141_勇者と巨鳥と黒闇の悪夢
王都リーベルタより北、宿場町『エーリル』。
破壊された山岳街道の修繕のため、北方へ向かわんとしていた勇者と兵士達であったが……現在とある事情により、この宿場町で足止めを食らっていた。
「……今日も居ますな」
「………そうだな」
足止めといっても……必死の抵抗戦を繰り広げられているわけでも、断続的なゲリラ戦を仕掛けられているわけでも無く。
拍子抜けと言える程に平和的な足止めであった。
「……………やはりデカイですな」
「………………そうだな」
所々で蛇行しながら、大筋として北から南へと流れる大河『レスタ』。エーリルの町からレスタまでは目と鼻の先だが……川向こうの岩山、それも一際目を引く特徴的な頂までは、なかなかの距離がある。
少なくとも……ヒトの手が届く距離でも、攻撃魔法の届く距離でも、身体強化を受けたとて易々と辿り着ける距離でもない。
「…………何を考えとるんでしょうな」
「…………………わからんなぁ」
それ程の遠距離にありながら。
それでありながら、その全容を窺える程に巨大な……異様な『鳥』が。
現存する最大の脅威……『神話級』魔族が一柱、フレースヴェルグが。
……何をするでもなく、じっ……とこちらを窺っているのだ。
「……不気味ったらありゃしない」
「………全くですな。目的が解りませぬ」
宿の主人に噂を聞いたときは、まさかとも思った。
実際に目の当たりにしたときには、血の気が引いた。
……だが、それだけだった。
こちらの姿を認め、観察する素振りを見せ……しかし何もして来ない。
身ぶり手振りで意思の疎通を図ろうにも、怒鳴り声を上げてみても、目ぼしい反応を見せないフレースヴェルグ。……逆にヴァルターのほうが周囲から『なにやってんだこいつ』という視線を向けられ、それに凹んだヴァルターはそれ以降意思の疎通を試みていない。
結局のところ、フレースヴェルグはこちらを観察するのみ。その目的は相変わらず不明。
そして奴の目的が解らない以上……下手に動くことは出来ない。
何と言っても、『神話級』。単体で都市一つは易々と滅ぼせるであろう、規格外の存在である。
……仮に。奴がこの町を襲うタイミングを、今まさに虎視眈々と狙っているのだとしたら。……そう考えてしまうと、奴を無視して先に進む訳にも行かない。
結果として。『何かあるわけでもないが、かといって無視できない』脅威を前に、釘付けされること………三日目の朝。
―――『奴』が、ついに動いた。
耳を突ん裂くような怪鳥の咆哮が、宿場町エーリルに響き渡る。
巨大な一対の翼を大きく拡げ、風を孕み宙に浮かぶ。
その鋭い視線は。圧倒的な強者の目は。まっすぐこちらを見据えている。
今日も今日とてフレースヴェルグの様子を窺っていた勇者ヴァルターは……ついに動き出したそいつに対処すべく、いち早く行動を起こした。
傍らでは随伴していた近衛騎士達も動き出し、手筈通りに避難指示と誘導を始める。
エーリルの民は戸惑いながらも、近衛騎士達の必至の訴えに従い移動を開始する。
およそ三日……いや、ヴァルター達が訪れるよりも前から、殆んど動きを見せなかったフレースヴェルグ。『なぜ今更』などとは思わない。そもそもが理解の外の存在なのだ。何から何まで『理由を考えるほうが無駄』である。………ならば只、最善を尽くし対処するのみ。
フレースヴェルグは恐らく……いや、間違いなくヴァルターを認識している。あの怪鳥を倒せるなどとは思っていないが、何もせず町が破壊されるのを見ているわけには行かない。ヴァルターは気合いを入れ直し、行動に移す。
(コッチに………引き付けられれば!)
剣帯のポーチに手を伸ばす。指先の感覚を頼りに一本の小瓶を引き抜き、封紙を引き抜く。
分断されていた小瓶の中、溶液が真綿に浸透し始め、反応が始まる。身体強化を喚び興し、仄かに熱を持ち始めた小瓶を大きく振りかぶり…………奴目掛けて、投げる。
当然、届かないだろう。だがそれでいい。
封紙を引き抜きおよそ五秒後。力いっぱい放たれた小瓶は、その役目を全うする。
乾いた小さな破裂音。
その直後………目を覆わんばかりの閃光。
小瓶の内壁に描かれていた緻密な紋様……『魔法陣』に封を解かれた魔力溶液が触れ、魔法陣の起動に必要な魔力が満たされたことで発現した魔法『閃光』。
効果のほどは……小瓶の大きさ同様、些細なもの。ほんの一瞬光るだけ。
だが――ヒトとは比較にならないほどに鋭敏な感覚、高度な集光能力を備える怪鳥にとっては――極めて鬱陶しい筈だ。
ここには居ない相棒の新作、その効果は想像通り………一瞬たじろいだフレースヴェルグはあからさまにこちらを意識し…………イラついている。
「こっち来いよバカ野郎!!!」
聞こえているかは解らない。だが内心の恐れを誤魔化すように怒鳴り声を上げ、ヴァルターは駆け出す。
目指すは町の外。誘導に従い南方向へと向かう人波に逆らうように………北へ。
北門の外……随所に茂みが顔を覗かせる以外は、土と砂と土礫の広がるだだっ広い平地まで……奴を引っ張る。
勝てるか勝てないかは二の次。ほんの少しでも時間を稼ぎ、人々の逃げる時間を一秒でも長く確保する。人々が一歩でも遠くへ逃れられるように、一秒でも長く抗い続ける。
………それが己の役目だと、震えそうな自身に言い聞かせ。
その必死の想いは……しかしながら。
「………なん、だ…………あいつ」
人けの無くなった北門を飛び出し如何程か歩を進め、やがて足下が草地から土へ、砂礫の舞う平原へ足を踏み入れたところで…………
あっさりと、別の色……『恐怖』に塗り潰された。
どれ程の距離があるのかは、定かではない。だがそれでも、明らかに異常だと解る……その姿。
その身の丈は明らかに自分よりも上。肩幅も腕の太さも脚の太さも、ただの人間とは思えない。
極めてがっしりとした、岩山のような体躯の全て………頭の天辺から足の爪先までを闇のように暗い鎧で包み、血のように赤い外套を風に靡かせ………重厚かつ長大な剣を手にした、その姿。
一歩、一歩。破城鎚のような足が踏み出される度に、重く響く音と砕かれた土礫が舞い上がる。臆するものなど一切存在しないとばかりに、悠々と歩を進める……その姿。
周囲に比較対象となるものが無いため、正確な寸法は不明だが………
その威圧感は生半可なものでは無い。
―――明らかに、ヤバい。
[………久方ぶり、と、謂うべきか。弱者]
「…………………ああ」
後ろから掛けられた声。明確に『死』を予感させる状況に、せめて声色だけは平静を繕うと意地を張り………短く返す。
無理もない。いるのだ。すぐ後ろに。
目覚めてしまった最悪の敵対相手………『神話級』の脅威が。
[良くぞ、生き延びた。賛辞に値しよう。]
「……………それ、は………どうも」
背後より掛けられる声に、しかしながら振り向かない。振り向けない。
眼前より迫る異様な存在に。ゆっくりと歩を進める闇色の化物に。あからさまに形を成した敵対の意思に、視線を奪われる。
[……その幸運に免じ、貴様達の『生』を赦すも、吝かでは無い………と。思っていた。此は、事実だ。………だが。]
―――だが。
絶望的な予感が脳裏を過る。しかしながらその予感をあっさりと肯定するように、眼前に迫る『人の形を取った悪夢』に動きが見られる。
右手にだらりと提げていた剣――と呼ぶのも馬鹿らしい、巨大な鉄塊――それを、構える。
右手を引き、左半身を前へ。剣を高く掲げ、脚を開き身を落とし。
まだ距離自体は、充分に離れている。だがそんなことは何の慰めにもならない。予感ではない、『確信』。間違いなくアイツはあの位置から襲ってくる。すぐに対処しないと死ぬ。
[……此方も、支配者が変わった。悪く思うな。]
フレースヴェルグの言葉と共に、眼前の闇色鎧に光が走る。不気味に赤く光る幾条もの光が鎧の表面……主に脚に纏わり付く。
仕上げとばかりに……鎧の最上部、頭部の眼孔に光が灯り、
―――目が、合った。
「ッッッ!!!?」
一瞬。
たった一歩の踏み込みで、悪夢が目の前に表れた。
巨大な鎧が、腕が、剣が、一挙動で迫ってきた。
―――地面が、爆ぜた。




