113_白地の洗濯と生命の選択
ちゃぱちゃぱ、ざぱざぱと水音を響かせながら、小部屋の水場に波が立つ。真っ平らな鏡のようであった水面は搔き乱され、手前から奥へと凹凸を伝え拡がって行く。
その波紋の生じる源、水際に屈み込んで水面を掻き回しているのは……どういうわけか下半身を露出した、幼さ残る白い少女。下着もろとも短洋袴を脱ぎ去り、どういうわけかはしたなく脚を開きしゃがみ込むなどという……女の子らしさが微塵も感じ取れない体勢で水面に手を突っ込んでいる。
もしこの場にヴァルターが居れば怒り狂い、もしこの場にネリーが居れば色に狂ったであろう……女の子として有り得ない程に開け拡げられた体勢。
しかしながら一方その形相はまるで萎むような、しょんぼりとした泣きそうなものだった。
無理もないだろう、『勇者の役に立ちたい』と思いこっそり調査してくる筈が呆気無くニドに見つかりお説教を受け、水竜の手を借りてやっと上陸したぞここからは一人で頑張らなければと思った矢先に古顎獣と対面してちょっと漏れ、彼の好意に甘えのんびり背の上でお昼寝を決め込んだばかりか……こともあろうに彼の背の上で盛大に漏らしたのだ。
これでも、こんなんでも……かつては剣を片手に数多の戦場を駆け回り、生まれもった身体を削って合成樹脂と金属に置き換え、全身を返り血で穢しながら数多の命を消し潰してきた……『勇者』と名のついた鉄砲玉だったのだ。
どんなに驚異的な脅威でも、絶望的な強敵と相対しても、涙を零すことなど有りはしなかった。
………それが、どうだ。
血も涙も無い決戦兵器『勇者十三号』が……今はどうだ。
「………んひっ、………んいい……」
今や寝小便して、下半身を露出し、下着を洗いながら……
自己嫌悪でベソをかいているのだ。
『変わってしまった』などと思うことすら無い。
元々指示されたように動くことしか出来なかった彼にとって、判断能力や分析能力など無用の長物であった。どれ程的確に判断を下そうにも、どれ程正確に相手を分析しようとも……それが自分の選択として反映されることは無かったのだから。
思考以外の自由をほぼ奪われていた彼に許されたのは……敵の動きを見極め、極力最適化された動作で敵を倒すこと。それだけだった。
しかしながら今の彼女にとって、己が考えたままに身体は動く。行きたい方向へと行くことが出来、やりたいことをやることができる。
だからこそ。何も出来なかった以前の身体、それに由来する印象は全くと言って良い程に残っておらず。
苦いものばかりであった記憶と修羅じみた戦闘技能以外は……殆ど引き継がれていない。
前世において、一度は打ち砕かれた彼の自我は……
生まれて再び確立してから、一年と少ししか経っていない。
「ぐす……んひ……っ」
思うがままに行動出来、何にでも挑める自由な身体を得た代償として……いわゆる『男らしさ』を完全に喪失してしまった彼女。
べそをかきながら下着を洗うその姿、その内面は今や見た目相応……ただの小さな女の子へとなり下がっていた。
………………………
油断が漏れ出て湿ってしまった下着と、同様に湿ってしまっていた短洋袴を洗い終えたノートは――勇者の頃の記憶をそのままに、魔王の幼体での情緒をはぐくみ始めている少女は――呆然と途方に暮れていた。
考えてみればわかるだろう。……いや、考えるまでも無く解るだろう。
替えの下着を持ち合わせていない状況で、唯一穿いている下着を水洗いしたら……どうなるのか。
更に下着だけではなく、その上に穿く短洋袴をも水洗いしてしまったら……下半身に纏う衣類全てを水洗いしてしまったのなら、一体どうなってしまうのか。
つるつるとした冷たい床に、ぐっしょりと水浸しの下着と短洋袴を広げ……傍らにはおへそから下を丸出しにした少女が、呆然とした表情で佇んでいた。
こんな状況を第三者が見かけたら、一体どんな反応を示すのだろうか。
彼女の言動を不本意ながら理解し出した勇者や、彼のお付きの長耳族ではなく……彼女の内面を詳しく知らぬ第三者が見かければ……一体どんな反応を示すのだろうか。
「………………理解、出来ぬ」
「!!!?」
背後より掛けられた言葉に――底冷えする程の威圧感を孕んだその声に――跳ね上がり距離を取る。
自身の記憶と刻み込まれた恐怖、そして現在の状況から……すぐさま声の主を判別。呆然自失から一挙動で身構える。
しかし……どう考えても悪手、状況は最悪に近いものだった。
とっさに距離を取ったのは良いが……パンツを洗う際に剣は下ろしてしまっている。こちらは丸腰の上に下半身は丸裸、きわめて無防備となってしまっている。
それでも、対処しないわけにはいかない。泣きながらパンツを洗っていた姿を一旦追いやり、一瞬で心を切り替え視線を上げて声の主に焦点を合わせる。
しかしながら。そこに居た者は。
彼女の思い浮かべていた者ではなく。
恐怖の代名詞、破壊を司る四枚翼の大鷲……ではなく。
ぞっとする程に冷たく、鋭い……鳶色の瞳で睨め付けてくる青年。
「…………貴様は、………何者、なのだ」
「………あなた、は……?」
青年の視界を通して、ノートを見据え……
青年の口唇を通して、ノートに語り掛ける……大鷲の化身。
彼の纏う衣装……どこか懐かしささえ感じる独特な意匠には、見覚えがある。
眼前の青年は、恐らくは大鷲の眷族にして行動端末なのだろう。
フレースヴェルグが自らの体組織を促成培養し、魔王城中枢区域の設備を以て仕様一覧通りに規格製造された……ヒトの姿を持つ合成魔族。
見てくれこそ、目付きの剣呑さを除いては『普通のヒト』だ。だがその内面に至っては……今更比べるまでもない。
魔王城中枢製造施設謹製の完成個体、しかもその素材として用いられた細胞組織は『神話級』の魔族。よりにもよって奴の……フレースヴェルグのもの。
現世において絶対的な破壊の力を持つ化物が、自らの配下として造り出した……忠実なる僕。
基本性能だけ見てみても脅威きわまりないことは明白であろうに、そこへフレースヴェルグ自身の加護をも纏っているのだ。
そして……更に。この上なく絶望的なことに。
これ程までに完成度の高い、良質な合成魔族が完成しているということは。
魔王城の……少なくとも中枢区域は、恐らくは完全に奴に掌握されている……ということに他ならない。
この僅かな期間で中枢を再稼働させ、製造施設の再整備を行い、更に高レベルのヒト型合成魔族を製造するためには、決して少なくない魔力と体組織を消耗している筈……ではある。
つまりは、現在の奴本体は……きわめて弱体化している筈。
だがしかし。そんなこと何の慰めにもならない。
現世において恐らく最凶最大の脅威フレースヴェルグが、魔王城をその支配下に置いた上で……更に自らの眷族を造り出し、勢力拡大を図っているのだ。
どう考えても、絶望的である。
「今一度、問おう。貴様は……何者だ。………その御姿は、何だ」
「………んいい……」
眼前の青年――フレースヴェルグの眷族は、その出没に際し完全に虚を突いていた。その気になればパンツを洗っている間にサックリ葬ることも出来たのだろう。
だというのに。こちらにとっては幸いなことに、言葉を投げ掛けてきている。……対話の姿勢を、取ってくれている。
情報収集のためだとしても、たとえそれが尋問目的だったとしても。少なくとも言葉は通じる。少なくとも今は、耳を傾けてくれている。
単純に準備が整っていないだけかもしれないが、頭ごなしに侵略行為に……人類の駆除に走っているわけではない。
今はまだ、声が届く。
ならば。わたしにできることは。
「……………わたし、……のーと」
「ノート……? 貴様の『個体名』か」
「? こ、たいめ? ………んい?」
「『んい』? ………何だ、その語は。何を意味している」
「? んい……?」
「??」
……出来る、こととは。
方や、現世の知識と語彙力が絶望的に乏しい少女。
方や、誕生直後で判断力や順応力、人生経験に乏しい青年。
両者が両者とも言葉に難儀し、言葉の応酬も儘ならない……ちぐはぐで辿々しく次第に苛々が募る、ろくに成果の無い遣り取りは。
青年の感覚器官を通して成り行きを見守………ろうとしていた本体がついに業を煮やし、青年の発声器官に介入するまで続いた。




