168_勇者と王女と幸運と暗雲
別命を帯びた宮廷魔導師ディエゴと別れ、王城地下の王家専用脱出通路をひた走る。王女マリーベルを腕に抱き抱えたヴァルターが先頭を行き、その後ろには相変わらず弛緩しきったノートを背負ったニドが続き、最後尾をネリーが続く。
据え付けられた光源など全く無い地底の一本道を、五人は一列となって駆け抜けていた。
その距離はいったいどれ程になるのだろうか。真っ暗かつ周囲の景色など望むべくもない地下道においては距離感など掴めようもない。どこまで延びているのか定かではない地下道は緩やかな方向転換こそ何度かあったものの、総じてほぼほぼ一直線に続いていた。
身体強化魔法を纏いながらも、極めて狭い地下道では全力疾走とまでは出来ず……実測はもとより体感では非常に長く感じられた道程を経て、やがて狭い上り階段のみを備えた小部屋に行き当たった。
考えるまでも無く、地下道は此処まで。階段の上の扉は地上へと続いているであろうことは疑いようが無い。
長い階段を上りきり、曲がりくねった通路を経て、恐らくは入り口同様魔紋にて閉ざされた扉へと行き当たる。小休止の一つでも取りたい気分であったが、とてもそんなことを言っていられる状況ではない。
なにしろこちらは大国に弓引き、王城の研究員を惨殺し、護衛に手を上げ王女を攫った……紛れもない大罪人なのである。
「ありがとうございます、ヴァルター様。……では、扉を開きます」
「お願いします、殿下。追手は…………まだ居ない筈です」
「はい。ありがとうございます。お任せ下さい」
自分達のために危険を冒し、わざわざ逃げ道を拓いてくれた王女マリーベルのためにも。
自らの意思に反して身体の自由を奪われ、目覚めることすら叶わぬまま眠り続けるノートのためにも。
……為さねばならぬことは、数多くあるのだ。
「―――――、―――、―――――――、―――――………」
形の良いマリーベルの唇が小さな音を紡ぐとともに……真暗闇だった空間に仄かな明かりが灯り、次第に光量を増していく。
やがてひときわはっきりとした明滅の後、石の扉は地響きを伴いながらゆっくりと横方向へずれ始め……
隙間からすぐに外の空気と、騒々しい音と、わずかな水飛沫が飛び込んできた。
王都リーベルタから西北西、人々の営みから遠く離れた、鬱蒼とした森の中。大きいとは言えないが、それでもなかなか迫力のある瀑布の裏側……庇のように突き出た岩の下に、先程まで地下道の出口がひっそりと口を開けていた。
北部大山脈を水源とする大河『レスタ』の分流、そのひとつ――王都へは向かわずこのまま西の方角へと向かい、森林と草原と田畑を潤す流れ――その流れの袂へと行き着いた。
長いようでほんの僅かであった地下の道のりは、人の出入りを拒むかのような濃い自然の中へと続いていた。
「とりあえず此処から動こう。殿下を連れ去ったんだ……地下道使ったってバレるだろ。この辺りに留まるのは危ない」
「どうするよヴァル。私はお前に従うぞ」
「吾は地理に疎くてな、すまぬが坊に任せる」
「……何処か落ち着ける場所があればな」
今現在憂慮すべきは、大きく二点。落ち着いた場所でノートの容態を確認し、治療の手段を探ることと……何よりも追手を撒くこと。どちらも重要度は高く、どちらも軽んじることは出来ない。
また……地下道を利用するためとはいえ連れて来てしまったマリーベルも、こんな人けの無い森の中に置き去りにすることなど出来ない。野犬や狼の類が居ても可笑しくないし、魔狼狗などといった魔物が出現し得る環境である。
マリーベルの安全を確保するためにも、暫くは連れて行く他無いだろう。
「という訳で……申し訳ございません、殿下。……今暫くお付き合い下さい」
「ええ。私ならば大丈夫ですよ。どうかお気になさらず。……ふふっ、実を言うと……一度のびのびと出歩いてみたかったのです。…………護衛付きではどうにも息苦しくて」
「……ありがとうございます、殿下」
ことの深刻さを理解しているのかいないのか、王女マリーベルはにこやかな笑みをもってあっさりと頷く。どうやらヴァルターに全幅の信頼を置いている彼女であるが……そもそも王城に居る筈が無いヴァルターと遭遇した際、驚きこそすれど取り乱すことは無かった。
どう見ても怪しいところしか無い――というか実際に王命を反故にした上で不法侵入からの殺人という――むしろ悲鳴を上げて逃げられても可笑しくない所業である。
彼女の本心が、ヴァルターには解らない。ここまでの危険を冒してまで付き合ってくれる……その理由が、解らない。
逃げ道を提供してくれた以上、害意は無いと思うのだが……やはり推測の域を出ることは無い。
ともあれ今は極めて状況が悪い。心配も無くはないが、今は彼女を信じ優先事項を片付けるべきだろう。
「とりあえず逃げるのであろ。……何処へ向かう?」
「……このまま西へ。森を抜けて海路を使おうと思う。洋上の船なら良くも悪くも個室だ、追手に気を取られる必要も少ないだろう」
可能であれば、自由に動かせる船が欲しいところだが……そこまで我が儘も言えないだろう。乗り合いの連絡船であっても、最悪陸から離れられればそれで良い。
「王都はどうなってる?」
「……大騒ぎだ。礼拝堂から上がった火のせいもあるだろうが……西岸の詰所が慌ただしい。感付かれただろうな」
「シアは大丈夫なのか?」
「陽が昇る前に引き上げさせたからな。見付かった可能性は低いと思う。じき追い付く」
「……そうか。じゃ行くぞ」
メアと、彼を探しに残ったディエゴは……果たして無事なのだろうか。一芝居打ったつもりだったが、言い分は無事に通るのだろうか。心配は尽きないが、立ち止まっていることも出来ない。
兵士達が動き出したということは……遅かれ早かれ追っ手が掛かることは間違い無いだろう。
今はまだ追い付かれる距離ではないが、油断は出来ない。何せこちらのコンディションは最悪なのだ。夜通を通しての潜入・救出活動……ヴァルターに至っては黒鎧のバケモノと遣り合った後からろくな休息を取っておらず、ニドも薬を盛られ窮地に陥ってからまだ半日も経っていないのだ。
ネリーの持ち出した特製癒薬とて、既に在庫は数えるほど。無尽蔵に使えるわけではない。
戦闘可能人員が力尽きる前に……なんとか安全圏まで逃げ出さなければ。
倒れそうになる身体を薬と意思で奮い起たせ、ヴァルターは足を踏み出した。
………………………………
かさかさ、かさかさと……耳障りな音が響く。
音源はひとつやふたつではない……周囲の至るところから耳障りな音は響き、聞く者によっては鳥肌が絶えないだろう。
そんな中において……眉ひとつ動かさず、表情さえ動かさぬ人影が……ひとつ。
外套とすら言い難いボロボロの布を頭から被り――腰でも曲がっているのだろうか――背中を突き出すように布は膨らみ、また背丈は低い。
かさかさ、きちきちと耳障りな音は尽きず、背の低い人物もまた動かない。
……と。突然に。
外套を被った人物が、弾かれたように顔を上げる。
周囲で鳥肌の立つような音を立てていた騒音源もぱったりと動きを止め、まるで自分達の遣い手の命令を待っているかのようであった。
にぃ……っと、外套に殆ど覆われた顔を、不気味に歪める。吊り上がった口角と伏せられたままの目蓋、その顔は……見る者が居れば思わず目を逸らさんばかりの異様。
人の形でありながら、人とは思えぬ不気味さを滲ませる人影は…………
「――見つ、――――ケた」
にんまりと、寒気すら感じさせる笑みを浮かべ……伏せられていた目蓋を開く。
闇夜よりも更に暗い、光すら浮かばぬ虚穴のような不気味な瞳が…………揺るぎもせず、西方を見つめていた。




