143_王都と保護者と思考画策
リーベルタ王国にて……否、この大陸において最大と名乗り憚らぬ都市………王都リーベルタ。
二条の大河が交わる合流点付近は……高貴な者たちの専用区画とされている。
二つの河と運河とで周囲の陸地と物理的に隔離されたその区画は、その島全ての出入り口を堅牢な関所で守られ、中に住まう者を除き易々と立ち入ることは赦されない。
たとえ家名持ちとはいえ……所詮は平民、たかが辺境砦所属の中隊長である。高貴なる身分の者の居住区画へ立ち入るためには、本来であれば相応の時間と手続きを求められる。
なので………運が良かった。
息子アードルフがこの王都の守衛兵士隊において、それなりに高い地位を得ていたことが。
彼の地位と尽力の甲斐あり、貴賓街担当の守衛兵士に渡りを付けて貰えたことが。
頼みの綱である『宮廷魔導師』ディエゴ・アスコートの邸宅へ、顛末を認めた手紙を届けて貰うことが出来、その返事を受けとることが出来たということが。
そこからの『迎え』によって……本来彼の身分であれば易々と通過出来ぬ関所を、馬車に設えられた『家紋』の威光で悠々と素通り出来たことが。
極めて『運が良かった』と、そうリカルドは認識していた。
先日、守衛隊経由でディエゴへと届けて貰った手紙は……アードルフ達の尽力あってか、幸いにしてその日のうちに返事を受けとることが出来た。
ディエゴ宛に送った手紙の内容は『ノート共々王都に到着した。状況を詳しく教えて頂きたい』といった旨。
一方で受け取った返信曰く……『ノートの件で相談したい事案がある。迎えを寄越すので明日我が邸宅へ足を運んでほしい』とのことである。
心を寄せる勇者殿と引き離され、塞ぎ込んでしまった(と思い込まれている)ノートを元気付けるためにも………一刻も早く勇者殿と再会させてやりたい。
そのためには……状況をよく知るであろうディエゴの協力は不可欠であったし、そのディエゴからの要望ともあり、一も二もなく馳せ参じた次第だった。
……差出人署名の筆跡を、特に気にすることも無いまま。
…………………………
「ようこそ、お出で下さいました」
「は。突然のご無礼、寛大なご配慮痛み入ります」
「畏まらないで下さい。私などは御館様の代理人に過ぎません」
リカルドが通されたのは、貴賓街の一角。なるほど宮廷魔導師らしい豪奢な邸宅であった。
貴族の邸宅としては……やや小ぶりだろうか。とはいえ一般的な民のものとは雲泥の差、比べるのも烏滸がましい程ではあるが。
執事らしき服装の男と、数名の女給を従え出迎えたのは……リカルドは初対面となる壮年の男。
一対の龍角を頭に備え、柔和な笑みを浮かべる彼。宮廷魔導師ディエゴ同様、龍種の特徴を備える彼は……なるほどディエゴの同郷、身内であるのだろう。
粛々と出迎えを受け、客間へと通される。
しかしながら………肝心のディエゴの姿は見られず、本人いわくの『代理人』は席を外そうとしない。
どういうことなのか、との疑問が表情に出たわけでは無いだろうが……代理人は事の顛末を述べ始める。
「ですが……申し訳ございません。御館様は王城からの勅命により、今朝がた召喚を受けまして………昼過ぎには戻ると仰せではございましたが、その………」
「いえ、お止め下さい。無理を言ったのは此方なのです。……むしろ申し訳ございません、御多忙の処を」
「………そう仰って戴けるのなら、幸いです。御館様が戻られるまで……宜しければ私マルケス・ブルトゥスが、御館様に代わり御伺い致します」
中程で二つに枝分かれした、赤茶けた二本の龍角。所々に白髪の混じる赤砂色の髪、きっちりと整えられた口髭が印象的な彼……マルケスは、あくまで丁寧に申し出た。
王命により席を外している主に代わり、先んじてリカルドの話を……詳しい事情を聞いておこう、と。
「無論、お話の内容は御館様以外に口外致しませぬ。我が名と我が主の名に誓って……このマルケス、嘘偽の類は申しませぬ」
柔和な笑みを絶やさぬ、礼節を尽くさんとするマルケスの申し出。
ここへ来てリカルドは――自らは平民であるにもかかわらず、この国の重役『宮廷魔導師』に時間を割かせていることに――改めて思い至った。
立場の差は言うまでもない。マルケスの言うことも尤もだと頷き…………そうになり、すんでのところで立ち止まる。
「……お言葉、ですが」
「………………………」
マルケスの主張に違和感は無い。虚偽を述べている様子も無い。
眼前の彼自身に、何一つ可笑しい点は見受けられない。
だが………事態は何もかもが不明なのだ。
贅沢な願いだとは承知の上だが……ディエゴ本人から詳しい話を聞き、ノートの情報を渡す人物は最小限に留めたい。
あの子は、普通の少女の枠組みに収まる娘では無い。
余計なちょっかいを防ぐためにも……秘匿するべき情報は、より入念に秘匿せねばならない。
「我々の立場としては………ディエゴ殿に頂いた指示を受け、ここまでやって来ただけでして………我々としても『どうすべきか』を御伺いしたい、というのが本音です。申し訳ございません」
「…………………成程」
―――そう来ましたか、と続けたマルケスの声は………聞き取れる者など居なかったであろう。
人当たりの良さそうな柔和な笑みを湛えたまま、マルケスは気にした様子もなく……あっさりと引き下がった。
「しかし……重ね重ね申し訳ございません。御館様がお戻りになられるまで、どれ程掛かるものか………只今茶をご用意しますので、こちらで暫しお待ち頂けますでしょうか」
「………は。承知致しました。御多忙の折、此方こそ申し訳ございません」
リカルドの返答に満足げに頷いたマルケスは、従者に合図り香茶を運ばせると……自らは仰々しく立ち上がり、来客たるリカルドに対して申し出た。
「御館様が纏めておられた書物、ご用意して参ります。少々席を外しますので、何かございましたら女給へお申し付け下さい」
「は。承知致しました。……何から何まで、恐縮です」
「いえいえ………それでは失礼致します」
恭しく頭を下げ、マルケスは丁寧に扉を閉め、身を翻し…………能面のような無表情を纏い、『御館様』の部屋へと歩を進めていった。
彼の『御館様』と……密かに連絡を取るために。
………………………………
王都守衛隊東班の警邏中隊長アードルフは、困惑していた。
『警邏中隊長』などと言われながらも、彼はもとより部下も全員がただの平民である。職業兵士とは異なり、市中の見廻りと治安維持程度をこなすための『質よりも量』を地で行く守衛隊……近所の年頃の青年達が集まったような、非常に緩い部隊である。
一人一人の実力はさほど高くないものの、王都の治安維持の一端を担うだけはあり……職務意識には忠実な者が揃っていた。
そんな彼らが。
仕事を放り出すことも、怠けることも滅多にない………真面目さが取り柄の彼らが。
休憩が終わり、午後の市中警邏を目前にしても……半数近くが戻っていないのだ。
「これだけしか………戻っていないのか……!?」
「隊長………これは………」
アードルフ率いる警邏隊の面々は、そもそも業務をサボることさえ殆ど無い。
それが無断で、かつこれ程大勢が一斉に行方を眩ますなど……前代未聞。朝の警邏は無難にこなしていただけに、尚のこと異常である。
「ぐ…………担当範囲を振り直す。居る者のみで巡回小班を再編成、隣接二区間を一班で回す。……腹括ってくれ」
「マジっすか………いえ、仕方無いすね……」
「……しかし、一体何が………ガモフの野郎も戻ってませんし」
こんなにも大人数の歯抜けは、前代未聞である。あの手この手を尽くし巡回要員を工面しようにも、さすがに限度というものがある。
どうにかこうにか人員の割り振りを見直し、なんとかギリギリ業務を回せる段階までこぎ着けたとはいえ………通常よりも広範囲を無理やり押し付け、いつもの倍の負担を強いるだけに過ぎない。
処理能力以上の負荷を掛け、無理をさせているのだ。本当に『巡回』のみであればなんとかこなせるだろうが……巡回の最中で、もし『何か』が起これば。
それこそ………人手を必要とする事件や騒動でも起きてしまえば。
対処に向かえる人員は………居ない。
「何も起きないに………越したことは無いんだがなぁ」
「こればかりは何とも………いえ、正直厳しいやもしれませんな」
「…………だな。仕方無い」
苦渋の表情でやむを得んとばかりに、アードルフは伝令要員を呼び寄せる。
内容は人員援助の要請、宛先は同僚……王都守衛隊の、他の部署。
それは……『私には手に負えません、助けて下さい』と言うに等しい行為。自らの能力不足を認め、他者に泣きつくという……面子に拘る貴族連中は『情けない』とさえ捉えるであろう行為。
しかしアードルフは躊躇しない。彼の中では『何かが起こりそうなので手を打っておく』の段階では既に無く、今後これから何かが起こるのは決定事項であった。
なにしろ既に普通ではない事態……非常事態に陥っているのだ。これだけで終わりな筈は無い。今後も厄介な事象が起こるに違いないという確信がある。
そうして『何か』が起こったとき………充分な人手があるのと無いのとでは、取れる対処の幅も桁違いである。
ここまで備えて、その結果何も起こらなければ………それこそ幸いである。自分が責任を負って叱責されれば済むだけの話なのだ。
「………何かが起こる。覚悟しておけ」
「あー………やっぱ何か来ますか」
「だよなー………気が重いわ」
『何かが起こる』。何一つ充分な情報もない、そんな命令とも呼べぬ命令を受け………しかし彼らは『そういうもの』だろうと弁えていた。
隊長たるアードルフの判断に、全幅の信頼を措く隊員達は然して不満を溢すこと無く……『何か』に備え始めた。
幸というべきか、不幸というべきか………
やがてその『備え』を必要とされる局面へと、彼らは陥ってしまった。




