10_白昼の強襲と戦いの唄
ナンバリング10話届きました。やったぜ。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます!
………ヤバイ。殺される。
沸き上がる不安と、脳裏をよぎる最悪の結末を予感し、体温とは裏腹に、身体が冷えていくのを感じた。
今自分は、胸ほどまでの高さに溜められた、温かいお湯に浸されている。
つまるところ・・・・・・お風呂に入れられている。
そして視線を上げると、顔には笑みを浮かべつつもこちらを監視する、ケリィの姿があった。
あのとき、『お水』を『ぽかぽか』にすることには成功した。そのことで『えりーさん』のご機嫌とりにも成功し、死を免れられたはずだった。
しかしながら、最後の最後でお風呂に落ちたことで。
一番風呂の権利を、強引に奪ってしまったことで。
『えりーさん』は怒りのあまり言葉を失い、見るからに不機嫌そうな表情になったかと思うと、同様に深刻そうな顔をしていたケリィに何かを告げ、どこぞへと去ってしまった。
一番風呂に対する『えりーさん』の興味が失われたのか、はたまた最後の情けとでもいうのか、……今現在、温かなお湯に浸けられている。
本来の水位はもっと上なのだろう。湯量はこの身体の胸元ほどにしか溜まっていないが、小さな身体を浸けるには充分だった。
とうとう魅力に抗えず、お尻を前へと滑らせて肩まで浸かる。ほぼ仰向けになったような体勢だが、石造りの四角い風呂桶は広さも充分。泳ぐ……とまでは行かないだろうが、余裕のある造りだった。
………きもちいい。
目を細め、身体から力が抜ける。どこかうっとりとした吐息が、勝手に口から零れ出る。
そのまま極楽ともいえる温かさを感じること、しばし。
ふと、にこやかな表情でこちらを見下ろす、ケリィと目が合った。
瞬間、今まで頭からすっぽ抜けていた現状を改めて理解し、身体の火照りが一気に抜けていくのを感じた。
……なぜ、お風呂に入れられているのか。
聞いたことがある。
処刑が確定した犯罪者は刑の執行される直前、最後の晩餐には、望んだ食事を振る舞われるのだと。
……今がまさに『それ』なのではないか?
「け……けにぃ……」
「ん? ……どうしたの?ノートちゃん」
つまりそれは、自らに残された時間が、……刑を執行するまでの時間が、僅かでしかないということ。
「えりーさん、……どこ?」
謝らなくては。許しを乞わなければ。
命を……乞わなければ。
「えっと……ごめんなさい、今ちょっと出掛けてて……」
『ごめんなさい』
近い発音の言葉を、何度か聞いた気がする。
「………えりーさん、どこ?」
「……ごめんなさいね、エリーさんまたあとで戻ってくるから……ごめんね」
ケリィの申し訳なさそうな表情から、察した。
『ごめんなさい』は、謝罪を示す言葉だ。
「とめんあさい?」
「あら………ごめんなさい、よ。ふふっ、ノートちゃんが謝ることないのに…」
「……のめんなさい」
「いいのよー。……ふふっ」
通じたらしい。少なくとも、『ごめんなさい』は敵意のある言葉ではないらしい。
最大の懸念であった、『どうやって謝ればいいか』は解決した。であればあとは行動に移すまでだ。どうにか監視の目を掻い潜ってこの場から離脱。『えりーさん』が処刑の準備を進めるまでに追い付かなければ。
水面下に沈め、気泡をぽこぽこと生み出していた口を引き締めて気合いを入れ直し、おもむろに立ち上がる。
なだらかな身体から水滴が流れ落ち、肌に触れた外気は体温を奪っていく。温かな湯で一切の汚れがそそがれた身体を奮い立たせ、行動を開始すべく、監視を見つめる。
「あら? ノートちゃんどうしたの? もう出る?」
「んん……んい………………やうす!」
何と言われたのかわからないが、とりあえず頷く。
どうやらお湯から出るかどうかの問いだったらしく、ケリィは手を伸ばしてくれた。
「あ…………あい、がとう」
「ふふっ、どういたしまして」
差し出された手を取り、浴槽から足を引き抜く。普段はふわふわと漂っている髪も、水気を含んでぺったりと張り付いてしまっている。
「ん…………あーえ……」
「あっ! ごめんなさいね、拭くもの持ってくるわね」
どう切り出そうと思案していたところ、ケリィは何かを思い出したかのように、いそいそと浴室から出ていった。
「ん……? んんー……? ……んい」
よくわからないが、監視の目が離れた今が好機だ。
自分にとっては慣れ親しんだ感覚を呼び覚まし、行動を開始する。
『あんふぁ、あんるふ、めいくーあ』
数えきれぬほど唱えてきた唄を、意識下で口ずさむ。
それを合図として、膨大な量の魔力が身体を駆け巡る。
最初のうちこそその出力に戸惑い、面食らったこれも、一年間で随分とこなれたものだ。
『くりーどます・べーうぇ、まーくずぃーぐ』
唄とともに勢いよく流れていた魔力が、徐々に形を整える。
身体の内から、奥底から染み渡るそれは……まるで人の形を模しているかのようであり、
『り・いんふぉーす』
骨格にして、鎧。ノートの持つ最大の力、
勇者として数多の敵を屠ってきたその力が、
『………いる』
瞬間、解き放たれた。
―――パン、と……
何かが弾けるような軽い音ともに……ノートの纏う空気が、変わる。
筋力を何十倍にも引き上げられた肢体が、文字通り床の石材を踏み抜く勢いで、跳ぶ。
すぐ横にいたケリィが反応する間すらなく、脱衣室を一足で飛び出す。そのままの勢いで壁に着地。くるりと身を翻し、足先が床に触れると同時。爆ぜるように加速する。
「ほあ!? まっ、ノートちゃん服ああ―――!!!?」
遥か後方で悲壮な声を上げるケリィが、ほんの数舜で見えなくなる。
幾つかの曲がり角を、壁を、天井を蹴飛ばして曲がり、一目散に建物を飛び出したところで……
「…………えりーさん、どこ?」
途方に暮れた。
災難だったのは、たまたまそこを歩いていたがために彼女に目を付けられた、年若い男性兵士だった。
「えりーさん!! どこ!!」
噂の真っ白な少女が物凄い勢いで現れたかと思うと、鬼気迫る様相でそう繰り出してきたのである。
――湯上がりの、ほのかに桜色に色づいた身体を隠そうともしない、
……全裸で、である。
「こめんやさい! どこ! えりーさん!! どこ!!」
年若い男性兵士は突然目の前に現れた、ほんの控えめに実った胸を、心持ちくびれた腰を、形良くすぼまったお臍を、なだらかな下腹部を目に焼き付けると、
最後の気力を振り絞り、一際大きな建物……司令棟を指差し、
そこで力尽きた。
一際大きな建物、司令棟の中は、混乱の只中にあった。
男性兵士の散り際の誘導に従い司令棟を強襲したノートは、そこで先程と同様の襲撃を幾度となく繰り返した。
具体的には、一糸纏わぬ全裸で兵士の眼前に飛び出し、小さな身体をせいいっぱいに揺すって、『えりーさん』の居場所を必死に聞き出そうとしたのだった。
……そうして多くの兵士の犠牲のもと、エリー施設長ならびに主要幹部が顔を合わせ、今まさにノートについて言及している会議室前に辿り着いたのが、つい先程。
「ノートちゃん待って!! そこはダメ!! 今そこダメなの!! あと服着て!! 服!!」
砦じゅうに散らばる犠牲者を辿るようにして追い付いてきたケリィと、顔を引きつらせながらも必死に職務を全うしようとする衛兵の必死の制止も虚しく、ノートは南砦幹部会議に討ち入った。
……全裸で。
(なんで! そんなに! 無頓着なのだ!!)
言葉には出されなかったものの、リカルドをはじめ相当数の幹部は、同じ感想を抱いたという。
……………………………
一難去ってまた一難、とはよく言ったものだ。
リカルドは出立準備の整った隊員を見回し、そう溜息を溢した。
彼らにとっては、まったくもって酷なことだ。
絶望的な死地へと向かわされ、幸運にも生還したと思ったら……またしても絶望的な戦いを強いられるのだ。一体何の冗談だ。
他方面から帰還していた兵員を併合し、戦力自体はほぼ倍増してはいるものの………それでも五十に満たない。
現地にも味方が居るとはいえ、相手は五百だ。その数を相手取るにはどうしても不安が付き纏うし、……味方がどれ程持ちこたえられるのかも、心許ない。
「……りかるの、でる?」
「ん? ……ああ。そうだな……」
ふと気付くと、すぐ後ろにノートが立っていた。
会議室での騒動の後、エリー施設長とケリィ衛生兵の尽力あって、上下とも兵卒用の隊衣を身に付けている。
……いや、着られているといった方が正しいだろう。
ここ南砦は、いわば前線拠点である。残念ながら少年兵用のものは備えがなく、小さいものとはいえ、大人用の隊衣を纏っていた。
丸見えよりは幾分マシだが、油断しているとサイズの合わない首もとから、遠慮なく桜色が顔を覗かせる。油断を誘っておいて致命的な一撃を狙ってくる。……これはこれで危険だな、と唸った。
「ああ、そうだ」
このまま出てしまうところだった。今から赴くのは、紛れもない死地。
……預かったままの彼女の持ち物を、帰れぬ場へと持っていくわけにはいかない。
「これを、返しておこう。………すまなかったな」
「ん? ん……? ま? ……すな、なたった…?」
可愛らしく小首をかしげる、小さな少女。か弱く、儚げな彼女には不釣り合いであろう……しかしながらどこか似た雰囲気をもつ、純白の剣。
それを本来の持ち主へ、彼女へと返す。
「んいい………すななまった? …ねす………ごねんなさい?」
「うん? ……ああ、そうだな。ごめんなさい、だ」
……ごめんなさい。
認識の不一致があったとはいえ、大切なものを預かりっぱなしだったことを。
勝手に連れてきておきながら、中途半端に投げ出してしまうことを。
結果的に助けられておきながら、何も礼を返せなかったことを。
「……ノート。 ……ごめんなさい」
彼女にも通じる言葉で発した、『ごめんなさい』。
それらの念を込めての、謝罪であった。
惜しむべくは。
その後の少女の言動が。
想像の範疇を、
軽々と飛び越えていたことだろう。
……………後になって解ったことだが。
剣を差し出され、申し訳なさそうに頭を垂れる自分を見て、
どうやら彼女は『すまないが、力を貸してほしい』と認識したようだった。
いや、それは別にいい。全く良くはないが、まだいい。
問題はその後。少女のとった行動であった。
「んい、やうす!! のーと!! でる!!」
満面の笑みで勢いよく頷く、ノート。
そのときリカルドの頭の中に、うっすらと嫌な予感がよぎった。先んじて阻止しようと、二人の女性兵士に指示を出そうとした……まさにそのとき。
「あんふぁ! あんるふ! めいくーあ!」
耳障りのよい可憐な声で、上機嫌に、弾むように詠い上げる、彼女。
「くりーどます・べーうぇ! まーくずぃーぐ!」
思わず目と耳を奪われ、聞き入ってしまったことによって……
……完全に、出し抜かれてしまった。
「りいんふぉーす! ……いる!!」
直後。乾いた音とともに少女の纏う空気が変わり……
足元の地面を盛大に吹き飛ばし、
白い少女の姿が、掻き消えた。
【狼煙】
火を焚き、煙を上げることで、遠隔地に迅速な情報を伝達するための仕組み。
同時に上げる数や、色の組み合わせで、幾つかの符丁を伝えることが出来る。
符丁の組み合わせと内容は事前に定めておく必要があり、伝えられる情報も多くはない上、
荒天や夜間では伝わりづらい、あるいは使用できないなどといった欠点はあるが、
安価・迅速な伝達手段として、湖南砦周辺では多く用いられている。
ここでは大まかに、白煙は「良い情報」、黒煙は「悪い情報」とされている。
ちなみに主な燃料は、肉食動物のう〇こである。




