139_街と人々と強者と弱者
――東岸闘技場。
王都リーベルタの東岸街、二本の大河の合流地とそこに佇む王城を眺める一等地に位置する、巨大な建物。
多くの人々が己の武を誇り――その武によって富を手にするため、またその名にハクを付けるため――日夜切磋琢磨し合うための施設。
または……そんな荒々しく猛々しい戦士の生きる様を一目見ようと、そしてどちらが勝るかに賭け、そして一喜一憂せんと……夥しい数の人々が訪れる施設。
この街の闘技場は有用な人員の発掘施設であり、また賭博施設でもあり、場合によっては練兵施設や興行施設としても用いられていた。
そのため演目も多岐に渡り、魔物相手の勝ち抜き戦や剣闘士同士による番付戦、外部からの挑戦者対剣闘士の特別戦等々……演目によって開催日が割り振られているらしい。
屈強な登録戦士による剣闘試合だけでなく、一般人も勝ち抜けば報酬を得られる、田舎から出てきて『一旗揚げよう』という者を集めるための演目も用意されているらしい。
「御前。駄目だぞ」
「んええー!?」
私服を纏い、休暇中にも関わらず解説を買って出てくれた、護衛の青年兵士。彼らの話を聞くにつれて爛々と瞳の輝きを増していった白い少女ノートであったが………その意思を伝える前にニドに釘を刺されてしまった。
ノートにとってはがっくりであったが、嫌な予感をひしひしと感じていた彼らはあからさまにほっとしていた。
対人演目はある程度刃を潰された武器を用いているとはいえ、闘士の鍛え抜かれた体躯から繰り出される一撃は……強化魔法の恩恵無しでも、ときとして金属鎧をも凹ませる。
ノートが防御強化の魔法も会得していることは知っているが、だからといって筋骨隆々な大男の剣が彼女目掛けて振り下ろされるなど………精神的に宜しくない。
在野に埋もれる有力な人材を発掘するため、老若男女問わず門戸は開かれている、とはいうものの……さすがに十かそこらの女児の参加は前例が無いだろう。
それに、彼女が鮮烈なデビューを果たしたとして。見た目も言動も剣闘士らしさとは真逆に座する彼女である。
彼女が勝つであろうことは、まあ間違いないとして。その試合を見た後の観覧客達、人々の追求が極めて面倒になるであろうことは、火を見るよりも明らか。護衛としては見過ごしたくなかった。
「御前のような娘っ子が遊びに出る場じゃ無いのだぞ。真面目に戦っているところを冷やかすのは、駄目だ」
「んんんんん………」
「それに……ほれ。御前に勝てる奴など居るわけがあるまい。結果が分かりきっておるに態々戦る必要もあるまい」
「だ、だって! わたし………ほめられ、ほしい」
「だってではないわ。身の程を弁えんか。御前の前であればの、みーんな降参してしまうわ。のお?」
「そ……その通りだー、勝てないー(棒読み)」
「ダメだーお姫には勝てないー(棒読み)」
「ちくしょうーこっち見てくれー(棒読み)」
「? ?? んええ……?」
言い争う二人の少女に対し、最初の頃こそ何事かと注視していた周囲の人々であったが……その会話の内容が『闘技会に出たいと駄々をこねる幼子を説得する姉たち』であると解るや否や、途端にその表情を暖かいものへと変化させていた。
わざとらしく崩れ落ちる青年三人と、困惑し熱の削がれた様子の少女のやり取りは……なんとも微笑ましい。
まぁ……ニドにとっては本気で発した『主に勝てる奴など居ない』との言葉ではあったが、周囲の人々にとっては説得のための方便として映ったようであった。まあ尤もソレを見越しての発言なのだが。
登録剣闘士は、その出自こそ様々――元奴隷であったり戦争捕虜であったり犯罪者であったり生活困窮者であったり――ではあるものの、専用隷属魔具の着用と引き換えに一定の自由と権利を、そして多くの勝利と共に民衆の支持と誉れを得る『人気者』である。
文字通り血の滲む努力の末に手にした栄光を、こんな眠たそうな顔の幼子に足蹴にされたとあっては………それは、それはあまりにも、あんまりだろう。
彼女自身、自ら蘇生して以降、途方もない永きに渡り自己研鑽に努めてきたのだ。その努力の積み重ねが尊いものであるということは、知っているつもりである。
「ほれ、解ったら出場は諦めよ。客席から眺めれば良かろ」
「んひ……んい………」
「帰ったら代わりに吾が付き合うてやるから、の?」
「…………んんんー」
不承不承、ものすごく遺憾の意を表しながらも、なんとかノートは引き下がった。
今まで名誉欲など見せたことがなかったがために、唐突な申し出に正直面食らった場面もあるのだが………考えてもみれば彼女はまだ幼い、十かそこら(だと周囲には思われている)の幼子である。
『得意とする分野』で『活躍を見せて』、『褒めてほしい』という欲が浮かぶであろうことは、何ら可笑しいところでは無い……のかもしれない。
得意とする分野………普通の子であれば、お絵描きや歌唱、お手伝い等が挙げられるであろう。それが、この子にとっては『戦い』であった……というだけ。
……自らの存在意義を主張する点が、よりにもよって『闘争』。褒めてもらうために勝利を、戦いを欲する彼女。
彼女のこれまで措かれていた環境が、いかに理不尽なものだったのか……改めて認識させられた一行であった。
……実際にはそんな深い動機も深刻な理由もなく、単に『いっぱい勝てばファイトマネーがっぽがっぽ』『自分のせいで出費がかさんでいるであろうリカルド達に恩返し』『そして褒めてもらう』という非常に単純かつ世俗的な動機だったのだが………幸いにしてニドをはじめとする引率者たちに、そのことが露見した様子は見られず。
どういうわけだか前よりも増して暖かな視線を送ってくる彼らに、ノートは一人だけ首を傾げるのだった。
………………………
本日の演目は、魔物相手の勝ち抜き戦。らしい。
外部から募った一般参加者と闘技場側の用意した魔物や魔獣達とで立合いを行い、闘技場側の指示する数を勝ち抜くことで制覇となる。最難関のランク制覇ともなるとかなりの大金に加え、別途特別報償が受けられる………らしい。
一日あたりの挑戦者数は限られており、本戦に駒を進めるには予め選考と予選を突破しておかなければならない。らしい。
本戦で相対する魔物や魔獣はどれも危険指定、常人が遭遇すれば被害は免れられない奴等ばかり。無論挑戦者が命を落とすことなど無いよう魔物用の服従魔具にて拘束、いよいよ危険と判断されたら全身緊急停止される手筈となっているが、とはいえ絶対に安全であるという保証は無い。らしい。
そのため挑戦者は念書を書かされ、血紋による契約をする必要がある。らしい。
そんな説明を受けながら……夥しい数の人々と熱気に満たされる円形闘技場、その観覧席へと足を踏み入れる。
眼下の舞台では今まさに、挑戦者と思しき若者が大立回りを繰り広げていた。ここからでは挑戦者の顔色は窺えないが、逆に迎え撃つ相手……大柄な魔獣の挙動がよく解る。
「………え?」
挑戦者の振り抜いた剣が、魔獣の前足を斬り裂く。バランスを崩しながらも大きく開いた顎を挑戦者に向け………しかしながら一歩届かず、大顎は空を噛み閉じられる。
隙ありと突き出された挑戦者の剣が、間合いに収まっていた魔獣の左目を刺し穿つ。
「………っあ、ぎ……っ!!」
「む……どうした御前」
地を揺るがさんばかりの魔獣の絶叫と、空を割かんばかりの歓声。
そんな中、彼女にだけ届いてしまった……受け取ってしまった声。
紛れもない悲鳴に、一人目を伏せ蹲る。
「っ、ゃ…………やえ、て」
「………御前?」
片眼を潰され、苦し紛れに振り抜かれた尾の一撃を挑戦者は身を屈め切り抜け、お返しとばかりに後ろ足の根本が深く抉られる。
毛皮を纏っているわけでも、ましてや鱗に覆われているわけでもない表皮はあっさりと斬り裂かれ………鮮血が勢いよく溢れ、地を濡らしていく。
立て続けに斬り裂かれた腱では、もはやその巨体を支えることは叶わず。今度こそ脚は折れ、地響きと共に腹が地に付く。
挑戦者はこの機を逃すまいと魔獣の背に飛び乗り、逆手に握りしめた剣をその眉間目掛け突き下ろし………
「っっ!! っあ…………!! あ、ぁあ………」
彼は最期を――自分はここで無意味に殺されることを――悟ったのだろう。
かつてノートと触れ合った者とは、幸いというべきか違う個体であろうが…………本来であれば心優しく、臆病で、人に危害を加える筈もない穏やかな魔獣……古顎獣は。
―――『死にたくない』
悲壮な視線を少女に向けたまま……
呆気なく、命を喪った。
………………………
「………………っ、………っひ、………っく」
「……………全く」
「……に? あわ、わ、わ………に、にと?」
「落ち着くまでそうしておれ。……どうせ誰も聞いておらぬ」
「……っ、……………ひ、」
場内拡声魔法が挑戦者の七勝目を告げ、割れんばかりの喝采が響き渡る中。
ニドの胸に顔を埋めたノートからは……
全く場違いなすすり泣きが、小さく響いていた。




