159_勇者と従者と城区潜入
王城区の警備は……平常時であれば、そこまで物々しいものでは無い筈であった。
しかしながら今日この日は、色々と異質な一日である。昼過ぎには前代未聞の魔物騒ぎが勃発し、それに加えて先程は夜分であるにもかかわらず………王城区へ所属不明の荷馬車が乗り付けられるという事態。
勿論、その馬車の中身が警備の兵士達に公開される筈もなく。兵士達の中には一抹の不安を抱えながらも、混沌の一日をなんとか終わらせようと、これ以上の面倒事は懲り懲りだと……真面目に職務を全うしようとする者が殆んどであった。
……つまりは、いつも以上に警備が厳重なように見えた。
………ただの気のせいであれば良いのだが。
「二人来てる。……………曲がった。行くぞ」
極めて高精度な探知魔法の恩恵もあり、巡回警備に臨む兵士の間隙を縫うように、四人は一塊となって進んでいく。幸いなことにリーベルタ王城は大河のど真ん中、多少の足音は河のせせらぎに紛れて掻き消える。
先頭をヴァルター、そのすぐ後ろにぴったり寄り添うようにニド、隊列の最後尾に後方警戒担当のシアを背負ったネリーが続く。
現在地は、王城区内の居住区画。城に勤める学者や侍女や兵士達の居住施設や兵員施設が多数立ち並ぶ、王城区内でも外側に当たる区画にあたり……ネリー達研究員扱いの者達が寝起きする部屋も、このあたりに配されている。
立地的に完全に孤立している王城区であるが……その内部は更に三重に区画分けが成され、それぞれの区画の間は水堀と跳ね橋で区切られる。
当然ながら三重の防護の一番内側は、いわゆる『本丸』である。最も奥まった位置にあり、最も身分の高い者が居る場であり、最も侵入が困難な区画であり………ノート達ふたりの現在地点もまた、そこであるらしい。
つまりは………彼ら四人の目的地も、その本丸内部である。
………のだが。
………………………………
「ディエゴ先生を……拐ってこうと思う」
それはほんの数分前。ネリーの部屋を後にする直前に、提案された作戦であった。
そもそも。アイナリーにて一人帰りを待つ、『魔族』であるメアを確保するよう指示を出したのは……他ならぬ宮廷魔導師ディエゴである。
聞くところによると……多くの権限と給金の見返りとして国のために働くことを義務付けられている彼は……数日前より拘束、軟禁されているという。
王より直々に何かしらの命令を受け、しかしながらその命令を頑として受け容れず、あろうことか王に向かって異を唱え、その後もことあるごとに反意を語り続けたため……現在は罪人として拘束されている。………らしい。
件の暗号文書は、王の命令を耳にした直後……そう遠くないうちに拘束されるであろうことを悟り、一縷の望みを託して認めたものだろう。……とのこと。
つまりは……少なくともノート達が王都に到着したときには既に、ディエゴは幽閉されていたということらしい。
「私らの居る……ここ、三之丸。ここから二ノ丸に向かう跳ね橋の袂に詰所があってだな」
ネリー曰く、三之丸と二ノ丸の境には防備のための関所が設けられ、門扉と跳ね橋と立塔を備えるその関所施設内には、王城区用の牢が備えられているという。
場所から見ても、またディエゴの立場から鑑みても、彼はそこに収容されている可能性が高い。
ことここに至っては、遅かれ早かれ戦いとなるだろうことは避けようがない。
であれば、ほぼ間違いなく自分達の側に立ってくれるであろう戦力の一人として。加えて、恐らくは最もこの騒動について詳しいであろう……情報源として。
また……個人的な心情を加味して、是非とも巻き込みたい……とのことだった。
どのみち……本丸へ向かうのであれば、経由せねばならぬ施設である。ならばと三人が三人(一匹棄権)賛成を示し、こうしてディエゴ救出作戦が可決されたのであった。
………………………
「……地下に……四人。………でも違ぇな、ただの人族だ」
「アイナリーで視たことあんだろ? 先生の反応は」
「あぁ。だから間違い無ぇ……あ、上か!」
「ええ、上…………塔の中ってことかよ……」
三之丸関所施設の、すぐ近く。兵舎とおぼしき建物の影に身を潜め、ディエゴの魔力反応を探る。
能動探知とて魔力消費が無いわけではないので、なるべくなら温存したいところなのだが………しかしながら能動探知によって得られる情報は極めて有用である。これは『見つからない』ことを至上目標として掲げる以上、避けられぬ消費と割りきるほか無いだろう。
なので……他の部分で、可能な限り魔力消費を減らす。解りやすいところで言えば……何よりも『戦闘行為』。
警備を刺激することを避けるためにも、戦闘行為に伴う魔力温存のためにも……なるべくならば、騒ぎを起こしたくは無かった。
幽閉場所が地下牢であれば、簡単にことは運べただろう。採光窓の鉄格子を破っても良いし、地下牢の見張り数人程度ならば瞬く間に鎮圧可能である。
だが一方………塔内部、上層ともなると。
上層へと続く登り階段は、塔内部地上階でも奥の方であろう。防衛拠点として用いるためにも、侵入者が易々と上層へ上がれる構造になってなど居ない筈だ。
ディエゴの居る上層へ辿り着くためには………塔一階に突入し、立ちはだかる兵士を蹴散らし、階段を登り、登った先の兵士をまた蹴散らし、また階段を登り…………これを繰り返すしかない。
無論、塔上層にも窓は有るだろうが……射掛塔としての用途上、窓は全て三之丸方向を向いている。射線が通るということは、当然視線も通るのだ。窓格子を破る間に……絶対にバレる。
やっぱり強行突破しかないか。いやそれでは魔力消費が………警鐘を鳴らされれば潜入は不可能、全力でぶつかるしかなくなる。それではまた難易度が上がってしまう。ではどうするべきか、なんとか塔上部へと忍び込むことは出来ないか。シアに飛んで貰って……ダメだ格子が破れない。
ああでもないこうでもないと、顔を付き合わせひそひそ声で作戦会議を繰り広げる四人。
焦りが彼らの視野を狭め、白熱する意見の応酬は警戒さえも薄れさせていく。
その結果。
……四人が四人とも、その存在に気付くことが出来なかった。
最初に行動を起こせたのは……慎重に、それでいて興味深げに周囲を見回していた黒髪の少女、ニドだった。
何の気なしに塔を仰ぎ見ようと顔を上げた彼女の視界に……こちらを遠巻きにじっと見つめる一人の男が映り込んだ。
(!!? 気付かれたか!!)
今まさに『警備に見つかって戦闘沙汰にならないように』と話していた矢先に……気のせいではなく確実に、不審な四人の姿を見咎められてしまった。
後悔はほんの一瞬。幸いにしてこちらを発見した男は未だ棒立ちしたまま、未だ応援を呼んだ様子は無い。……今なら、まだ間に合う。
この四名編成において自らの戦略的重要度が最も下であると判断したニドは……他の三人を温存すべく、即座に対処に移る。
(重ネテ謳エ。疾レ、疾レ。吾ガ身ヨ、奮エ)
兔にも角にも、奴に応援を呼ぶ隙を与えてはならない。一片も躊躇せずに始動呪言を唱え上げ、ヴァルターの『奥の手』に匹敵する高次元の加速魔法が、小さな身体に発現する。
思考速度と運動速度を爆発的に加速させたニドの身体が、僅かな音のみをその場に残して掻き消える。
引き伸ばされた時間、加速された思考の中。ニドの挙動にいち早く気づいたらしいヴァルターが動き出すよりも早く、矢のような速度で一直線に駆け出す。
常人とはもはや次元の違う超高速機動は、一瞬で男との距離を詰める。男の意識を永遠に刈り取るべく、ニドは跳ぶ。
一撃で、迅速に、かつ静粛に刈るために。地を蹴り、壁を蹴り、男が反応するよりも早く背後に降り立ち、勢いを相殺し、男の延髄を蹴り抜くために軸足を踏ん張り………
そこで、動きが止まった。
否………止められた。
「ぐ、………ぎ……!!」
身体を満たしていた重加速の魔法が、呆気なく効力を喪う。速度を逸するだけに止まらず四肢が硬直し、戸惑いと共に下された脳からの指令が……例外無く掻き消される。
強襲の勢いを乗せたまま……しかし動きを強制的に止められた身体は、当然のようにバランスを喪失する。
(何だ!? 吾は……何をされた!?)
思考を染める混乱の中。体勢を崩し勢いを失った身体は、重力に引かれるがままに崩れ落ちる。
抵抗らしい抵抗すら出来ず、男の行動を止めることすら叶わぬ非力な自分が………先程から何の役にも立てない自分が、腹立たしいことこの上ない。
(ぐ………畜生め……ッ!!)
虚を突いた筈の強襲をあっさりと往なした、得体の知れぬ男……只者ではないだろう。
ただの兵士とは比べ物にならない、文字通り規格外の戦力。こんな危険な相手を彼らに当たらせるわけには行かない……というのに。
彼らには……彼には、成すべきことが有るのだ。
こんな所で。
あの男を、殺らせるわけには……!
「ぐォ、ォオオオ!!」
「む………ぐゥ、ッ!?」
倒れ込む不安定な姿勢、かつ自由を奪われた身体で。受け身や身の安全さえ投げ捨て、一撃を見舞おうと身を捻る。
バランスを欠いたまま側方より振り抜かれた脚は――まだ動けるとは男自身も予想だにしていなかったのだろうか――振り向いた男の左肩を外套の上から打ち据え、僅かとはいえ苦悶の声が上がる。
だが……そこまでだった。
ただでさえ平衡を失い、倒れ込む最中に無理矢理攻勢に転じた身体は……もはや立て直す余力もなく。
未だ健在の脅威を、暗闇の中爛々と輝く金色の相貌を憎々しげに睨み付けながら……
頭から、地に崩れ落ちていった………
その小さな身体を、すんでのところで抱き留めることに成功したヴァルター。
けたたましい音を立てながら滑り込んだ男の身体に、ニドは自身の身に何が起こったのかを一瞬で理解し……頭を抱え(ようとし)た。
周囲に騒動を気取られぬよう意識して静かに事を運ぼうとしていたにもかかわらず、それを不意にするかのような彼の言動に……辛抱たまらず声を荒げる。
「ッッ、貴さ」
「ニドお前! バカ! 先走んな!!」
「お……おう!?」
………が。
予想外の反駁……というよりも叱責に、一瞬思考が停止する。
だが、しかし。見れば彼……ヴァルターは、今しがたニドが挑み掛かっていた脅威たる男に……完全に背を向けている。
馬鹿者が、とこれまた喝を入れようと顔に怒りの彩を加えたニドは………ここへきてやっと、周囲の違和感に気付く。
この兵舎と兵舎の間の細い路地……ヴァルター達と謎の男を取り込むように、薄青色の魔力がほんのりと見て取れる。それはどうやら遮音魔法の一種であるらしく……なるほどヴァルターが騒々しくも機敏に動けたのはそういうことらしい。
しかしながら。敵である男に背を向けるのはどういう了見だ。そんな柔な男に育て上げた覚えは無いと口を開きかけるも………
ヴァルターの肩の向こう、こちらを見据える金色の瞳――縦に走る瞳孔を備える龍の瞳――そこに場違いともいえる筈の優しげな色を見出だし……今度こそついに、戸惑いを露にする。
……待て。どういうことだ。……まさか。
「……坊、よもやその男………………知己か?」
口をついて出た疑問を受け、ヴァルターの顔が目に見えて苦々しげに歪み……やがて大きく、大きく溜め息を溢す。
一方彼の背後の男はというと、あからさまに口角を上げ――さも楽しそうに、愉快そうに――くつくつと笑っていた。
「初見で敵と見倣し、早合点で飛び掛かる……か。…………出不精な私にも非は有ろうが、それはそうと何処かで見たような情況よな…………勇者殿」
「………勘弁して下さい、ディエゴ先生」
警備に発見されたと思い込み、口封じのためニドが挑み掛かり、しかしながら一瞬で完封され『脅威である』と認識した相手。
殺意さえ籠められたニドの奇襲を捌いて見せた、その『脅威』たる男の名こそ……ディエゴ・アスコート。
「味方想い……良い仲間を得たのだな、勇者殿」
「……ええ、まぁ………………色々ありまして」
龍の瞳を持つ、叛逆の宮廷魔導師であった。




