123_少女と保護者と中央街道
つい先日。
夜明け前にノートが出奔し、それをニドが見送った……その日。
起床後すぐ、愛しい少女の不在を悟ったネリー。その様相は鬼気迫るものだった。
若干命の危機を感じたニドによって、懇切丁寧に事情の説明が成された後。あからさまにしょんぼりとしながらも辛うじて落ち着きを取り戻した彼女は、愛しい少女が眠っていた寝台付近へふらふらと歩み寄ると蹲り……何事かごそごそしていた様子であった。
それから少しの後。俄に表が騒がしくなり始める。
いやに高圧的な声と、それに応える……戸惑いを隠しきれない声。
王都からの厄介な『お客様』のご到着であった。
「こっちです! 早く!」
「済まぬの」「悪ィ」「ひええ」
女性施設長エリーの先導のもと、『なんか嫌な予感するから』と連れ出された五名は、人気のない地下倉庫へと身を隠した。
真っ当な常識を弁えている男性二名にとって、女性専用施設に脚を踏み入れるのは気が引けるが……そうも言っていられない。百歩譲って勇者であるヴァルターはなんとかなるにしても、『行商人』であるアイネスとカルメロは彼らに見咎められれば絶対に面倒なことになる。
今でこそ下火になったとはいえ……リーベルタ王国は『人族』を中心とする国家であり、獣人など他種族を毛嫌いする傾向がある。
中でも、王都に籍を置く近衛師団の面倒くささは抜きんでている。悪い方向に思考の凝り固まった旧き悪きリーベルタの象徴ともいえる一団である。
ただの『行商人』であれ、たとえ名うての『狩人』であれ、人族以外であれば皆不審者であると言わんばかり、当然のように振舞う彼らには、何が何でも見つかるわけにはいかない。
同様に長耳族であるネリーにとっても、彼等は心象良い相手では無かった。王都で、王城で顔を合わせる機会は幾度か有ったが……向けられる視線や態度は大概不快なものだった。
面と向かって突っかかって来ないのはあくまで『勇者の従者兼教導役』という肩書きのお陰であり、彼らが個人としてのネリーに微塵も敬意を持ち合わせていたいことは重々承知していた。
そもそも聞いたところによると……栄えある『人族の勇者』の近くを非人族がうろうろしていること自体、彼らにとっては面白く無いらしい。
そういった経緯もあり、可能ならば絶対に遭遇したくない一団。
普段は王都に屯している彼らが……何故。
どうか自分達とは関係のない理由であってくれ。
どうか私達と関わらずに立ち去ってくれ。
ネリーの祈りも虚しく……
やはりというべきか、目的の相手は『勇者』だったらしい。
………………………………
「坊らがあの砦に居た事は知られとった様子でなぁ? 『出て来い』だの『隠れても無駄だ』だのと御約束の科白を撒き散らして居ったわ。アレはアレで見モノでは在ったぞ?」
「ん、え………?」
「早過ぎやしないか? ノート達……勇者殿一行が到着して一日足らずだろう?」
南砦を脱出してから、およそ一刻。怪しまれない程度に、しかしながら早足で進む馬車の一団は、順調に街道を進んでいった。
ドゥーレ・ステレア湖南砦から見て王都リーベルタは、ざっくり南西方向に位置する。行く手を遮るような山々こそ無いものの、街道は曲がりくねり随所で森に接しているため……見通しはあまり宜しくない。
しかしながら今回ばかりはかえって好都合。無いとは思うが砦方面からの監視や追手から隠れるには、欝蒼として薄気味悪い森の暗さが逆に心強い。普段は一個中隊十三名で警戒しながら進む道だが、今回の『積み荷』は常識外れの探知能力と規格外の戦力を誇る。
引率四名、積み荷三名の小規模編成であったが……別段不安は無かった。
「何も吾等が砦に着いてから出発した訳でもあるまい? もっと早くから勘付かれてたのだろ」
「もっと……早く……」
「まぁ……吾が与する前のこと、どんな経緯があったか迄は知らぬ。其れこそ吾の与り知らぬコトよ」
「……………というか……ニド、君は」
「其処迄だ」「痛だだだ!?」
音も無く立ち上がり目にも留まらぬ迅さで繰り出されたニドの手指が、御者台に座るリカルドの耳を捉える。そのままぎりぎりと捻られる耳の発する痛みに、大の大人とは言えさすがに悲鳴が上がる。
周囲に付き従う馬上の兵士から戸惑いの視線が向けられる中。ひとしきり悲鳴を上げ終えたリカルドに向け、どこか満足したような表情を浮かべ……白々しく笑みを浮かべるニド。
「吾は『ニド』。只のか弱き小娘よ。其以上でも以下でも無いわ。……良いな?」
「………心得た。…………女の子は……秘密が一杯だな」
「そういうことにしておいてやろ」
「こちらのセリフだと思うのだが……」
強かに抓まれた耳を擦りながら、色々と諦めたように零すリカルド。その言葉の端々には納得しかねている様子が滲み出ているが、傍らに言葉少なく座り込むノート――リカルドを始め、南砦およびアイナリーの兵員すべてが信頼を寄せる少女――彼女が気を許している相手である以上、悪い相手では無いのだろう。……と思いたい。
……リカルド自身の反応を赦さず、容易く耳を抓みあげて見せた先程の挙動。到底目視不可能な早さと、微小な標的を捕える正確無比な挙動制御。
彼女自身の口から得られた情報は皆無に等しいが、僅かな接触からも彼女の底知れなさ・得体の知れなさは滲み出ている。
この密接した狭い空間内で、彼女の気を害し敵対することは……何としても避けたい。
「話を戻すぞ? 聞くに依ると小僧達は街に屯していたのであろ。ならばそのときから……街に居ったときから、既に動向は知れていたのではないか?」
「………諜報員、ということか」
「恐らくの。木を隠すには森、人けの多い街であれば、怪しげな者も霞むであろ」
つまりは……勇者殿がまだアイナリーに腰を据えていた頃、近衛師団が王都を出立。
湖を南下し南砦へと立ち寄った勇者殿と、王都から街道を北上していた近衛師団……その双方がちょうど南砦で鉢合わせした、ということなのだろうか。
時系列的には、特に齟齬の無い流れだとは思う。
ただひとつ気掛かりなのは……勇者一行が何故王都へ召集されたのか、という点。
「何故、等と考えても仕様が無いであろうな。解らぬことは解らぬ。無理に頭を捻った処で何も出んわ」
「まあ……確かに。解らないことを考えても仕方無い、か」
「そう云うコトよ。主らには今すべき事が在るであろ。……夕餉と寝床の支度が、な?」
目を細めるニドの示す先。薄らとカーブを描く森の際の街道沿いに、木組みの小屋が見て取れた。
王都へも近づき、砦から通じるこの街道は、定期的に中隊規模の兵員が警邏しているため『安全性が高い』と認識されている。そのため多くの旅人の需要を見込んでか、野営施設も立派なものが多いらしい。
今まさに、他の利用者が夕餉の支度を整えているのだろうか。進行方向から漂うおいしそうな香りに反応し、白い少女がのっそりと身を乗り出してきた。
「ごはん……? りかるの、ごはん?」
「ああ……そうだな。もう少し待ってくれ。着いたらごはんにしよう」
「……んい、やうす」
やはり心なしか元気が無いように見えるものの……ごはんの気配を察知してか、僅かではあるが活発さを取り戻した少女。
背中に抱きつくように身を乗り出し、形の良い鼻をひくひくと動かすノートに目を細め、リカルドは馬車の足を速めた。
【中央街道(北部中央街道)】
王都リーベルタからアイナリーを繋ぐ街道。
場所により広い狭いの差はあれど、総じて馬車がすれ違える程の広さを備えている(と言われている)幹線道路。
途中で枝分かれ、多くの兵員が詰める湖南砦へ繋がる側道を擁する。
交易都市アイナリ―および砦を繋ぐ都合上、護衛を引き連れた隊商や定期連絡便として兵員達も多く行き来するため、
王国内でも屈指の安全性を誇る街道である(と言われている)。
とはいうものの、一部区間では欝蒼と茂る森林が間近に迫っているため、
油断していた商人が度々獣や魔獣の餌食となっており、
完全に丸腰で通れる程、甘い街道では無い。




