163_少女と勇者と王城の深淵
探知範囲内に突入したニドを補食せんと、巨大な粘菌種が動き始める。ずるり、ずるりと寒気を伴う音を響かせながら這い寄り、ニド自身を優に覆い尽くせる程の触腕を伸ばし……本能のままに『餌』を喰らおうと動き始める。
「起キヨ!」
号令の下、ニドの両脚に身体強化魔法が展開される。いとも容易く重ねて展開された強化魔法は、しなやかな身体の内と外をそれぞれ巡り、望まれるがままの効能をそれぞれ現す。
『瞬間強化』によって高められた脚力は、床を踏み込む力を格段に高め。
『表層硬化』によって体表面に纏う鎧がもたらす反発力、それさえも推進力に変え。
床面に広がる魔方陣と盛大に干渉し、金属を削り取るかのようなけたたましい音を響かせながら……ニドは思いっきり床を蹴り、跳ぶ。
「よっ、と」
繰り出された触腕を躱すように飛び上がり、足場の無い空中で身を捻り、器用に綺麗にその身を翻す。
跳躍の最高地点にて標的を見据え、鋭く脚を突き出し…………跳躍の勢いと落下による重力加速度に表層硬化の斥力場が加わり、巨大な砲丸となってぶち当たり……
――――突き刺さる。
「「うおおおおお!!?」」
「……ほう」
着弾地点――ニドの跳び蹴りが突き刺さった地点――を中心として粘菌種の体組織が大きく削られ、破裂音にも似た音と粘着質な水音を響かせながら……少くない体組織が周囲に飛び散る。
さすがに細胞組織の活動を停止させることは叶わないが……それでも効果の程は申し分無いようだ。周囲に飛散した体組織は微かに震える兆しを見せるものの、どうやらそこまでのようだった。
恐らく……『心核』を秘める塊と物理的に接続を断たれた体組織までは、動作を伝えるための信号を届けられないのだろう。
先程よりも幾らか体積を減じた粘菌種は自らの体を削り取られたことを理解したのか……怒りを露にするかのように不気味に蠢き、蠕動を始める。
「呵々々! 鈍間め!」
「「すっげ………」」
先程よりも減じた体積で、先程よりも高い密度で触腕が迫り来る。
しかし所詮は粘菌種程度、『二重』の身体強化を難なく使いこなすニドを捕らえるには到底及ばず……歯を剥き嗤うニドの脚が振り抜かれる度に、粘着質な音を立てて粘菌種の体組織が飛び散っていく。
小柄かつ身軽なニドは円形の戦場を縦横無尽に跳び回り、四方から粘菌種の体組織を的確に削り取る。艶やかな剥き出しの脚を鞭のように……あるいは的確に敵を切り払う剣のように振るい、全く危なげなく一方的に攻め立てる。
接触した物質を侵食し、溶解せしめる粘菌種の体組織といえど……そもそもが獲物に接触出来なければどうしようもない。
剥き出しとなったニドの脚、その更に表層を覆う魔法の護り……表層硬化の鎧に弾き飛ばされ、文字通り指一本触れることさえ出来ず一方的に蹴り砕かれていく。
たとえば……いまだ着衣を纏ったままの――体表面に表層硬化の鎧を纏っていない――胴体部分に触碗を伸ばされ絡め取られれば……話はまだ違ったかもしれない。
しかし当然ながら、ニド自身もそんなことは百も承知である。粘菌種よりも格段に素早い挙動で動き回り、かつ迫り来る触碗を蹴り落とし続けるニドに対し、致命的に速度の足りない粘菌種が何ら対抗出来る筈もなく……末端からじわじわと削られていく。
やがて……一面に魔方陣の敷き詰められた円形の床にはそこかしこに黒い粘液の水溜まりが広がり、相反して粘菌種は今や五分の一程度にまで体積を減じ……黒ずんだ粘液状の体組織の向こう、赤く鼓動を刻む心核が見て取れるまでになっていた。
「有無。こんなもんか、のッ」
粘菌種の身体を下から上へ、掬い上げるように蹴り上げ体組織をぶちまけるニドは……そのまま足先を切り返し、破断面から顔を出した心核を――瑞々しくも不気味な鼓動を刻む、粘菌種属共通の弱点を――表層硬化を纏ったままの踵で器用に蹴り割り、そのまま振り抜く。
ぐちゃり、と……耳障りな音を立てながら醜く潰れ、真っ二つにカチ割られた心核が……ひときわ大きく断末魔のような鼓動を刻むと同時。
かろうじて纏まり、『粘菌種』としての体を保っていた最後の体組織は……小さな水音を立てると共にあっさりと形と粘性を喪い、さらさらの黒ずんだ液体と化し…………
完全に、沈黙した。
………………………
「……だ、大丈夫なのか? 溶けない?」
「もう死んでおるよ。溶けぬ溶けぬ」
「そっか……」
今や脅威となるものが完全に消え失せ、とりあえずの安全が確保された円柱状の地下広間。床一面に広がる黒ずんだ水溜まりを踏み越え、入り口の反対側まで歩を進める。
外周をぐるりと廻る螺旋階段の一部に腰掛け、はしたなく脚を開きながら靴下と革長靴、革脚甲を身に付けていくニドと、降って沸いたサービスシーンをこっそりと堪能するネリー。ヴァルターとディエゴを周囲の検分に充てておきながら……とうの自分は眼前に広がる桃源郷――白く艶やかな内股と、わずかな陰影とともに存在を主張する鼠径部、更にはぷっくりとなだらかに隆起する丘と、そこを保護する儚げな黒下着――に釘付け。大変良いご身分であった。
……いや、べつにサボっていたわけではない。効能と副作用を調整し、市販のものより更に負担を減じた新作の特製癒薬を、ニドに服用させていたのだ。断じて性欲を満たしていたわけではない。
誰に咎められるでもないが、ネリーはそう自己弁護で身を固めていた。まぁ幸いにして(表立っては)誰にも咎められずに済んだのだが。
「どうやらココ……廃棄物処理場みたいだな」
「ふむ……其の様だな」
周囲の食べ残しや粘菌種の残骸を漁りながら、ひそひそ声で情報のやり取りが行われる。
幸いにして水路は幾らか離れており、小声とて掻き消されることは無かった。
「実験機材やら被検体やら……不要となるか、あるいは露見しては不味いものを……あの粘菌種に処理させていたのだろう」
「あぁ。アイツの侵食力なら何だろうと……証拠も残さず綺麗さっぱり消し去れるだろうな」
「……ここまでして隠したいブツを扱ってた、ってことか」
通常、粘菌種が分解・吸収できるものは、動物や植物などの有機物が殆どであり……更に骨などの極端に分解が面倒なものは吐き出してしまうのが、一般的な粘菌種の生態である。
にもかかわらず、この空間に居たあの個体は……金属や硝子等の無機物、更には生物の骨までも、跡形もなく分解していたようだった。
特異極まりないその生態と、巨体。自然なものであったにしろ、不自然なものであったにしろ……決して容易くない手間を掛けてまで、わざわざこの場に確保・秘匿する必要があった……ということなのだろうか。
恐らくはあの粘菌種の脱出・逃亡を防ぐための、『拘束』の魔方陣の外側に遺された……不自然に途中まで分解された、未だ小さなヒトのものと思しき、手の骨。
何らかの実験に用いられ、この場へ落とされ破棄されたのであろう……哀れな犠牲者の亡骸、その一部。
なるほどあの粘菌種にさえ叩き落とせば、何をしていようとも何の証拠も残らない。死体を発見される危険も、外へ運び出す必要も皆無。全く便利な廃棄物処理場だ。
「…………反吐が出る」
「有無。……全くよな」
恐らくは…………この縦に伸びる円柱状の大部屋自体が、水門への通用路であるとともに便利な廃棄口であったのだろう。失敗作や露見してはマズい物や者を、気軽にぽいぽいと投げ棄てられる廃棄口。
ならば、つまりは……この上に。
人を人とも思わぬ、吐き気を催す所業が執り行われているのであろう……この縦穴の上に。
あの子達の手懸かりが残されている可能性は……極めて高いのでは無いか。
「ああ……近いな。確かに上だ」
「よし来た。ブッ込んでやらァ」
周囲の検分を終わらせ合流したヴァルターの能動探知も、目標の位置をはっきりと示しているようだ。
いけ好かない下劣な実験集団に拉致された、愛しい天使たるあの子。……一刻も早く救い出さなければ、どんな仕打ちが待ち構えているのやら。
終着点はすぐそこ、急がねばならない。
「逸るなよ、空色の。下手人は直ぐ其処だ、警戒を強められるような事態は避けたい」
「……業腹だが、吾も同意よ。詰めを誤れば事を損じる」
………落ち着いて、急がねばならない。
そうだな……慎重派が居てくれて助かった。
シアの代わりにディエゴが加わった臨時行動単位であったが……即席の割には本当にバランスが取れているなと、ネリーは面白く無さげに頷いた。
※水門管理員は粘菌種用の魔物避けを用いて、安全に出入りしています。
ぷるぷるの彼はゴミ処理係であると同時に侵入者対策の側面も持っていました。わるいスライムじゃなかったよ。
合掌。




