99_遺跡と地底と急速潜行
垂直に落ちる縦穴――地のそこまで続かんばかりの底知れなさに、当初こそ尻込みした彼らであったが――幸いなことに徒歩で降れる構造となっていたため、然したる不満も出なかった。
縦横一辺が五mほどの四角い縦穴は、外周に沿うように点検用の通路が巡らされていた。人一人が辛うじて通れる程度の横幅、加えて構造材である鋼材が剥き出しの頼りない足場ではあったが……懸垂下降さえも覚悟していた彼らにとっては、歩いて進めるだけでも嬉しい誤算であったようだ。
………だったのだが
「………なぁ。どんだけ降りた?」
「ええと……入口がアレなので…………直線で五百m程は」
「私の長耳族的直感が告げてるんだが……そろそろ標高ゼロじゃね?」
「……完全に、地下に向かってるんですね…」
「…………んいい……」
だが……深かった。予想以上に深かった。
……予想以上に、長かった。
「あ……あるた、ねりー」
「ん? どうしたノート」
「どうしたお嬢。おしっこか?」
「んいいいい」
とたんに顔を赤らめ、頭をぶんぶん振って全力で否定を示すノート。どうやらおしっこでは無いらしい。
ならば……休憩の催促だろうか。さすがに活動を開始してからというもの、結構な距離歩を進めている。長距行軍・長時間活動に慣れているはずの私たちでさえ息が上がってきているのだ。小さなこの子の体力では、休憩を欲していたとしてもおかしくは無い。
ならば疲労解消の手伝いをしてやらなければ。私が誠心誠意揉みほぐしてあげなければ。
儚げな少女を気遣い、鼻息荒く迫るネリーであったが……幸いにして事案に発展することは無かった。
どうやら少女の欲するところは休憩と違ったようだ。
「わたし、あな。……んい、みる、とってちて、する。あな」
「あな……? 穴? これ?」
「んい。あな」
穴を、見る。とってくる。
……穴を、見てくる?
穴とは、疑うまでもなくこの縦穴だろう。文字通り底の知れない、まっすぐ地中深くへと降りていく薄暗い縦穴。全貌が不明瞭なその穴を……見てくる。
一体どういうことだ。何をしようとしている。
『まさか』と思い至るのと、白い幼女がその思いきりの良さを残念なことに発揮してしまったのは……ほぼ同時だった。
「わたし、する。できる。……まかせて。りぃんふぉーす、いる」
「……いや待てノート。こんな何が出るか知れないトコで」
「待て待て落ち着けお嬢! 早まるな!」
「ひゃわ!? え!?」
「へ? ちょっ!?」
二人の悲鳴じみた制止と二人の悲鳴を置き去りに、あっさりと手すりを飛び越える一人。
いくら軽いとはいえ大気よりも明らかに重量のある身体は当然ながら浮かぶことはなく……小さな身体は重力に引かれるがまま、自由落下を始める。
「「「「うわああああああ!??」」」」
取り乱す四人を遥か上に、落下を始めた当の本人は涼しい顔。自らの加速が行きすぎないよう、一定間隔で足場(の手摺)に着地してはまた身を翻し……とん、とん、とん、とリズミカルに落ちていく。
しかしながら光量の乏しい中、突然の奇行に平静さを喪いつつあった四人は……危なげなく下降を続けるその様子を伺い知ることは出来ず、取り乱す一方であった。
「ヴァル!! 行けるな!?」
「行くしかねぇだろ!! カルメロ悪い、ちいっと我慢してくれ!」
「嬢ちゃんも悪い! ちっとゴメンな!!」
「わわわわわ!」「ひゃわわわわ!」
二人を担ぎ上げた二人は、各々が身体強化を纏い……意を決して少女の後を追い身を投げる。
行く先さえ見通せない薄暗がりの中へ、今四つの人影が二塊となって……
落下を、開始した。
………………………
「あ、あえ? ………だい? じょぶ?」
「「「「……………………」」」」
「……んんー?」
非常に可愛らしく、こてんと首をかしげる少女。
何一つ悪びれた様子の無い………心配を掛けたという認識の全く無い少女を前に、文句のひとつでも言ってやろうと息巻いていたヴァルターはじめ四名は……すっかり毒気を抜かれたようだった。
考えても見れば、彼女の運動能力はそれこそ桁外れ。自分なんかよりも数段身軽で、数段機敏に動き回れる身体を持っているのだ。あの程度の自由落下、何の苦にもならないのだろう。
………全く、全く心配する必要なんて無かったのだ。
「………あ、ある、ある、あるた、……あるた?」
「……………何でもない」
「ひ」
だからといって。
もう少し言い様はあっただろう。考える時間をくれても良かっただろう。見てくる宣言してからこちらの答えを聞く間も無く即座に身投げされては……そりゃ焦るに決まっているではないか。
この子自身の能力がきわめて高いこと、加えて何でも自分が率先して物事をこなそうとしてしまう性格が……悪い方向に出ているように思う。
この調子では………いずれ身を滅ぼしかねない。
彼女には、是が非でも協調性を学んでほしい。
拠点に帰ったら……そのあたりを徹底的に叩き込んでやろう。
「…………あ、あるた?」
「何でもない。……進むぞ」
「は、はい」
先行して降りていたノートが発見した、穴の底の扉……床に口を開ける、小さな四角い点検扉。その中に身を滑り込ませながら……ヴァルターは強く心に決めた。
………………………
穴の底に口を開ける点検扉……というよりは、穴の底に着底する鋼の籠、その天井の点検扉であったらしい。
小部屋のような四角い金属製の籠。ヴァルターに続き天井の小窓から順番に降り立った四名は、気を取り直して行軍を再開する。
「………アーさん達、追って来られっかな…」
「ほぼ一本道でしたし、ところどころ顔料で目印付けてますので……たぶん大丈夫、かと……」
「自動射手も全て黙らせてますし、心配は少ないと思います」
「………あの縦穴以外は、……な」
「…………だな」
途中から飛び降りたことで、かなりの時間短縮は出来たのだろうが……垂直降下に要した時間は、決して僅かなものではない。
それはそのまま……あの縦穴がそれ程までに深いものだということを、この遺跡がそれだけ地中深くへと伸びているということを……如実に物語っていた。
「おい長耳族的直感。ここ何処だ」
「地下だな。めっちゃ深い」
「使えねえな!!」
「うるせえな!!」
「「どうどうどう……」」
気を紛らわそうと無駄口を叩きながら、ノートを先頭にぞろぞろと続く一行。通路の幅は縦穴以前よりも格段に狭くなり、もはや人二人が横並びに進むのがやっと、ほとんど最低限といった程度の広さでしかない。
遺跡の末端区画なのだろうか。
行き止まりが近いのだろうか。
有力な情報は、このまま得られないのだろうか。
誰ともなく脳裏を不安が過りだした頃。
無言で先頭を進んでいた小さな影が、とある地点で唐突に足を止めた。
「…………え?」
「ん? どうしたお嬢。おしっこか?」
茶化すようなネリーの声にも、
性的悪戯じみた言葉にも、反応は無い。
「…………………………う、そ…………うそ………」
「………どうした、ノート」
硬直する少女の顔を覗き込んだヴァルター。……不審極まりないノートの表情を窺い、即座に何事かを察し取る。
腰の剣に手を伸ばし、魔力を流し込む。剣を介して能動探知を発動し……唖然とする。
「ノート…………何だ、これは……」
「あ……? ……何だよ、何があんだよ!?」
先程……縦穴に飛び込む前には無かった筈の、巨大な反応。
ヴァルターはそれを知覚し、彼を追ってノートもぎこちなく剣を握り……能動探知で同じくそれを見た。
大きな目をより大きく見開き、口をぽかんと開け……この上ないくらいに『呆然』といった表現がよく合う表情で、見事に固まるノート。
ほんの僅かな間に。まるで虚空から突如として出現したかのような、それ。
ノートがじっ……と見つめる扉の先。
重厚な金属板の向こうに、どうやらそれはあるようだ。
「………よん、……でる」
「……呼んでる? ……この向こうか?」
「…………んい。……よんでる」
「敵なのか?」
「…………………わから、ない」
謎ばかりが募る、不審極まりない『呼び声』。ノートにしか聞こえないその声の出どころは、目の前の扉の向こう。
敵かどうかは不明。罠かどうかは……不明。
確実なのは……意思の疎通を図れる存在が、扉の向こうに居るということだけ。
不明瞭な点ばかり、率直に言って怪しいことこの上ないが。
この施設の情報を得るには……またとない好機なのかもしれない。
それに……『天使』であるノートにのみ聞こえる声ならば………もしかしたら悪いものでは無い……かもしれない。
「…………行くか」
「マジか」
「……えあ………えああ……」
貴重な情報源が、この先にある。
ヴァルターはそう判断を下し……重厚な扉に手を掛けた。
その扉には……ノートにしか認識できない表記で、以下のような記載が為されていた。
『廃棄処分個体一時格納施設』
『第一号室 【使用中】』
『【要厳重警戒】』
先ほどから語りかけてくる、自分にだけ聞こえる声。
そして……眼前の扉の表記が示すもの。
ノートの脳裏に……とあるひとつの姿が浮かぶ。
「あ……あひっ………あるた、まっ」
我に返ったノートが制止を求める間も無く、ヴァルターの接触によって解放信号を受信した半自動扉は粛々と開け放たれ……
それを、みた。
【その頃の回収班】
「……なんという……人鳥の視力とは、ここまで凄まじいものなのですか……!」
「ぴゅい! ぴゅぴぴ! ぴゅちち!」
「……そうですね。……ネリー様もさすがです。貴女の長所を更に伸ばし、短所を上手く補って居られる……」
「ぴゅっぴ! ぴぴぴ!」
「それは…………恐縮です」
「ぴゅい!」
(何言ってっか全然わかんね……)
(端から見ると珍妙極まりないな……)
……極めて平和であった。




