96_天使と勇者と正否問答
「……それで、ノートは?」
「アイネスと絡まって寝てる。クッソエロいぞ」
「マジか……!!」
「テオ下がれ。弁えろ」
先程とは所変わって男部屋。
医薬品治癒符による治療を受けているヴァルターに、ネリーによってもたらされた情報――ノートについての推論と、つい今しがたの彼女の状況が伝えられた。
つい先程まで気を失っていた……実際に彼女によって守られたヴァルターとしては思うところがあったのだろうか。眉間に皺を刻み黙り込んでしまった。
「あの子に触れると疲れが取れる、って……兵隊さん達も言ってたっけな。私もさっき身をもって経験したけどよ……あれはヤベェぞ。本物だわ」
「それ単にお前がクソレ痛ッッテェ!!!」
「ネリー様! 頭は! 頭は!!」
病み上がりのヴァルターにとって到底不可避の一撃――高速で撃ち出された踵を眉間に受け、額を押さえつつ悶絶するヴァルター。テオドラ謹製の治癒符ならびにネリー手製医薬の効果もあってか、つい先刻目覚めたばかりだというのに極めて健康体であり……そのせいもあってか病み上がりとは思えない仕打ちを受けるに至った。
「……にしても………あの子が『天使』……?」
「んだよ。何か文句あんのか? どこをどう見ても天使じゃねえか」
「いや、……………その……」
「………何だよ」
ヴァルターが目を覚まし、介抱にあたっていたテオドラからざっくりとした経緯を説明され、そして今しがた旅の相方――ネリーによって告げられた……あの子の正体についての情報。
彼女をはじめとする一同、ほか男部屋の面々たち……隊長格であるアーロンソに至っても、『ノートは人の身に墜りた天使である』という推測に異論は無いようだった。
………だが。勇者ヴァルターは。
かつて一度この世ならざる存在と遭遇した、彼は。
ボーラ廃坑の地中深くで、遥か昔に存在したという魔王の眷属――蟲魔の『女王』と相対した際。彼女に宿った得体の知れない……超常たる存在と実際に言葉を交わした、彼は。
『天使』という仮説に頷きを返すことは、
心の底から同意することは……出来なかった。
「……良いか? ヴァル」
「…………何だ」
その様子を見かねたのだろうか。彼の同行者にして先達であるネリーから言葉が掛けられる。諭すような口調を耳にして、ヴァルターは思わず表情を曇らせる。
その口調は彼にとって慣れ親しんだ……しかしながら歓迎すべきではない、多分に叱責を含んだもの。
「お前が何を知ってて、何を考えてんのか……私は知らねぇ。……私らの知らない情報をお前は持ってて、それがモトでお嬢に疑念を抱いてるってのは……まぁ、なんとなく解る」
「………ああ」
疑念。……そう、疑念が拭いきれないのだ。
何しろあの子の中には、曰く『悪い存在』が同居している。……他でもない本人が、そう言い切ったのだ。手放しで安心することなど出来ない。
あのときの彼女から溢れ出た、尋常では無い魔力。名状し難い威圧感。常識離れした佇まい。……どれを取っても安心要素とは言い難い。
あれは『天使』などではない。
あれは、あれでは……むしろ………
意識せず表情が陰り、重苦しい表情となった彼。やがてネリーは諭すように……改めて、問うた。
「だがなヴァル。事実を見てみろ。……何が、起こった?」
「………事、実……」
事実。――起こった、こと。
魔物の群れの駆除に赴いたら、遺跡を発見し。
深部へと続く扉が開いたと思ったら、神話級の魔物が姿を表し。
剣を通してあの子の心理外傷が流れ込んだと思ったら、地形が変わり。
さすがに死んだかと思ったら、あの子に守られ……命を救われた。
……それが、事実。
何の前情報も推測も織り込まない、ありのままの……事実。
「……ノートに……助けられた」
「そうだ。あの子が何者であれ、……どんな存在であれ、身体張ってお前を助けた事実は変わらねぇ。……これまでだってそうだろ。あの子は他人のために、小さい身体張れる子だ。……優しい子だ」
「………ああ」
「あの子が天使じゃ無かったとして。……天使でもヒトでもない、何か得体の知れない存在だったとして。……あの子の本質は変わるのか? ……あの子が『優しい子』だ、ってトコは……私らの恩人だって事は、変わるのか?」
「それ、……は………」
……変わらない。変わるわけが無い。
あの子……ノートの中に『悪い存在』が居座っていたとしても。あの子自身が今までにやってきたことは……害あるものでは、決して無い。
蠢く蟲の大群にその身ひとつで挑み掛かり、都市をひとつ救って見せた。そこに住まう多くの人々の命を救い、多くの人々に笑顔を齎した。他でもない自分達の危機に現れ、見事に奇跡を起こして見せた。自らの身柄と人々の安寧を秤に掛けられ、迷わず自分の身を擲って見せた。
この国を滅ぼしかねない、途方も無い存在と相対したとき、――言動に不透明な点は多々あったものの――確かに自分に助力してくれた。……この国を、救ってくれた。
人々を助けた。救い出した。悪を罰した。敵を滅した。
自分達を……『勇者』を、守った。
その通りだ。あの子と行動を共にしてからというもの……善の側面しか見ていない。
ほんの少々、……ほんの少し、常人の尺度では測りかねる言動こそあれど。その所作は『悪』であるとは言い難い。………青少年の健全な生育上は、周囲の男子達の精神衛生上は、ほんの少しだけ悪であるかもしれないが。
「あの子な。……ノートな。オヤスミする前何つったか教えてやろうか。……『皆、幸せ。頑張る』だとよ」
「…………そう……か」
皆を、幸せに導く。人々を守る。
言うことは簡単だろう。しかしながらそれを実行するのは、生半可なことではない。
だが事実。彼女は確かに成し遂げてきた。
振り返ってみる。短い付き合いとはいえ、少女の周りには常に笑顔が満ちていた。
彼女が天使では無かったとして。……ヴァルターが危惧しているような、『悪い存在』だったとして。
事実として、彼女がこんなにも『善い』存在ならば……何も問題無いのではないか。
そもそも『悪い存在』という情報でさえ、彼女の自称に過ぎなかったではないか。
どうやら自分以外の全員は、彼女が『天使』であると信じて疑わない様子。……それほどまでに彼女の善性は明らかなのだ。自分一人が些細なことに拘っているのが馬鹿みたいだ。
……そうだ。たとえ天使でも悪魔でも、あの子が『善』であることは変わり無い。
ならば自分が、……他でもない『勇者』たる自分が。得体の知れない――だが天使のような外観と心構えを持っている彼女を――『悪』ではなく善い方向へと導くことが出来れば。
………何の問題も無い。
自分がしっかりしていれば、何も問題無い。
「………そう、だな。……気合い入れてかねぇと」
「ふおふ。……んぐ。腹ぁ決まったみへぇだな」
「……ああ。俺らもしっかりしねぇ……と………………ネリーお前。何だそれお前」
「あ? 夜食。カルメロ様様だわ」
思考に沈んでいたヴァルターを余所に振舞われた……夜食。
具材となる加工糧食――獣骨や多種多様な香草・香味野菜から煮出された出汁を更に煮詰め、凝縮したものを漬け液として調理加工された、ひたすら濃い味付けの野営用燻製肉――それに湯を掛けただけの簡素なスープではあるが……
加工糧食そのものが上質なものなのか、何やら加えていたらしい『ひと手間』によるものなのか、あるいはその両方か……塩気と旨味、そして暖かさがなんとも心地よい……ほっとする一品である。
……とはネリーの談。
「………ズルくね?」
「あ? お前がウジウジ悩んでんのが悪ぃんだろ。やんのか?」
「やんねぇよ……お前時々ヒドいよな」
「ウルセぇ黙れ。お嬢の良さを認めねぇ奴は皆敵だ」
「お二人とも抑えて!! まだありますから!!」
カルメロの心温まる振舞いによって、ヴァルターとネリーも心の平穏を取り戻し……
こうして『天使』ノートを巡る一連の議論は、一応の決着を見た。




