154_勇者と魔鎧と白昼の襲撃
時間は少し遡ります
可視化され、ヒトに似せた形を取った『破壊』そのものが、空を切り裂く音さえも置き去りにして迫り来る。
物理法則の全てを嘲笑うかのような圧倒的な速力を伴い……一挙一動が空気の破裂音を響かせながら、巨大な暴力が暴れ回る。
一撃一撃ごとに大地が割られ、けたたましい音と共に砕かれた石礫が飛散する。
「いきなり何だ!? 何モノだお前!!」
僅かな間隙を見出だし、使い慣れない鋼の剣を打ち付け、無理矢理に距離を取る。
返答を期待していたわけでは無かったが………あわよくば問答を交わす隙でも得られればと、一呼吸置く余地でも得られればと、苦し紛れに放たれた質問だったが………
『……名乗りたいのは………山々なのだが、な。…………今はまだ………その刻では無い』
「え……? 喋れる、のか……?」
『…………貴様が問うたのだろう、『勇者』』
あっさりと返ってきた返答に………俄に肩透かしでも喰らった気分であった。
予想外の反応に、一瞬とはいえ図らずも呆然としてしまったヴァルター。……そのことが面白く無かったのだろうか、再び音速を越えた剣が襲い掛かって来た。
「ぐ………!?」
『……あまりナメた真似をしてくれるな。消し飛ばすぞ、雑魚が』
一呼吸の間に、五・六本は斬撃が降り注ぐ。巨大な図体からは想像も出来ぬ程の……目視すら困難な速度で縦横に振るわれる、桁違いの破壊力を秘めた剣戟。
一振りごとに空気が爆ぜ、膨大な風圧を伴い襲い来る剣は……受け止めるなど出来よう筈もない。避け損ねればそれまで、一瞬で挽肉と化すだろう。
そんな化物じみた襲撃者は、身の丈は優に五mは有ろうかという……途方もない巨体。巨人族かあるいはそれに類する者なのか、見た目に違わぬ圧倒的な破壊力である。
……にも拘らず、その敏捷さは異常。出合い頭の一撃……一瞬で距離を詰められ地を割られた一撃に留まらず、身の丈に達する剣をまるで木の枝かのように振り回し、攻め入る隙を晒さない。
疑うまでもなく、身体強化魔法……それもとびきり高次元のものを纏っているのだろう。
ともすれば……この漆黒の大鎧自体が、強化魔法を纏っているのかもしれない。
「……ッ!! ちィ、硬ぇ!!」
『当然だ』
圧倒的に長いリーチ、一撃でも受ければ瀕死であろう猛攻を掻い潜り、やっとの思いで届かせた刃先は………悲しいほどに軽い音を立て、あっさりと弾かれる。
鋼の剣を打ち込んだ筈の巨大な籠手は、変わらず不気味に滑らかな黒い光沢を湛えている。爪ひとつの傷さえも負っていない。
『……どうした。足掻け。……死ぬぞ』
「ぐ………!?」
ヴァルターも既に臨戦態勢、身体強化魔法によって感覚と挙動は加速されている筈。だというのに彼我の速度差は明らかであり、食らい付くのがやっとである。
一瞬の油断が即座に『死』に繋がる、この感覚は――以前ニーズヘグによって半ば無理矢理稽古を付けられていたときの――まるで生きた心地のしなかったあのときの感覚と、よく似ている。
ただひとつ異なるのは……ここがニーズヘグの創造異界『亡者の河岸』ではなく、紛れもない現実世界での修羅場であり……損傷は決して巻き戻されること無く、疑うまでもなく『死』に直結するのだということ。
加えて……眼前の人外じみた大鎧は、ニーズヘグ………ニドとは異なり、微塵も優しさを持ち合わせてなど居ないこと。
『………あぁ、成程。懸念か。……重ねても……全力で足掻いても届くか解らぬから、か。………魔力枯渇を懸念しているのだな』
「ぐ、ぅ、………ああもう! その通りだよド畜生!!」
出し惜しみが通用しない相手だということは、嫌というほどよく解っている。現状では被弾すること無く逃げ回れてこそいるものの、逆に言えば『それまで』でなのだ。
攻勢に転じられる見込みがあるわけでもなく、疲労が溜まっていけばいずれは回避が追い付かなくなり……即死する。
流れを変えるためには、奥の手を……奇しくも似たような状況の最中身に付けた重ね掛けを――実戦で用いたことの未だ無い、魔力喰らいも甚だしい大博打を――使ってみるしかないというのは、嫌というほど解っている。
だが。それを試してみたところで。
仮に通用しなかった場合……無為に魔力を喪うことに他ならず。
ともすれば……現状なんとか維持している立ち回りさえも維持できなくなり、比喩ではなく抵抗する手立てを失う。
瞬く間に、『死ぬ』。
そのことが……拭いきれぬ歴とした事実が、攻めの一手を鈍らせる原因となっていた。
『………フン』
「ぐぉ…………!?」
おもおむろに、大鎧が剣を大きく振り抜く。
警戒し距離を取ったヴァルターの手前、何の前触れもなく……構えを解く。
構えなど必要ないとばかりに。
警戒などするだけ無駄だとでも言うかのように。
おもむろに左手を掲げ、太い五指を開く……漆黒の大鎧。具現化した悪夢の塊とでも言うべきそいつの、左掌。
僅かな魔力光を発したかと思えば、金属質な甲高い音を立て………魔力光が収まったときには、大鎧の掌の上に一つの小瓶が姿を表していた。
太さと長さは、大鎧の指のどれよりも細く、短い………しかしながら普通の人間の手にはちょうど収まる程度の、小さな硝子瓶。
透き通った青銀色に煌めく、神秘的な色彩を湛える……見た目も神々しい魔法薬。
『湧魔新薬……聞いたコト位は有るだろう』
「…………聞いたことくらいは、な」
限定された時間とはいえ、無尽蔵とも言える程に魔力が湧き出るとされる……今となっては製法さえ失われた、幻の霊薬。
副作用も相応の危険を秘めているものの、その効果は絶大。限定的とはいえ、ほぼ無制限で魔法が扱えるとあっては……魔導師はもとより身体強化魔法を纏う前衛戦士にとっても、非常に強力な武器となり得る。
そんな――大鎧の言葉が真実であるならば――貴重極まりない薬品を。
神秘的で繊細な光を放つ、触れれば砕けてしまいそうな硝子の小瓶を。
『……受け取れ。………飲め。貴様の全力を見せてみろ』
「うぉ!? な、な……!? ……なん、だと……?」
軽々しく……石くれでも放り投げるかのように、投げ渡し………理解に苦しむ要求を突きつけてくる、人外の大鎧。
……確かに。自分の教え込まれた知識が正確なものであり、大鎧の言った通りこれがそれであるならば………魔力切れを気にすること無く、『二重』の強化魔法を用いることが出来るだろう。
だが………意味が解らない。
わざわざ此方の優位となる薬品を寄越すなど……さっさと勝負を決めるのではなく、まるで自分が足掻く様を眺めて楽しんでいるような………得体の知れない不気味さが、ヴァルターを苛む。
「……こんな貴重なモン………軽々しく渡して良いのか? そのせいで負けた、っつっても知らねぇぞ?」
『ハッ。……抜かせ。背後の下僕にさえ手も足も出なかった、地を這う小僧の分際で』
………忘れていたわけでは……無い。
そうだ、敵性存在は正面の大鎧一体のみでは無い………すぐ背後、逃げ道を塞ぐように低高度より俯瞰しているフレースヴェルグも、この場には参じているのだ。
こちらにも人員が……宮廷近衛師団の面々も居るには居るのだが、いかんせん奴等人外じみた特記戦力を相手取るには………申し訳無いが、少々心許ない。
「……殺そうと思えば………いつでも殺せる、ってか」
『フン……当然よな』
「……ッ、ああ! もう!! ……戦ってやるよ! 闘りゃあ良いんだろ!」
『そう言っているであろう、雑魚が。貴様の全力を見せろ。…………さもなくば』
ヴァルターの倍はあろうかという、大鎧の頭部。その眼と思しき周辺に赤々とした灯火が灯り……睨むように、光が絞られる。
『貴様が腐心しているあの小娘。………アレを、貰い受ける』
「…………………何、だと」
ヴァルターが腐心して……気に掛けている少女。
思い浮かぶ姿は、一つ。疑い様が無いだろう。
危なっかしく、常識に欠け、無防備で、奔放で、頑固で、我儘で、落ち着きが無く、嘘が下手で。
しかしながら………義に厚く、弱者を見捨てず、デタラメに強く、勇者よりも勇者らしく、裏表無く、優しく、愛らしい………人々の希望たる、純白の少女。
「あの小娘は……良いな。良い器、良い母胎だ。腑抜けな貴様には勿体無い。………俺が貰い、俺の女にして……壊れるまで可愛がって呉れよう」
「!? 貴ッッ……様!!」
―――その子が、奪われる。
ならば……躊躇している暇など、無い。
「瞬間強化……『加算付与』、瞬間強化! ……在れ!」
『………ほう』
一重の瞬間強化とは比べ物にならない、圧倒的な速さで……栓を抜かれた風呂桶の水の如く、魔力が抜け出て行く。
通常であれば到底常用など望むべくもない、実用性も甚だしい燃費の悪さ。……解っては居たものの、これは正気では無い。
しかしながら……その代償として得られたものは、圧倒的な超高速戦闘機動。
重ね掛けされた二重の瞬間強化により、通常時以上に引き伸ばされた感覚。空気さえもが身体に纏わりつく粘体のように感じられる程の……絡み付く空気抵抗は摩擦熱さえ生じさせる程の、超高速。
静止する周囲の環境を無理矢理抉じ開けるかのような………物理法則やら世界の理やらに真っ向から喧嘩を売るかのような、デタラメな速度付加。
飛び散る砂塵が。風にそよぐ草穂が。棚引き尾を引く熱煙が。
まるで静止しているかのように………まるで凍り付いた時間の中に居るとでも錯覚させる程に、ヴァルター自身の認識速度が引き伸ばされる。
(動、っ………ける……!!)
周囲の光景が動きを失う中………腹を括って投げ渡された小瓶の封を切り、長らくヒトが手にしたことなど無かった伝説級の霊薬を――湧魔新薬を――一気に飲み干す。
急速な魔力消耗に伴う頭痛や眩暈や倦怠感や末端の痺れが、嘘のように引いていく。
二重付与された瞬間強化の恩恵の下に思考が研ぎ澄まされ、手足も齟齬無く追従してくる。
……これならば。
『勝てる』などと思い上がるわけでは無いが――限定的ながら――幾らかマトモな戦いも出来るだろう。
『………来い』
「言われずとも……な!!」
眼に灯る不気味な光に……心なしか楽しそうな彩を加えて、大鎧が動く。
その姿には、先程までの棒立ちのような……油断はもはや見て取れず。明確にヴァルターを『敵』と見定め、適切な対処をするために剣を振り上げ身構える。
自身の安全など……『失敗した後』のことなど、そんな些末事を気にしている場合では無い。
『勇者』は我が身など最早省みず。
ただ一人の少女のため……ただ一人『暴力』へ挑み掛かる。




