167_王家の血筋と託された意志
リーベルタ王国国内において――その規模・広さこそ城下町の大聖堂に劣るものの――数多ある宗教施設の中で最も格式高く、豪奢かつ荘厳な佇まいを見せる建造物として、国外からの来賓に王国の国力を誇示する一端を担っている、この建造物。
そんな『礼拝堂』であったが……集会や行事の際ならばいざ知らず、今日ここに於いてはひっそりと静まり返っており、王女マリーベル率いる一行を除いて人けは全く見られない。
まぁ……そもそもが真夜中を過ぎ、最も眠りが深い頃合いである。こんな時間に礼拝堂に用事がある者など、居る筈も無かっただろう。
薄らとした月明かりに照らし出される彫刻の間を、まるで臆することなく悠々と進む王女マリーベル。何か言いたげな表情を垣間見せつつも何も言わない宮廷魔導師ディエゴを尻目に、礼拝堂演台中央の祭壇……を素通りし、最奥部――正面入り口から見れば真正面、真向かいに当たる――壁一面に据え付けられた巨大な連筒風琴、その点検用扉の取っ手を捻り、開く。
何事かと注視する視線を意に介さず……何のためらいも無く点検扉の中、狭苦しい連筒風琴内部へと入って行ってしまった。
彫金技師でもなければ石工でもない、おおよそ高貴なる身分の者とは思えぬマリーベルの行動に、疑問符を浮かべるヴァルターとネリー。ディエゴは何やら瞼を瞑り、思い詰めたような表情で溜息を零している。
お付きの兵士二名は相変わらず直立不動、その表情こそ覆兜に隠れ窺えないまでも……困惑の中に諦観に似た感情を抱いているようであった。
「何をして居られますの? 早くこちらへ」
「待っ……お待ち下さい殿下、一体何を……」
「何を、って……城から逃れるのでしょう? この上なく安全な逃げ道を、私がご案内致しましょう」
「…………殿下、それは……まさか」
諦めきったように肩を下ろすお付きの兵士二名と、言葉無く瞑目するディエゴの手前……ヴァルターとネリーは王女マリーベルの言わんとすることを察し、驚愕に目を見開く。
……確かに、それを用いれば離脱は容易い。『一刻も早くノートを安静にさせる』という至上目標を達するには、それを拝借するのが最も手っ取り早く、かつ確実である。
だがそれは……ただでさえ悪い立場を、更に悪化させることに他ならない。それに加え、ヴァルター達にはまだ遣り残したことがあるのだ。確かにそれを用いれば離脱は容易いのだろうが、もう一つの遂行目標である『メアの奪還』を諦めなければならない。
他ならぬ王女殿下に、危険な橋を渡らせようとしているのだ。
好機は恐らく……今このときのみ。
乗ればノートを危険から遠ざけることが出来るが、メアを諦めねばならない。
反ればメアを救出に向かえるのだろうが、仮に救出できたとて脱出経路は絶望的。すぐそこに大量に詰めている守衛兵士達が大挙して押し寄せれば、強行突破はおろかこれを使わせて貰うことさえ不可能となるだろう。
「…………ならば、私が残ろう」
僅かな時間であったが、深い思考の渦に呑み込まれていたヴァルターを引き揚げたのは……腕の中に小さな身体を抱き留めたディエゴの、どこか覚悟を決めたような声。
「勇…………ヴァルター殿はノート嬢を。もう一人……メアとやらは、私が探ろう」
「先生……それは!」
ディエゴの申し出に食って掛かろうとしたネリーであったが、状況は彼女とて理解していた。確かに城内の様子に精通している彼であれば、自分達が残り探し回るよりも幾分望みはあるだろう。
それに何よりも……一刻も早く、ノートの安全を確保したい。メアにとっては非情なのかもしれないが、それは一切偽らざる本音であった。
しかし同時に心配も残る。敵陣に護衛となる者も無く魔導師をたった一人遺そうというのだ。たとえディエゴとて無事で済む保証は無い。
「恐らくだが……幸いなことに目撃者は皆、口を封じてある。私が『謀叛人を止めるために脱獄したのだ』、という体で潜り込めれば……多少は探す時間も稼げよう」
「いけるのか先生……さすがに危険なんじゃ」
「此処まで来て万事安全な策など無かろうよ。此の辺りが妥協点だろう」
「そりゃあ……ああもうクソッ!」
恩師でもある魔族の男を気遣ってか……忌々しげに顔を歪め、ネリーはがしがしと頭を掻く。しかしながら彼女自身、このあたりが落とし所だろうとは認識していた。メアが彼女にとってかけがえのない癒しであることは事実だが、メアとノートを天秤に掛けられれば……彼女はノートを選ぶ。
それに何よりも、未だ取り繕う余地の残るディエゴとは異なり、此処に存在しない筈の三人……ヴァルターと自分とニドは、疑う余地もない叛逆者であるのだ。
ノートの件を抜きにしたとしても、一刻も早く犯行現場からは逃げ遂せたいというのは、偽らざる本音であった。
「心配するな、とは言えぬが……それは其方とて同じであろう。全力を尽くし護り抜いてくれ」
「…………ディエゴ先生も、どうかご無事で」
「貴殿もな、ヴァルター殿。……頼むぞ」
あまり時間を掛けることは出来ない。焦燥感に急き立てられながらも無理やり納得させ、一行は二手に分かれる。
未だ意識なく……まるで死んでいるのではないかと疑う程に身動きの無いノートと、ディエゴより彼女を託され背に背負うニド、苦々しい表情ながらもどこか覚悟を決めた様子のネリーと、同様のヴァルター。以上の四名は王女マリーベルの手に招かれ、連筒風琴の点検扉へと足を向ける。
……と。
「勇者様、お待ちを」
「俺は勇者じゃ…………悪い。……何だ」
何事かと振り返る勇者に……全身鎧の従者二人は、それぞれ斧槍を向ける。
その表情こそ伺い知れなかったが、ヴァルターには彼らの意図が意外なほどすんなりと理解出来た。
「王女殿下を誑かす背信の徒よ、断じて見逃す訳にはいかぬ。全力で阻止させて頂く」
「…………そうか。……そうだよな」
「……お覚悟を」
「ああ」
目にも留らぬ剣速で振り抜かれたヴァルターの剣戟が、一片の容赦無く護衛騎士に振るわれる。とはいえさすがに刃は立てず、平打ちで叩き付けられた『黒の剣』であったが……それは護衛騎士の胸鎧を粉々に砕き、意識を刈り取るには充分であった。
言葉とは裏腹に、微塵も殺意を覗かせず……あっさりと下された二人の騎士。
「……殿、下を…………何卒」
「ああ。…………すまない」
「…………勿体、無き」
吹き飛び、床に転がり、それでも絞り出すように紡がれた言葉に……ヴァルターは小さく詫びる。
名も知れぬ忠臣二人は、そこで意識を手放した。
「……では、頼むぞ。勇者殿」
「俺は……もう…………」
「勇者であろう。……ほかでもない、あの子の」
思わず顔を上げるヴァルターに対し、ディエゴは尚も続ける。
『勇者』の在り様、その心構えを。国でも、権力でもなく……ただ人々の安寧のために仕えるべし、と。
「たとえ国如きが咎めようとも……大切な者のため力を揮うは、それは『勇者』と呼んで差し支え無かろう。…………だから」
そこで唐突に言葉を切り、おもむろに火弾を撒き散らすディエゴ。幾つかはヴァルターへ、残る幾つかはほぼ全方位へ向かい放たれ、演台を始めとする礼拝堂の各地へ着弾する。木製の長椅子や飾り布は高熱に晒され瞬く間に燃え上がり、飛び散り散乱した炎は高熱を湛えて正面入口扉の前を塞ぐ。
虚を突いたかのような宮廷魔導師の攻撃魔法に、一方の『勇者』は戸惑いも見せず、迫る炎を搔い潜りディエゴに肉薄し……
「あの子と、殿下を」
「……はい」
振るわれたのは、魔の護りなど意に介さぬ『白の剣』。刃こそ立てられなかったとはいえ、近接戦闘に秀でた勇者の膂力は魔導師の守りを容易に穿つ。
薄い硝子を砕くような乾いた音と共に魔法障壁が打ち砕かれ、叛逆の徒を追い詰めた宮廷魔導師は奮闘虚しく……幸いにして未だ炎を纏っていない長椅子を盛大に巻き込みながら吹き飛ばされ、そこで完全に沈黙する。
ただでさえ見通しの悪い闇夜に加え、立ち上る熱炎と煙もあっては……視界はお世辞にも良いとは言えない。燃え上がる炎の音と兵士達の怒号に溢れた礼拝堂の奥、ひっそり交わされた遣り取りに勘付けた者など居なかったであろう。
追っ手を撃退した叛逆の徒は、炎に阻まれ攻めあぐねる守衛兵士達を一瞥すると……小さな扉から連筒風琴内部へと身を滑り込ませていった。
「……申し訳ございません、殿下」
「いえ。……こちらこそ、ごめんなさい」
光源の無い狭い空間、縦横に走る大小様々な配管を潜り抜けた先。待ち受けていたマリーベルが示す先、隅っこの床にぽっかり口を開けた分厚い石の扉。
地下へと向かう石造りの階段、暗く狭く冷たいが劣化のほとんど見られぬその階段は、王城において一種の『お約束』ともいえる重要設備……王家専用の脱出通路。
よくよく見るとその扉には精緻な魔法紋様が一面に彫り込まれ、ほんのりと淡い魔法の光を発している。
先んじて石扉の向こうへ飛び込んだネリーとニドも、勇者ヴァルターさえも知る由は無かっただろうが……扉に刻まれた文様はほかでもない、旧きより伝わるリーベルタ王国、その王家に代々伝わる魔紋。
リーベルタ王家の正当な血筋と、それに込められた魔法因子を鍵として起動するその扉は……王女マリーベルの手によって開かれた、『敵』から逃れるための道。
「ヴァルター様、奥へ。……閉ざします」
「……御願い、します」
ヴァルターとマリーベルが通路へ飛び込み、最後に通路へと踏み込んだマリーベルの唇が呪言を紡ぐ。
分厚く重々しい石の扉は、管理者より送り込まれた指示に対し正常に反応を返し、紋章をゆっくりと明滅させながらゆっくりと閉じていき……やがて腹の底に響くような音と共に静止する。
リーベルタ王国によって仕立て上げられ、あるとき反旗を翻し、王女マリーベルを奪い去った叛逆者ヴァルターとその一味は……そうして行方を眩ました。
連筒風琴下部の配管室の片隅……今や魔法紋様の光も消え、床板と完全に同化している地下通路への石扉。
そこに先程まで浮かびあがっていた紋様は、旧きより伝わるリーベルタ王国王家に代々伝わる魔紋。
……もし。今は昏睡状態に陥ったままのノートがその紋様を目にしたのならば、その紋様に対して過敏ともいえる反応を返しただろう。
ノートがその紋様を目に映したのならば……戸惑いと共に、ある国の名を零しただろう。
――『勝利の国』……と。




