115_少女と理不尽と難しい年頃
「いい加減、機嫌を直してはどうだ?」
「…………きげん、なおす、した。だいじょぶ」
軽く空気の抜けるような音を立てながら、自動隔壁扉が開かれる。
その音を合図として歩を進める大小二つの人影。肩をいからせ扉を潜る小柄な影に、長身の影が続く。
先を歩む少女は見るからに不機嫌そうな様相で、足早に突き進んでいるものの……悲しいかな、後に続く長身の青年とは歩幅に絶望的な差が生じていた。
そのため。
早歩きで後続を突き放そうとしていた(と思しき)少女の歩みは……青年とさして変わらなかった。
「機嫌を損ねているだろう」
「ない。そこねていう、ない」
青年からは窺い知れなかったであろうが……少女の眦はつり上がり口を『へ』の字に曲げているという、絵に描いたような不機嫌顔である。……尤も青年は見るまでも無く解っていたのであろうが。
少女がここまで機嫌悪くなってしまった原因には、いちおう心当たりがある。青年にとっては『そんなことで』と思うような、ほんの些細なことだったのだが……結果としてものの見事にへそを曲げ、これでもかと不機嫌を露に、しかしながら『怒ってない』と言い張る少女。
……面倒な娘だ。
「ノート」
「………なに。おとうと」
「さっきの分岐、左だ」
「………………」
「……道を知らないのなら、先を歩くな。……『姉上』」
「………………」
ぎっ、と……
無言で歯を剥き、下からせいいっぱい睨めつけてくる……ちいさな『姉』。
大鷲フレースヴェルグの眷属にして、最新型のヒト型合成魔族……『トーゴ』と(勝手に)呼ばれた青年は、その剣呑な鳶色の瞳を力なく伏せ……
道中何度目か解らぬ溜息を、密かに零した。
………………………
………………………
「わ、わたし! おんなのこ、ちがう!」
「……………何を言っているのか理解出来ない」
時を遡ること少し。
自らを『兄』と自称した得体の知れない少女が、謎の凍結から立ち直った際に最初に溢した言葉が……よりによってそれだった。
この世界に生み出されて、たった数日間。情緒も何も未生育な合成魔族の彼をもってしても――創造主たる大鷲フレースヴェルグの主観も多少は含まれているのだろうが――意志とは裏腹に心拍および体温が微かに上昇してしまう程に、……ふとした拍子に異性として認識してしまいそうな程に『愛らしい』という表現が当て嵌まるであろう、少女。
その華奢な体つきは、耳心地よく澄んだ声色は、透き通った長い髪は、微かに膨らんだ胸は、………剥き出しの下腹部と股間の縦筋は、
誰が、どこを、どう見ても、少女そのもの。
「わたし、おにいちゃ! おんなのこ、ちがう!」
「否定する。『兄』とは年長の雄個体のみに当て嵌まる二人称である。貴様は雄個体では無い。遺伝子精査は未実施であるが……頭髪の特徴、胸部形状、腰部及び臀部の形状、生殖器の形状、それらの特徴を鑑みるに、貴様が雄個体である可能性は無い。加えて、貴様の身体は年長者であるとは言い難い」
「わかり、やすく、ゆって」
「貴様は幼い雌個体、『少女』である」
「んきいいいい!!!」
突如として奇声を張り上げ、顔を真っ赤に憤怒の形相を取っている(つもりらしい)少女。
トーゴには少女が何故怒り狂っているのか全くもって理解出来ないのだが――このままでは非常に、色々と、厄介かつ面倒くさいことになると――親鳥譲りの歴戦の直感が告げていた。
理解不能な生命体との接触は、ここへ来て未熟な合成魔族『トーゴ』の成長を大いに促した。トーゴはこの一時間足らずの遣り取りで、ほんの僅かな人生経験でありながらも的確な判断を下す程までに、立派に成長したのだった。
身の程を弁えず『兄』を自称すること憚らない、謎の幼女型生命体との接触によって……目覚ましい精神年齢の成長を見せたトーゴ。
それはもう……彼の眼前でぷりぷりと怒り心頭の少女、ぷんすこという擬音がぴったり当て嵌るだろう彼女の精神年齢を、あっという間に追い抜き去ってしまう程に。
非生産的な現状を打破すべく、『精神的に大人』である合成魔族は……とりあえず事態の鎮静化に努めた。
同様に困惑十割の創造主と思念通信魔法を用いて迅速な作戦立案が行われ、各々の視点から現状の問題点と解決案を瞬時に洗い出す。
結果――果たしてどれ程までに効果があるのか、理不尽少女に通用するのか疑問は残るものの――取り急ぎ『とりあえず』の対応案が立案・可決され、少なくない不安要素と博打じみたこじつけを抱えながら……
トーゴ本人は拭いきれぬ疑問を抱えたまま……
不本意ながら、見切り発車で施行することとなった。
「……………姉、上」
「……えあ?」
何故『お兄ちゃん』『兄』と呼ばれることに拘っているのかは甚だ疑問ではあるが……彼女の要求の根本を占めているのは、『家族である(と思い込んでいる)合成魔族に自分のことを敬称で呼んでほしい』という……その一点なのだろう。
百歩、いや千歩………三千歩譲って。彼女の言うことが正だったとして。彼女の主張通り、両者が同じ場所で産まれたもの同士であったとして。
それが正しいのだとすれば、後発ロットの男性個体を『弟』と呼ぶこと自体は……そこまで珍妙なことでは無い。……のかもしれない。
だが……それでも。よしんば性別の指定が間違いだったとしても。仮に要望が『姉』と呼んで欲しいというものだったとしても。
なまじ近代の知識や常識を持たされてしまったトーゴにとっては、外見的にも、性格的にも、到底目上とは思えない彼女をそう呼ぶことに対して……少なくない葛藤があったに違いない。
しかしながら、フレースヴェルグによる『理不尽を呑み込み耐えるのが社会というものだ』『納得し難い事実を納得することも必要なのだ』『ときには黒を白と呼ばねばならぬときもある』『そういうもんだ』『後でご褒美あげるから』などといった必死の説得により、やや頑固なところもある眷属をなんとか宥めすかし……『姉』と呼ばせることには、成功した。
だが……問題はここからだ。
そもそも彼女のご要望は自身を『兄』と呼ばせること。
『兄』も『姉』も目上の血族を示すものである点は変わらないが、そこには『性別』という大きな隔たりがある。
少女の外見――長い髪と丸い頬と僅かではあるが膨らんだ胸と括れた腰と張り出した腰骨と、そしてなにより竿や玉など見当たらない、つるりとした股間部分――それらの揺るぎない特徴は、誰がどこをどう見ても女の子である。
ここまで見事に女の子である以上、自らを『お兄ちゃん』と自称する少女の思考はやはり到底理解出来ない。頭がどこかおかしいのではないかと疑わざるを得ない。その点はフレースヴェルグもトーゴも共通認識であり、しかしながらどうしたもんかと考えあぐねる。真っ向から『お前は男の子じゃない。女の子だ』と指摘した結果がこの有様なのだ、頭のおかしい少女に今更正論が通用するとは思えない。
だがしかし。だからといって。
フレースヴェルグにとっても思うところの無いでもない、敬愛する『王』の面影を持つ少女を……
いや、面影を持つどころか……『王』に縁のあるやもしれぬ少女を、『男』呼ばわりなど出来る筈も無い。
この一線だけは……譲るわけにはいかない。
「あね、うえ? んい……あね、ねす……おんな、のこ?」
「肯定する。また、貴様の自己認識が『兄』であることも理解している。しかしながら貴様の外見および声紋から判断するに、その身体の特徴は『少女』と呼称するのが妥当である。……貴様の知己も、同様の判断を下しているものと推測できる」
「……ちき、はんだ、と……んいい………わかり、やすく」
「貴様の……親しい者も、同じことを考えている」
「………わた、しの……したし、い」
出自も正体も不明瞭な少女は、しかしながら忌まわしき『勇者』の末裔に懐いているようだった。
僅か一戦相対しただけであったが、『奴』が『彼女』を庇いながら……それこそ少女のように扱っていることは認識していた。
で、あれば。……忌々しいことだが、彼女が心を開いている『奴』。あの若い雄も同様の方針であると……『彼女のことを少女として扱っている』ということを、認識させれば。
「……………」
「……………………」
硬直する少女。否が応でも緊張は高まる。
トーゴにとっては未だ馴染みの浅い、心拍が上がり心が平静を欠く……緊張感。
『まさかこんなところで、こんな下らないことで、こんなにも緊張させられることになろうとは思いもしなかった』とは……彼の頑張りを間近で見守っていた創造主フレースヴェルグの談。
十拍が過ぎ、三十拍が過ぎ、
一区が過ぎようかというところで……やっと少女に動きが見られた。
「…………、って」
「は? ……何だ?」
ほんの小さな、言葉。
高まる緊張感によってそわそわしていたトーゴは聞き逃し……聞き返し。
顔を上げ、真正面からじっと見つめ返す……水晶のような少女の瞳に、射抜かれた。
「……もう、いっかい。……あねうえ。いって」
「……………姉、上」
「んい」
にこっ、と。
花が咲くように、満足げに少女は綻んだ。
いったい何所が琴線に触れたのか定かではないが……とりあえずの危機は脱したらしい。
慣れない子守りで心労が限界間近であったトーゴは、やっと危機を脱したのであろうことを認識すると……深い溜息を吐いた。
そしてついつい気が緩み……
生まれたばかりの素直な合成魔族は……地雷を、踏んだ。
「…………可愛い、な……姉上」
「………………は?」
掛けられた言葉、その意味を反芻し……認識したのだろうか。
数拍の間を置き……愛らしく笑顔を振りまいていた少女は、表情を落とした。
表皮の感覚器官が捉える周辺温度は、相変わらず一定を示している。
にもかかわらずトーゴは……急激に周辺温度が下がって行くような錯覚を覚えた。
「か……可愛い、ぞ? 姉上は、可愛いぞ?」
「………………………」
「あ、姉上……?」
「…………シッ!」
「あぶォ!?」
白い少女の、小さな柔らかい手が。
一瞬、僅かに霞んだかと思うと……
その次の瞬間には既に、青年の鳩尾に突き刺さっていた。
可憐な外見に反し、どう考えても不相応である『兄』という呼称にこだわった少女は……
同性である(と本人のみが思い込んでいる)男からの『可愛い』という感想に――本人自身も『可愛い』と思っている先生譲りの姿かたちを誉めるのではなく、内面……つまりは本人の人となりを『可愛い』と形容されること――そのことに対し………
非常に、辛辣であった。
((面倒臭い……娘だ………))
抉られた鳩尾を抑え蹲るトーゴと、彼の惨劇を彼の視界越しに覗き見ていたフレースヴェルグ。
両者の見識は、見事に一致していた。




