128_少女と少女の先手必勝
こんなこと前にもあったな、とノートは考える。
二重付与された瞬間強化の恩恵のもと、風を蹴散らし空気を引き裂くように、目にも留まらぬ速度でひた疾走る。
あのとき。魔殻蟲の押し寄せるアイナリーへ急いだときと、似たような感覚。
急がねばならないのは解っている、人命が懸かっているのも解っている。だというのに………リカルドが自分に任せてくれたということが、何よりもうれしい。
「がん……ばる!」
「呵々! 良い顔だ!」
「んい!」
ニドに指摘されるまでもなく、判っていた。今の自分は恐らくとても生き生きとしている。
人々の危機を察知し、障害をはね除け、害を及ぼす敵を滅し、人々の命を、財産を救うことが。自らの信頼を置く者にそれらを求められ、その求めに応じることが。
そして、なによりも………それらの判断、取捨選択を自らの意志で行えるということに。
他の誰でもない。わたしが、決めた。
わたしが手伝うと……助けると、決めた。
「だから……! がん、ばる!」
気合いの一声と共に、視界が開ける。
魔狼狗どもの襲撃現場へ……自分が『助けたい』と願う人々の元へ、危険蔓延る障害物たる森をものともせず、一直線に駆け抜ける。
そして、見えた。
森から少し離れた街道の周囲、膝から股ほどまでの下草が繁茂した草原地帯。
先程能動探知で確認したそのままの数の魔狼狗と、それに相対する六人のヒト。負傷のためか動きがぎこちない者も見受けられるが、幸いにして全員に動きがある。……間に合ったのだ。
「えぃふぁ、ちゃんた。………あんぐ、いる」
だが、未だ何も始まっていない。ここからだ。
全力疾走を続けながら、潤沢な魔力のリソースを慎重に練り、ひとつの魔法を形成する。
いや……『魔法』というほど大それたモノでも無い。現実世界に何ら作用するものでも無いし、何かしらの物理現象を引き起こすものでも……ましてや破壊に転化できるモノでも、無い。
単純に。あるひとつの意思を乗せ………対象にぶつけるだけの、魔法。
『自分はお前の敵である』ということを知らせるだけ、『威嚇』あるいは『威圧』する程度のことしか出来ない、魔法とも呼べぬ魔法。
「なゅああああああああ!!!!」
それを……間違ってもヒト達には触れさせないよう狙いを定め、魔狼狗共に――こちらから見ていちばん近くに居た奴らに――どこか間の抜けた咆哮とともに、ぶつける。
………あたった。
「………んひ。つれた」
「良う遣った!」
既に彼我の距離は縮まり、今や感覚強化による補正無しでも肉眼視認可能なまでの距離。
この距離で、まだ躍り掛かるには少々距離があるこの状態で、奴らの注意を引く手段。……以前アイナリーに駆け付けた際は、剣による光魔法『光矢』を撃ち込んだのだが……あれは駄目だ。巻き込みすぎる。つい先日とんでもないやらかしをしたばかりなのだ。その際の被害者はすぐ後ろを涼しい顔で追従しているが……あんな光景を見てすぐに、自信満々に放てる程の余裕は、無い。
なので確実性には劣るが、わかりやすい『敵対の意思』をぶつけるだけの魔法『害意』。この身体になってから使ったことの無かったそれを、ぶっつけ本番で使ってみたが……うまくいった。
なんの攻撃も阻害も出来ず、有効距離はそこまで長いとは言えないが、この距離で奴らの注意を引けるだけでも………彼等から注意を逸らせるだけでも、充分だろう。
「来たぞ」
「んい。みぎ、やる」
「吾は左。心得た」
背後から迫る敵意に反応し……しかしながらひ弱そうなメスの幼体が、たったの二匹。意外に抵抗する六匹の成体よりかは狩りやすいだろうと、軽率な判断を下した魔狼狗四体が向かってくる。
右に二体、左に二体。たった四体とはいえ、これでも彼らの負担は確実に減るだろう。何名かの視線がこちらを向き、その表情が驚愕と戸惑いに染まっているのがなんとなく理解る。
向かっていく二人と、向かってくる四体。彼我の距離は更に勢いを増して狭まり……そしてついに接触。
……する直前。ニドの身体が掻き消えた。
そのことを視界の端に捉えながら、ノートは眼前の敵に専念する。とはいえたった二匹のイヌコロ、別段手段を講じる必要も感じ取れない。魔狼狗が厄介なのは周囲を囲まれ矢継ぎ早に襲い掛かられるからであり、一方向から向かってくるだけのイヌコロ如き何の手間でも無い。
奴らの爪よりも、牙よりも、どう考えても剣のほうが長い。
飛び掛かってくる一匹の魔狼狗、その進行方向に剣の切っ先を合わせるだけで………鼻先から脳天へと呆気なく剣は突き立ち、いとも容易く背開きにされていった。
ほぼ同時に左手側、視界の外側で……何か果実が潰れるような音と共に、魔狼狗の断末魔が小さく響く。やはりニドは強い、あちらは任せてしまって大丈夫だろう。
正面のもう一匹、すぐ目の前で同胞が一瞬で開きにされたことに恐れをなしたのか、着地の瞬間に制動を掛けるような素振りを見せる。
上体を引き上げ、尻を下げブレーキを掛けるように着地しながら後ろ足に力を込める。そのまま飛び退くのは右か左か。後は物理的に不可能だろう。
………まあ待つ義理なんて無いけど。
剣を前方へ突き込んだままの体勢から、手首のスナップを利かせ左下方へと軽く払う。それだけで魔狼狗二号の前肢は二本纏めて断たれ、甲高い悲鳴と共に体制を大きく崩す。
あとはそのまま左から右へ。真横一文字に剣を振り抜くだけで……仰け反るような体勢で悲鳴を上げていた頭と胴とが離別され、永遠の別れを告げる。
接敵からここまで僅か数秒。そういえばニドはどうだろうかと考えが過った刹那、眼前を非常識な速度で何かが横切った。
それは、何故か魔狼狗のような色をしていた。何故か頭が無惨にも潰され、何故か錐揉み回転していた。
ふと、その魔狼狗の色をしたものの来た方へと目線を向けると………左足一本で立ち、血糊でべったり汚した右の踵を振り抜いた体勢で……ニドが失笑った。
「……呵々! あと一歩、吾の敗けか」
「にど………ぱんつ。くろ」
「判りやすかろ?」
裾の広がった、歩きやすい洋短袴。その裾から彼女の肉感的な白い内股と、その奥の下着までバッチリ丸見えだった。軍用の靴は容赦なく血みどろだが、それ以外は至って綺麗なまま。
南砦の地下倉庫に何故か備蓄されていた女の子用の衣類は、測ったかのようにぴったりだったノートも含め、貫頭衣しか持ち合わせていなかったニドの文明レベルの向上に一役買っていた。
ちなみにノートはリカルドの御す馬車に奇跡的に積み込まれていた荷箱によって、奇跡的に下半身丸出しの刑から解放されていた。
二匹と、二匹。四匹の魔狼狗が一瞬で片付けられ、今や他の魔狼狗達の注意もこちらに向いている。
ノートとニド、二人を包囲するように動く群れを一瞥し、小さな強者達はのほほんと構える。
「んい。……こう、ふのう」
「好都合、な。御前」
突如として現れ、魔狼狗の包囲網に容易く孔を穿って見せた二人。
六名の男達………昨晩アルバの休憩小屋で安眠を妨げられた男達が、自分達の恩人たる少女二人を呆然と見つめる中。
あまりにも一方的な『狩り』が、幕を開けた。




