156_勇者と決意と託された牙
ほんの数分前とは打って変わり……不気味な程に静まり返った、王都リーベルタ市街。
人けの失せた裏路地……四肢のあちこちを斬り飛ばされた男達が溢す呻き声を尻目に、二つの人影が一塊となって駆けていった。
「……坊、そろそろ離せ。吾はもう歩むぐぐ」
「口閉じてろ。……舌噛むぞ」
「な………小生意気ぬぉおお!?」
言うが早いか、二人一塊の人影は勢いよく踏み込み……庇や窓枠を足掛かりに、建物の上へと飛び上がる。
裏路地に連れ込まれ、今まさに狼藉を働かれんとしていたニドを抱え起こし、取り急ぎ手持ちの霊薬を飲ませたヴァルター。
力無く為されるが儘のニドを腕に抱き抱え――いわゆる『お姫さま抱っこ』の形で――惨劇の現場を後にする。
この暗がりである。犯人の顔を見られたなどという心配は無いだろうが……疲弊しきったニドのためにも、一刻も早くこの場を離れたかった。
充分な魔力を回復させていたヴァルターは身体強化を纏い、ニドの指示する方向へと一直線に……最短距離である屋根上を駆ける。
「確か……外壁の方角……恐らくは此方であった筈だ。………ううむ、さすがに屋根上から眺めた訳では無いのでな」
「そっか………降りるか。舌噛むなよ」
「ええい童女扱いするでない!」
腕の中でむくれる……どう見ても幼い少女でしかないニドを丁寧に抱え、足音を極限まで抑え着地を果たす。
服用した霊薬の効力もあり、魔力も幾らか回復していたニド。思考も幾らかはっきりしており、ここまで来ればリカルド隊長宅までの道程は追えるだろう。引き続きヴァルターに指示を下し、月明かりの仄かに照らす夜の王都を疾走する。
「ここか」
「ここだ。………母君と義姉殿は無事か?」
「………音はしないな。……ああクソ、能動探知が使えりゃな」
「己を責めるな。今は其どころでは無い」
「……そうだな。行くぞ」
「うむ。……もう遅れは取らぬ」
扉を僅かに開け、二人上下に並んで室内をそっと覗き込み……未だに力無く食卓に座り込む二人の姿を視界に納める。
駆け出したくなる身を必至に押し留め、周囲を見回し耳を欹てながら暫し様子を窺い………付近に彼女らを除き人けが無いことを確認する。
「…………行くか」
「うむ」
玄関扉を開き、居間へと踏み込む。
一応周囲の警戒は怠らず、意識を失っている二人の許へと駆け寄る。………幸いにして狼藉を働かれた形跡は無く、すやすやと健やかな寝息を立てている。
その様子を見、ほんの少しだけ肩の荷が下りたニド。自分達が原因で恩人の家族が害されたなどとあっては………悔やんでも悔やみきれぬ。
「坊。異常治癒薬の類、手持ちは?」
「……悪ィ、無い。……ただの睡魔じゃ無い訳か」
「恐らくな。あまりにも異様が過ぎる。……吾は肉だと踏んだが」
「命に別状は無いのか?」
「『多分』としか言えぬが……致死性の毒では無かったのだ、殺意は無いと見るべきか。……下手人が何者かは知らぬが、王都で市民をわざわざ害すなど……そんな解りやすい愚行は犯すまい」
「……狙われたのは『市民』じゃない者………つまり」
「うむ。………吾ら三人であろ」
ギリ―――と、奥歯が割り砕かれんばかりに噛み締められ、軋む音が……どちらからともなく溢れる。
ニドとヴァルター……二人の懸念する事象はこの瞬間、見事に一致を見せていた。
「ノート……メア………畜生ッ」
「気持ちは解るが……己を責めるな。とりあえずは此方よ。取り急ぎ寝床に移すべきであろうな……此の儘では血が滞る。……坊は母君を。吾は義姉殿を運ぼう」
「………解った。部屋は?」
「は――どっこい………しょっ、と。此方だ………何笑って居る貴様」
「いや、何でも………」
「…………………」
すやすやと眠りに落ちる母娘二人を寝台へ横たえ、とりあえず二人の無事が確認されたことで……少しとは言え、肩の荷が下りる。
しかしながら……現在最大の問題である『ノートとメアが拐われた』という事実は未だに健在であり、どちらからともなく顔を見合わせる。……かと思えばヴァルターは途端に顔を赤らめ目を逸らし、ニドもそれに追従するように殆ど同じ態度を取る。
そのことに若干の違和感を抱きつつ……ヴァルターは口を開く。
「……ニド、お前は……服は、良いのか?」
「む…………済まぬ、不快か?」
「え? いやその……不快ってか………見えそうっていうか見えちゃってるっていうか」
「………済まぬ。予備が無くての……済まぬ」
「えっと………………おう。………気にするな」
やはり……どこかおかしい。ヴァルターはそう結論付けざるを得なかった。
いつもはからからと上機嫌な嘲笑い声を上げ、息を吐くように軽口を叩くニドが……どういうことか心なしか萎らしく、瞳を俯かせ佇んでいる……ように見える。
確かに………確かに、彼女は危ういところではあった。
とても友好的とは思えぬ男共に組み敷かれ、その身体をまさぐられるなど………普通の婦女子であれば、勿論正気では無いだろう。
しかしながら……そうは言っても、あのニドである。心のどこかでは『ニドがそう易々と凹むハズ無い』という安心感が在ったことは、間違いない。
彼女がそう易々と折れるなど思ってもみなかったヴァルターにとって……彼女がこんなにも大人しくなってしまうなど、内心の戸惑いを隠し切れずにいた。
だが実際として……この有り様である。彼女は萎らしくも変わってしまった。変わってしまったとはいえ、ヴァルターにとって全く全て悪い方へ……というわけでは無いのだが。
いつになく、大人しい――大人しくしてさえいれば、疑い様の無い美少女であり……おまけに小柄な体躯に見合わず豊かな母性の膨らみを湛える――たいへん魅力的な少女であるだけに……柄にもなくヴァルターの思考にも緊張が走る。
場にそぐわぬ思考を追い出そうと頭を振るうヴァルターに……とうの美少女ニドから突如言葉が掛けられ、中途半端なまま思考は引き戻されてしまった。
「……坊。坊が今まで何処に居たのか、何をしていたのか……吾は知らぬ。…………だが」
だが……一体どうしてしまったのだろう。
彼女らしくない、おずおずと躊躇うような口ぶりから……ついに思い詰めたような彼女の要望が――お願いが――告げられた。
「……頼む。一度不覚を取った吾一人では、正直心許無い。………御前を……ノート様を助けたい。手を貸してくれ。……頼む」
長いとは言えない付き合いの彼女――いやそもそも『彼女』という呼称さえ正しいのか判断に困る彼女ではあるが――常に口角を上げていた彼女が、こんなにも必死な表情を見せたのは………初めてであった。
真正面から見上げるように、図らずとも上目遣いとなった彼女。常に自信を絶やすことの無かったその相貌は、不似合いとも言える涙で満たされ……その口元を弱々しげに波打たせ。
「………頼む……ヴァルター」
そんな少女の、真摯な頼みに。
『勇者』は躊躇うこと無く……力強く頷く。
「元より、そのつもりだ。……任せとけよ」
「……呵々。……本当にお主は………」
――好い男よな、と……誰にも聞き取れぬ声量で、ひっそりとニドは溢す。
怪訝に眉を傾け、疑問の声を発しようとするヴァルターの口を人差し指で塞ぎ………囁く。
「………のう、坊………ヴァルターや。こちへ来い。……報酬の先払いといこうかの」
「は? いや、何言ってんだお前」
にこり、と――にやりとでは無く――どこか恥ずかしげな微笑と共に、ニドは語り掛ける。
「貴さ…………うむ……其方に、な。……其方にならば、吾の身を捧げても良いか……とな」
「……は!? いや、待て。本当何言ってんだお前!?」
「だから……報酬と言うて居るであろう? 吾の」
「待て待て待て! ボケたか!? 何言ってんだこんなときに!?」
「こんなときだからこそ……であろうに。……ええい埒が開かん」
顔を真っ赤に赤らめ、身を捩り抵抗を試みるヴァルター。そんな彼を弱々しい握力ながら引き摺るように……彼女達が貸し与えられていた寝室へ引きずり込むニド。
傷の塞がったばかりの少女に負荷を掛ける訳には行くまいと、振りほどけぬことを良いことに……そのままずるずると寝台の脇まで連れて来られ、ここまで来てやっと解放されたものの……頑なに瞼を閉じ、可哀想な程にヴァルターは硬直する。
「………ん、………んっ」
せめてもの抵抗をと視覚を閉ざしたヴァルターの聴覚を………布の擦れる音と少女の吐息が襲う。
それは……身を捩る動きに伴う、衣擦れの音。少女の衣類と素肌が擦れる、ほんの微かな音。
「むぅ………坊……ヴァルターよ」
「な、何だ!?」
「……少し恥ずかしい故、な? ……あまり見るでないぞ」
「ななな何を! だから何をしてるんだ!?」
「………何度も言わせるでない、馬鹿者め」
少しむくれたような……拗ねたような、異様なほどに少女らしい彼女の言動。
これがただの女の子なら、まだ解る。しかしながらよりによってあのニドの挙動と在らば………どうしたって戸惑いは生じてしまう。
それ程までに……ヴァルターにとってこれまでのニドは『絶対的強者』であった。それに加えて……異界『亡者の河岸』での度を越した扱きは鮮烈な印象となり、良くも悪くも深く心に刻まれていた。
「……んっ、………ん、……うむ。よし坊………ヴァルターや、目を開けるが良い。……どうだ? 綺麗なものであろ?」
「な、ちょ……待て! ちゃんと隠したんだろうな!?」
やがて……ほんの十秒そこらの後。
衣擦れの音とがさごそ音が収まると共に……突拍子もないことを口走るニド。
一方ヴァルターは自身の聴覚によって齎された情報から……衣擦れの音が止んだ彼女の少し恥ずかしい状態を脳裏に思い描いてしまった彼は、あからさまに狼狽える。
「む……隠す必要が何処に在る? 吾ながら見惚れる程に見事な造形と自負して居る。………何も隠す必要など有るまい」
「俺が! 困るの! ……いや違う俺でなくても! 大抵の男は困るの!!」
「な……何だと……!? 馬鹿な………雄共が此を嫌う筈など無かろう!? ましてや『強者』ともなれば……それこそヴァルター、其方程の強者であれば、尚更求めて止まぬモノであろう!! 此程の逸品……何故手に取って呉れぬ!?」
「だから! 今はそれどころじゃ無いだろ!? ………その、気持ちは嬉しいけど………ノート達を取り戻しに急がねぇとだろう!?」
「ならばこそ……だからこそ! 今受け取れと言うておるに! ………ええい埒が開かぬ! 手を出せ小僧!」
「あっ!? や、待……待って! 心の準備が―――」
少女の――滑らかで、柔らかくて………握力の弱い――小さな手が、ヴァルターの右手を捕まえる。
そのまま手を引かれ……ニド曰くの『見惚れる程の逸品』へと、半ば強制的に触れさせられる。
それは……ヴァルターが瞼の裏に思い描いた通りの………丸く、柔らかく、たわわに実り、ずっしりと重みを感じさせ、それでいてしっとりとハリのある病み付きな感触………………ではなく。
「えっ? 硬い?」
「……は? 当然であろ?」
太すぎず、それでいて細すぎず……僅かな凹凸は握り込んだ掌とぴったり形状を合わせ、かつ程よい重量感を持たせながらも、その見事な重量配分によって非常に扱い易く調整が成された…………長く、棒状で、硬質な物体。
頑なに目を背けようとしていた――それでいて密かに期待していた――アレでは無いことを察し、おそるおそる瞼を開くヴァルターの手に握られていた……それは。
「…………剣?」
「うむ。如何にも」
ヴァルターがそれを握る手に力を込めたことを察し、そっと手を離し………当然のように(随所が破かれ、解れ、更に狼藉者の返り血を浴びた)着衣を纏い、豊かな胸を張り得意気な顔を見せるニド。
途端に目を輝かせるヴァルターを満面の笑みで見詰め……解説を続けた。
「……吾……否、ええとだな……かつて『神話級』と呼ばれたいち魔族ニーズヘグ……その亡骸と残存魔力を糧に、死の間際にあの強者の身体と並べて吾が手ずから創造し上げた……『神話級』が一柱ニーズヘグの、最後の残滓。……吾がこの千と七百余年に渡り振り続け、あの異界で其方を散々斬り飛ばした…………まさにそれよ」
「…………これ……似て、る……?」
初めて握ったにも拘わらず、奇妙な程に手に馴染む……ニーズヘグの遺骸から造り出された、『漆黒の剣』。
装飾としてだろうか、随所に爬虫類的な意匠を含むものの――刀身の長さや幅、柄の長さや鍔の大きさに至るまで――彼にとって慣れ親しんだ……しかしながら今や取り上げられ、彼の手元に無い『勇者の剣』と……見事なまでに瓜二つ。
剣を握り、二、三振るっただけで……そのことに至ったヴァルターに、より一層笑みを深める。
「なにせよ……吾が、丁寧に再現したモノだからの。吾の遺骸から造り出し、吾と共に鍛練を重ね、………………しかし今の吾には最早振るえぬ、吾の半身だったものよ。……其方にならば、捧げても惜しく無い」
「…………ニド……お前」
「……呵々々。……言った通りであろ? 雄ならば此程の品……嫌う筈が無いと。…………嬉しそうな顔しおって」
「済まん…………感謝する」
「礼は要らぬ。報酬の先払いと言ったであろ」
「……ああ」
言葉を交わしながら……ニドは寝台の下より引きずり出したもう一振りも、ヴァルターに託す。
非常事態だ、御前も赦してくれるであろ……と笑みを浮かべるニドに手渡された、あまりにも見覚えのある剣と、外套。
先んじてニドより託された、抜き身の黒い剣と対を成すように真っ白な――しかしながら鞘を蛇革の装飾で覆われ、彼本来の持ち物とは差別化が図られた――一振りの剣。
ここには居ない……小さく可愛らしい『勇者』の愛用品。奇しくも以前借り受けたときと同様、本来の持ち主を奪還するため手に取った……完品の『勇者の剣』。
紛れもない、『最強』と呼んで差し支えないであろう装備を身に付け……この借り物で負けるわけにはいかないと、気を引き締め直す。
「……行けるか? ヴァルターよ」
「やってやるさ。……ニドは大丈夫か?」
「主様の為よ。多少の無理は押し通す」
「……あんま無理すんなよ」
「呵々! 坊が吾の心配なぞ。偉くなったの」
『勇者』ヴァルターはそれぞれの想いと共に託された、白黒二振りの剣を引っ提げ。
一方ニドは……居心地の良い三人の小僧共と見繕った、頑丈な革長靴と脚甲を纏い。
二人は改めて………力強く頷く。
――その夜。
リーベルタ王国所属『勇者』ヴァルターは……
リーベルタ王国に、反旗を翻した。
「………ていうかそれはそうと……『恥ずかしい』ってのは結局何だったんだ?」
「そりゃお主………四つん這いで尻を突き出すなど獣じみた真似、恥ずかしかろう?」
「あぁ……まぁ……………そうだな」
「………吾の裸かと思うたか?」
「な!? ばばばばべべべべべつに! ……ああ、もう……馬鹿言うな!! 先行くぞ!!」
「呵々々。…………………ふふっ……これは『脈有り』というやつなのかの」




