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―――これは、とおいとおい……むかしのこと。
………目が、覚めた。
久しぶりに……本当に久しぶりに、ゆっくりと眠ることが出来た。
頭の中を這い回る不快な刺激も、絶えることなく脳裏を揺さ振っていた不愉快な声も、もう無い。
身体の制御を勝手に奪われることも………無い。
「お目覚めかい? ……すまないね、そんな処で。寝苦しくは無かったかな?」
ふと聞こえた方へ目を遣ると――半透明の立体投影情報表示板を凝視しながら目まぐるしい速さで指を運び続ける――異形の女が、一人。
血のように暗く赤い深紅の髪と、龍の如き瞳孔を備える同色の瞳。額と側頭部より禍々しく捩じれた魔角を生やし、夜闇のように暗い豪奢な礼装に身を包んだ……たいへん女性的な艶めかしい体系の、人外じみた美貌の女。
………否。
その雰囲気こそ老練、何人たりとも抗い難い底知れぬ空気を纏っているものの……よくよく落ち着いてその顔を見る限り……未だ『少女』と呼んだ方が適切であろう程に、若い。
「照れるね。そんなに見詰めないでくれたまえ。……惚れてしまうだろう?」
宙を駆け回る指の動きはそのままに。
凝視するこちらに目線を合せ、にっこりと微笑む彼女……プリミシア。
ヒトは彼女を……『魔王』と呼ぶ。
横長の長椅子……簡易寝台として借り受けていたそこから身を起こし、彼女の傍へと歩を進める。
驚く程の静寂に包まれた窓の外は陽が落ち始め……血のように赤く染まった夕焼け空が、見渡す限り広がっている。
名だたる山々も、雲さえも、今は遥か眼下に見下ろす存在。
周囲を取り囲むのは闇に侵され始めた真っ赤な空と……飛び回る無数のモノたち。
「………どう、なっている?」
「拮抗しているね。昨日は少しばかし頑張ってた『同盟』だけども……『勇者』と『王国』を喪ったことで一気に盛り返されたね。……まぁ『魔王軍』も弱くないし?」
「それはそれは……」
プリミシアが右手を掲げ、軽やかに指を鳴らす。
するとすぐさま……周囲から押し寄せる多種多様な音。
騒音。爆音。破壊音。砲火音。轟音。今までは消音魔法によって阻まれていたそれらの出所は現在地の周囲一帯……今まさに行われている大空中戦。
規格外の超超大型浮遊要塞『魔王城』を攻め落とさんと雲霞の如く押し寄せる飛翔駆逐艇の群れと、それら鬱陶しい羽虫を追い払わんと狂ったように砲火を上げ続ける対空銃座の群れ。
プリミシアの眼前、宙に浮かぶ半透明の立体投影情報表示板のうちの一つ。……そこに映し出されているのは、この『魔王城』の見取り図だろうか。
昨日自分が突入したときから丸一日以上、同盟の猛攻に晒されながらも……未だ全体の七割以上が青緑色を示している。しかしながらそれ以外の三割も黄色止まり、赤色の灯る個所は存在せず……中枢区画に至っては殆ど無傷なまま。
「『同盟』も馬鹿じゃないみたいでね。砲座を優先的に狙い出している。此方の迎撃手段を削ぐ心算なのだろう。……まぁ尤も」
言ってる傍から窓の外、空中にひときわ大きな花が咲く。膨大な熱と衝撃波を伴う筈のその大輪はしかしながら……この僅かな距離にあっても発令室を揺さぶるには至らない。
魔王城の最高層部に聳え立つ第一艦橋、ならびにそのど真ん中に位置する発令室。一見無防備に見えるここはしかしながら……薄青色に煌めく不可視の魔法障壁、『魔王城』自身の主砲斉射でも揺るがぬ堅牢な護りに守られ、その迎撃能力も桁違い。
真正面から勇ましくも果敢に、しかしながら無謀に攻撃を仕掛ける駆逐艇は……到底躱しきれぬ針鼠の如き対空砲火に曝され、ものの数瞬で呆気無く爆発四散する。
「狙うだけ、なんだけどね。砲座目掛けて突っ込んでくるなんて、文字通り『良い的』なわけだ。これまでに沈黙した対空砲座は……たったの十二基。一割にも満たない」
「……すごいんだな……本当」
「当然。この私の指揮する座乗艦だよ」
鼻歌交じり、上機嫌で指を躍らせるプリミシア。
立体投影情報表示板のみに留まらず、今や発令室全体に青白く浮かびあがる……空域すべてを映していると思しき、大小様々な三角形。そのうちの一つ、比較的大きな――といっても当艦『魔王城』の足元にも及ばぬサイズではあるが――此方を向いた三角形を……彼女の指が指し示した。
「『主砲塔』。回頭」
此方に伝えようとしているのだろうか……制御文律をわざわざ口頭で詠み上げ、周囲に新たな立体投影情報表示板が立ち上がる。恐らくは『主砲』の視ている風景であろう……敵艦と思しき灰色の艦影が拡大表示されていく。
ふんふんと鼻歌交じりに制御キーを叩き込むプリミシア。彼女の瞳が怪しく輝き、それに呼応するように『主砲』の視界が鮮明に、表示映像がより拡大されていき……ついに敵艦の艦橋、ど真ん中を照準照星が捉える。
「装填」
発令室の窓の外、眼前に広がる黒鋼色の裾野。その中腹あたりの突起が、ふいに光を帯びる。
立体投影情報表示板の隅、左の端からスライダーが動き始め……ものの数秒で逆側の端へ到達、『満充填』を示す表記が灯る。
それらが何を示すのか。
その向けられた先が、何であるのか。
このまま見守っていれば、数秒後にはどんな惨劇が巻き起こるのか。
それらを理解していながらも、何の感慨も浮かばない。
たった一日前までは『心命を賭して守るべきものである』と設定されていたそれらがどうなろうと、今となっては何も感じない。
いや………それどころか。
「楽しみかね?」
「……………そう、だな」
「それは何より。それでは私も楽しんで貰えるよう……張り切るとしようかね」
プリミシアに指摘された感情を、あっさりと肯定する。
『勇者』として仕立てられた自分は……しかしながらこの瞬間は、その思想は『勇者』とは程遠い。
ヒトビトが――自らを此処まで貶め、大切な『あの子たち』を奪った奴等が――塵芥のように死んでいくのが、楽しみで楽しみで仕方無い。
「それじゃあ墜とそうか。アレは『勝利の国』……『同盟』の中で二番目に大きな国だね。その総旗艦、つまり現在は同盟の総司令部だ。『王国』に続いて彼らも消されたら……どうなってしまうんだろうね? 『勇者様』?」
「それは………とても愉快なことになるんじゃないか? 『魔王様』」
にぃ……っと。
どちらからともなく凶悪な……それでいて心底愉しそうな笑みが浮かぶ。
「じゃあそういうことで。逝ってしまえ……『斉射』」
ぱちん、と。一瞬迸る眩い光に、しかしながら目を瞑ることなく見届ける。
プリミシアが芝居掛かった動作で指をひとつ鳴らしたとほぼ同時。光の速さに匹敵する荷電粒子の槍が、触れたもの全てを一瞬で気化させながら走り抜け……『勝利の国』旗艦の上半分をあっさりと消し飛ばしていた。
「ははっ。この『魔王城』も舐められたものだ。……『王国』のザマを見て逃げ帰れば良かったものを。……惨たらしさが足りなかったか?」
痛みも、苦痛も、疑問も、悲嘆も、何一つ遺すことなく。
たった数瞬前には存在していた搭乗員達……数百名単位の『ヒト』達が、あっけなく終わる。
主砲の『視界』……プリミシアによって拡大表示された立体投影情報表示板に、一拍置いて爆炎を噴き上げ高度を落としていく『勝利の国』。
楽しい。ああ……楽しい。
あいつらを、路傍の石くれのように蹴飛ばすのが、楽しい。
今まで逆立ちしても歯向かえなかった『同盟』が、プリミシアの手によって呆気無く殺されていくのが……楽しい。
「主砲の射程内でぷかぷか浮いているだけだなんて……撃ってくれって言ってるようなもんじゃないか。これ私は悪くないぞ。一種の自殺だろう」
「アレの後だしな。もう攻撃は出来ないとでも思ってたんじゃないか? そもそもアレを見た後だ……『どこにも逃げ場は無い』と考えたのかも」
「あぁー成程ね。……まぁ確かに逃げ場なんて無いんだけどね」
からからと嘲笑いながら……『魔王城』の指揮を継続するプリミシア。
『魔王城』とは超超大型の浮遊要塞にして、魔王プリミシアの意思のもと全ての制御が成される……いわば機能拡張端末。
夥しい数の兵器を備え、絶対の守りと共に宙に浮かび聳え立つ、巨大な山。……それ自体が、今やプリミシアの手足。
その探知設備を搔い潜ることも、その城塞破壊砲から逃れることも、ヒト共には到底不可能。万に一つも、『同盟』に勝機など無い。
今この瞬間。果敢にも魔王城に立ち向かわんとしているヒト共が存在すること自体が……プリミシアの気まぐれに過ぎない。その気になれば決戦艦隊ごとき……強振制空砲の一弾きで消し飛ばすことさえ可能なのだ。
……だが。それをすると魔王軍が勝ってしまう。
それでは駄目だ。魔王軍に勝利の美酒を振舞うわけにはいかない。
希望を持たせては……ならない。
「『同盟』はもう死に体だろう。そろそろ魔王軍が調子に乗る頃合だ。……契約は覚えているね?」
「ああ。魔お…………プリミシアが『同盟』を片付ける代わりに、僕が『魔王軍』指揮官を殺す。……良いか?」
「満点。ハナマルだね。ちゃんと私を名前で呼んでくれた点が特に良いよ。優秀な子だ、ご褒美あげたいなぁ。……おっぱい揉む?」
「遠慮する」
「………なんてことだ」
ぶすっとした表情ながら、然して気にした風でも無く……プリミシアは準備を始める。
『魔王城』の動力炉『魔力発動筒群』の出力を高め『魔王城』の制御と並行しながら……溢れ出る膨大な魔力の流れを纏め、新たなる魔法を紡いでいく。
「駄目だよ……良くないよ、ドライツェ。そんなんだと婚期を逃すよ? 気に入った相手には積極的にアプローチしないと子作り出来ないよ? せっかく立派なモノが付いてるんだから」
「別にいい」
「……それはさすがに減点だぞー?」
「…………」
軽い柔軟運動を終えたドライツェ……『元・勇者十三番』の周囲を光が覆う。やれやれとばかりに嘆息するプリミシアによって整流された魔力が、一人の青年を覆い尽くす。
傍目には微細な塵が漂っているようにしか見えないそれらは、きわめて微細な立体魔方陣の海。
魔力総量も、術式の密度も、おおよそこの世で想定され得る最高のもの。
「コーマ。コーマ。メィクーア
トレーフ、ドリーフ。ホールァ、ラーファ」
術者たるプリミシアは、今や座乗艦『魔王城』と同調している。
術者自身による解呪の意思を除き……彼女の魔力が尽きるまで戦闘能力補助が途切れることは無い。
そしてそれはつまり。
『魔王城』の動力炉が停止するまでは……最強の戦闘能力補助が持続することを意味する。
「スィレィア、シュトーツァ。ヴレーネ、クラフタ。
トレーフ、ドリーフ。ウーヴィ、ズィーヴル」
視覚を拡大し、感覚を拡張し、反応速度も運動能力も最大筋力も補強が成される。
今まででさえもヒト族の指折、最高峰レベルの性能を秘めていた運動能力と、破壊力。それらがもう数段階……時間制限さえも取り払い永続増強され、更に比喩でも誇張でも無く無尽蔵のスタミナが備わる。
そんな反則じみた……いや、まさに反則そのものの人物が手に握るのは、『魔』に類するものを殺すために最適化された叡智の結晶。
白一色に煌めく『勇者の剣』に掛かれば……断てない魔物など、断てない魔族など、凡そこの世には存在し得ない。
「コーマ。コーマ。メィクーア
クラフタ、プローネ。ジ・ディ・ザル、ヒーア」
誇張では無く最高峰の運動能力、加えて最高峰の知覚能力。
疲れを知らぬ無尽蔵の体力、戦闘継続能力。
永続的に身体を保護する、害意を無力化する魔力の鎧。
そして………一切の防御を無慈悲なまでに無視する、白く禍々しい剣。
「コーマ・ティワズ。……イル」
プリミシアの……彼女の擁する『魔王城』そのものによって。
並び立つ者など存在し得ない、尋常ならざる強化が施された『元・勇者』が……
残存城郭防務局各員、『魔王軍』前線指揮官、千人・百人隊長格、司令部構成員、戦略会議室等等、『魔』に連なるありとあらゆる有力者を駆逐し尽くす為の猟兵が……こうして産声を上げた。
景気付けとばかりに荷電粒子の槍を放つ多連装副砲座によって……『同盟』の航空艦が多数、醜い花火を咲かせる中。
―――『魔』の滅びが、始まった。




