166_物言わぬ矮躯と暗夜の光明
真暗闇に包まれた王城施設の地下層を、もはや足音に気を配ること無く突き進む一団の姿があった。
彼らのうちの誰もが悲壮感と焦燥感を纏い、まるで地獄でも見たかのような酷い顔で……そんな中でも一心不乱に、白い少女を大切に抱き抱えながら足を動かす。
先頭を行くヴァルターは二振りの剣を抜き放ち、高密度の探知魔力を放ちながら登り階段を駆け上がる。
警戒網に掛かった反応を見る限り、このまま穏やかに離脱することは最早避けられない。不退転の覚悟と共に、臨戦態勢で歩を進める。
その背後に憤怒一色に顔を染めたニドが続き、最後尾をこちらは悲嘆に染まったネリーが続き……最後尾から二番目、長身のディエゴは小柄なノートをしっかりと抱き抱え、遅れぬよう必死に追い縋る。
あれ程嫌っていた相手に抱き抱えられているにもかかわらず、身じろぎ一つ取らない……最早何も感じていないのであろう小さな姿を悼ましげな表情で伺いながら、確たる決意を胸に階段を駆け上がる。
………………………
ノートの背に呪いの焼印を施した張本人……情報源として期待していた男は、既にこの城には存在しない。
結果として有用な情報を持っておらず、かつ脱出の足枷となる存在など……ましてや狂気とも言える所業に荷担した畜生風情など、一片の憐憫も浮かびやしない。
『自分達は、指示された通りの条規を織り込んだ焼印を組み立て、それを熱して押すことしか出来ない。施された焼印を除去する方法なんて、存在しているのかさえ知らない』
情けなく震え、みすぼらしく失禁しながら自分の知る情報を吐いた男は……茫然と立ちすくむヴァルター達三人の前で、突如業火に包まれた。
断末魔の悲鳴……喉から絞り出すような聞くに耐えない絶叫を上げ、人肉の焼ける異臭を放ちながら暴れまわった男は、やがて物言わぬ炭の塊と化し……塵芥を見下ろす瞳で一瞥するディエゴの眼前、跡形もなくこの世から消え去った。
つまるところ……ノートに施された焼印を取り除く方法は、手詰まりと言えた。
途方に暮れる彼らに追い討ちを掛けるかの如く、事態は予断を許しはしなかった。
ここへ来て――いや、むしろ今までよく騒がれなかったと考えるべきだろうか――地上層方面にて異様な行動を取る異様な反応を、勇者の剣の探知機能が捉えたのだ。
改めて、極めて脆弱な立場に居ることを認識した一行は……とにもかくにも落ち着ける場所を求め、何よりもまずは城からの脱出をと行動を開始したのだった。
………………………
「……やっぱりか。待ち構えてやがる」
「先程言うて居った奴か」
「ああ……魔力持ちの反応。デカいぞ」
「呵々! 臨むところよ。……喰ろうてやるわ」
地下から地上層へと昇る階段を駆け上がりながら、ヴァルターの持つ剣の探知が反応を捉える。
それは先程、放心状態であったときに捉えたものと同じ反応。明らかな意思をもってこちらを探るように……出口を塞ぐように移動している、その反応。
……偶然であるとは、もはや言い難い。
「ニド、逸るなよ。俺が指示する、合わせろ」
「…………心得た。任せよう」
何者であろうと、今の自分達は一刻も早く此処を離れなければならない。
王命に背いた上、無断での王城侵入……極めつけは研究員の虐殺。明確な叛逆者と化した自分にとって、ノートの安全を確保するためには王都から逃げ出さなければならない。
そのためにも……誰であろうと、立ち塞がるのなら蹴散らすのみ。
階段室の出口となる扉――この先の広い廊下に奴等が陣取り待ち構えている、修羅場へと続く扉――が、四人の視界に入る。
階段を上りきり、ヴァルターは並走するニドと視線を交わし……勢いそのままに扉をぶち破り、飛び出す。
ヴァルターはすぐさま、行く手に立ち塞がる相手を肉眼で視認する。
中央に立つ魔力持ちが一人と、彼女を護るように控える完全武装の兵士が二名。
この相手に対しヴァルターの思考は迅速に巡り、この修羅場に措かれ混乱の残る頭で最適であろう対処を導き出し……今まさに床を蹴り飛び掛からんとするニドに指示を出す。
「ニド!! 待て!! 止まれ!!」
「うおおおおおお!?」
しかしながらほんの一瞬遅く、床を蹴り宙に身を踊らせてしまったニドは……それでもなんとか勢いを殺そうと空中でじたばたと四肢を暴れさせ、守りの薄い胸元や内股をはしたなく晒しながら、呆然とする完全武装の――ヴァルターからの制止が届かなければ蹴り殺していたはずの――兵士の肩に……なんとか無事に着地してのけた。
頭部を守る兜の眼孔からは、すぐ目の前に白い内股と薄手の黒下着がバッチリお披露目されていることだろう。組み付かれた兵士の動きが目に見えて止まる。
……どうする。見られてしまった。
明確に、確実に、こちらの所在と目的を知られてしまった。
口封じを行うことは……行うだけならば、きわめて容易い。
だが……出来るのか。そんなことが。
「あぁ……やはり…………やはり……!」
「………なん……で」
……出来るわけが、無い。
目撃者を――ヴァルターの眼前に現れた、完全武装の兵士二人を引き連れるその人物を――口封じのために殺めることなど、出来るわけが無い。
月光に煌めき神秘的に揺れる、黄金色の長い髪。
今や涙を湛え輝きを増す、翡翠色の優しげな瞳。
歳の頃は今年で十六。リーベルタ王国国王アルフィオの第三子にして、長女。
「……なんとなく、ですが…………理解しました。……その子を助けに戻られたのですね、勇者様」
「ッ! 殿下、私は……」
―――マリーベル・ティア・リーベルタ。
『勇者』ヴァルター・アーラースと将来を誓い合う仲であった…………否、勇者を飼い慣らすための『餌』として、リーベルタ王アルフィオによって用意されていた娘。
この『リーベルタ王城』という地獄にあって尚、どこか安らぎを覚えそうな程に……暖かく、澄んだ眼差し。
……殺せるわけが、無い。
「……大丈夫です。私は勇……いえ、ヴァルター様の味方です。……私も彼らも、皆様をお父様に引き渡すような不義理は……断じて致しません」
王家の娘はまっすぐに、それでいてしっかりとした意思を湛えた瞳で、ヴァルター達五人を見詰めていた。
………………………
淡い月光が射し込む薄暗い廊下……絢爛豪華ながらも暗く薄気味悪い、リーベルタ王城主塔の一階。
第一王女マリーベルに先導され、意識不明の少女一名を含む八名はこそこそと……それでいて迅速に移動を行っていた。
現在時刻は真夜中を幾らか回った頃、未だ夜であることは変わらない。夜の帳に包まれた王城はそこかしこに見張りの者――白銀の鎧を纏った直立不動の兵士――の姿が随所に見られるが……
「姫様……? 如何なされました?」
「……ごめんなさい、少しの間目を瞑って下さいませんか」
「…………成程。……ご安心を、我等は何も視て居りません。……良いな?」
「はっ。いつも通り、静かな夜に御座います」
「ありがとう、ございます。……ご苦労様」
「……は。勿体無きお言葉」
幸いなことに誰にも見咎められること無く進むことが出来た彼らは……広間を横切り、廊下を抜け、扉を潜り、渡り廊下を通り過ぎ……
目的地への最短ルートを順調に進み、ついにその大空間へと辿り着いた。
「……まさか、殿下」
「ふふっ。良い考えでしょう? アスコート卿」
渡り廊下から足を踏み入れたそこは、壁面に設えられた巨大な着彩硝子を通し、静謐な月明かりが射し込む大広間。薄暗い中にもどこか神聖さを感じさせるその空間は、マリーベル達王家に類する人物にとっても特別な……心の拠り所となる場。
王城区の『礼拝堂』。
一行が潜った扉は、その関係者用通用口であった。




