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99.5_【閑話】従者と給仕と夜のお仕事

ネタバレ:えろいお仕事ではない



 そこは……然したる評判も聞かれない、ごくごく普遍的な宿であった。

 規模が小さい、または設備が不充分…などということでは無い。大きくはないが小さくもない――宿の規模としては中の上程度。それこそ設備面で言えばむしろ整っている方であった。


 しかしながら……『目立たない』というデメリットは、それらの利点を覆して余りある程に深刻だった。



 その宿の歴史はそれなりに古く、かつては繁盛していた時期もあった。

 しかしながら区画整理により大通りが引かれ、住民たちの関心と賑わいの中心がそちらに移るに従い……大通りから角を幾つも入らねばならない――その宿がある周辺の区画からは、次第に人々が離れていった。


 それでも。かつての賑わいを取り戻そうと、可能な限り努力はしていた。

 来客が無いのならば時間はある。店主手ずから修繕と補修に奔走し、手に負えない箇所はかつての常連の伝手つてを辿り、全盛期とさして変わらぬ佇まいを保ち続けていた。




 ……だが、目立たなかった。




 ならばと店主は次の案に移った。


 夜間の間しか使われていなかった一階部分、煤け汚れ傷んでいた食堂部分を改装し、昼間ランチタイム営業も始めてみた。大衆受けする料理とその調理手法も、常連の伝手を辿って学びに通った。指導に応じてくれた調理人も太鼓判を押す程。人気の料理店にも引けを取らない、見事な料理人へと至った。




 ……だが………目立たなかった。





 昼間営業を始めて数ヶ月が経過したが、根本的な解決には至らなかった。

 先の代からの蓄えも底が見え始め、見習いとはいえ預けられた女給の給金も出してやらねばならない。

 二進にっち三進さっちもいかない。時の流れと諦め、畳むしかないのか。そんな考えばかりが脳裏を過ぎる。






 ……そんなときだった。



 灰鼠色の外套フードを頭からすっぽり被った……小柄な客が訪れたのは。






 ………………………




 「塩豚焼ロティ三つ! 兎蒸焼ポワレ一つ! 上がります!!」

 「わ、わかりました! 行きます!」

 「メアさんおあと! 牛煮込ラグー二つと鱒衣焼ムニエル二つ出ます!」

 「す、すこし……! お待ちを……!」

 「メアちゃんごめん! 三番卓リセット行ける!?」

 「ひあ……は、はい!!」



 昼飯時ランチタイムのとある宿屋。その一階食堂。

 閑古鳥は何処へ行ったのか。慌ただしくも賑やかな店内は今や、多くの人々で溢れていた。


 決して短くは無い修行の甲斐あって、主人と彼の教え込んだ従業員の料理は、普通に美味い。丁寧な下処理と実直な手法によって調理された品々の評判は、瞬く間に広まっていった。

 加えて………『あの』天使ちゃん、ならびに『あの』勇者様の御用達である。今やアイナリ―住民で知らぬ者が居ない程の有名人と化した一行、その拠点である。多少目立たない立地であったとしても、人々の興味関心を集めるには充分であった



 加えて。

 勇者一行の拠点宿となってからも……特にここ最近の盛況ぶりには、目を見張るものがあった。



 「コニー、さん。……お久しぶり、です。お待たせしました」


 「お待たせしました。ニクラス、さん。……黒胡椒、多め…です」


 「マルコさん……こんにちわ。……いつもの、ですか? ありがとうございます」



 可愛らしい癖っ毛と穏やかな口調に加え、一部では『聖母』と崇める声も多い……とある一人の女給(?)。

 穏やかな物腰で仕事も丁寧、幾度か足を運べば顔と名前と好みを覚えてくれ、帰り際には花が咲くような愛らしい笑顔で見送ってくれる……小さな女給(?)。


 ほんの数日、店頭に姿を表してから一巡間にも満たぬ間ではあるが、彼女(?)は瞬く間に仕事に慣れ……多忙極める食堂の売り上げに貢献していた。

 そんな看板娘(?)の登場によって、足繁く通う常連客は増加の一途を辿っていた。




 ………………………




 「よう店主マスター! 来たぜ!」

 「あぁ、ボリスか! 待っとったよ。いつもすまんな……」


 昼飯を求める人波が多少穏やかになった頃。少々勝手の異なる客が現れ始めた。

 彼――ボリスと呼ばれた鬚面の男は、鉄工都市オーテルから足を運んだ商人であった。アイナリ―とオーテル間を行き来し……往路では食糧を、復路では金属製品を運び、各町の商会に卸す。そんな日々を送る彼。


 今日も今日とて馬車と大荷物を商館に預け、今夜の宿を求め足を運んだのであった。



 「ボリス、さん。…こんにちわ。お疲れさまです」

 「おうメアちゃん! 相変わらず可愛いな!」

 「………ひぅぅ」


 『可愛い』との言葉に顔を真っ赤にして俯く……とてもとても可愛らしい看板娘(?)の存在もあってか。食事処だけにとどまらず、宿泊部屋も今では連日満室。二階部分十部屋の予約は……ふた月先までびっしりと埋まっている程の大盛況であった。

 街から街へ行き交う商人や一時の宿を求める狩人は当然のこととして。あろうことか同じ街の中に寝床があるにもかかわらず……アイナリー住民の宿泊も、今や珍しいことでもなかった。



 宿泊室の大盛況。『勇者様御用達』の看板、そして美味ウマい飯によるところが大きいのだろうが……実はそれ以外にも、宿泊経験者のみの間でまことしやかに囁かれている……とある一つの理由があった。



 「でもな実際……ここで寝ると夢見が良いんだわ。やっぱ天使ちゃんの加護なんかね」

 「何だそれ? まあ御贔屓頂いてんのは有難いんだがな」

 「店主マスター知らんのか? めっちゃグッスリ眠れるって有名だぜ。…じゃあま、世話ンなるわ」

 「ほー……? 何だろうな。敷布団マットはそんな卸したてでも無ぇし……敷布シーツか?」




 行商人ボリスはメアの頭をわしゃわしゃと撫で、宿泊者専用エリアの扉を潜る。残された店主は今しがたのやり取りに関し首を傾げるが……そうこうしているうちに新たな客が現れる。

 どうやら彼も宿泊客らしく、店主から鍵を受け取り軽く談笑すると……疲れが溜まっているのだろうか、節々を解すように動かしながら客室へと上がっていった。



 それから暫く。

 多少客入りが穏やかになったとはいえ、賑やかさの絶えない食堂をせわしなく動き回りながら……宿泊客の様子を入念に観察し続ける女給(?)の姿があった。

 ときに近くで挨拶し、ときに二・三言葉を交わし、滞在者の顔と名前、口調や遣り取りを懸命に記憶する。


 「……がんばり、ます。ノートさま」


 敬愛する主人の帰りを待ちつつ……今夜の密かな一仕事に向け、人知れず気合いを入れ直すメアの姿が……そこにはあった。







 姿かたちは殆ど人族そのものでありながら、人族としては有り得ない魔力を秘めた……『先祖返り』の夢魔であるメア。

 彼女(?)にとって夢の方向性を操ることなど、造作も無いことである。


 人族の最精鋭、勇者とその従者でさえ抵抗すること敵わなかった彼女(?)の魔法――昏睡と悪夢を操る深層心理の魔法――それは今や、宿泊客の安らかな寝入りと心地よい夢見を附与するものへととって代わり……彼女(?)は『無意識下の夢に干渉する』その能力を遺憾無く発揮していた。


 ただひとつ……主人の望むがままに。

 この街に、この宿に、受けた恩に報いるために。




 小さな『夢魔』メアによって保証された安眠は、宿泊客の心を癒し……この宿へのリピート率を高めるだろう。

 この宿が繁盛すれば、メアの主人の恩人たる店主おっちゃんは喜ぶだろう。


 そうなるためにも……自分にできることを頑張るのだ。


 他でもない。自分に温かさと安らぎを与えてくれた……主人のために。







 翌朝。


 昨日までの疲労に染まった顔は何処へやら。朗かな表情で宿を後にする宿泊客達の姿が、そこにはあった。


 彼らはまたこの宿を使ってくれるだろう。行く先先で宣伝してくれるかもしれない。

 そうすれば……巡りめぐって御主人ノートさまに喜んでもらえる。




 交易都市アイナリー。東区の大通りから少し入った……角を幾つか曲がった先にある、お世辞にも目立つとは言えない宿屋。

 人々の暮らしに紛れた魔の者の姿が――人々に安らかな眠りを与えるために奔走する、小さな『夢魔』の姿が……そこにはあった。

「天使ちゃんに抱っこせがまれる夢だった」

「天使ちゃんに膝枕される夢だった」

「天使ちゃんにいいこいいこされる夢だった」

「夢ん中だけど天使ちゃんに名前呼んで貰った」


「「「「やっぱ天使ちゃんの加護だこれ」」」」




※ちがいます

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