119_少女の貢献と賢弟の目覚め
『魔王城』中枢区、生命錬成棟エリア。
複数立ち並ぶ多種多様な錬成棟のうちのひとつ……本格的に稼働を開始した『第五錬成棟』に、大小二つの人影があった。
工程指示書を凝視しながら制御卓にかじり付き、眉間に皺を寄せ懸命に周囲の刺激を遮断しようとしている青年が一人と……………その青年の周りであちこち嗅ぎ回り、ことあるごとに取り込み中の青年に声を掛け、その手を煩わせんとする幼女型傍迷惑生命体が……一匹。
「とーご。とーご。これ、おしえて」
「恒久凍結室だ。高度時間停滞魔法によって凍結処置が施された遺伝子標本が多数格納されている。……培養液残量が心許ない。こちらも生産工程を整えねば」
「……わかり、やすく、ゆって」
「材料を保管する倉庫である。…………二足脊椎有機体構成素子は何処だ」
「とーご、とーご、わたし、これ、しってる」
「天面解放式三〇〇級練成筒。現在……もとい、当時主流となっていた練成容器だ。当号もコレで製造された。……………なんだこれは……有機体標本がほぼ死滅しているではないか」
「んい……んい………とーご、こまった? わたし、てつだう?」
「……第一の問いに対しては肯定する。現在当号は非常に困難な課題に直面している」
「わたし! おにいちゃ! てつだう! とーご!」
「………………承知した。……では手始めに床掃除を頼む」
「んい!」
白い外套を翻し、相変わらず下半身を露出したまま――清掃道具を探しに行ったのだろうか――どこぞへと駆けていく破廉恥幼女型生命体。……あの方向ならば大丈夫だろう。
先程までの……言葉の通じない幼子相手の不慣れな折衝、ならびに全身をもみくちゃにされ昼寝布団にされた一件もあり……フレースヴェルグは現在休眠中である。そのためこの傍迷惑破廉恥幼女の注意をトーゴ一人で引きつけなければならない。間違っても貴重な休息に入っている親鳥の下へなど行かせてはならない。
慣れない作業に、慣れない子守り。やっとのことでそれの質問攻めから解放されたトーゴは……しかしながら現状直面している問題点について頭を悩ませる。
そもそも、千数百年もの長きに渡って放置されていた中枢区練成棟である。遺伝子標本の定期保全管理は当然の如く実施されておらず、保存されていた筈の有機細胞は殆どが使いものにならない。生き残っている標本はほんの僅か。
幸いにしてこの周囲区画はごく最近まで生きていたらしく……僅かとはいえ生存していたのが僥倖であったことは間違いない。
辛くも生存状態であったもの、状態良好であったのものの多くは……恐らくはヴェズルフエルニエ製造の際に消費されたのであろう。どちらにせよこの残量では新規個体……指揮権限持ち個体の製造はおろか、簡易生産品である従属用個体でさえも……新たに製造することは難しい。
加えて。有機個体を製造するために不可欠な培養液――細胞の生育に必要な多種多様な栄養素を含み、濃度や浸透圧や各種イオン濃度を適切に調整された培地となる液体……合成魔族を製造する上での羊水となるべき液体――その残量もまた、少ない。
とはいえこちらはまだ良いだろう。優先順位としては若干下がる。少なくとも指揮権限持ちを一体製造するぶんは残っている。……まあ尤も、後々従属個体を大量生産するに際しては圧倒的に不足するであろうことは目に見えているのだが。
更に追い打ちをかけるように……厄介なことに、保管場所の明示と実態が一致していない。
先程しかめっ面で参照していた資材一覧、それを基に必要な材料を選定し回収する筈が……一覧がまるで用を為していないという問題が発覚した。
資材の在庫が在るのか無いのかさえも出鱈目、一覧には明示されている筈の資材がどこに格納されているのかも不明。員数管理がてんで不行届きで情報がまるで当てにならず、こうなっては必要な資材は自ら探し出すほかない。
不安定な保存環境でデータが破損したのか、何者かが敢えて散らかして上書き保存したのかは定かでは無いが……少なくとも人生経験に乏しいトーゴには、少々荷が重いと言わざるを得なかった。
「とーご! とーご!」
創造主に代わり『魔王城』内部設備の立て直しを図るトーゴ、そんな彼を苦しめる……更なる魔の手。
白く小さく柔らかな魔の手が、ついに帰ってきてしまった。
口頭とはいえ。暫定とはいえ。条件付不可侵条約を締結した相手である以上、無下に扱うことは出来ない。
更に面倒なことに……非常に多忙かつ高難度かつ不慣れな作業を強いられるトーゴの、『自称・兄』。おざなりに扱えばたちまち機嫌を害し、妨害活動に拍車がかかるであろうことは容易に想像できていた。
だからこそ、なるべく事を荒立てずに『あっちいっててくれ』と伝えたかったのだが……無駄に積極的な自称・兄は、どうやらわざわざ戻ってきてくれたらしい。
「とーご、とーご、……んい……おかそうじ、……どうぐ、ない」
「『床掃除』であるな、姉上。道具が無いのなら仕方が無い、姉上は少し休んでいてくれ」
「んい………で、でも……とーご、いとがしい。………わたし、おにいちゃ。てつだう。……やすみ、だめ」
「姉上、よく聞いて欲しい。これは休みではなく『待機』である。当号の業務進行に不都合が生じた際、万全の体勢で姉上に対処して頂きたい。その為に姉上は『待機』……可能であれば休眠を行い、万全の態勢維持に努めて貰いたい」
「…………わかり、やすく」
「後で助けて欲しい。だから今は眠っていてくれ」
「……? ………?? ……んい、わまった」
今では無く、後でならば役に立てると、そう理解してくれたのだろうか……肝心の『どれくらい後なのか』を聞き返すところまで頭が回った様子もなく、どこか安心した表情で横になった幼子。
鋼色の床は少々冷たかったのだろうか、纏っていた外套と剣帯を解き敷布の代用とし、こてんと横たわりもぞもぞと丸まり……おしりを丸出しにしたまま寝の態勢に移った。
「わたし、たいき。とーご、こまる、は……おしえる」
「承知した」
「んい。…………おやすい、とーご」
「…………おやすみ、姉上」
ふんすと得意げに鼻を鳴らし、業務妨害用幼女型傍迷惑生命体は……やっとその自律迷惑活動を休止した。
ただひたすらに御し難い、自らの『姉』にあたる生命体を溜息混じりに眺め、こんな騒動の元凶を手懐けていた『勇者』に対し……敵方ながら称賛の意を感じずには居られなかった。
ともあれ感慨に耽っている時間は無い。自分には為さねばならぬ事が………新たな眷属を建造するための多種多様な材料を、工面しなければならないのだ。
培養液は、一体分ならば恐らく充分。二足歩行の脊椎動物を建造するための構成素子類も大体は揃っており、一部であれば他格納単位からの流用も可能であろう。
その他の必要物も、現在の魔王城における設備と動力と備蓄資材をかき集めれば……なんとか目処は付きそうだ。
ただひとつ。
培養に順応する有機細胞、『生きている』生命体の生体組織、……旺盛的に増殖を行い得る、育ち盛りの生体細胞を除いて。
……ふと。
ヴェズルフエルニエの視界に……ひとつの生命体が映り込んだ。
若い……いや幼い、雌の個体。
二足歩行の脊椎動物、言葉を解す『ヒト』の幼体。
下半身を……繁殖のための器官、性器を丸出しにしたまま……無防備にすぴすぴと寝息を立てている、白い幼体。
ヴェズルフエルニエは考える。
合成魔族の材料となり得る素材のひとつ。旺盛な細胞分裂を繰り返す、新鮮な生体細胞。
分裂を繰り返す細胞の遺伝子情報を操作し、培地内で組成されていく組織を設計図通りに導き、それらを延々と繰り返し各種身体組織や内臓器官を作り上げ、『ヒトの形の生体細胞の塊』に近づけていく工程。
……それらは、受精直後の卵細胞を採集することで……大幅に簡略化が可能なのではないか?
わざわざ細胞粒のひとつひとつから手間隙掛けて育てずとも、ヒトの有精卵細胞が採集できれば……あとは培養するだけで『ヒトの形』に生育するのではないか?
ヴェズルフエルニエの脳内に先行入力されていた、太古の知識。
そこには確かに……受精・着床したヒト型脊椎生物の受精卵を摘出し、培養元の素材として使用していた試行素体も記録されていた。
生命倫理も、ヒトとしての矜持も、何もかもを無視した単なる『採集行為』として。忌むべき所業であったそれらの記録は、書庫に――そしてヴェズルフエルニエの脳内に――確かに存在していた。
目の前で無防備に横たわる、ヒトの雌。
御し難く、甚だ厄介ではあるものの……可愛らしい、雌。
その下腹部には、子を育むための小さな器官と……
卵細胞を生成するための器官が、存在している筈だ。
「………ッ!」
思考が進むヴェズルフエルニルの脈拍が上がり、血流が勢いを増す。
ひとたびそのことを……自らが『姉』と呼ぶ幼子を『異性として』認識してしまったが最後……情緒の育ちきっていない不安定な雄の身体は、本人の意志とは裏腹に体勢を整えていく。
硬く。太く。……雄々しく。
卵に精を撃ち込もうと……生殖を果たさんと……本人の意志とは裏腹に、順調に準備を進めていく。
…………が。
「……其は…………許容されぬ」
無防備に性器を晒す、小さな雌。
その生殖器官は見た目通りに小さく、未成熟。手荒な真似をすれば容易に傷付き、損壊し得るであろうことは……想像に難くない。
盟約は為された。ヒトに対する加害は、眼前の幼体に対しても含め全面保留されている。
これは創造主たるフレースヴェルグ、ならびにその敬愛する『王』の御名において結ばれた盟約。
只の一個体、合成魔族ごときが……断じて破却するわけには行かない。
己の創造主の名と誇りに、泥を塗るわけには行かない。
「…………未熟、であるな」
深い深呼吸を繰り返し……やっと落ち着きを取り戻した、トーゴ。一時とはいえ肥大化した己の欲望を認識し、若干の自己嫌悪に陥る。
平静を取り戻した視線の先、トーゴの葛藤など知る由もない幼子は、鋼色の床に敷かれた外套の上……相変わらずすやすやむにゅむにゅと眠りこけている。
…………と。
「はぷぁ!!」
「うおお!!?」
「んぴぃ……っ!!」
突如として奇声を上げて飛び起き、更に奇声を上げて蹲る件の幼体。
見ると――両手で抱え込んだ右の足先すぐ近く、外套の一回り外側に――鋭く尖った金属片が見て取れる。…………どうやら飛び起きた際に勢い余って外套から転がり出で、柔い足裏で踏んづけた様子。
短くない間、痛みに耐えるようにぷるぷると震えていた小さな背であったが……ふいにがばっと跳ね起き、その勢いに思わずたじろぐトーゴ。
「わたし!! いそぎ!! ……んい、かえる!!」
「ど、どうした……? 何事だ?」
「かえる! あいさつ! ふれーす、べるる、どこ!!」
「あ、主………… 挨、拶?」
「んい!!」
見るからに慌てふためいた……切羽詰まった様子のノート。足先から滲み出る痛々しい赤色には目もくれず、『もっと大変なことがある』とばかりに捲し立てる。
……そして。同時にトーゴの知識は……とあるひとつの手法を提示する。
「主の現在位置は発動筒密集区である。其処の連絡通路を通り十六番幹線通路まで戻り、十字路を左折し暫く直進。丁字路に突き当たったらそこも左折し暫く進むと」
「わかり、やすく!! とーご!!」
「其処の通路を進み二回左折。……というか、姉上」
「なあに!!!」
「………能動探知。……使用不可能なのであるか?」
「…………………………あっ」
ぷんすこと湯気を発していた顔から一瞬で怒気が吹き飛び、視線がせわしなく飛び回る。色々と察した賢明な弟は……極めて穏便かつ合理的な対応に至った。
「………帰還なされ…………もとい。……帰るのか、姉上」
「……んい。………おじゃま、すまた」
「うむ。……当号が言える立場では無いのかも知れぬが………また逢える日を楽しみにしている。壮健で………元気で、な。姉上」
「…………そう、け……げんき、で。………んい」
トーゴに掛けられた言葉……一時の別れの言葉を吟味し、理解し、飲み込み……そして受け止めた少女はほんのりと口角を上げ、柔らかな笑みを形作る。
「とーご。………あり、まとう。…………ごう、けんで」
「………ッッ」
向けられた愛らしい笑み――小さな花が綻ぶような、騒がし過ぎず控えめな……どこか上品な笑みに――一度抑え付けた情欲が再び燃え上がるのを感じる。
幸いなことにその対象、真白い幼子は……白塗りの剣を握り締め身を翻し、幹線通路へと至る道へと駆けていった。
自らの選択は、主を冒涜するものに他ならないのかもしれない。
だが……それでも。主の指示を反故にした訳ではなく……解釈のひとつとして許容され得る筈だ。
生まれて初めて芽生えた、幼い『欲望』。
人生経験に不釣り合いな体躯と、不釣り合いな知識を併せ持ってしまった……不安定な合成魔族は……
指示という免罪符の下。
自らに芽生えた『欲望』を果たすため……
血濡れの金属片を、手に取った。




