158_勇者と従者と奈落の誘い
王都リーベルタは難攻不落、堅牢極まりない無敵の都である。
………そう考えている者は決して少なく無く、残念なことに――ただし今回に限って言えば幸運なことに――王城の夜間警備に携わる者たちの中で空中にまで気を配っているような心配性は、誰一人として居なかった。
まぁ……普通に考えれば『空から侵入者がやって来る』なんて有り得ないことであり、地上にしか目を向ける者が居なかったとしても……それは至極当然のことであろう。
「ぴゅっぴぴ。……ぴゅちちち、ぴぴゅぴゅ」
男女ふたりをぶら下げた人鳥が、今まさに上空を舞っている……など思いもしないであろう警備兵を嘲笑うかのように、シアは悠々と風に乗る。
魔物の身でありながら、多種の魔法を使いこなす『賢者』の号を(非公式とはいえ)冠する彼女にとって、大気の制御など朝飯前なのである。持ち前の美麗かつ大きな翼と大気制御魔法を器用に使い分け、上空より音も無く忍び寄る。
目指すは王城区内の一画。研究員居住区画とされる別棟……三階建ての建物の最上階、大きく窓が開け放たれた一室。
「ぴゅーぃぴゅぴ」
周囲の大気の密度を操り、光の屈折による錯視を造り出す。下方からの光は角度をねじ曲げられて周囲へと逃れ、それはつまり地上からの目視を偽ることを意味する。
勿論、完璧な透過と言える次元では無く……せいぜいが距離感や大きさを見誤らせる程度。とはいえ周囲はこの暗がりである。万が一空を仰ぎ見られたとしても……周囲の夜空に溶け込むように姿を眩ませたシア達を視認することは、もはや困難だろう。
そういった入念な支援のもと………順調に高度を下げ続けたシアは、ついに目標地点へと辿り着く。
「わぶォ」
「んひっ」
「ぴゅっぴ」
着地地点……窓際の床に敷き詰められていた、随所からかき集めたと思しき寝具類のお陰もあり、目立つ怪我ひとつ無く着地に成功する。
あっさりと……それでいてきわめて静粛に、巨大な水堀を乗り越え王城区への侵入を果たした二人を出迎えた者は………
「…………二人共………よく無事で」
「……お前もな、ネリー」
「世話になったの、長耳の」
半ば軟禁状態で、終わりの見えぬ徒労じみた調査研究を強いられているこの部屋の主………はぐれの長耳族。
『勇者』の従者であり、師匠でもある少女。
名は……ネリー・ロア・ブラウエル。
「……早速で悪ィが…………お嬢を、拉致る。手ぇ貸してくれ」
「ぴゅっぴ!」
ヴァルターの頼れる従者にして……同志である。
………………………………
皮肉にも、この国の『勇者』とその従者の主導で行われる、ノート及びメアの強奪作戦……その参加者は四人。
前衛が二人に、後衛が二人。バランスが良いと言えば良い配分である。
いかに人鳥とはいえ、人族ふたりをぶら下げここまで運ぶのは重労働であったらしく……揚力増強に結構なリソースを割かざるを得なかったシアは、今やかなり消耗していた。
この部屋に備えられていた在庫の霊薬で、魔力はすぐにでも回復するだろうが……腰や足は僅かとはいえ痛みを生じさせているらしく、ネリーは彼女を温存する方向で動いていた。
かといって……彼女をここで休ませておくことなど出来ない。……何せ、今このときから自分達は『反逆者』となるのだ。他でもない敵の本陣である王城区内に、安寧の地など在りはしない。
そのためシアはネリーの背に負ぶさり、ネリー共々魔法支援に専念させる方向で……ネリーは中衛ではなく完全に後衛という立ち位置として、作戦を立てていく。
……しかし。あまり悠長に構えているわけにも行かない。
自分達の所在は、行動は、既に敵側に筒抜けていても可笑しく無いのだ。
「……その根拠は?」
多種多様な筆記具や魔道具が置かれた、文机。その上に広げられた手書きの見取り図を凝視し、脳内に叩き込みながら………ヴァルターは問う。
「……蟲遣い。蝶やら蜘蛛やら蠍やら、要するに蟲を眷族として使役する………覗きが趣味の陰気な野郎だ。正面切っての殴り合いなら只の雑魚だが……監視諜報に掛けては圧倒的に上手だ。面倒なこと極まり無ぇ」
華奢な身体を覆う装備の随所に仕込まれた小物入に薬液やら薬やら道具やらを捩じ込みながら、ネリーは応える。
彼女の師匠の一人である宮廷魔導師ディエゴより与えられた情報を、この場の皆に共有していく。
「……ッ!!? じゃあ……ここにも」
「居ても可笑しく無ぇんだよな……なんせ小っぽけな羽蟲なんざ何処にでも居る。一匹残らず駆逐するなんざ不可能だ。………全部が全部奴の眷族とは限らねぇが……」
「どの蟲が監視の目か、判別出来る訳では無い……といったところか。………面倒よな」
「ああ。そうなん…………………そう、だ。そうだよ……ニド、あんた」
ニドの姿を――厳密に言うとシワだらけの砂だらけで所々が破かれ、どう見ても乱暴されたようにしか見えない着衣を――悼ましそうな顔で見詰め、ネリーの動きが止まる。
頭を振りすぐさま再起動したネリーは壁際の衣装庫へ駆け寄り扉を開け、柿渋色の外套を引っ張り出し……胸元を際どい位置まで晒しているニドに、そっと押し付ける。
「使ってくれ。………少し長いかもしれんが、動きに邪魔なら切っても、裂いてくれてもいい。そんなんでも魔法糸入りだ、多少とはいえ剣も、魔法も防げるだろ」
「…………済まんな。主らには殆手間を掛ける」
「気にすんなって。私は好きな娘には貢ぐ性質だからな」
冗談めかして笑みを浮かべながら、着々と装備を纏めていくネリー。………その装いは最早旅支度と言って差し支えないものであり、彼女が此処へ戻るつもりなど無いということを言外に示していた。
あっけらかんとした表情で、さも当然のように……あっさりと行動に移して見せた長耳族の少女。
しかし………そんな軽いものではないということくらい――ここへ至るまでさぞ苦労したであろうネリーの、今までの立場や生活を捨てさせることに他ならないのだ……ということくらい――ニドにも解っていた。
自らが勇者ヴァルターに持ち掛けた『願い』によって、人生をねじ曲げられる者が居る。……解っていたつもりなのだが、実際にこうして目にすると、さすがにクるものがある。
「……重ねて、済まぬ。………此が片付いたら、ちゃんと対価は支払おう」
「勘違いすんなよ、ニド。お嬢が大事なのは私らも変わんね。……コレは、私らの意思でもあるんだぜ? こんな国なんざこっちから願い下げだ」
「だが………事実として、主らの人生を狂わせるわけだ。補填はせねばならぬ。……持ち合わせが足りるかは解らぬが……吾の身体で払える事ならば、何なりと」
「今何なりとって言ったか!!?」
がたっ、と……明らかに声のトーンが上がり、身を乗り出し食らい付くような反応を示して見せた長耳娘。……その勢いと形相の迫力には、あのニドでさえも本能的に思わず後ずさる程。
「い、云うたが………」
「………じゃ、じゃあだぞ。例えば…………例えばだぞ? ………………お……おっぱい、吸わ、いや……舐め、いや……………も……揉ませて、とか……言ったら」
「ネリーお前…………本当マジお前………」
心底軽蔑するようなヴァルターの視線は、残念ながらネリーまで届かない。
一方の………普通の女の子にとっては堪え難いであろうセクハラ発言を受けた、しかし普通の女の子では無かったニドは……そんなことかと、あっさりと首を縦に振る。
今度こそ硬直し目を見開き顔を真っ赤に染め唇を引きつったように吊り上げるネリーの、これまた真っ赤に染まる尖った耳に口を寄せ…………
にっこりと、見るものの心を蕩けさせるかのような、優しい笑みを浮かべながら……
ヒトを堕落へ導く魔性の誘いを……囁いた。
「乳房と云わず………まぁ、膜以外であれば、な。……この身体で良ければ、好きにシて呉れて……構わぬぞ」
この、からだ。よければ。
……にどの、えろい、からだ。
すきに、して………わたしの、すき、に。
(好きに、シて………)
(…………………………)
(エッ!!?!?)
「ヴァルター!! 行くぞ! 遅ぇぞ何やってんだ早くしろ! お嬢は何処だ!?」
「ぅおお前いきなり声デケェよ!! 毎度ホント理不尽なんだってだから!!」
伴侶である人鳥の少女を背に導きながら、気合充分とばかりにネリーは雄叫びを上げる。
彼女の中には既にリーベルタ王国に対する未練など欠片も残っておらず、ただ崇拝する幼女を救い出し報酬を受け取る未来しか……ニドの母性にむしゃぶりつく未来しか映っていない。
一方のニドは『まさかここまでとは思っていなかった』といった顔ながらも……心強い味方を得たことに、心より安堵の笑みを浮かべていた。
四人による決死の救出作戦が………決死とは到底思えぬ雰囲気のもと、幕を開けた。
これ怒られるかなぁ……




