140_少女と後悔と覚悟の夜
『あの島』に棲んでいた彼が、こんなところに居るはずがない。
単なる偶然に過ぎない。たまたま見覚えのある種族だっただけの、赤の他人。
だから……『彼』の死を気に病む必要なんて………全く無い。
そのはず、なのに。
「………ノート、様」
「……………んん」
………消えない。
殺される直前の、彼の視線が。思考が。
わたしを見据え、わたしのことを認識し、その上で助けを求めていた彼の………声なき声が、消えない。
………よくわからない。
今まではそんなこと無かった。魔物を………蟲だろうと蛇だろうと、何のためらいもなく殺してきた。
わたしが生きるため………なんて高尚な理由ばっかりでは無かった。ただそこにいたから、自分の存在をアピールするため、その程度の理由で、何も考えずに殺してきた。
それどころか。
前世は更に……もっと、もっとひどかった。
殺した『魔』のものの総数は、到底数えることなど出来ようもない程。魔物、魔獣、魔族。殺すことに意味を見いだす必要なんて、考えたこともなかった。
なんとなく殺した。そこにいたから殺した。視界に入ったから殺した。………そんなことが殆ど。
それだけではない。それだけならばまだ良かった。
わたしは同族さえも………『ヒト』さえも、理由があれば殺してきたのだ。
敵対したので殺した。命令されたので殺した。命乞いする者を、血を流しながら逃げようとする者を、大切な者を庇おうとする者を、情け容赦なく殺した。
わたしにとって、『殺す』ことなど………何の感慨も浮かばない程に、日常的なものだった。
…………はず、なのに。
「………わたし、は、なんで………ころした」
「ノート、様……?」
全身をすっぽり覆った毛布を、ぎゅっと握りしめる。
心が落ち着かない。なにがなんだかわからない。今の顔は、誰にも見られたくない。
「…………ころし、たく………ない? わたし………いつ、から?」
以前は、他者の生死など心底どうでもよかった筈だ。躊躇いも同情もせず、路傍の石ころを蹴飛ばすかの如く手を下してきた。
………だが、今は。少なくとも、今日は。
「………いつ、から」
闘技場で目撃した――以前『島』で世話になった『彼』と同じ種族、きわめて似た容姿の――『彼』の死は、無関心で居られなかった。
―――『死にたくない』。
わたしに向けて放たれた彼の想い……それを確かに、わたしは聞いた。
たまたま、彼の視線の方向にわたしが居ただけかもしれない。
でも……彼はあの瞬間、この闘技場に居合わせた他のだれでもなく………わたしに救いを求めてきた。
わたしを、わたしの身体を『魔の王』のものだと認識した上で………わたしならもしかしたら助けてくれるかもしれないと考え、助けを求めてきた。
「………あぁ」
簡単なことだった。
いつからとか、どうしてだとか。考えるまでもない。
なぜならば……前世から、そうだったから。
殺すことに慣れすぎて、死というものに触れすぎて、いつしか完全に麻痺していたが………
助けを求めてきた者を、助けたかった。
ただ………それだけだった。
……それだけだったのに。
「わたし………むりょく。……たすけ、れない……かった」
「………ノート様…………」
毛布の中。リカルドの寝台の上で……赤子のように丸まる。
無力だった。わたしはあのとき、なにもできなかった。
力を見込まれ、救いを求められ、しかし救えなかった。
それは………とても悲しいことだった。
「………ノート、様は………ぼくを……たすけて、くれました」
ぽつり、と呟かれた……メアの言葉。
小さなその声は、しかしながらいつもの弱々しく、震えそうな声とは………なにかが違っていた。……気がする。
「ノート様は……奴隷で、ヒトの価値なんて無かったぼくを………救って、くれました。………ノート様のおかげで………ぼくは初めて……安心、できました」
「………めあー」
もぞり、と丸まったまま身じろぎをする。
メアの声が……よく聞こえるように。
「ぼくは………ノート様に、いっぱい感謝して……ます。ノート様が無力だなんて………ぼくは、思いません。………ノート様は……すごい、お方です」
「……………ほんと?」
「本当ですっ! 強くて、優しくて……………か、かわい………美しくて! ぼくは……ノート様と居られて……幸せです! ………その、ちょっと…………え、えっちな、ところ……ありますけど」
「めあー!」
「わわぁ―――――!?」
がばっと毛布を捲り上げ跳ね起き、寝台の傍らのメア目掛けて両手を伸ばす。少女のように滑らかな細腕と少女のように細い腰まわりを抱き寄せ、そのまま一挙動で寝台へと引きずり込み、しがみつく。
………つかまえた。
「あ、あ、あ、あの、あの、あの、あの、あの」
「めあー、めあー。……めあー、いいにおい」
「わ、わ、わ、わ、わ、わ、あわ、わわ」
毛布の中、逃がさんとばかりに両手両足でしがみつく。
女の子のようなメアの横顔はとても愛らしく、石鹸のようないい香りがほわりと漂う。全身全霊で抱きつくわたしに顔を赤らめ取り乱す従者の様子は、控えめに言って非常にそそる。
………そうだ、メアはわたしの従者なのだ。だから抱きついても問題ないのだ。ネリーだってシアを抱いてるじゃないか、ならばわたしがメアを抱いても問題ないのだ。
それにネリーには『メアの寝床に潜り込むの禁止』と言われた。そんな気がするが多分そうだろう。
………ならば『わたしの寝床に引きずり込む』のは、大丈夫なのだ。
「めあー、めあー」
「の、の、の、ののののノート、様! まっ、まっ、待って! そこは! 今そこは………っっ!」
「めあー………んい、げんき。これ、めあー、げんき」
「あっ、あっ! ………や、やめ、や………あ! あっ……!?」
メアのいいにおいを堪能しながら、彼の服の中へ手を突っ込む。温かいおなかを堪能しながら、更に侵食を進めていく。
かつての自分にはあって、今の自分には存在しないそれ。愛しい従者の可愛らしいそれを少なくない寂寥感と共に愛しげに撫で擦り、少女のように可愛らしい声を堪能する。
「めあー、めあー」
「ノート、様……っ! や、やめっ、やぇ……っ」
「んい。よいでは、ないか。よいではないか」
「ちっとも良く無いわこの色魔が!!」
「んいい―――――――!!?」
頭になにかが降ってきた。
『ごぎん』とか『ごぎゃん』とかいう音とともになにか降ってきた。毛布越しなのに的確に頭に降ってきた。痛い。とても痛い。星が見えた気がする。
あわてて毛布から這い出ると………すらっとしてぷにっとした内ももと、黒いぱんつに包まれたおまたが目の前にあった。
「……にと、ぱんつ………くろ」
「やかまし」
「あいた」
片足立ちのまま、器用にわたしの頭にかかとを落とすニド。……さっきのとは破壊力はまるで違うが、衝撃は似ている。どうやら毛布越しにかかとを落とされたらしい。
ひどい。なんてことをするのだ。わたしは何も悪くないのに一方的に足蹴にされるなんて、あんまりだと思う。
「不満アリアリの顔だの」
「………んいい」
わたしの内心を読んでいるわけでは無いだろうが、ニドはときどき鋭い。最初の頃はよく笑う可愛い子だったのに、最近はお小言が増えてきている。ネリーみたいだ。
……ネリー。
いつになったら会えるんだろう。今どこに居るんだろう。………早く会いたい。
じゃ、なくて。
わたしがおこられたのは、なんでだ。げせぬ。
「……何故己が足蹴にされたか、解っていないようだの……御前」
「んい………わたし、わるく、ちがう」
「呵々々! 悪くないときたか! ……どうだ、小僧」
ニドが、わたしの隣でへたり込んでいるメアに話を振る。突然話を振られても、メアはびっくりしてしまうだろう。
………ほら、メアが可愛らしいお口をへの字に曲げてわたしを見て……あれ……………睨んで……?
「め、めあ………?」
「っっっ………ノート、様………っ!」
「?? めあー?」
顔を赤らめ、目尻に涙を浮かべ、寝台の上でぺたんとおんなのこ座りをしているメア。
微かに震えながら毛布を抱き締めるように抱えるその姿は………まるで狼藉ものに乱暴された女の子のようで。
「………はぁ。………全く、闘技場で試合を見たかと思えばいきなり意気消沈しおって。抑もおんしが行きたいと言い出したのであろ。だと言うに………小僧共に此処まで送らせ、その間ずーっと上の空で。母上と姉上にも生返事、かと思えば自分勝手にも御父上の寝台で乳繰り合いおって」
なんでだろう。どうしたのだろう。
メアはわたしを睨み付けるような視線だし、ニドはなんだかやれやれとでも言いたげな表情だ。
………と思ったらニドが大きく息を吸った。あっ、これはやばい。
「ワレが!! 全部!! 頭下げたのだぞ!!」
「ぴ」
キレた。
ニドが珍しく眦を吊り上げ、綺麗な顔に険を濃くして………吠えた。
「御前が何を考えとるのか! 大体察しは付くがの! ………だからといって! 己に善くしてくれる者達に礼を失する理由には成らぬわ!! 勝手に凹むにしても先ずは礼を述べよ! 義理を果たせ!! 我儘を押し通すな! 幼児の癇癪でもあるまいに!!」
「んひ、ひ……」
「……あの小僧らも。姉上達も。御前の様子を酷く心配しとったぞ。………御前は『おとな』なのだろ。こどもではないのであろ。どうすれば良いか……解るの?」
「………あ、あい」
頭はまだずきずき痛むが……ニドの言うことは尤もだった。
そうだ、リカルドの部下の彼らも、リカルドのおくさんとむすめさんも、わたしの顔を不安そうに見ていた。
………心配、してくれていた。
「小僧らには……まぁ明日でも良かろう。だが………」
「んい。………おねえちゃ、わたし、あやまる。……いく」
「……うむ。其が良い。……飯は仲良う喰わんと勿体無いわ」
言うが早いか、ニドは身を翻し部屋を出ようと歩を進める。……微かにいいにおいがする。料理のにおい………晩ごはんのにおいだ。
確かにそうだ。ニドの言うことは間違っていない。ニドは―最近はお小言も少しだけ多いけど――物知りだし、かわいいし、笑顔もかわいいし、おっぱいも大きいし………かしこい。
いつもわたしを助けてくれる。ニドにはいっぱい助けられてる。
「にと………あり、がと。すき」
部屋を出ようとしていたニドが立ち止まり、びっくりしたような顔で振り返る。……いつものにやりとしている顔も可愛いけど、びっくり顔も可愛い。
……おっぱいもおっきいし、やさしいし、かわいい。最強じゃないか。
「阿呆。御前のほうが可愛いかろう。………その素直さを、もっと表に出すが良い。そうすれば合格よ」
「んい……? んい」
「だが………まぁ、『好き』と言われて悪い気はせんな。むしろ…………呵々々、久方ぶりに盛って来たわ。ぬしら今夜は覚悟せぇよ?」
「んえ………?」
「はひ………!?」
可愛らしくぺろりと唇を舐め、ニドは部屋から出ていった。メアはなんか目を見開いて硬直してしまった。どうしたんだろう。
………それに、最後のあの言葉は何だったんだろう、『覚悟しろ』といっていた気がする。覚悟……襲われるのだろうか。たたかうのだろうか。
あっ、そういえば闘技場で『後で相手してやるから我慢しろ』って言っていた気がする。そのことか。ニドはちゃんと覚えていてくれたのだ。
「んい。たのしみ」
「ひっ……!?」
傍らでメアが引きつった顔をしているが、さっきからどうしたのだろう。具合でも悪いのだろうか。今晩は抱っこして寝てあげよう。
……まあいい、とりあえずヴィオレッタとエリゼにごめんなさいをして、晩ごはんを食べるのが先だ。
何やらかちこちに固まっているメアをぐいぐい引っ張って、階段を降りる。
そのあとは………お楽しみが待っているのだ。




