも魔狼狗を駆逐、ないしは戦意を完全に砕かなければならない。
それまでは……なんとしてもリカルド達との会敵を避けなければならない。
「……当初の予定通り、な。道が拓けたならば、そのまま西へ往け。海へ出ろ。為すべきを為せ、優先すべきを見誤るな。……振り返るでないぞ」
「!? おま……待てニド!!」
待てと言われて待つ筈が無い。あの行動単位内において自らの戦略的重要度が最も低いと自認するニドは、重要度の高い者達を生かすため……躊躇せず行動に移す。
こちらの戦闘音を察知した追手は、現在横に広く展開し包囲せんと行動している。その包囲網はまだ完成しておらず、幸い王都と逆方向に隙間がある。
今ならばまだ逃げられる。
今指揮官を急襲する素振りを見せれば、守りを固めようと包囲の手は緩む。
……指揮官を急襲する者の犠牲のみで、この場を脱する見込みは格段に上がる。
その結果どうなるかも全て織り込み済で、ニドは単身行動を起こした。
どうせ自分は一度死に、理に反し現世にしがみつくだけの亡霊に過ぎない。敬愛していた主人の遺し子とその想い人、彼らを活かすためと在らば……たとえどんな目に遭おうと、殺されることになろうと、もはや躊躇いなど無かった。
言った手前、振り返りはしない。……今は一分一秒でも惜しいから。
背後からの悲痛な声色にも、決して耳を傾けはしない。……せっかく塗り固めた決意が鈍るから。
ヴァルターに対し、執着や未練が無いわけでは無い。折角人族の少女の身体となり、それを使って男を労う方法の知識も在った。前世の神蛇は唯一個体、そもそも生殖とは無縁であり、本来生物にとって当然である繁殖行為も……前世の自分には無縁であった。
(そんな状況では無かったが…………人族の交尾でも試してみれば良かったか)
理に反した生だとはいえ……せっかく身体と機会を得たのだ。ヴァルターならば相手としても悪くない、労ってやれるならば労ってやりたいし、試せるならば試してみたいとも思っていた。
だから……未練が無いと言えば、それは嘘になるのだろう。
しかしながら、それはあくまで自分の興味に過ぎない。そんなことよりも彼らを生かすことのほうが遥かに重要だ。
惚れた相手だ。吾が身を呈してでも、死なせるものか。
(……せいぜい暴れて……闘って殺ろうかの!)
目的のためには手段を選ばぬ、狡猾で残忍な神蛇の化身は…………ひどく人間じみた動機に基づき、浮き足立ち始めた追手の群れへと駆けていった。
………………………
………………………………
ニドが追手を引き付けようと飛び出して……しばし。
なんとか押し寄せる魔狼狗を蹴散らし終えたヴァルター達は……しかしながらニドの言葉に従うことは、無かった。
……従う必要が無くなってしまった、と言った方が正しいだろう。
顔を強張らせるヴァルターと、口を開いたまま茫然と青ざめた顔のネリー。シアは戸惑ったような表情を浮かべながら、どうすべきかと主人の様子を窺っているようだ。
王女マリーベルに至っては……その顔面は真っ青、腕の中のノートを抱き締め、細かく震えている。
周囲を完全に、ぐるりと取り囲まれた彼らは……震えそうになる身体に鞭打ち、なんとか表面上の平静を保っている様子だった。
しっかりと形成された包囲網の一点、ヴァルターの凝視する先。
周囲よりも身体一つ分高いそいつに捕らえられ、可愛らしい顔を羞恥で真っ赤に染めながら、その背丈とは不釣り合いに実った豊かな胸を隠すことも出来ず玩ばれているニドは…………忌々しげに吐き捨てる。
「…………何とか言わんか! 小僧!」
「言えるか! 何だよその状況!!」
「吾が知るか! 吾のほうが訊きたいわ!」
「解ることだけでも教えろよ! どうなってんだよ!?」
「解らんわ!!」
状況としては……ニドが長身の者の腕に抱かれるように捕らわれた状態で、更にもう一人小さな姿がニドの腕の中に収まっている。なるほど複雑な状況であった。
決死の覚悟を伴い、囮として飛び出していったニドを捕らえた……身体ひとつは大柄な、きわめて異形なそいつ。
「きき。私、記憶、認識します。『ヴァルター』、あなた。きき」
抱え上げられ、顔を真っ赤に染めるニドをぶら下げながら……人蜘蛛の少女は黒一色に染まった複眼の瞳を瞬かせ、極めて無感情に口を開いたのだった。
「つまり……たまには良いトコ見せようと飛び出したけど、アイツに迷子だと認識されて連れて来られたという」
「言うな!! 違うわ阿呆!! おのれあの蟲畜生めが!!」




