11_群の脅威と生への執着
お気づきの方も居られるかもしれませんが、
ノートさんは昔も今も純粋な脳筋で力押しです。
介護なし脳筋の末路は……大抵決まってますね。
まばらな木々と低木、そして下草に覆われた大地を、非常識な速度で疾走する人影があった。その人影は白い髪と白い肌、手には白い剣を持ち、近くの砦の所属を表す上衣を着ていた。
ちなみに下は当然のように履いていない。剥きだしてあった。
(頼ってくれた! 頼ってくれた!! ……仲間として、認めてくれた!!)
巻き上がった砂煙すら彼方へ置き去りにし、満面の笑顔で疾駆する。
(頑張ろう! 役に立とう!! そうすればきっと許してもらえる! 大切にしてもらえる!)
生まれ変わってから過ごした孤島は、千年規模の鬱蒼とした樹林に覆われていた。その環境でおよそ一年に渡り、身体づくりをこなしてきた自分にとって、この程度の森を駆けることなど造作もない。
ましてや潤沢な魔力にものを言わせ、『身体全強化』を常時使用しているのだ。こんな『草原に木が生えた』程度の森など、恐るるに足らず、である。
……とはいえ。外套を置いてきたのは、少々失敗だったかもしれない。
いつも身に纏っていたあの外套の頑丈さに慣れてしまったせいか、いつもと同じ感覚で何度か枝葉に突っ込んでしまった。……結果は悲惨なものであった。
ただでさえいつ処分されてもおかしくない、危うい立場なのだ。これ以上、借りている衣類を失うわけにはいかなかった。
………………………
砦内の練兵用地から文字通り飛び出し、黒煙四本の上がる方角へと弾丸の如く駆け出して、しばし。
それは、幅四m程の小川を飛び越した際のことであった。
「!? んいぃ………っ!」
不意に身体中を襲った気配に、鳥肌が立った。
思わず歩を止め、周囲を見回す。強化された知覚力でもってしても、異常は見られない。念のためにと、出力を極限まで落とした能動探知で探ってみても、結果は変わらずであった。
……元凶は不明だが、あまり時間を掛けるわけにはいかない。
そう判断を下し、再び足を踏み込み駆け出すと同時。
「!!? んん…っ!?」
またしても、原因不明の刺激が身体を襲った。
……いや、刺激の出処ははっきりしていた。
兵卒用の衣類であったが、用途上の都合から着心地よりも頑丈さが優先されることが多かった。
現在ノートが支給されている上下もその『頑丈さが優先された』衣類であり、ごわごわだった。
通常は肌着を身に着け、その上から着用する前提であるため、肌触りはそこまで重要視されてはいなかったのだが……不幸なことにノートにはその類の備えは皆無であった。
加速を生み出すために大きく踏み込んだ、脚。
その逆側の脚を大きく前に出した際に、突っ張られるように広がった下履きのある部分……具体的には脚を通す二本の筒の合流地点、その『ごわごわ』が、
………ノートの剥き出しの、女の子のとても大切なところに、牙を剥いて襲い掛かったのであった。
なんということだ。急がねばならない。急いで駆け付け、一人でも多く仲間を救出しなければならない。しかし急ぐと、…脚を大きく広げると、……ごわごわなところでごわごわされてしまう。
じゃあ脱げばいいや。
常人には計り知れない思考回路で危機を乗り切ったノートは、
再び弾丸のような、理不尽な速度で駆け抜けていった。
………………………
そういった経緯から、既に貸与された装備の半分を失ってしまっている。
上衣は枝葉に引っ掛かり、あちこちボロボロだ。これ以上の喪失は、たぶん……怒られる。
慎重な疾走を強いられ、速度は明らかに落ちていった。
果たしてこのままで間に合うのだろうか。不安に駆られ、慎重に出力を絞りながら能動探知を放つと……
多くの人と、それに大挙して押し寄せる……その何倍も多くの『モノ』の反応を捉えた。
戦線に出ている人は、百を割る程度。…その少し後ろで、恐らく補助に回っているのも含めても、それでも合わせて百五十ほど。一方相対する『モノ』は、………千に届くのではないだろうか。
『モノ』どもと人との間には、まだ幾らか距離はあった。そこかしこに広がる熱源と、空に昇る狼煙のものではない黒煙。……恐らくは炎を障害物としているのだろう。
とはいえ、当然のごとく迂回しようとする『モノ』もいるようだ。今はなんとか押し留めているが、迂回に回ろうとする『モノ』達が多い。……そう遠くないうちに、人は食らいつかれるだろう。
『あんふぁ、あんるふ、めいくーあ』
矢面に立っている兵士が食いつかれては、当然迎撃の手が緩む。
そうなったが最後、絶対的数で勝るあの『モノ』どもは、一挙に突破してしまうだろう。
そうなったら、終わりだ。
『くりーどます・べーうぇ、まーくずぃーぐ』
前線を支えている兵士、それを補助する人々の後方には、また別の……はるかに多い、人の集団反応。
恐らくは、非戦闘員。……あの『街』の住人だろう。
強化された目視で確認できる距離まで近づき、その戦況がよくわかった。
このままのペースで駆けても、間に合うかどうか解らない。
………なら、ここから蹴散らせばいい。
『まーふあ、ふぉーあ』
その場に足を止め、白亜の剣を振り上げ、剣先を向けて狙いを定める。
距離は、およそ三キロ。……充分、いける。
幸いにして細かな狙いは必要ない。
コッチから右側は人を巻き込む恐れがあるが、コッチから左側はひしめく『モノ』どもだけだ。
……遠慮は、いらない。
『――――――りひと……いる』
白い剣の切っ先から、光が奔る。
放たれた光は、文字通り光の速さで突き進み、
人の群れの様子を窺いつつ蠢く『モノ』ども、『魔殻蟲』の群れに突き刺さり、突き抜け、
直撃を受けた『モノ』は瞬時に焼き切られ、近距離に居た『モノ』はその熱で、中距離に居た『モノ』は熱膨張による大気の衝撃でもって、
そのおよそ半数を、消し飛ばした。
……
…………
…………………えぇ………
やらかした。この身体の魔法適性を、完全に甘く見ていた。
元々アレは、そんな魔法じゃなかった筈だった。
切っ先を向けた方向へと直進し、着弾とともに爆ぜる……鋼すら灼く熱をもった、光の矢。
少々魔力を多く注げば、敵陣の真っただ中でいい感じに爆ぜて混乱を誘えるだろう…と思っていた。
それどころじゃなかった。
発射と同時に着弾する速度以外は、殆ど別物へと変わり果てていた。
手のひらをせいいっぱい広げたくらいの太さの、光の柱。
それが突き進み膨大な熱量と大気の衝撃でもって、敵陣に大穴を穿っていた。
混乱を誘うどころか、魔殻蟲の群れは今やこちらを脅威と認識したようだ。
………なにが光の矢だ。矢なもんか。これは砲だ。
赤々と不気味に光る、無数の眼をこちらに向け、威嚇するように顎を鳴らす。
……正直滅茶苦茶気持ち悪い。
生前から虫は苦手だった。生まれ変わってからは更に嫌いになった。
過ごしやすいからってひとの住処に入り込んできやがって。気づかないうちに遠慮なく血を吸っていきやがって。食べ残しに集ったかと思ったら気持ち悪い速さで逃げやがって。
そんな虫が、ものすごい数がこっちを見ている。正直吐きそうだが、いい機会だ。
………駆除しよう。
「り・いんふぉーす、………いる」
敵陣まで一直線に開いた空間を、全強化された身体で駆け抜ける。障害物も何もない、文字通り一直線。最初から最高速度だ。
およそ三キロ。彼我の距離を瞬く間に詰め、左下に下げていた剣を両手で振り上げる。反応が追い付いていない先頭の蟲を顎下から真っ二つに割ると、勢いを殺さぬよう一回転し、今度は左上から横薙ぎに振り切り、その後ろの二匹を同時に斬り捨てる。
近くで見る『魔殻蟲』は、大きな蜘蛛のような気色悪い造形だった。赤黒い外骨格を黄色の幾何学模様が彩り、その顔には左右四つずつの真っ赤な複眼。その下には大顎と、なにやらうごうごと蠢く口元のなんか気持ち悪いやつ。それがうつ伏せになった人間ほどの大きさで、甲殻の擦れる甲高いを立てているのである。……気色悪くない筈がない。
なるべく奴らの身体を凝視しないように、足を止めずに敵の集団に突っ込む。脚を切り払い、頭を落とし、背を割り、顎を砕く。なにしろ周囲全てが敵である。余計な気遣いも心配も必要ない。
……気遣いといえば、街の様子はどうだろうかと能動探知で探るが……心配はいらなかった。明らかに勢いの落ちた蟲の群れは街の外壁上からの迎撃……雨あられと降り注ぐ矢やボルトで押し留められていた。
ならばあちらは心配ない。こちらのみに集中すればいい。
腰だめに白剣を構え、足元を吹き飛ばしながら突っ込んでいった。
……………………
………………………………………
…どれくらいの数、斬り捨てた頃だろうか。
なにやら身体の様子がおかしい。
身体全強化は切れていない。魔力枯渇ではない。……ではこの痛みは何だ。
目の前の蟲を斬り捨て軽く飛び退り、敵の群れを見据え油断なく構えつつ、思考を巡らせる。
手足に残る、雑多な擦り傷ではない。もっと奥底から響くような、身体を内から焼かれるような………!?
唐突に思い至り、蟲の群れから更に距離を取る。
隙を晒さぬように腕を見やると、…やはり。
元々真っ白かった肌は、痛々しい程に赤く、斑に染まっていた。
(やられた………! 体液!!)
多くの蟲を斬り捨てたことで、夥しい返り血…もとい、奴等の体液を浴びてしまった剥き出しの手足。
それはちょうど……蟲の体液を浴びたあたりが、爛れたように赤く変色していた。
潤沢な魔力による身体強化に守られた、魔王の身体。
一見無敵とも思える身体だが、判明した限りでも二つの弱点があった。
一つは、身体強化のひとつ、外装硬化の特性によるものだった。
外装硬化は魔力を身体の表層付近に纏う、鎧のようなものである。自身の魔力を用いて鎧を形作り、それを着込むことで身体損壊を防ぐ。しかしながら、この魔力の鎧は『衝撃だけではなく、自分のものを含めたすべての魔力伝達を阻害する』働きを持っていた。
敵の魔法を防ぐためには妥当な効果だが、問題は『自分のものも含め』魔力が遮断されるほうである。身体の外側に外装硬化を展開していた場合、その外側への魔力伝達が不可能になる。
……要するに、魔道具が使えなくなるのだった。
これは勇者の剣を使用する者にとって、決して無視できない問題である。
そもそも身体の表面に展開される外装硬化は、『自分の装備品の接触』すらも外部刺激として拒絶する。装備を着込んだ状態で、体表面に外装硬化を使用したが最後。……すべての装備が、弾け飛ぶこととなる。
これらの不都合を解消するため、一般的な外装硬化は『自身の表皮の少々内側』に展開されるように、調整が成されている。もともと自分の身体から編まれた魔力である。反発もせず、押し除けもせず、表皮の内側に展開させるには、さして苦労もなかった。
これにより身体の表面の反発を防ぎつつ、接触した魔道具への魔力伝達をも可能とし、一方で受けた被害は文字通り『薄皮一枚』で防ぐ。理想的な外装硬化魔法は、完成を見たのであった。
…中には部分的に展開位置を調整する者、あえて何も身に着けずに徒手空拳で闘おうとする猛者も居る………かもしれないが、ノートにそんな趣味は無いので、あくまで一般的な外装硬化を行使していた。
少々話が逸れたが、つまり防御を外装硬化あるいはそれを含む身体全強化に頼っている限り、常に体表面の受傷は避けられないのである。
これだけであったら、そこまで深刻にはならなかっただろう。
表層が削られても、重要部位は無傷なのだ。戦闘続行に何の支障もない。
しかしながらそこに運悪く、二つ目の弱点が重なった。
魔王の身体には……毒をはじめとする状態異常に対する免疫が無かったのである。
厳密には……殆どのヒトにそういった免疫は備わっておらず、それら免疫を先天的に備えているのはごく一部の魔族や魔物など一握りであった。
免疫を持たないその他のヒトたちは、当然のように対抗策を講じていた。
魔力に秀でた者は、状態異常回復の魔法を。魔法の不得手な者は、治療薬を。
歴代の魔王……というよりも魔族のほぼ全てが、当然のように状態異常回復魔法、あるいは状態異常抵抗魔法を使用できたのだ。免疫を持たないことに対する不都合は、生じていなかった。
しかしながら、今まで状態異常回復魔法を必要としてこなかったノートにそんな心得は無く、
ましてや敵陣の真っただ中、ボロボロの上衣一枚しか身に着けていない彼女に、
………治療薬など、ある筈も無かった。
(いたい。…………いたい。……………………いたい。)
……どれほどの時間が、経ったのだろうか。
毒の治療は、早ければ早い程、助かる確率が高くなるという。
であれば逆は…………言うまでもないだろう。
腕が痛い。脚が痛い。
頭が。胸が。腹が。目が。指が。
最初の頃は微かな違和感程度だったが、今ではもう立っているのが、剣を握っているのすら苦痛なほどの、全身を蝕む痛みに襲われていた。
特に、脚の症状は、……酷い。
何より見渡す限りの地面全てが、文字通り足の踏み場もないほどに、奴等の体液で染め上げられている。
……動けば動くほど、踏めば踏むほど、剥き出しの足裏を容赦なく灼いていく。
得意とする筈の近接戦においての機動と、
両手で構えた剣に次ぐ、攻撃の要。
……そこは、被った奴等の体液と、戦闘における酷使とによって………目を覆わんばかりの有り様へと成り果てていた。
踏み込み、斬り捨てた蟲の返り血を浴び、
背後から飛びかかる蟲を、踵で半ば無意識に蹴り砕き、
「ッッ!! ぎぃぃいぃ……ッ!!!」
そのたびに衝撃で、被った奴等の体液で、焼き鏝を押し当てられるような痛みが響く。
このときばかりは下履きを脱ぎ捨てたことを、後悔せざるを得なかった。
「ぁあ……………ああ゛あ゛あ゛!!!」
吼えるように剣を薙ぎ、 もう一匹の頭を叩き斬る。
握るだけで刺すように痛 む指は、既に感覚 が怪しくなっていた。もしかすると もう何本か腐り 落ちているのかもしれない。
(いたい。…………いたい。……………………いた い。)
「あ゛………う゛う゛……あ゛…………!!」
舌が回らない。口 が動かない。
どうやら ついに 中枢を司 る … … 相当 危 険な 部分にまで 、
毒 が回 って きた ら し い 。
目 が 霞む。 耳鳴り がす る。
頭痛 は もはや痛み の次 元を 通り越 し 、
頭 に 鉄杭 でも 刺さって いるのか と 錯覚す る 程 。
ふらつ く身体を、 割れ 砕けそう な 脚に 鞭打ち、必死に 支える。
今ここで 倒れた ら、 死 ぬ 。
間違い なく、 死ぬ。
間違いなく………死ぬ。
「じに……だ………ぐ…………ない゛…!」
動きが止まったのを好機と見たのか飛び掛かってきた一匹を、斬り飛ばす。
こんなときでも剣の間合いに最適化された『勇者の意識』は、今にも砕け散りそうなノートの意識とは裏腹に……半ば無意識に、的確に敵を駆逐していく。
「ッあ゛ー……っ……、 ッ、 あ゛あ゛ー……!」
剣を振りぬくだけで全身が砕け散りそうな痛みが走り、堪えきれず唸り声が上がる。
(しに……たく…………ない)
奥歯を砕けんばかりに噛み締め、消し飛びそうだった意識を必死に叩き起こす。
「ふーーッ! ……ふーーーッ!」
緩慢な動作で、それでも意地のように剣を構え、
自らの出血で真っ赤に染まった、うつろな視線を上げると…
距離を取り、様子を窺いつつも
こちらを完全に包囲する、当初よりは幾分と減った……それでも百には届こうかという『ヤツ』らの姿。
(………………ちく、……しょう)
万策尽きた今の彼女には、
自分が毒に倒れるよりも先に、奴らが退くことを祈りながら、
それでも、一匹でも多くの魔殻蟲を駆除するしか、道は残されていなかった。
【身体全強化】
人族が多く用いる内部作用系魔法のひとつ、身体強化系の上位魔法。
瞬間的な筋力を上げる『瞬間強化』、
防御に用いられる『外装硬化』、
視覚や聴覚など感覚器を強化する『知覚強化』、
体力の消耗を軽減する『継戦持続』などの全部乗せ。
当然効果は高いが、その反面魔力の消耗も激しいため、滅多に使われない。
人族はもともと魔力の容量があまり多くは無いため、
それぞれの強化を必要に応じて、必要なだけ使い分けるケースが多い。
というか普通。




