15_馬鹿と聴取と訪問客
――ギルバート・アウグステ。
この名前を聞いた女性兵士の八割は嫌悪感をもって。
この名前を聞いた男性兵士の四割は同じく嫌悪感を、残りの六割は親しみをもって……彼をこう呼ぶ。
『馬鹿』と。
中隊長リカルド・アウグステの次男にして、父親の優秀さを受け継ぎつつも、堅実さを受け継がなかった人物である。
綺麗な女性を見掛けたら声を掛けずにはいられない。剣の修練そっちのけ、小粋なトークの話題集めのほうが大切。行く先々でトラブルを起こす。しかもその十割が女性絡み。勉学に打ち込む姿勢は立派だが、その動機が察して然るべきなあたり救いようが無い。上司の恋人だろうと、貴族様の御息女だろうと、好みと見るやちょっかいを出さずにはいられない、根っからの女好き。
……それでいて、何をやらせても人並み以上にこなすのだから、たちが悪い。
――これで父や兄譲りの実直な性格だったら。
彼を知る誰もが、そう思わずにはいられなかった。
そんな『馬鹿』が。
綺麗な女性を見ればとりあえず口説かずにいられない。女性を前にすれば常に微笑みを絶やさない。そんなギルバート・アウグステが。
目を見開き、口を半開きにして、
硬直していた。
「………ノート。自己紹介、できるか?」
「ん、んん……? じ、しょ? しょう?」
「ええと…………ギルバート。それ。ギルバート」
「ぎる、まーと。……ぎるまーと?」
「ああ。そうだ」
時間は昼時を少し回った頃。場所は兵員詰所の食堂。
昼食を摂り終えてご満悦のノートに、色々な意味で申し訳なく思いながら、ある人物を紹介する。
「んいい、やうす。 ……のーと。…めい、なー、ねす、のーと。しゅて、てね、そ、あむ、ぎるまーと」
「……………なんだって?」
鈴の鳴るような、可愛らしい声に自分の名を呼ばれ、やっと意識を取り戻した。同時に思考を巡らせ始め、現状を理解しようと試みだす。
(何だかんだで、聡いんだよな。こいつは)
「………父上。この娘はどなたですか。いつの間にこんな愛らしい娘を設けになられたのですか。母君はどちらに。是非とも御紹介に与りたく」
(いややはり馬鹿だ。我が子ながら、馬鹿だ)
「落ち着け馬鹿息子。当たり前だがこの子は私の娘ではない。縁あって面倒を見ているだけだ」
(………いやしかし。こいつの毒牙を避けるにはそれも有り、か?)
ふと脳裏を過った案をとりあえず隅に置き、説明を続ける。
「……先程も言ったと思うが、お前にはこの子に言葉と……色々と『常識』を、教えてやってほしい。幼年科の内容だ。出来るだろう?」
「この娘に………? いや、しかし父上」
「こう見えて物覚えは良い。賢い子だ。……出来るだろう?」
「……で、る? …のう?」
眉根を寄せて小首をかしげ、こちらを伺うノート。いちいち可愛らしい動作を前に、ギルバートがしばし思案する。
「………父上。恐れながら申し上げます。不肖ギルバート、自身の女性に対する接し方とそれに対する御指摘を、少なからず把握しているつもりではございます。……そのような私に彼女を預けること……父上は、その……宜しいのですか?」
「逆に問うがな。いくら女性に節操の無いお前とて、この幼子相手に手を出そうと思うか?」
「いえ、さすがにそこまでは。見たところ、十かそのあたりでしょう………少なくともあと五、六年経てば……」
「なら少なくともあと五年は安心ということだ。心配はない。その間にお前対策は考えておく」
「そんな殺生な」
ギルバートは大袈裟に天を仰ぐ。
「それに、だ。……周りを見てみろ」
釣られて周囲を見渡し、軽く引きつった声を漏らす。
昼飯の時間は過ぎたとはいえ、最近めっきり賑やかになった兵員詰所である。彼女が居るということもあってか、少なくない人々が、食堂には残っていた。
……そして皆一様に、彼らのやり取りに耳を傾けていた。
「……簡単に言うぞ。その子に何かやましい真似をしてみろ。……無事にこの街から出られると思うな」
「………重々、承知しました…」
実の父親の命令と、多くの人々の無言の圧力を受け、ギルバートはそう頷かざるを得なかった。
「………済まないが、そちらの話は終わったか?」
「あーー……悪ぃな、お取り込み中のトコよ。お嬢ちゃんちっとばかし時間くれねェか?」
唐突に響いた声に、おもわずそちらを見遣る。
声を掛けたのはこの街の守衛隊長ギムレットと、先日の防衛戦の際に力を振るった人物……『魔法使い』を自称する、特異な服装の男だった。
………………………
『――場所を変えよう』
魔法使いの言葉により、現在一同はノートの私室……もとい、医務室へと集っていた。どうやら魔法使いはノートに用があるらしく、声を掛けられた彼女はお行儀よく、寝台に腰掛けている。
「……失礼ながら、単刀直入に訊こう。」
魔法使いは改まってノートに向き直り、黄金色に怪しく輝く瞳を開き、問うた。
「君は、『魔法』が使えるのか?」
「ん……ん……? ま、ぉう…つか、ぬ…か……?」
「……君は、『魔法』が、使えるのか?」
「……すまないが、魔法使い殿。彼女は言葉が…」
「んん………えす、と、みぅ……いぅえ、すに、ん、み………。 んいい……えす…と、みぅ……」
俯き、申し訳なさげに言葉を紡ぐノート。
「んいい………えす…と… ごねんなさい」
たどたどしく謝罪を述べる彼女を見て………魔法使いは、ゆっくりと頷いた。
「イ・ハーヴェ・ス・ディ・コーマ」
突如響いた、聞き慣れぬ言葉。
ひときわ大きな反応を示したノートは、弾かれたように顔を上げ……大きな目をまんまるく見開いていた。
「ディテ・アーヴァ・トリマ・イ・ニス。スィ・シン、……ズィーク・ヤー」
「えあ………えああ…………やうす。…やうす」
魔法使いの掛けた言葉に反応し、しきりに頷き……ついには涙を零し始めた、ノート。
……意思の疎通が、言葉が交わされたのは、明らかだった。
「……………嘘だろオイ。 ……話が…通じた?」
「魔法使い……殿!? その…その、言葉は……!」
目の前で繰り広げられた光景。…それが何なのか理解すると同時、問いが飛んだ。
「……所々、癖のようなものも在るが。……そうだな、かつて『我等』が用いたとされる言葉と、よく似ていよう」
「我等……とは、まさか……」
「………そうさな。『魔族』と呼ばれた者だ」
突如告げられた事実に、絶句する一同。聞き慣れない言葉とは思いながらも、それが魔族のものであるとは思いもしなかった。
当のノート本人は、突如として鳩が豆鉄砲食らったような顔になった一同を見回し、何事かと目をしぱしぱさせている。
「で…では……! では………この子は………」
目に見えて狼狽え出し、見る見るうちに顔が青ざめだす衛生兵……ケリィ。
『まさか』と続ける声は……もはや言葉にならない。
「それは違うだろうな。…確かに人間離れした容姿ではあるが、かといって魔族らしき点は見受けられぬ。……『育ての親が用いていた』、等ということも在ろう。出自について、何か知らぬのか?」
「いえ、その………聞き出そうにも……言葉が通じず………」
「……成程な」
一同の視線が、自然とノートに向かう。一方の彼女は一瞬たじろいだ様子を見せつつも、『こいつら何の話をしてるんだ』といった疑問の方が…好奇心の方が勝っているようだ。相変わらずきょとんとしている。
「しばし、彼女を借りても良いだろうか?……言葉が全て通じるとは限らぬが、幾らかの事情は聞き出せよう」
「……すまない。私も同席させてくれないか? 話に加われなくとも構わない。…ただ、聞かせてほしい」
魔法使いの問いに、ギルバートも乗っかる。
「まぁ……良いんじゃね? こういうのは専門家に任せた方が良さそうだ。お嬢も大勢に囲まれるよりは……『話のわかる』少数の方が良いだろ」
「…………そう、だな。我々は少々外そう。……魔法使い殿、彼女を宜しく頼む。……愚息が何か仕出かすようなら、遠慮せず斬って構わない」
「うむ。心得た」
「……大人しくして居ます」
「…? えああ?」
………………………
ノートへの聞き取り調査を任せ、医務室を後にする三人。
皆一様に、思い詰めたような顔をしていた。
「魔族の言葉……か」
リカルドは戸惑いつつも、どこか合点がいったかのようであった。
「……ならば、その………彼女が魔法を使えることの説明も…つきますが……」
「気にする程の事じゃねーだろ? 別に何者であれお嬢はお嬢だ。カワイイお姫様であることには変わり無ぇーし、この街の救世主であることに違いは無ぇ」
不安げな様子を見せていたケリィも、その言葉に曖昧ながらも頷いた。
「それに魔族ってもな……全部が全部敵ってわけでも無ぇしな。魔法使いの旦那なんか良い例じゃねぇか」
「………すみません、その……彼は、一体何者なんですか?」
「あー……そっか。出不精だもんなぁ…旦那は」
「……竜の瞳を持つ魔族。私も直接見えたのは初めてだがな………」
隊長二人は勿体つけたように間を空け、告げた。
「彼の名は……ディエゴ・アスコート。魔族の魔法使いにして……」
「いわゆる宮廷魔導師ってやつ。その一人だよ。……この国のな」
………………
――時を同じくして。
ここはアイナリーの南門。その周辺が、にわかに騒々しさを増していた。周囲に押し掛けた人々の視線と興味は、二人の旅人に向けられている。
その視線の殆どは………戸惑い。
「……なんか、今までのトコと様子が違うな。……まぁ別に、熱烈歓迎してほしい訳じゃ無ぇけど」
「………………………」
二人の旅人は、ある種異質な装いであった。
片や、灰鼠色のフードを目深に被った、小柄な影。
片や、白地に金縁の外套を纏った、整った顔立ちの青年。
これだけであれば、よくある旅人ないしは行商人の装いとも言えた。人々もここまで戸惑いを露にしなかったであろう。
「……おいヴァル。さっさと行こうぜ。腹へった」
小柄な人物が相方に声を掛けるも…反応がない。
見ると、白地の外套を着込んだ青年……『ヴァル』と呼ばれた彼は、険しい表情のまま……
とある方向を注視していた。
「おい起きろ。どうしたヴァル」
「………ネリー。宿を探しておいてくれ。後で出向く。………俺は……急ぎの用件が出来た」
「は? おま……あっ、おい!?」
相方の制止も待たずに、駆け出す青年。彼の背中を、街の人々の視線が追った。
人々の、困惑と警戒の視線。……それは、
『ヴァル』と呼ばれた青年の腰に吊られた、細長い物体、
―――白一色の剣……『勇者の剣』に注がれていた。
【教導員】
読み書き計算や歴史地理など、知的分野を他者に教える役割を持つ人物。またその免許を持った者。
依頼元へと出向いて教導を行う。家庭教師。
彼ら自身がそれ以上の知識を持ち合わせていること、教えるに足る教育を受けていることが前提であるため、絶対数は多くない。
顧客は主に、カネはあるが教育機関へ通うことのできない者、あるいは通いたがらない者。
えらいひとのご子息や、えらいひと自身であることが多い。
荒事を苦手とするものが多く、また優良顧客は都市部に集中していることもあり、
基本的に都市から出たがらない。




