103_勇者と亡者と合格発表
人族の得意とする体内作用系魔法……身体強化魔法が一、『瞬間強化』。
主に中近距離戦闘において多用される、前衛戦士の必修科目とも言える自己強化魔法。
その効能を簡潔に記すと……『自身の速度を加速させる』といったものである。
運動能力を加速させれば、相手の防御を掻い潜って対処不可能な一撃を見舞うことが出来。
知覚速度を加速させれば、襲い来る高速の攻撃をしかと見極め適切な対処を取ることも出来る。
「………なんて事ぁ……解ってたつもりだったんだがなぁ」
「情けないのう。……全ッ然、使いこなせて居らなんだな」
「ぐ………」
ヴァルター自身、知る由もなかった。いや彼だけではない、彼の師匠でもある長耳族の衛士……ネリーですら知らなかったのだ。無理も無い。
恐らく人族の中でも、知っている者は居ないだろう。
『瞬間強化』と『瞬間強化』を同時に発現させることで――二重に重ねて効果を高めることで――二倍以上の効果を発揮することが出来る……など。
ヴァルター以外の誰一人として……恐らくそんな知識は無いのだろう。
「しっ………かし! 難易度半ッ端ないのな!」
「呵々。まぁ当然よな」
謎の黒い男――かつての勇者の姿を真似たという『神話級』魔族、ニーズヘグ――彼に幾度となく斬り捨てられ、斬り刻まれ……やっとの思いで掴んだ、奴の『神速』剣技への手掛かり。
判明してしまえば、ひどく単純なものだったが……
それが思うように使いこなせるかどうかは、また別問題ではあった。
「……魔力の目減りがヤベェやつだこれ。即効枯れるわこれ」
「情けないのう若い者が。ほれ、とっとと逃げよ。危ない危ない」
「おいコラ止めろ馬鹿!!」
「止めて欲しくばなんとかして見せい。ほれ腕一本」
「痛ッ……! 畜生!!」
有らん限りの集中力を総動員し、魔力欠乏による頭痛や倦怠感を歯を噛みしめながら捩じ伏せ、精神的損耗を気力で乗り越え身体を動かし続ける。
命懸けの立ち合い、大怪我を負えば最悪命を落とす、……それで済めばまだ楽だっただろう。肉体的損傷による激痛はそのまま据え置き、損傷そのものはニーズヘグの一存で瞬く間に修繕され、命に関わる大怪我さえもたちまち無かったことにされる。
この異界『亡者の河岸』の中では、死亡による逃げさえも赦されず、手足を斬り飛ばされる激痛から逃れるには……どうにかして巧く立ち回るしかない。
既に四肢を切り刻まれた回数は二桁に届き、常人であれば……外界であれば、とっくの昔に命を落としているだろう。
そんな異常な環境。限界を超えて肉体の酷使を強いられる、常識が通用しない異様な空間。
ヴァルターは決して短くない間……心身共に極限を越え磨り減らすことを、選択の余地なく強いられていた。
………………………
その甲斐あってか。
一日か。一巡間か。はたまたひと月か。
その異空間に連れ込まれ、どれ程の時が経過した頃だろうか。
「十合。ついに打ち合うたか。……ようやったの、坊」
「…………」
神速の剣捌き――瞬間強化を二重付与された斬撃を払い凌ぐこと、十合。
仰向け大の字に伸び、もはや返事を返すことも億劫だとばかりに疲弊しきったヴァルターへ……さも嬉しそうに嘲笑いながら言葉を投げる。
「あの鳥畜生を仕留めるなどと……どんな阿呆の妄言かと思うたがな。なかなかようやる」
「………そら………ど……も………」
たかが十合……然れど、十合。
この世界、この時勢に、このニーズヘグを名乗る男と打ち合える者など……人族の中には存在しないであろう。
それはそのままヴァルターが――自称ニーズヘグと打ち合った青年が――人族の中で唯一人の高みへと至ったことの証左でもあった。
「……まあ、とりあえず……コレで俺も少ったぁ強くなれた……のか?」
「ほんに少ぃっと、だがの。『二重』程度で調子に乗られては困る。……まぁ『二重』さえ使えぬ三下相手ならば充分であろうな」
「…………待て。おい待て何つった。……何処まで有んだ!?」
「吾……を殺した強者は『四重』だったかの? 少なくとも吾自身そこまでは見たが……吾などはまだ、たかだか『三重』止まりよ。……千何百年も掛かって、のう」
「……うっそだろ……色々と」
目を見開き、口をぽかんと開け、今しがた告げられたあんまりな現実に愕然とするヴァルター。そんな彼が余程ツボにハマったのだろうか……二人しか存在しない黒染めの空間に、かかかと高らかな笑い声が響き渡る。
「安心せえ。坊を虐めるんは此迄にしといてやろう。坊は筋が良え、此のまま鍛え続ければいずれは『三重』まで届くだろが……生憎と吾の気が変わったでな」
虐めるのは……苛烈な扱きは、これまで。
そう聞こえた。奴は今、確かにそう言った。
長らく張りつめっぱなしだったヴァルターの、緊張の糸。限界をとっくに超えながらも引き攣り続けていたそれが――何分、何時間、いや何日ぶりであろうか――久方ぶりに弛緩することを許された。
………かのように、思われた。
「……終わっ、た……のか?」
「そうだの。これで終いとしよう。吾も旅支度を整えればならぬ。なにせ千と幾百年ぶりの娑婆だからのお」
線と、数百年ぶりの………娑婆?
「………待て。何だ、何を言っている? どういうことだ!?」
「呵々! あの鳥畜生のいけ好かぬ鷲鼻、へし折ってくれるのであろ? 斯様に心躍る催しもあるまい」
ヴァルターの脳裏に、嫌な予感が過った。
真白い少女と共に過ごすうちに培われた第六感――ろくでもないことが起こる前触れ、面倒事を察知する第六感が――嫌というほど警鐘を鳴らしていた。
しかしながらこの場において弱者たるヴァルターには、何一つ抵抗することは出来ず。
襲い来るろくでもない未来を確信しつつも、避けることも抗うことも何一つとして出来ず。
「吾も行くぞ」
「………………………………えぇー………」
さも気分良さげに、どこかうきうきした表情を見せ、底意地悪い笑みを浮かべ、
ニーズヘグは……あっさりと言った。
………………………
「坊。坊。是で良いか?」
「良いワケ無ぇだろ!! ふざけんなバカ野郎!!」
顔を真っ赤に染め、激高しながらそっぽを向くヴァルター。
度重なる怪我と再生で精魂尽きかけていた彼は、ニーズヘグの手により奇麗さっぱり元通りとなった身体……その顔を苦々しげに歪め、頭を抱えた。
闇色の靄に溶けるかの如き黒髪と、血気盛んな同色の瞳はそのまま。しかしながら思わず目を背けずには居られない程までに……ニーズヘグの身体は悲惨な変貌を遂げてしまった。
ヴァルターとほぼ同じ視点の高さ……若干猫背気味であった点を加味すればやや高かったのであろう体躯は、今となっては見る影も無く……今やヴァルターの鳩尾程の高さにまで縮み。
手入れされているとは言い難い、ぼさぼさという表現が当て嵌まる髪は……今や重力に従うが儘、真っ直ぐ地に向かって伸び、僅かな光を映しつつ見るも艶やかに流れ、小さな顔の動きに沿って肩を撫でるようにさらさらと揺れ。
それまでその身を覆っていた襤褸布のような衣類は解けて消え、陶磁器のように白く透き通った艶肌が露になり……何故か誇らしげに張られた胸は、未成熟ながらも母性に満ちた豊かな膨らみを湛え。
どこからどう見ても、幼い娘と成り果てていた。
「あの真白い幼子。坊の趣味なのであろ? ああまでして必死に庇うなど、なぁ?」
「違ぇよ!! 趣味じゃねえよ!!」
「……しかしな、坊……斯様に小さな娘ッ子、あの娘の腹は……体格的に収まると思えなんだぞ。……まぁ趣味と云うなら敢えて口出しすまい」
「だから趣味じゃねえよ!! 話聞けよ!!」
「坊は斯様に小さな娘っこが好みなのであろ? どうだ坊、なかなか坊の好みに出来たと思うのだが。……吾と打ち合うた褒美じゃ、好きにして良いぞ。ほれ、そそるのであろ? 何でも言うてみい」
「だから違ぇよ!! 何考えてやがる!!」
「呵々々々! 好いの。未だ未だ青いの」
底意地悪い笑みを湛えた掴み所のない幼子の身体……自らの新しい身体を、自らの権能を余すところなく活用し『創造』してみせたニーズヘグ。
しかしながらその姿、よりにもよって童女の姿を取ったのは……決して伊達や酔狂などでは無かった。……らしい。
「……あの娘。吾の姿を見てたいそう怯えておったろ。此から共に旅をする仲だ、不和の種は除いておくに越したことはあるまい。愛らしい姿ならば警戒心も薄れようて」
「共に旅するの決定事項かよ!!」
「それに……あの男の身体な。この部屋に満ちた魔力のもとでしかロクに動けなんだ。そういうふうにあの身体と、部屋とを造った。……吾の死骸に遺された魔力で、吾の望みを果たすためにの。まずは部屋を造り変え、その中でならば半永久的に活動できるような身体を拵えた、というわけだの」
「そんなことが出来んのかよ……じゃあも一回身体造り直せよ! 出来んだろ!?」
「そーれがもう出来んのよな。さすがに吾の魔力も枯渇寸前よ。この身を造った時点で御仕舞いだの。生憎ただの人族程度の能力しか込められなんだ」
「貴重な魔力を嫌がらせに使ってんじゃ無ぇよ!! せめて服を着ろ!!」
「この空間の維持もそろそろ限界だろうしの。じき崩れよう。ホレ坊、早く逃げるぞ。……しんどいか? どれ、おんぶしてやろ。抱っこのほうが良いか?」
「要らねぇよ!! 話聞けよ!!」
そもそもが、人外。ヒトの理の外にある『神話級』の存在なのだ。
たとえ言葉が通じていたとしても。たとえ本人曰く「ただの人族」程度の身体に収まったとしても。……話ができる相手であるという保証はない。
軽やかな足取りで黒い霞を掻き分け、光差す方へと先導する……黒い髪の少女。
神話級魔族が一柱、ニーズヘグであったもの。
「やはり乳は真っ平らのほうが好かったか? あの娘のように。……ちと盛りすぎたか」
「別にそう言う問題じゃ無ぇよ!! もういい黙れよ!!」
言葉は通じるのに話が通じない。『彼女』という存在を目の前にし、ヴァルターはどこか既視感を感じるとともに……
抵抗は無意味であることを、悟った。
「だが身体だけは隠せ!! ホンット頼むから!! 後生だから!!」
「…仕様が無いのお、是程までに我儘だとは……駄々を捏ねるんは吾だけにせえよ?」
「俺が悪いのか!? 俺がワガママなのかこれ!?」




