155_勇者と魔鎧と二重の束縛
二重の瞬間強化による思考加速と挙動加速の恩恵を受け、『勇者』ヴァルターが動く。
今までは全神経を集中し続けても、回避することしか叶わなかった大鎧の挙動さえもが……なんとか対応可能な次元にまで追い縋り、危ういながらも辛うじて渡り合っている。
……とはいえ、微塵の迷いも恐れも躊躇も存在しない大鎧の挙動は危険きわまりなく、その冗談じみた破壊力もそのままではあるが………その効果の程、見出だせた勝機は桁違いである。
(これ……なら………ッ!!)
振り下ろされる暴力を半身で躱し、すぐ横の地面を消し飛ばされながらも……その爆風さえ追い風に、前へ跳ぶ。
今の状態ならば大鎧の挙動は『やや速い』程度……ヴァルターにとって追えない速さでは無い。
成人男性の腰ほどの太さの、馬鹿げた太さの柄を握る………これまた馬鹿げた大きさの拳に着地。そのまま腕――と呼ぶのも馬鹿らしくなってくるが――磨かれた黒曜石のような光沢を湛え、血管のように赤い燐光が走る籠手と肘鎧を駆け上がり………
二足歩行で歩む生命体……脊椎動物の、共通の急所を……
首を、狙う。
『ぬ………グゥ!?』
「おらァァァッ!!」
身をよじり振り落とそうとする大鎧の動きを、なんとか御し……岩山のような肩当まで駆け上がり、首筋目掛け突き込む。
喉覆と兜との隙間……堅牢な装甲どうしの、丁度継ぎ目の部分を狙い澄まし……二重の瞬間強化を纏った渾身の刺突が叩き込まれる。
……狙いは、正確。
ヴァルターの狙い通り、守りの薄い一点に突き込まれた鋼の剣は。
『……………なん、だと?』
「…………やっぱりかよ!」
金属とも石材ともつかぬ大鎧、その隙間を突いた一撃ではあったものの………
無慈悲にも全身鎧の下の護り――一本一本に並外れた防刃性能を秘める炭素繊維、それを編み上げた繊維鎧――を貫くには至らず………ヴァルターの人並外れた強烈な取り回しに堪えきれず、ぱっきりと折れ砕ける。
『なんとまぁ、情け無い』
「………否定はしねえよ!!」
随分と長さを減じた剣を未練がましく構え、自棄ぎみにヴァルターは吠える。
速度では、なんとか拮抗まで届きそうではあった。馬鹿でかい体格差はさておき、『二重』の加護はそれなりに通用しそうではあった。
愛用の武器を……『勇者の剣』を、取り上げられていたことが……悔やまれてならない。
ことここに至っては、勝機は完全に潰えたと見て違わぬだろう。二重の瞬間強化を纏わせたとて、素手や蹴りであの鎧の守りを抜けるとは思えない。
勝てる見込みなど、何一つ残されていなかった。
彼らの生き残る望みなど……もはや何一つ残されては居なかった。
………はず、であった。
『おい貴様。……もう『勇者』等とは呼ばぬ。『貴様』で充分だ貴様』
「……………何だよ」
『……貴様は『敗者』だ。……敗者たる貴様に拒否権は無い。………答えろ。『剣』はどうした』
首筋に引っ掛かっていた剣の刃先を振り落とし、微塵も疲労を感じさせぬ挙動で………突如として剣を引き下げ、その背に背負う大鎧。
心底軽蔑するような、底冷えするような声色で……ヴァルターを頭ごなしに詰り始める。
『あのクソ忌々しい『剣』でも在れば、まだ違っただろう。………何処へ棄てた』
「棄てねえよ! ……取り上げられたんだよ! 王サマに!」
『………馬鹿か貴様は。貴様達の王だろう。何故態々『勇者』の足枷となる真似をする』
「知らねえよ!!」
思い出したとばかりに忌々しげに顔をしかめ……先日告げられた沙汰を思い起こし、大きく頭を振る。
腹の底からの溜め息混じりに肩を落とし、諦めたような……どこか諦観したような表情を浮かべ、まるで愚痴のようにぶちまける。
つい先程まで命のやり取りを行っていた、異形の巨人に対し……ことの顛末を包み隠さず述べていく。
「…………あぁ、もう……良いや。……山脈の途中でフレースヴェルグとカチ合って、そのせいで街道が使えなくなった………つって。国に損害与えた罰の一環………らしい」
『……………………成程な。そいつか』
「ん? ……そいつ?」
ヴァルターの疑問には応えず、一人納得した様子の大鎧。
その左掌に再び光が灯り――一瞬反応し掛けるも、打つ手無しと成り行きを見守るヴァルターの眼前で――小さな機械音と共に、再び硝子の小瓶が姿を現す。
湧魔新薬……起死回生の一手となる超稀少品を前に、ヴァルターの顔に困惑が浮かぶ。
その様子を静かに眺め………大鎧は告げる。
『……じきに貴様の身体は……力を喪う。……新薬の副作用ゆえ、命そのものに支障は無い。………一昼夜は動けぬだろうが、な』
「………待て。……………どういう、意味だ? ………俺達を……見逃すつもりか?」
驚きを隠せぬヴァルターの表情に、しかし大鎧はその疑問に答えることはせず。
『取引だ。………湧魔新薬を貴様に呉れてやる。副作用が止んでから……身体が動くように成ってからで良い。…………俺に、手を貸せ』
「…………………は?」
『……手を、貸せ……と言ったのだ、『弱者』めが。………解るとは思うが、断るならば』
「いや………待て。待ってくれ。………待って、下さい。…………何だ? お前は………何を、しようとしている?」
到底理解の及ばぬ、突拍子もない事態に直面し……ヴァルターは頭を抱える。
しかしながら重ねられる大鎧の言葉は、そんなヴァルターの心境など知ったことかとばかりに……困惑を更に増幅させていく。
『……あの雑魚共………王の近衛か。……面倒だ。くれぐれもこの会話を気取られるな』
「………まさか……その、『取引』……って」
『あぁ……其の通り。………王を、殺せ』
愕然と目を見開くヴァルターを一瞥し……戦意を喪っていることを確認したのか、衝撃的ともいえる発言が続く。
『………貴様と、あの長耳の小娘とやらは………嵌められている。………他でもない、貴様の云う『王サマ』にな』
「な………!? え、ちょ……!?」
『ええい黙れ、近衛に気取られるな。………あの真白の娘が狙いだろう。あの娘は目立ち過ぎた。……人族にとってアレは、途方もない上質な実験台だろうよ。……切り刻むか、薬漬けか、それとも先ず数を殖やすのか………まぁロクなことはするまい』
「……嘘、だろ……―――ッぐ、あ……!?」
『む……………』
がっくりと膝を突き……半身を支えることさえ儘ならず、そのまま倒れ込むヴァルター。
立ち上がろうにも僅かに痙攣するばかり、刻一刻と蒼白に染まっていく彼に……一歩一歩、地響きを立てながら大鎧が歩み寄る。
『限界か。……喋り足りぬが、仕方あるまい』
ゆっくりと、焦らすように歩を進める……ヒトの形を模した、漆黒の『暴力』。立ち向かおうも逃れようにも四肢は強張り、何一つとして抵抗出来る兆しも無い。
(中毒………症状……っ!?)
以前、雑談混じりに相棒から得た情報。短時間における霊薬類の過剰摂取、その反動として身体に異常が生じたということなのだろうか。
……正否の程は、どうでも良い。
『成す術が無い』。それが全てだった。
「総員! 抜剣! 掛かれェ!!」
『……………殊勝なことよ』
「待……っ、止め………ッ!!」
町の人々の安全確保を済ませたのだろうか……遠巻きに勇者と大鎧の果たし合いを窺っていた数人が、声を張り上げる。
力無く倒れ伏す『勇者』を救わんと、玉砕覚悟で挑み掛かろうとしたのであろう。剣を抜き放ち雄叫びを上げ、勇猛果敢に向かってくる……誇り高い銀鎧を纏った兵士の一団。
………しかしながらその結末は、あまりにも一方的だった。
全身を麻痺に苛まれるヴァルターの制止も虚しく……大鎧の指先より放たれる火弾に穿たれ、吹き飛ばされ、然したる時間も要さずに……それこそあっと言う間に、兵士全員が倒れ伏す。
鎧は粉々に砕かれ、少なくない怪我や火傷・出血を晒す者が殆どとはいえ……そんな被害でさえも、この大鎧にとっては充分な手心なのだろう。
邪魔物の介入など無かったとでも言うように、大鎧は歩を進めていく。
やがて……ついに倒れ伏すヴァルターの元へ、誰にも邪魔されること無く辿り着く。
血の気の失せた無抵抗な頭を、巨大な二本指で摘まみ、引き上げ………
『……あの娘は『王都』だ。起きたら直ぐに向かえ。湧魔新薬は先払いとしよう。………賢明な判断を期待する』
「な、ん………ぐっ」
小さな機械音と共に銀青色の小瓶が撃ち出され……ヴァルターの襟元から服の内へと、ひっそりと滑り込む。
そのまま『興味も失せた』とでも言わんばかりに放り投げられ………べしゃっと仰向けに、大の字に伸び………そのまま意識を手放すヴァルター。
呻き声を上げ、苦しげに身を捩る手負いの兵士達を除き。もはやその場には動ける者も、立ち上がる者も……大鎧に挑み掛かる者も居なかった。
『……あの町。焼いた方が良いか?』
[説得力を、持たせるには……或る程度は。……しかし。療養の為の施設を焼けば……本末転倒と、なる……かと。]
『ふむ』
言うが早いか……大鎧は破城鎚のような右腕を掲げる。手指を拡げ、掌の中央が細かな機械音と共に口を開ける。
砲と化した右腕を、今や固く閉ざされた『エーリル』の北門へと向ける。
一拍の後。
地を揺さぶる轟音と共に爆炎が吹き上がり……
北門とその周囲の石壁を、あっさりと削り取り、吹き飛ばし、突き崩していった。
『ククク………こうも容易く石壁を崩す存在だ。……勇者が敗れたとて、追い返したと有らば……無下には扱うまい』
[………情けを、掛けられますか。]
『情け? ……違うな。俺の手足と成り得る駒だ。……此の程度、気には掛けよう』
[……は。]
『其れよりも貴様。……いい加減この代の言葉に慣れろ。辿々しいぞ稚児でもあるまいに。従者の方が幾分堪能だったぞ?』
[…………善処、致しましょう。]
悠然と身を翻し、大の字に伸びたままの勇者や苦悶の声を溢す兵士達を振り返ることなく………歩むごとに地を割る巨体の持ち主は魔力光を迸らせ、音もなく浮かび上がる。
『奴の対処は……任せる。我が意の通りに運べ』
[……御意に。]
恭しく頭を垂れる巨大な鷲に見送られ……黒曜の機工鎧――魔王セダの外部接続端末『落陽式』――は宙を翔け………やがてその姿を消す。
今代の『勇者』ヴァルター・アーラースと、全力でぶつかり合う機会を永遠に失ったことを………ただただ残念だと、心より悔やみながら。




