150_少女の緊張と混乱の巫女姫
先日、街中を案内してもらった際に一度だけ訪れた……ひたすらに大きな、豪華な建造物。そのときには何も気にすること無く、ただお金を払って客席へ登り演目を目にして………そして勝手に気落ちした、あまり良い思い出の無い建物。
王都リーベルタ東岸街の誇る東岸闘技場、その控え室のひとつに……ノートと青年兵士(非番)二名は通されていた。
「ど………どう、しよ……」
「どうしよう」
「………どうしよう」
順に……ノート、ウィル、ノース。
三人が三人とも豪華なおもてなしや格式高い場には無縁だろうと思い込んでおり、自分が場違いであることをきちんと認識しているという………ある意味貴重なケースであった。
こんな場違いな部屋に通されたのは……他でもない。
東岸闘技場の所有する治癒術師アデライーデが、魔物騒動鎮圧の立役者である少女……ノートの治療を買って出たためである。
「そんなに固くならなくても、大丈夫ですよ。治療は闘技場では良くあることですし。……ランド達は………見た目は少し怖いですけど、患者様に手は上げませんから」
「んひ……」
「はい、じっとして下さいね。……よしよし、ノートさ……ノートちゃんは良い子ですね」
「あ、あえ………」
とはいうものの、性根はド平民である三名のことである。こんな貴賓室じみた部屋に通され、緊張しない筈など無かった。……尤も『じみた』ではなく、実際に貴賓室の一つだったらしいが。
ノートはそんな貴賓室の、ふかふかの椅子に座らされ……目の前には『巫女姫』と名高いアデライーデが傅くように、包帯に包まれた手を取っている。良いご身分である。
護衛の目線は触れれば切れそうな程鋭く、ノースとウィルの平民二名は睨まれやしないかと気が気でない。
巫女姫曰く、治療は『よくあること』とのことであるが………恐らくは、試合中に負傷した剣闘士の治療のことだろう。
どう考えても今回のような……来客を貴賓室へ通しての治療では、無いだろう。
剣闘士どうしの試合は客入りこそ見込めるものの……敗者はほぼ確実に大怪我を負ってしまう。医薬品や霊薬で治療するにしても、一日二日で終わるものではない。
怪我を治療している間は当然のこととして、療養後の訓練の期間も含めると……かなりの長期に渡って試合を組むことが出来なくなってしまう。
ましてや人気どころの剣闘士どうしの組み合わせともなれば、どちらが勝っても、どちらが負けても、闘技場にとっては頭の痛むところとなる。
瞬間的に大きな収入が見込めるとはいえ、その後しばらく落ち込むことは間違いないだろう。
だが、しかし。
ここに治癒術師の存在が在れば……全ては上手く回る。
剣闘士が即死したり、腕や脚を切断されたり……といった重篤な事態を除き、試合で負った傷はその日のうちに治療が可能。
再構成された筋肉組織の調整も必要であろうが、一日か二日開ければ万全の状態で復帰することも可能なのだ。
人気の高い剣闘士の出場試合を多く組み、負傷した際は治癒魔法によって治療し、また試合に組み込む。
剣闘士達も、怪我や死亡の危険を減らされ……より荒々しく、雄々しい戦いを見せる。
そのための治癒術師であり、そのためのアデライーデである。
また……その外見から一見して解るように、あからさまな『魔族』である彼女であったが――その控え目で穏やかな性格と、愛らしく神秘的な容姿、また多くの命を救ってきた『治癒術師』という来歴から――多くの人々に好かれている。
加えて、外部からの参加者にとっても『即死を除き(一応は)命の保証が成される』という条規は当然魅力的であり……豪華な報奨と相俟って、挑戦者が殺到する一員となっていた。
この中には勿論、『巫女姫アデライーデ』に治癒を受けたいといった動機の者も多いと聞く。
「………では……始めますね」
閑話休題。
包帯に包まれたノートの両手を取り、そっと瞼を閉じるアデライーデ。
傍らの長椅子に腰掛けカチコチに固まる青年兵士(非番)と、扉横で直立不動の姿勢を取るランドが見詰める中………治療が始まる。
ノートの身体に備わった鋭敏な魔力感覚器は、アデライーデの身体を流れ行く澄んだ魔力を感知していた。
その色は……今までに見たことのない色。荒々しく猛る色でも、慈しみ護らんとする色でも、見聞を望む智の色でも無く。
それでも、本能的に『癒し』の色であることは、解った。それほどまでに温かな、安心感を覚える色。
そんな心安らぐ魔力の巡り行く、整った愛らしい顔を……ノートは何するでもなく、ぽーっと眺めていた。
…………完全に、見惚れていた。
『目覚めよ、喚べよ、我が写し身よ。
……我が意に随え………力を、示せ』
温かな魔力を纏い、心地よい声色で紡がれる、懐かしい唄。
触れるもの、見えるもの、聞こえるもの、感じ取れるもの………アデライーデの紡ぐそれら全ては心地よく、ノートは一切抗わず……その全てを受け入れていく。
この時代の者たちにとって『過去の言葉』でもある魔法詞は……ノートの前身たる青年にとって慣れ親しんだ、懐かしい響きである。
清水のように澄んだアデライーデの唄は――本来そんな効能は無く、いわゆる『思い込み』効果に過ぎないのだろうが――ノートの心を落ち着かせ、確かな『癒し』を与えていく。
『告げるは……『治癒』。優しき風よ。
………踊れ、踊れ。我が手を、運べ』
魔法詞に違わず、温もりさえ感じる程に優しい魔力が……ノートの身体を包む。
アデライーデの唄はノートの単純な心を宥め、自然と瞼は落ち……身体はゆったりと弛緩していく。
………が。
『…………『治癒の息吹』。……――ッ!?」
「んえ………? !! あ、あっ………!?」
ぱちん、と………軽く乾いた音を響かせ――まるで泡が弾けるように――ノートの全身を包んでいた温かな魔力が、一瞬で霧消する。
微睡みから引き戻され、いち早く我に返ったノートには……それが自身の仕業であると――周囲に漂うだけではなく、ついに身体に干渉しようとしたアデライーデの魔力に対し、この身体が抵抗魔力を放散したのだと――今までの経験から、そう気付くことが出来た。
アデライーデ自身もまた……その『異常』を認識していた。
心を込めて紡いだ魔法詞が結成されると共に、あとは対象に働き掛けて効力を発揮するのみであった筈の……治癒魔法。
それが………魔法の完成を目前にして、跡形もなく消し飛ばされたのだった。
ウィルとノース………傍らで『巫女姫』と『お姫』の尊い一場面を目に焼き付けていた二人は、異常に気づくことは無かった。
魔法詞のほぼ全てが紡がれていたこともあり、無事に治癒魔法が掛けられたのだと………お姫の両手が治るのだと信じて疑わなかった。
「……………ノート、さ…………ちゃん」
「………………………………んい、………んい」
金銀の神秘的な瞳を驚きに見開き、自らの魔法を打ち消した少女を見詰めるアデライーデ。
対するノートもまた――こちらはまるっきり平静を欠いた様子であちこち視線をさ迷わせ――弱々しい鳴き声を溢すばかり。
……明らかに、何かがあるのだろう。
つい先程初めて会った少女であったが……これ程までに解りやすい『混乱』は、逆にお目に掛かったことがない。
「や………やうす! なおった! ました!」
「えっ…………?」
無言で見つめてくるアデライーデの視線に、ついに耐えきれなくなったのか………ノートは更に墓穴を掘り進めて行った。
怪訝な表情を浮かべるアデライーデに気づいているのか居ないのか、いそいそと両手の包帯を解こうと怪しげな躍りを踊り始める始末。
「……………のーす、とって」
「お、おう」
自力で解くことが不可能と踏んだのか、護衛兼監視の青年兵士(非番)に協力を仰ぐ。
皮膚のほぼ全てを炭化させた両の手は、軟膏を塗り込んだとしても完治する保証は無い。
巫女姫アデライーデの治癒魔法は………青年兵士(非番)は気付いていないようだが、不発している。治癒の息吹は彼女の両手に届いていない。
つまりは……治っているはずが、無いのだ。
治るはずが………無いというのに。
「な、なおった! あでり、まほう、なおった! ……すごく……すごい! あり、がと!」
「えっ……と、………ノート、さ…………いえ、えっと……ノート、ちゃん」
「や、やうす! ……あてりー、ありが、と!」
「…………えっと、はい。……どう、いたしまして。………良かった、ですね。治って」
「や、やうす!!」
心の底から『ほっ』とした様子のノートを目にしたことで……彼女の思惑は、自分の思い違いではなかったと悟る。
彼女はどうやら………自身の身体にただ事ではない秘密を抱えているらしい。どういう仕掛けかまでは解らないが、魔法で外部から干渉することが出来ない。
また同時に――代謝が尋常でなく早いのか、はたまた組織が自己再生しているのか――怪我の治りも極めて速い。
僅かな間に明らかとなったこの二点のみでも、明らかに人間離れした身体である。
そのため………その秘密を公にしたくないが為に、アデライーデの治癒魔法で治ったということにしておきたい……らしい。
この真っ白な少女の、身体の秘密とは。
彼女を一目見たときから感じている……この得も知れぬ感情の正体とは。
「ノート………ちゃん」
「ぴっ」
……考えていることが伝わってしまったのだろうか。カチコチに硬直した姿勢で、可愛らしい顔を強張らせる彼女。
只者ではないことは………ただの人間の少女でないことは、確かだろう。
………だが。
「………ふふっ。……悪い子じゃあ、無いですもんね」
「……あ、あえ………?」
巫女姫アデライーデは、そう結論付けて……今まで通り思考を放棄する。大層な肩書きを着せられている彼女とて、尋問や事情聴取など専門外も良いところ。治癒魔法以外、彼女は何一つとして期待されていない。
仮に、無理矢理話を聞き出したことで……この小さく可愛らしい少女と敵対することは、アデライーデには耐え難い。
それに。彼女がどんな秘密を抱えていたとしても。
彼女が危険を冒して、人々の命を守るために戦ったことは……揺るがない。
そして、彼女が自分にとって………救いであることは、変わらない。
「ノート、ちゃん?」
「は、はひ」
「大丈夫だから………ね?」
言葉と共に、悪戯っぽく片目を瞑り……今までとは異なる、心からの笑みを見せる。幸いというかなんというか、どうやらそれで通じたらしい。
大きな瞳をしぱしぱと瞬かせた後、へにゃりと弛緩して……愛らしく笑った。
……あぁ、やっぱり………可愛い。
そんなケなど無かったはずなのに……不思議と胸が高鳴る。
こんなにも穏やかで、温かな気持ちになれたのは……ここへ連れて来られて初めてだろう。
この子との運命的な出会いを、この場限りのものにしたくは無い。
「よかったら………また、闘技場……遊びに来てくれませんか?」
「んん? ………んー………やうす。わたった」
「ホントですか!? ありがとうございます! 良いですね、ランド。皆に周知をお願いします」
「…………承知致しました」
聞いていないぞ、と筆頭護衛ランドが口を挟む前に……あれよあれよという間に、強引に話を進めていってしまった。
今までとは打って変わって精力的に動くアデライーデは、穏やかな笑みをより一層嬉しげに深め………幸いなことにノートから望んだ通りの答えを得、密かにほっと胸を撫で下ろした。
『巫女姫』の敬称を着せられ、保護されていた少女アデライーデは……自身の奥底に本能的に刷り込まれた『畏敬』の念を、少しばかり傾いた方向へと発展させながら………
自らの意思でノートとお近づきになろうと、不自由な足で一歩目を踏み出したのだった。
ノートは深く考えることなく、『めっちゃ可愛い子と仲良くなった。らっきー』適度に捉えていた。
いつも通り、能天気なものであった。




