111_孤島と少女と油断と悲劇
――『迷宮』。
複雑極まりない内部構造と、物騒極まりない敵性存在が行く手を阻む危険地帯。……そう定義されている。
多くの場合は城塞や洞穴・廃鉱山・遺跡など、薄暗かったり湿っぽかったりする環境が多いのだが……前述の定義に当て嵌まるものであれば、荒野だろうと密林だろうと迷宮に分類される。
それら迷宮の情報は国ごとに纏められ、役所などで閲覧できることが多い。
危険であることは間違いないのだが……迷宮から出土する特有の貴重素材は各方面での需要が非常に高く、それらの迷宮でしか産出されない鉱物資源・植生資源・動物資源、およびそれらによって齎される利益を得るため、総じて多くの人々で賑わっている。
一方で。
ヒトの手の殆ど入っていない未開の迷宮も、度々確認されている。
そこで出土する資源、それによって得られる富。それらを独占するために敢えて報告を行わない……そんなことを考える者は極めて少なく、仮に存在したとすれば極めて愚かだと言わざるを得ないだろう。
……何故ならば。
未開の迷宮は往々にして……手付かずの資源と共に、手付かずの危険も蔓延っているからである。
………………………
悠々と肉を食む巨大な顎。
掌を広げたくらいの長さはあろう長大な犬歯と、鋸のように並ぶ鋭利な切歯。
血生臭い液体と臓物の切れ端を滴らせながら、幾度となく咬合が繰り返される。
「………えあ……えあ………」
全高は少女の身長を優に超えるほど。棒立ちしていた時点で目線とほぼ同じ程の高さだった彼の頭は、へたり込んだ今となっては仰ぎ見る他無かった。
尻餅をつき、はしたなく脚を開き、股間からはしたなく恐怖が滲み出てしまった少女を悠然と見下ろしながら……黙々と食事を続ける彼。
古顎獣――この島に跋扈する『天災級』魔獣の一体である。
以前とは打って変わっての高速巡航、極めて順調に島に辿り着いたノート。名残惜しげに喉を鳴らす水竜と別れ、水上から地上へ……彼女は久方ぶりに生まれ(変わり)故郷へと足を踏み入れた。
そんな矢先。
上陸し歩を進めるノートの前に突如として現れ、自ら仕留めた獲物を彼女の目の前に……まるで献上するかのように小型魔獣の死骸を差し出した彼。
彼なりの敬意の現れでもあったのだろうが……残念ながらその挨拶はノートの度肝を抜き、恐怖が決壊する一因となってしまっていた。
得物を献上した相手から拒絶の意を受け、仕方ないとばかりに自らの食事を始めた彼。
物騒な牙や口腔の造形に反し、どこかのんびりとしたような顔つきは……今は少しだけ悲しそうにも見える。
――『姿』『あなた』
――『存在』『過去』『認識』
ずいぶん水気を含んでしまった股間を気にしながらおっかなびっくり立ち上がるノートに、眼前で食事中の『彼』から届けられた思念。
言葉とは言い難い……以前遭遇した人蜘蛛や騎士型魔蟲よりも、ククルル達水竜よりもさらに拙い、言葉の羅列。
――『過去』『小さい』『あなた』『触れる』
――『壊す』『悲嘆』『望まない』
彼が言葉を扱えるわけではなく、あくまで思考の一部を感じ取っているに過ぎない。
それでもそれらは紛れも無く、彼が今想っていることであり。
彼の行動の理由でもある。
――『興味ある』『過去』『あなた』『過去』
――『逆説』『壊す』『怖い』『望まない』
かつてノートがこの島で、およそ一年の間生活していた際。大小様々な魔獣と遭遇し、様々な反応を経験してきた。
彼もそんな魔獣のうちの一人であり、ククルル達とは異なり遠巻きに様子を窺うに留めていたらしい。
自分の身体が、彼女に比べ大きすぎるが故に。
自分の身体が、彼女に危害を与えることを避けるために。
――『あなた』『消失』『後悔』
――『過去』『接触』『不可能』
そうこうしているうちにノートは島から出奔し……彼らにとっておよそ数百年ぶりにお目に掛かる『新しい種族』、それとの接触を果たすことなく、その機会を失ってしまったこと。
そのことを……とても残念に思っていたらしい。
――『あなた』『来訪』『再び』
――『予想外』『逆説』
――『歓喜』
彼ら『天災級』ともなると、寿命は数百年単位。ノートの出現は彼らにとって、生まれて初めて起きた『環境の変化』だったのだろう。
その『新たな生命』と接触することがついに叶わず、自らの消極性を悔いていたところ――件の『新たな生命』が再びこの地に現れ――勇気を振り絞り、ついに接触する機会を得ることが出来た。
――『予想外』『歓喜』
――『決意』『望む』『対面』『要望』
咀嚼を終え、僅かに目を細め小さな少女を見つめる彼――古顎獣。
相変わらず目をまん丸に見開き硬直する少女に鼻先を近づけ、感極まった様子で拝謁を喜ぶ。
――『あなた』
――『運搬』『背中』『譲歩』
「んぴ……」
馬のような四足歩行ではあるが、力強く地を踏みしめる脚は……まっすぐで太い。その四つ脚を器用に畳み、目をしぱしぱ瞬かせる少女の傍らに身を伏せる。
彼からの申し出――彼女の『足』にならんとする提案を受け、大いに戸惑いあたふたと取り乱し半泣きになりながらも……おそるおそるといった様子で古顎獣へと手を伸ばす。
「わ、わ、あわ」
――『接触』『歓喜』『感謝』
初めて触れた『天災級』魔獣、古顎獣の肌。
毛皮で覆われているわけでも鱗を纏っているわけでもなく、ほんの僅かにしっとりとした手触りの……分厚い皮膚のような感触。
硬すぎず、かといって柔らかすぎず、加圧に応じて適切に凹んでくれるその表面は、ほんのりと温かい。
――『感謝』『前進』『移動』
「んっ、……んい、おねがい」
古顎獣の背の上。おしりをもぞもぞと動かし収まりの良い場所を探していたノートがやっとのことで腰を落ち着けると……見計らったかのように彼から声が掛かった。
鞍も無く、鐙も無い古顎獣の背。両手を前に、支えのように付きながらバランスを取らんと内股に力を入れるノート。
「あの、あの、あの……やま? ……おっきい、たかい? ところ。いく」
――『承諾』
しかしながら太い四つ足でしっかりと地を踏みしめ、背の客人を思い遣るようにゆったりと……上下左右の振れも殆ど無く快適な運航を心掛ける古顎獣。
また彼の背よりじんわりと伝わる心地よい熱、ぽかぽかと暖かい座面によって。
いつしか客人は魔獣の背の上――大股開き、大の字うつ伏せで――健やかな寝息を立て始めた。
ひとつ、まことしやかに囁かれている噂がある。
睡眠中や酩酊中など……意識して筋肉に力を入れることが出来ない際に。
腹や下腹部、内股などを、程良い温度で温められた際に。
人間の股間部に位置する、小水を貯めるための器官。
その出口弁が……本人の意図しないところで緩んでしまうという、噂。
その噂とは何の関係も無いのだろうが……今世においてノートと名乗る真っ白な少女は、俄かには信じ難いことであるが、遠い昔はれっきとした成人男性であった。
成人と幼子とでは小水を貯め置く器官の容量も大きく異なり、また雄と雌とでは尿道の長さも異なるため……成人雄と幼年雌とでは、その器官の許容量は大きく異なる。
雄が雌に変わることなど、普通は起こり得ないであろう。
成年が幼年に遡ることなど……尚のこと有り得ない。
そのため……『おしっこの我慢しやすさ・しにくさ』などといった比較情報が、大っぴらに公開されている筈も無かった。
そのような不幸な事象が重なり合い、影響を及ぼし合い。
しばらくの後。突如として発生した水気を背に感じ。
心穏やかな『天災級』魔獣は……
どこか悲壮感漂う悲鳴を上げるのだった。
※おもら………決壊のメカニズムはあくまで噂です!!
意図しない所でおも…決壊されても一切責任を持ちません!!!




