152_少女と家族と絶望の足音
「まったくもう! 心配したんだからね!」
「んい………ご、ごえ……まさい」
自分と大して背丈の変わらぬ少女の叱責に対し、身を縮めて申し訳なさそうな表情を見せる……殊更に小柄な少女。
おいしそうな料理が香りと湯気を立ち上らせる、家族団らんの夕食どき。彼女とすぐ傍で同様に身を竦ませる少女(にしか見えない少年)は二人揃って、仲良くお説教を受けていた。
まぁ、尤も……主人と異なり周囲の言いつけを守り、何一つ危険な行為に走らなかった模範生メアにとっては……完全にとばっちり以外の何物でもなかったのだが。
かといって……姉を自称する彼女に対して黒い感情など浮かぶはずもなく。
口にするのは憚られるものの『主人と一緒に叱ってもらえる』『同列に扱ってもらえている』という事実に――それがご主人様に対しては、少なからず失礼であると解っていても――歓喜の念を抱かずには居られない、まんざらでもない表情を見せるメアであった。
あの後……詰所の守衛兵にノートとメアを預けた後。エリゼは兄たち守衛隊の貢献によって治安の守られた東岸の街を、自宅へと向かい歩いていった。
王都リーベルタの治安は――一部を除き――高い水準で維持されている。
偉大なる王のお膝元であるだけのことはあり、その安全水準は高く保たれており……少女が一人で買い物に赴くことも――一部区画を除いて――不可能ではない。
普段の何でもない日と同様、然して不都合の生じることもなく……エリゼは無事に帰宅したのだった。
その直後である。
『闘技場付近にて魔物の脱走騒ぎが発生した』との報を受け、街じゅうが騒がしさを増していったのは。
慌てふためく長女エリゼと心配そうな表情を浮かべる夫人ヴィオレッタ。しかしながらニドは『雑兵よな。気にするまでも無いわ。表に出ねば大丈夫であろ』と切って捨て、脇目も振らず修羅のような形相で豆の皮剥きに挑んでいた。
エリゼとヴィオレッタはそんな落ち着き払ったニドの様子に唖然としながらも………『まぁそれもそうか』と屋外での家事を手早く済ませ、屋内の家事へと取り掛かっていった。
一方こちらは『詰所』の食堂、時刻はノートと監視の三人が魔物退治に飛び出ていった直後である。
荒事向き……というかそれくらいしか能がないノートと、一応兵士としての基礎訓練を積んでいる三人組とは異なり……メアは完全に非戦闘要員である。
技能や経験といっても……配膳の心得程度しか自信がなかった彼女(?)は、『ご主人さま』の足を引っ張るわけにはいかないからと大人しく待っていることを選択し……臨時派兵へと赴く兵士たちへと労いの言葉を送りながら、お行儀良く待機に臨んでいた。
………のだが生真面目な彼女(?)の性格は『何もしない』ことを良しとせず、食事が済み返却された膨大な食器を洗うおばちゃん達の様子を見て見ぬふりは出来ず……おずおずと手伝いを申し出、あれよあれよという間に『女神よ』『救世主よ』『ウチの息子の嫁に』『いやいやウチに』と大絶賛されるまで至ったという。
それはともかく。
斯くして、無事に魔物の討滅を完了させ大層感謝されたノートと、同じく無事に食器の山を洗い終え大層感謝されたメアは、この食堂で落ち合うことが出来た。
面倒そうな事後処理やら後片付けやらは完全に兵隊さんのお偉いさんに丸投げし、部外者である少女二人(?)は護衛兼監視兼引率の兵士二名――いつもの面子のうち一名は保護した少女達のフォローのため離脱――彼らに連れられ、リカルドのおうちへと帰っていった。
僅か一日にも満たぬ襲撃であったにもかかわらず、少女(?)二名には既に多くのファンが生まれていたらしいのだが………幸いなことに彼女らがそのことを知る由は無かった。
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と、まあ……幸いにして被害はそれほど大きくはなかったものの、『王のお膝元で魔物が暴れ回り、死傷者が出る』などという前代未聞の大事件を経た……怒濤のような一日を終え。
夫人ヴィオレッタ以下少女(?)四名――エリゼ、ノート、ニド………そしてメア――は、夕食の席に着いていた。
リカルドは『打ち合わせが難航している』らしく……また長男アードルフも騒動の事後処理が追い付かず、今夜は泊まり込みになるという。
曰く、『あの二人は家に帰ってくること自体が少ないから、仕方ないわね』とのこと。別段疑問に思われることも無かった。
街中の騒動を気にし過ぎたのだろうか……エリゼに手伝われながら、疲労の色濃く残した様子で……多少ふらつきながらも夕食の支度を済ませるヴィオレッタ。
まぁ色々あった一日だ、誰も彼もが疲れているのだろう。早いところ食事を済ませ身を清め、さっさと床に付いてしまおう。………その場の皆が――アウグステ家の母娘や、メアやノートは勿論……ニドでさえもが――同一の思考のもと……誰一人として、何一つとして、微塵も疑問を抱くことも無かった。
違和感に、気づけた者は………誰も居なかった。
防げたであろう者は………誰も居なかった。
『いただきます』と…………女ばかり(?)五人に囲まれた、暖かな湯気を立てるその晩の食卓。
しかし……『ごちそうさま』の言葉が響くことは………無かった。
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しん……と静まり返った、アウグステ家の居間。
大きな梁の走る天井に据え付けられた夜間灯が照らし出す、温かであった食卓。
ほろほろに煮込まれた美味しそうな肉煮込汁や、ニドが丁寧に殻を剥いた殻豆の温野菜盛を始めとする、寒季に差し掛かり冷え始める夜にはもってこいな暖かな食卓は――その半分ほどが五人の胃袋に消えたところで、それ以上消費が進むことは無く――今や固く、冷たく、冷えきっていた。
窓際の鉢植えをひらひらと飛び回っていた蝶は、食卓の上でじっとその身を留め。
天井の梁を歩き回っていた小さな蜘蛛は、こそこそと食器の間を歩き回り。
それら小さな虫を除いて、その場に動きまわるものは見当たらず。
穏やかに繰り返される呼吸の音を除いて、その部屋に響く音は感じられず。
食卓を囲んでいた五名は…………あまりにも不自然極まる状況下で、五名が五名とも深い眠りに落ちていた。
ゆっくりと、ゆっくりと………何者かの手によって鍵が開かれ、外からの手によって扉が開かれる。
全身を黒い皮鎧で包み、黒塗りの短剣を腰に挿し、足音を殺す特殊な靴を身に付けた……見るからに怪しげな一団が、音も無く雪崩れ込む。
彼らは一言も言葉を発することもなく、目線と手振りとで意思の疎通を行い………粛々と与えられた密命を遂行していった。
体格から成人男性であろうことは推し量れるが……それ以外の情報漏洩を頑なに拒むかの如き出で立ち。
名実ともに手練れの暗部である彼ら。自らに与えられた任務の重要性と危険性を熟知していた彼らは……直後、不機嫌さも露に扉を振り返る。
「………チッ。薄汚ぇネズミ共が」
「勝手に進めんじゃ無ぇよ。溝鼠が」
実用性など甚だ疑問な、見てくればかりを追求した華美な銀鎧を纏った男が、二人。小さな金属音を立てながら――それまで一切の無音を貫き、細心の注意を払ってきた黒装束達の努力を無に還しながら――にやにや笑いを隠そうともせず、汚れた靴のまま上がり込む。
黒装束達は忌々しげに一瞥するばかりで、銀鎧の男達を無視するかのように……すぐさま与えられた任務を再開する。
艶消の黒布で繕われた腰袋から、緻密な魔法紋様の織り込まれた長い長い布を取り出すと……食卓に突っ伏し涎を垂らし幸せそうに眠りこける純白の幼子を抱え上げ、手早く簀巻きに縛り上げる。
同様に……同じ卓上に、こちらはお行儀良く眠りに落ちる、癖っ毛の少女も拾い上げ、白い少女と同様にぐるぐる巻きに縛り上げる。
『昏睡付与』『弛緩』『酩酊』『麻痺』『魔力撹乱』などなど……おおよそありとあらゆる『拘束』のための魔法が織り込まれた長布で巻かれ、ただの『荷物』と化した二人の少女を抱え上げ…………
背凭れにもたれ掛かるようにして眠りに落ちる、小さな――それでいて首もとから豊かな膨らみが顔を覗かせる――報告に無かった黒髪の少女の姿を目にし、戸惑いが彼らの脳裏を過る。
用意してきた拘束魔布は、二人分。身軽さと静粛性を先んじたため、余分な装備は持参していない。
この家に暮らす娘は一人。黒髪の少女が『市民』ではないのは明らかだろうが、持っていくには装備が足りない。
この少女も、二人の少女同様に拐うべきか……否か。静かに視線のみで相談を交わす黒装束をこれまた嘲笑うかのように、銀鎧の二人が口を出した。
「ん? ………へぇ………おい溝鼠。その小娘は置いてけ。俺らが貰う」
「………ほぉ。コイツぁ………へへッ、楽しめそうじゃねぇか」
耳障りな口笛を吹き、嫌らしい笑い声を上げながら……銀鎧の男が迫る。
黒装束は彼ら二人の立てる騒音に……先程から嫌がらせのように妨害してくる傲慢な不心得者にげんなりしながらも、訓練通り冷静に動く。
もはやこの段階に至っては、銀鎧と足並みを揃える必要など無い。むしろこれ以上彼らと共に行動すれば、騒々しい彼らのせいで自らの行動に支障が生じるだろう。
……それに。『回収目標』は既に手の内である。
隊長格と思しき男の手信号に従い、白い少女と癖毛の少女を抱えた黒装束達は、音も無く去って行き………
にやにや顔を浮かべる銀鎧の男が見つめる先。
食卓を囲ったまま眠りこける『市民』が二人と………不幸なことに法の庇護を持たぬ少女一人が、残された。
「どうするよ? アイツらにも声掛けっか?」
「……さすがにココでヤる訳にも行かねぇしなァ……仕方無ぇか」
「マワすなら多い方が楽しめらァな。……持ち帰るぞ」
「へへ………了ー解。後ろの一発目は貰うぜ?」
銀鎧を纏い、下卑た笑みを浮かべる二人の男の、にじみ出る欲望を隠そうともしない手が………無防備に眠りに落ちる『市民』ではない少女へと伸びる。
その身に無遠慮に触れられても何一つ抵抗を返せず、眉をしかめ微かな呻き声を溢すことしか出来ぬ小さな身体を肩に担ぎ……上品なスカート越しに少女の柔らかさを堪能しながら、また布を捲り上げられ晒された素肌を色欲に濁った目で堪能しながら………銀鎧二人はそそくさと家を後にする。
警邏隊の命令経路とは別方向より捩じ込まれた命令により、隊長格の知らぬところでこっそりと人員配置を弄られていた……東岸街の片隅。
日々人々の安寧のためにその身を奮う警邏隊とは、出自も意欲も志さえも異にする銀鎧の一団……彼らによって見張られていた街は、表立っては『いつも通り』。
『市民』ではなく、旅人でもない……『不法侵入者』数人がひっそりと姿を消したことに……
気付いた者など、誰も居なかった。




