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102_少女と悪夢と勇者と少女



 黒い髪。黒い瞳。


 世界すべてを憎むかのような視線。


 誉れある肩書きとは裏腹に……どこまでも禍々しい、どす黒い出で立ち。



 言動こそ別物。その中身こそ別物。

 だがしかし……その姿は。その背格好は。


 両刃の剣をだらりと提げた、その構えは。





 遠い遠い昔。

 魔王軍に与する重要破壊目標、『大蛇ニーズヘグ』を討伐した……人族の勇者。

 


 ()()()()()十三番ドライツェーン』。





 忘れもしない。



 …………わたし(ぼく)の、姿だ。







 ………………………





 「………ぁ、…………ぅぅ、……ぁ、」

 「落ち着けお嬢。大丈夫。……大丈夫だ」



 床に固定された視線は虚ろ、頭を抱え込むように両耳を塞ぎ、冷たい床にべたんと座り込んで――崩れるようにへたり込んでいるノート。

 扉が開かれて目に映ったモノ。もやの中から姿を現した人影を見るや否や、突如として悲鳴とも絶叫ともつかぬ声を上げたかと思うと……それ以降ずっとこのままだ。



 「怖くない。怖くない。大丈夫。……大丈夫」



 顛末を心配そうに見守っているアイネス達はおろか、ネリーでさえも何が起こったのか理解できていない。

 確かなことはたった一つ。……ノートがあの男に対して、尋常ではない程に怯えているという、その一点のみ。



 「私らが付いてる。ヴァルのアホもいる。……大丈夫だ。大丈夫」

 「………ぁ、ぅ、…た、………? ぁぅ……た………」



 ヴァルターが怪しい男と共に忽然と姿を消してから、ネリーに出来たことと言えば……脅え竦むノートを抱きしめ、慰め続けることだけであった。




 「矢も魔法も全て呑み込まれるみたいです。……何なんですかコレ……」

 「びくともしません……! こんな煙みたいなのに……」



 部屋の中央、ちょうど彼らが姿を消した――先程まで巨大な頭骨が鎮座していた辺りには、向こう側が見通せぬ程に密度の濃いもやで覆い隠されている。あの男とヴァルターがこの靄の中にいるのは間違いないのだろうが、何にせよ怪しすぎる。

 外から内へ投げ込まれた物体モノは通り抜けることなく、どこぞへと消失しているらしい。……靄に呑み込まれた物体がどうなっているのかさえ分からないのだ、あの中に足を踏み入れることなど出来ようも無かった。

 また『触れたものを弾き飛ばす』表層硬化リジットを以てしても打ち払うことの出来なかった靄は、それ自体が何かしらの力場によって其処に留まっているらしく……現状取り得る手段では、外部から靄を払うことは出来なかった。

 カルメロとアイネスの検証によって得られた情報。そこから導き出された対処方法。それは『どうすることも出来ない』『待つことしか出来ない』という、ひどく残酷な帰結を示すに留まっていた。



 「あのひと、いったい何者なんでしょう。どうしてこんな処に……」

 「自動射手トラップだって生きてたのに……どうやって」

 「ああもう畜生……ヴァルのアホ早く帰って来いよ……」



 鋼鉄の扉で閉ざされた小部屋に……不気味な魔力反応と共に突如として現れた黒衣の男。

 ノートが発狂し、男とヴァルターが姿を消してから……ネリー達は完全に手詰まりであった。

 何も出来ないまま五分が経過し、十分が経過し、しかしながら何も変化が起きない。状況が悪化することこそ無いものの……反面ノートが正気を喪い、抜け殻同然になってからも……何ひとつ好転していなかった。



 「………ぁぅ…………ぁ、ぅ、……た……」

 「……お嬢………畜生」



 顔面は蒼白。表情は虚ろ。目の焦点は定まっておらず、見開かれたままの瞳からは涙がじわりじわりと滲み出ている。

 ……断じて、正気の表情では無い。遊び盛りの幼い女の子が見せていい表情では無い。


 この子にこんな表情カオを、させて良い筈が無い。



 「ヴァル………頼む」



 頼みの綱はただ一つ。男と共に姿を消した――恐らくはあの黒いもやの中にいるのであろう――『勇者』ヴァルター。彼が元凶である男をくだし、ノートを安心させてやること。

 結局他人(ひと)頼みしか出来ない自分が腹立たしいが……ただ彼の無事を祈るしかない。



 「……畜生。早くしろよ……」



 彼の能力チカラはよく知っているつもりだ。およそヒトの範疇に収まる者の中では、彼の強さは指折のものだろう。

 彼とはそれなりの時間を共に過ごしてきた。まだまだ青いところもあるが、それはそのまま彼の伸びしろでもある。既に『勇者』としては申し分なく、更に将来が楽しみな若者なのだ。その彼がこんなところでむざむざ負けて良い筈が……命を落として良い筈が無い。



 「何やってんだよ……ヴァル……」



 あの男はヴァルターとの一対一を……いや、当初はノートとの戦いを望んできていたのだ。それを避けただけでも……あの男の標的をヴァルターに変えさせただけでも、大したものなのだ。


 だがしかし……何も出来ないのがもどかしい。

 力添えをすることはおろか、声援を送ることさえ……彼の雄姿を見守ることさえ赦されないのだ。



 「畜生……ヴァル………あの野郎……」

 「…………何だよ」



 何とかしろ。負けるな、死ぬな、絶対勝て。勇者だろ早くしろ。

 こんなにも愛らしい少女が苦しんでいるのだ、ここで活躍せずして何が勇者か。勇者ならば勇者らしいところを見せてみろ。

 少し前は重圧プレッシャーの所為か向こう見ずな――無謀とも取れる言動が多かったが、最近はその言動も影を潜めている。彼にとって好い傾向であるのは確実。……ノートの存在が彼にとって良い影響を与えているのは、もはや疑う余地も無い。



 「あの野郎……可愛いお嬢が苦しんでんだぞ……あの畜生………」

 「おい」


 それなのに。彼にとって大切な存在である少女が苦しんでいるというのに。心配しているというのに。この子の笑顔を一刻も早く取り戻してやらなければならないだろうに。



 ……あいつは、何をやっているのだ。




 「畜生ヴァルター! 早くしろあのムッツリ勇者!!」

 「ネリーお前いい加減にしろバカ野郎!!」

 「ウォアアアアアア!!?」

 「危ねェ!!!?」



 音速に匹敵する速度で迫る風の魔法――振り抜かれた掌にしたがい空を裂く風の刃を、身を翻しすんでのところで躱す。髪の毛先を数本散らした風の刃は黒い靄に吸い込まれ……耳障りな音と共に向こう側の壁を斬り付け、霧消する。




 「…………」

 「………………」

 「……………………おいクソ長耳族エルフ

 「…………………………何だアホ勇者」

 「呵々(かか)


 耳が痛いほどの沈黙。気まずいほどの硬直。

 斬り飛ばされ風に舞った毛髪が床に落ちる程の時間を置いて……聞くに堪えない罵詈雑言が飛び交った。




 「お前マジ何すんだよ!? いきなり魔法ぶっ放すとか!! 危ねェし有り得ねェだろ!!」

 「……ッ、うるせェ畜生!! バカ! アホ! どんだけ待たせんだ畜生!!」

 「仕方無ェだろこっちも必死だったんだよ!! ……てかお前! さっさとノート離せこのクソ百合レズ長耳族エルフ!!」

 「畜生! お前いつからそんな可愛げ無くなったんだよ! 私ゃ師匠だろ! 敬え!!」

 「敬って欲しけりゃ敬われる言動心掛けろ! 色々と台無しなんだよお前!!」

 「呵々々(かかか)



 まだまだ若いとはいえ、ヴァルターは既に成年に達しており……また外見が少女のそれとはいえ、ネリーはヴァルターに教え込む立場である。

 いい歳した大人のものとは思えぬ会話が交わされ、あまりにもあんまりな事態に自失状態であった筈のノートさえも……きょとんとした顔で硬直してしまっている。



 「……あう、た……? だい、じょうぶ……?」

 「大丈夫。俺は大丈夫だ。……心配掛けたな」

 「………ひん」



 ……そう、お嬢(ノート)だ。


 ヴァルターの無事を認識してか、やっと正気に戻った様子。ちょこちょことヴァルターに駆け寄り、懸命にしがみ付くその様子を見て……とりあえず一安心。肩の荷が下りた気分だ。

 ほんの短い時間だった筈なのに……あの子のあんな姿は、本当に心が抉られるようだった。



 「畜生……お前…………よく戻ってきやがった」

 「ああ、ただいま。……悪い、遅くなった。もっと早く戻れれば良かったんだが」

 「気にすんな、そんな待って無ぇよ。むしろこんな短時間でよくやってくれた」

 「は? 短時間? 待て、何だって?」

 「は? え、いや一刻も経って無ぇだろ? 短時間だろ?」

 「えっ」

 「えっ」

 「呵々々々(かかかか)



 お互いに認識の不一致を認識し、どちらからともなく会話が途切れる。

 何か問題が生じているのは解るが、どこがおかしいのかは解らない。


 ……そんな中、ひときわ場違いな笑い声が響く。



 一同の視線がそこ(・・)に集まるのは……当然のことだった。




 「……なぁ、ヴァルター。私が訊きたいこと解ると思うんだが」

 「ああ、解る。絶対ぜってぇ来ると思ってた」



 軽く視線を交わし、頷き合う師弟。

 その視線の先。得体の知れぬ黒髪の人物は、厭らしくいびつに顔をゆが嘲笑わらった。



 「……ヴァルターお前。……お前……その子、誰だ」

 「………おい糞爺クソジジイ。呼ばれてんぞ、名乗れ」

 「呵々(かか)! ワレに指図か。まぁ良かろう。……別段(たの)しいモンでも無いぞ? 小娘」



 不釣り合いに不敵な表情を崩そうともせず、蛇のような目付きはそのままに――その人物はネリーを()()()……



 「うむ。ぬしがネリーか。噂は聞いておる。ワレはニー……っと、……うむ。そうさな」






 ……………その名(・・・)を名乗った





 「ワレの名は……『ニド』。そう、ニドだ。ういうこととあいった。宜しく頼む」






 未だ戦意を湛え爛々とぎらつく、いかにも気の強そうな瞳。


 ほどけば肩に掛かるくらいの長さであろう、後頭部で一括りに纏められた艶やかな髪。


 そして何よりも……その背に背負う――石材のような光沢を放つ刃渡り百㎝程の――どこか見覚えのある形状の、両刃剣。


 更に……薄暗い室内において尚目立つ白い肌、その身に纏うのは襤褸布のような貫頭衣状の衣。



 それらの全てが黒に染められた……()()()()()





 黒い髪。黒い瞳。世界すべてを『くだらぬモノ』と見下すかののような、挑発的な視線。

 攻撃的な表情とは裏腹に……しかしながらどこか憎めない、それどころか愛らしくさえある姿。



 ………自称、『ニド』。




 その幼げな背丈には不釣り合いな程に実った胸を誇らしげに張り、傍らのヴァルターの背をばしばしと叩きながら――何がそんなに愉しいのか――呵呵大笑の声を響かせるのだった。

ネリー「勇者が幼女連れてきた」

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